| やがて、うららかなるあなた |
「ねえヒナリちゃんって、ポケモンと話せるの!?お母さんたちが言ってたの、あたしお買い物中に聞いちゃったの!」 「ええー!ほんとうなの、ヒナリちゃん!」 間に合わなかった。翌日いつもの空き地には、彼女と、彼女を取り囲むように大勢の女子がいた。あのときのグループだけじゃない、噂を聞きつけた女子たちが何人も集まっているようだった。それを遠巻きから見つめているのはいつものおれの遊び仲間たち。興味はあるが、女子たちの中に突っ込んでいく勇気もないといった風だ。チラチラといやらしく彼女に視線を送っている。…ああ、おまえらじゃ彼女を救えないだろうさ。おれが彼女のヒーローだ。拳を握りしめ、駆け込んでいこうとしたときだった。 「ねえ、どうなのー?」 「……、ち…ちが……」 「えー!?そうなのー!?でも、…あ、ちょうど良いところに来たー!」 女子たちがおれを見つけて、きゃーっと手を振る。咄嗟に戸惑うおれの両手を掴むと、女子たちはおれをまるで宇宙人みたいに連行していく。連れて行かれたのは勿論、ヒナリの目の前。相変わらず長い髪の毛が、その表情を隠している。でもあのときみたいに、その髪を掻き上げることはできなかった。むしろ、顔を合わせなくていいことが、好都合だった。会わせる顔が、ない。 そんなふたりの様子をニヤニヤと見守っていた女子たちの中から一人が、おれたちの間に入り込む。あのグループの、リーダー格のような女子だった。彼女がコドモ裁判の議長とも言わんばかりの胸の張りようで、おれに問いかけてきた。 「ヒナリちゃんは、ちがうって言ってるけど、でもあたしあんたのお母さんからこの話聞いたんだよ!うちのむすこがねーって。ねえ、どうなの?ほんとうのところ?」 「っ、母さん…っ!」 あんの、噂好きが!冗談で流してくれることを祈ってたけど、やっぱりあの買い物先の井戸端会議で話してたらしい。歯を食いしばっても逆効果って分かってる。さらに最悪なことに、おれが標的になってることを面白おかしく感じたらしい。いつもの仲間たちまでぞろぞろと女子の周りにたむろし始めている。こんなの、この町のコドモが全員集合してるようなもんだ。その中でおれたちは、見世物のようにジロジロと幾多の視線を向けられていた。 「ねーえー?どうなのー?」 いつまでも黙ったままのおれたちに待ちかねた聴衆が、次第にぶーぶーと不平不満を漏らし始める。ざわめきが大きくなるのに比例して、彼女の肩の震えも大きくなっていく。…一刻も早く、助けなきゃ。おれだけが、彼女の味方だ。どうやったら、彼女が救える?どうやったらここが彼女に優しい世界になる?…そう思った途端、はっと一点、おれの頭に光が射した。 そうだ。その場しのぎの嘘じゃ駄目だ。その場ごと、変えるんだ。怖がりな彼女には出来なかったとしても、おれなら、ヒーローなら、できる。おれはこの世界を、彼女のために創りなおそう。創りなおす、べきなんだ! これが、よっつめの、あやまち。 「…ああ。おれは、うそなんかついてねえ。ヒナリは、ポケモンの言葉がわかるんだぜ。すげーだろ?」 「……っ!?」 聴衆が、どよめく。彼女がはっと顔を上げ、口元を抑えがたがたと震えている。信じられない、というように、瞳を小さくして。だがおれはそれに動じるわけにはいかなかった。ごめんな、ヒナリ。でもこれできっと、ここはお前に優しい世界になるよ。それまで少し、耐えてくれ。 「えー!!でもさっき、ヒナリちゃんはちがうって言ってたよー?ヒナリちゃんがうそつきなのー?」 「ちがう…っ!わたしはっ、ポケモンの言葉なんかっ、そんなのっ、」 「じゃあじゃあ、こっちがうそつきなんですかぁ?」 「ちがう。おれは、うそつきじゃない。…なあ、ヒナリ。もう、うそつかなくていい世界にしてやろうぜ」 「ちがう…!わたしはっ!」 ええー、どっちがホントのこと言ってるのー?聴衆が再びどよめきだす中、おれたちは「ちがう」を繰り返す。議長も、どうやら追求先を見失ってしまったようで、腕を組み首を傾げている。とうとう聴衆全員の頭上に?マークが浮かんだ時、ひとつの声が人混みを掻き分け飛び込んできた。ひとりの、女子の声。悲愴めいた声だった。 「ねえ!もう、こんなのやめようよ…!わたしはヒナリちゃんを信じる!ヒナリちゃん、うそつくような悪い子に見えないもん!そうでしょ、ヒナリちゃん」 「なっ…、えいちゃん……」 えいちゃん。ヒナリを遊びに誘おうとしていたり、ヒナリに友好的な態度を取り続けていた唯一の女子。突然輪の中心に飛び込んできた彼女は、目元に涙を溜め、険しい表情をしながら腰元のボールを放り投げた。現れたのは、愛らしいピカチュウ。彼女はそのピカチュウを両手で抱き上げると、ヒナリのほうへ歩み寄ってきた。ピカチュウはヒナリをじっと見つめると、ちゃあ、と挨拶でもするように鳴き、彼女の手に触れる。えいちゃんが、泣きながら笑っている。 「ちゅうちゅう!ぴっかあ!」 「ね、ヒナリちゃん。ピカチュウは、ちゅうちゅう、だもんね。わたしのピカチュウ、かわいい、でしょう?」 皆が息を殺していた。皆がヒナリの一挙一動を確かめようと、目を光らせていた。ヒナリは、黒々と無邪気に輝くピカチュウの瞳をじっと、静かに見ていた。 …なあ、ヒナリ。もう、うそつかないで、いいんだぜ。世界ってさあ、お前が思うより、信用ならないものだとは思えねえんだ。こいつらだって、確かにやり方は酷すぎると思う。でも、おれ、知ってんだ。こいつらの根っこは、ただおまえに興味があるだけなんだよ。悪いやつじゃねえんだ。あとは、おまえの言葉一つで、世界は変わるさ。もしおまえを悪く言う奴がいたら、おれがそいつを殴ってやる。それで、おまえを守るよ。おまえに優しい世界を、おれが創るよ。だから、そのピカチュウの言葉、皆に伝えてやれ。皆におまえの真実を、知らしめてやれ。おまえが、踏み出せ! ヒナリの凍えた指先が、ピカチュウの指先に触れた。ぴくんと互いが反応したけれど、次の瞬間、解れたように微笑みあう。 「……。うん。ちゅうちゅう、かわいいね」 違う!! 「ヒナリ!!おまえ、なんで!!なんでだよヒナリ!!ちがう!!こんなの、ちがう!!」 「ちがうって、あんたがひとりでうそついてさわいでるだけでしょ?あんた、何がしたかったの?」 「ちがう!!ヒナリが!!ヒナリがうそつきだ!!おれはほんとのことしか言ってねえ!!なあヒナリ、なんでほんとのこと言わねえんだよ!!」 止まらない。 「ほんとのこと言ったら、おまえのこと認めてくれる人が増えるんだ!!それで、おまえは、すげーって!!みんながおまえのことすげーって知って、おまえは、もうこそこそ隠れなくて済むんだ!!」 止まらない。 「みんなおまえに優しくなるんだ!!おまえに優しい世界ができるだろ!!なのになんで嘘つくんだよ、ばか!!」 止まらない。 「ヒナリの…っ、ヒナリのうそつき!!おまえはっ、うそつきだ!!大うそつき野郎だああっ!!」 止まら、なかった。…もうだめだ。聴衆が、静まり返っている。無意識に彼女に、掴みかかろうとしていたらしい。いつもの男友達が、おれを羽交い締めにして抑えていた。えいちゃんが、議長が、化け物でも見るようにおれを見ている。ヒナリが、俯いている。…ぽつん。彼女の足元に、雫が一滴、落っこちた。 「…なあ、なんでおまえ、あの子のことそんな風に言うんだよ」 その誰かの一言で、まるで雨が強まっていく音ののうに、ざわめきがまた広がり出す。まずい、と思ったとしても、おれは何の力も持っていなかった。 …確かに、おまえがそれだけ言ってると、わかんねーよな ほんとに分かるってことあるのか? でもさっきのピカチュウのは? あんなのいくらでも演技できるじゃない じゃあなんであいつはあの子のことかばってるんだ? 好き、なんだよ ああー、なるほどおー? ちょっと男子ぃ、やめなよぉ 確かにデキてると思ってたよなー いっつも一緒にいるもんね?あやしいー てゆーか、ふたりともうそつきだったり? うそつき同士、お似合いじゃん …もう、やめろ。やめて、くれよ。悲しみか、怒りか、羞恥か。顔が真っ赤になって、頭の中は真っ白になって。泣きたいんだか、怒りたいんだか、分かんなくなって。それは自分でも信じられないくらいの、大声だった。さいごの、あやまち。 「ちげーよ!!おれは、こいつのことなんか…っ、ヒナリのことなんか、なんとも思ってねえ!!ともだちとも思ってねえ!!ヒナリなんか、だいっきらいだあ!!」 沈黙。 沈黙。そして、沈黙。それから、声。彼女の声。これ以上ないくらい、優しい声。震えた、かすれ声。 「そうだよね。…ごめんね」 「…ぁ、ちが、」 「きらいなのに、なかよくしてくれて。私がひとりぼっちで、かわいそうだっておもってくれて。ともだちのふり、してくれて。ありがとう」 「ちが、う、ひなり、おれはおまえを、」 「ううん。いいの。ほんとうの、ことだから。…ありがとう。ごめんね。ごめんね。ごめん、ね……っ!」 彼女は、泣いた。いつも堪えるように泣いていた彼女が、大声をあげて、空に叫ぶように泣いていた。誰も何も口出しできなかった。ただ、彼女が降らす大雨を、ずっとずっと、誰も救いの手も差し伸べず、見つめていた。 それからは、騒ぎを聞きつけたオトナが、事態を収拾した。おれたちはオトナによって、すべてのことを吐かされた。ヒナリのことも、おれたちのヒミツも、全部。全部だ。コドモの世界が、オトナによって蹂躙され、終わりを迎えた。 *** 結局オトナは、全てをオトナたちで解決しようとしたらしい。おれは、母さんと一緒に、ヒナリの住むアパートへ謝りに行くことになった。アパートの螺旋階段を登る途中、彼女の家から出てくる女性がいた。最初はあれがヒナリの母親かと思った。けど、扉の隙間からもう一人女性が見えるから、あっちがヒナリの母親なのだろう。ヒナリの母さんは、おれたちの姿を見つけると、無言のまま会釈をした。 玄関で、おれの母さんが、頭を下げた。おれも母さんに殴られるように、頭を無理矢理下げさせられた。母さんが必死に謝っていたけれど、その間おれは視線で家の中を探った。不気味なほど、埃一つない部屋だった。生活感が、何もない。洗濯物も、洗剤も、テーブルの上にも何もない。同い年の女の子とその母親が住んでいるような部屋ではなかった。ヒナリも、いなかった。 ヒナリの母さんは、美人だった。黒いスーツを着こなす、キャリアウーマン、って感じだった。多分ほんとに、ずっと働いてる人なんだろう。ヒナリの母さんは、「うちの子はキョゲンショウ」なんだと言って、やっぱり頭を下げていた。あとで母さんに聞いたら、いつもうそをついてしまう病気らしい。 母さんは帰り道、ずっと独り言を呟いていた。「だから遊んじゃだめって言ったのよ。まともな子じゃないって噂、ほんとだったじゃない。家政婦雇って、まともに自分で家事もしてないみたいだし。教育だって、きっとおざなりなのよ。親が親だから、子も虚言症になんてなるんだわ」意味は、当時のおれにはよく分からなかった。でも、ヒナリとヒナリの母さんをまた悪く言っているってことは、なんとなく察した。おれはもうなにも言わず、黙って母さんの隣を歩いた。 ヒナリが、キョゲンショウなんて、うそだ。ヒナリは本当にポケモンの言葉を理解して、ポケモンといちばんの友情を築いていた。誰よりもおれがそのことを知っている。おれはただ、そんな彼女が隠れることなく暮らせる世界が欲しかった。ただ、それだけの理由。だからおれは、あのとき皆の前でヒミツを打ち明けた。 でも、それは、いちばんダメなことだった。ずっと、ずっと何も言わずに耐えてきた彼女にとっては、いちばん、最悪なことをしてしまったんだ。ヒナリはずっと隠れて生きてきた。唯一ポケモンにだけ心を許して、それ以外には、一切何も言わず、言えず。その町その町に溶け込むように、潜むように生きてきた。だから、彼女は自分の名前も上手に言えない。名乗ることは、自分を認識させる、ということ。彼女は、自分を認識されてはいけなかったのだ。周りに溶け込み、潜まないといけなかったのだ。 なのにおれは、一体何をしてきた。一体いくつのあやまちを重ねてきた。彼女を救うと言って、彼女のヒーローになると言って、おれがやってきたことは全て、彼女を傷つけてばかりじゃないか。その結果このザマだ。おれは、上手く行きかけていたヒナリの世界を、殺した。…いいや、違う。おれは、ヒナリを、殺したのだ。この町の中の"ヒナリ"を、殺した。 そうして、おれたちのコドモ裁判は幕を閉じた。 ヒナリとその母さんがいなくなるという、最悪の結末で。 → |