| やさしい痛みをくれた少年 |
| あ。死のう。 最早ブルーライトが照明の代わりとなった、わたしの部屋。スクリーンに映し出された文字がわたしの網膜に焼き付けられた瞬間、そう思った。だって、彼のいない世界なんて生きてる意味がないよ。もうわたし、ここにしか生きる意味がないんだもん。三次元とか、ずっと前に縁切ったし。その唯一のわたしの世界がなくなっちゃったってことは、わたしはもう生きる世界がないってことだ。そうだ。そうだそうだよ。死のう。希死願望、一直線。毛布にくるまって、最期のチョコレートを口に放った。 そうと決まったら準備をしなくちゃならない。せっかく自分で死の瞬間を選べるんだ、劇的にロマンチックな死に方のほうがいいんじゃない?心底、つまらない人生だったし、最期の最期くらいドラマチックのロマンチックに憧れたっていいじゃない、神様。今思ったら一番人生の華だったのって、両親と大喧嘩したあのときかも。まあ、そのあと人生崩落してこうして引きこもりになっちゃったわけだけどさあ。 さて、そんなことよりどうやって死のうかな。リスカ首吊り入水薬にガス管一酸化中毒、ググってみれば幾らでも手段はあるけど、いまいちインパクトがない。せっかく死ぬなら、ダイタンに、堂々と。カチカチとマウスを操作している間に、はっと頭上の電球がピコンと光った。いーこと、思いついちゃった。これならつまらないわたしにも、死んだ意味が出来るよ。わたしを放置したこの世界を、わたしの死で、一発グーパンチすることができるんだ。それってすごく、素敵なこと。決行は、いつ?…今。今すぐ、やってやろう。 自殺についてのウィキペディアのウィンドウを閉じると、後ろにまだ"あの"ウィンドウが残っていた。もう見たくないって思って消そうと思って、右上の×ボタンまでカーソルを持っていく。そのまま、クリック…したかった。けれど、やはり、もう一度見てしまう。こちらに向かって微笑む彼を。鮮やかな水色の瞳を武器に、挑発的に微笑むそのアイコンと、その言葉を。 僕は、ネットアイドル界を引退します 理央ちゃん。大好きな、大好きな理央ちゃん。一人の女の子が今日、君のせいで、死ぬんだよ。 *** 理央ちゃんは、ポケネッター界に彗星の如く現れた、美少年アイドルだ。儚い色合いの髪に、トレードマークのマフラー。細くて真っ白な脚に、それを引き締めるどことなく官能的な黒のニーハイ。彼は少女でも青年でもない、少年らしさの塊であると、その界隈では大人気である。 数時間前までのわたしも、その界隈を構成する一人…だった。ロック画面も待ち受けも、もちろん理央ちゃん。写真アプリには理央ちゃんフォルダが存在し、カメラロール全体を見てもほとんどが白と水色で構成されている。理央ちゃんのアカウントは当然通知をつけ、毎回お気に入り登録をして、ごく稀に勇気を出してコメントを送ってみる。返事が来ないのは分かっている。それでも、いい。理央ちゃんのおかげで、こんな引きこもりなわたしが、ほんの少し勇気を出せるということ。それが、わたしにとってはふわりと胸が暖かくなることなのだった。 てか、寒。今のわたしの格好といえば、手袋とマスクは当たり前、コートフードも被って全チャック。完全防御にも関わらず、冬の真夜中はそんなのをアッサリ貫いて冷気を体内に送り込む。いい加減にしてほしい、殺す気か…って思ったけど、あ、今からわたし、死ぬんだった。そんなバカな考え事をしながら手を進めるうちに、なんとか準備ができた。靴を脱いで遺書を持ち、柵を乗り越える。下を見下ろして、ぞわり。わ、けっこう高い…。ちゃんと死ねなかったら痛いだけだし、うまくできるかな。ひゅうっと下から風が突き抜けて、またぶるっと体が震えた。 わたしが自らの死の舞台に選んだのは、無駄に高さがあることで有名な歩道橋。本当は高層ビルとかが確実性あってよかったんだけど、この辺りのような田舎ではまず高さのある建物が滅多に存在しないのだ。深夜なだけあって、人気もないし、車もほぼ通ってない。ベストではないが、ベターな自殺スポットだと思う。 手に持った遺書を、改めて見直してみる。精一杯の楷書で、表面には「遺書」、裏面には「理央ちゃんへ」の文字。そう、これは、遺書兼理央ちゃんへのファンレター。わたしから、理央ちゃんへの、凶器。 ――理央ちゃんへ はじめまして。わたしは理央ちゃんのファンです。大好きな理央ちゃんが、ネットアイドルを辞めてしまうって聞いて、理央ちゃんを好きでいることでしか存在意義のないわたしは、精神の死を迎えました。肉体も、要らないなって思いました。だから、わたしは、死にます。理央ちゃんのせいで、死にます。では、さようなら。 中身はだいたい、こんな感じ。そして靴の下に敷いたもうひとつの遺書には、家族への感謝と、この理央ちゃん宛ての遺書をどうにか理央ちゃんに届けて欲しいという旨を書いた。 理央ちゃんがこの手紙を読んだら、きっと理央ちゃん、傷付くだろう。だって自分の行動がひとりの人間の生死を左右しちゃったんだから。罪悪感に塗れて、いつか大人になって忘れかけたとしても、わたしの一撃は心にぽっかり空いた弾痕となって、思い出す度にズキズキ胸を痛ませるんだ。決して殺すことのない、永続の苦痛。わたしはあの理央ちゃんに一切触れることなく、理央ちゃんに一生モノの傷を付けるの。…なんて、ロマンチックなんだろう!まるで物語みたいだ。しかも大事なのは、わたしが理央ちゃんが本当はどんな表情するかを見ないでいられること。わたしはあくまでも、幸せな妄想の中で死ぬのだ。なんて、ユートピア。わたしは世界一の幸せ者。 うっとりとした妄想は、もしかしたら危険思想とかいうやつかもしれないけど、それでもいいって思えた。だって今から死ぬんだし。死ぬやつが、死の直前にどんなこと考えてたっていいでしょう。今まで感じたことのない高揚と開放感を全身に受け、わたしは両腕を真横に大きく広げてみた。歩道橋に掲げられた、十字架みたいなわたしのからだ。風もわたしを無視して吹き抜けているような感覚がした。 …時は、満ちた。もうそろそろ、逝っちゃおうよ。目を閉じる。からだをたもつための意識を、最小限にする。あとは、前に重心を傾ければ、わたしは死ぬ。どきどきする。人生初の晴れ舞台だもん。何を考えたらいいのか、なんて、決まってる。理央ちゃんのこと。理央ちゃん。これから、あなたのこころで、永遠に生きるよ。愛してるよ、理央ちゃん、理央ちゃん…。 からだが、前に、倒れ、そうになった瞬間。急に前から吹き付けてきた突風。からだもふらついて後ろに傾き、思わず後ろの手摺に掴まってしまった。あーあ、あとちょっとだった。でも、チャンスはいくらだってある。ほら、もう一度。歩道橋の下の世界を見下ろすと、そこにはやはり、人っ子一人いない、街灯に照らされた道路だけが、そこにある…はずだったのに。ひとつの小さな影が、蛍光灯に照らされてこちらを見上げている。その視線に気がついた瞬間、わたしの浮かれた気分は凍りつく。や、やばい。人に、見つかってしまった!ジュンサーさんに通報されて家まで連絡されたら、わたしの完全犯罪が…! あたふたしながらもなんとかその人影を観察していると、なんとこっちまで歩いてきているじゃないか。それも、わたしから決して顔を離さないまま。落ちるなよ、逃げるなよ、と見張られているみたいだ。でもそんな視線の圧力に負けないほどに、わたしの状況は切迫していた。逃げなきゃ、ヤバイ。慌てて柵を乗り越え、ブーツを履くのに苦戦しながらも考える。大丈夫、ここじゃなくても飛び降り自殺スポットくらいどこにでもある、どこでもいいのだ、この遺書と、理央ちゃんへの遺書さえあれば。 忘れないように、鞄にちゃんと入れなくちゃ。一通目の、靴の下に敷いた遺書はさっき入れた。もう一通の、理央ちゃんへの遺書は手に持っていたはず…が、ない。あれ、無意識のうちにポケットに入れてたっけ…?ごそごそとコートのポケットを探ったり、ぱたぱた叩いたりしてみるけれど、やっぱりない。もしかして、さっきの風で落とした、とか…?それは一番、ヤバイ!そんなこんなをしているうちに静かな、ゆっくりとした足音が近づいてきている。ぞわりと背筋が震えあがって、ついしゃがみ込んだ。顔を上げられる、勇気がない。どんな人が立っているのかも分からないし。もし私服警察官の人とかだったらどうしようなんて、最悪のシナリオが数秒の間に構成されはじめていたとき、足音がふと、止んだ。 目の前に、白いブーツの爪先が現れる。油を差してないブリキの人形みたいな動きで、顔を上へと上げていく。…ショートブーツの上には、細くてどこか官能的な黒のニーハイ。ショート丈のズボンとの間にはいっそ寒々しいくらいの生肌。水色のピーコートに、まっしろマフラー…そこまで来たときに、ひらりと一枚の封筒が降ってきた。表面には「遺書」、裏面には「理央ちゃんへ」。それは間違いなく、わたしの遺書だった。慌てて両手でキャッチしたはいいけれど、もしかして、もしかしてわたしは、想像以上の最悪のシナリオに進んじゃったんじゃないだろうか…。だって、誰が想像できるだろう。死の間際になって、まさか、ご本人様にこの遺書を読まれてしまうなんて。 「熱烈なラブレターをありがと、おねーさん」 ぱっちりとした女の子みたいな瞳、でもその奥に宿る挑発的な少年らしい強さ。水色のグラデーションの掛かった髪。…理央ちゃんは、黒縁眼鏡を鮮やかに外すと、膝を抱えて座り込んだわたしを見下し、ちょっぴりセクシーなウインクをしたのだった。 → |