| やがて、うららかなるあなた |
「た、ただいまー…」 それは、もう随分と日も伸びてきた、でもまだ寒さの残る季節の頃。白い息を吐いて帰ってきたおれの手には、ファンシーショップのカワイイ紙袋。要するに、おれみたいな男には全くもって不似合いなもの。…ばれたら、恥ずかしいものだ。だから母さんが買い物に出掛ける頃合いを見計らって帰ってきたはずだけど、ほんのわずかにタイミングを間違えたらしい。玄関を開けると、ちょうどブーツを履いていた母さんと出くわしてしまった。思わずからだをぴしりと固め、袋を後ろ手に持つも遅すぎた。母さんは、まるで悪戯っ子みたいににんまりと口角をあげていく。ぶるりと身震いをした。 「あらぁ、どうしたのその袋?いきなり少女趣味に目覚めた?」 「ば、ばか、ちげーよ!これはおれのじゃなくて、その、ぷ、プレゼント…だ!」 「ふぅーん!貯金箱砕いて女の子にプレゼントかー!あんた青春してるわねえ!好きな子でしょ!」 「す…っ、好きとか!そんなんじゃねーから!ぜんっぜんちげーから!」 ブーツを履き終えた母さんのニヨニヨ顔が、どんどんこちらに迫ってくる。やばい、これは、一番やばいやつだ!うちの母さんはこういう噂話となると人が変わるってのは、よーく分かってる。何せおれが生まれてからずっと一緒にいるんだ!だからこそ一番警戒していたというのに、迂闊だった…。必死にばたばた手を伸ばして抵抗するも、オトナの手足の長さの前では虚しく。あっさりと紙袋を奪い取られ、その中身を覗かれてしまった。 「へえー、手袋…って、もう冬終わるじゃない」 「…ふん。いいんだよ、ヒナリいっつも手冷たいから」 あのかくれんぼのときに触れてきた、凍えるような感覚。ファンシーショップの棚を前にそれを思い出し、これは我ながら名案だと思ったのだ。ヒナリに似合う色は何色だろうか。きっと、あたたかい色がいい。オレンジとか、可愛いと…って、あ、おれ今、ヒナリって言っちゃっ、た、あああ!?気がつけば母さんの緩みきった口元はさらに緩んでいて、突然おれの肩を掴んで揺さぶり始めた。 「ほおおー!その子の名前ヒナリちゃんって言うのね!ヒナリちゃん、いい名前、……ヒナリ、ちゃん?」 もう諦めて、母さんの為すがままに揺さぶられて気持ち悪くなりそうだったけれど、ふと、その揺さぶりが止まる。ぐらぐらする視界もようやくおさまり、母さんの顔をもう一度見据えた時。母さんの顔は、悪戯っ子の顔から、"オトナ"の顔になっていた。さっきのふざけた雰囲気は微塵もない。まるで罪を叱る先生のように、眉をぴしりと固めていた。そして、重い口が開く。 「…その子と遊ぶのは止めなさい」 ……はあ?思ったままの反応を示すと、母さんはまた同じことを繰り返す。 「いいから。その子と…ヒナリちゃんと遊ぶのは、止めなさい。いい?」 「なんだよそれ、意味わかんねーよ!」 「いいから!あんたは理由知らなくていいの!」 「いやだ!ヒナリはおれのともだちだ!」 「母さんはあんたのこと思って言ってるの!」 「……っ!」 …なんでだよ、なんでだよ!ヒナリが母さんに何したって言うんだよ、なんで今初めて知った子のこと悪く言うんだよ!なんで、ヒナリは母さんみたいな見ず知らずのオトナにまで嫌われなきゃなんないんだよ!ふつふつと怒りが、おれのなかを占拠する。でも、「あんたのこと思って言ってる」は、卑怯だ。母さんはいつもそう言って、おれという子供を黙らせる。コドモを、自分の言うこと聞く機械にさせようとする、悪いオトナ。でもオトナの機械になるなんて、まっぴらごめんだ。おれは、にんげんだ。 俯いて黙りこくったおれに、母さんはおれが納得したものと思い込んだらしい。買い物バッグを手に、玄関を開けようとしていた。が、させない。前に立ちふさがって、両手を広げた。ヒナリのヒーローは、おれだ。怪人に物申すのは、おれの役目だ。 「…ヒナリのこと、悪く言うんじゃねーよ。ヒナリは、母さんがばかにできるような奴じゃねえ。ヒナリは、すげーんだ」 「…ふぅん?何がすごいの?走るのが早いとか、頭が良いとか、そろばんできるとか?」 「そんなタンジュンなもんじゃねーよ。もっと、もっとヒナリはすげーんだ!ヒナリは、ヒナリは!」 母さんの挑発に、おれはまんまと乗っかってしまった。カッとなって、頭に血が上って、彼女が悪く言われるのに、耐えられなくて。彼女の名誉を守りたくて。そう、ただ、守りたくて。だから。 ――ヒナリは、ポケモンの言うことが、分かるんだ! これが、おれの、みっつめのあやまち。最大の、あやまち。おれは、何よりも大切な約束を、ヒミツを、壊した。大嫌いな、オトナの前で。 母さんは、手を叩いている。口を開けて笑っている。母さんは、買い物バッグを手にする。おれに紙袋を手渡す。おれの頭を撫でる。振り返る。扉を閉める。鍵が、回る。おれは、立ち尽くす。世界が、スローモーションで再生されている。 「あ、ああ、あああ、」 ヒナリ。 おれは、おれは。お前を、守りたくて。おまえにずっと笑っていてほしくて。だから、ヒミツをやぶった?……いいや、違う!おれは、おれのともだちが、惚れた女が侮辱されるのに耐えられなくて、おれのためにヒミツを破った!おれが彼女の大事な、大事なヒミツを!約束だったのに!おれは! 「……ヒナリ、ヒナリ、ヒナリ、ごめん、ヒナリ…ごめん、おれが、おれのせいで…っ!!」 紙袋の中に、一滴、おれの雨粒が落ちた。 → |