不登校になりたい。最近の口癖である。でも本当はなりたかない。なりたかないけど、なりたい。矛盾した感情は人間らしくて見てる分には好きだけど、いざ自分が悩めと言われるとただ不快なだけである。そうやって私が終わりの見えない葛藤をする間も、隣の彼は涼しい横顔をしている。窓から差し込む光のなか、逆光となって鼻筋や唇や彼の輪郭にすうと光が通っていて、とても綺麗だ、という素直な感想しか出てこない。授業の内容も聞いているのかいないのかという顔だけれど、その彼から漂う虚無感のような何かが、私にはとても洒落たものに見えた。
彼の首を捻る仕草で不意にはっとしたらしい、また覗き見している自分がいることにそこでようやく自覚した。自覚すればまた心を奪われる。何も考えられなくなって、フワフワした変な心地になって、気がつけばまた黒板の板書をし損ねていた。老いぼれ教師がよたよたと消していく文字列を手元のシャーペンが慌てて追いかけるも無駄である。確率論は苦手だし、全部聞くつもりだったのだが。そんなことを思えば「不登校になりたい」「なりたくない」の葛藤二大勢力に「それで良いのか受験生」の第三勢力が混じってきてもう私の脳内はてんやわんやである。だから同じクラスは嫌だと言ったのに、八百万の神の一体どなた様が彼の隣の席にするとかお節介焼いてくれたんだ。受験生に刺激は御法度なんです、清く正しく健全な一年を送るつもりなんです。ほんっとふざけんな!
結局飛び飛びな板書はルーズリーフの半分くらいしか埋まらないまま、リンゴンとチャイムが鳴る。教師の話が終わらないうちにもうがさがさ教科書を畳んでいく生徒たちのざわめきに私も紛れ、新学年でどことなく面子の定まらない中一緒にお弁当を食べてくれそうな友人を目線で探す。
お昼を一緒に過ごす友達というのは、女子中高生にとってかなり大きい。教室での大きな居場所となるからだ。グループ好きに組んで、と言われたときになんとなく集まる面子というか、所謂そーゆーアレ。しかも一度集まってしまえばほぼ一年その面子で固まることになるため、もしグループ選びに失敗すれば一年間愛想笑いを浮かべながら過ごすことになる。経験すると分かる、あれはものすごくムカムカする。
そして今、グループ選びも何も選べるほど友達が多くない私は窮地に立たされていた。文芸部の友人の元に向かおうとしたものの、彼女の席の前にやってきて机を並べようとしているのは、私が一年の時喧嘩したまま気まずくなってるあの子。やめろ、私の唯一の救いを奪うな! 彼女もそんな私の心情を悟ってか、笑顔でいいよと言いながらも私に申し訳無さそうな目配せをしてくる。彼女に何の罪もない、悪いのはここでもう一歩を踏み出せずに怖がったままの私。折角出した一歩をおずおずと戻して、仕方ない、隣のクラスでまだ一緒にいられそうな子を探すか、と教室での孤立を覚悟したときだった。
菜の花色と、ワインレッド。それは一瞬の印象。鞄を手にした隣の席の彼は、私を一瞥することもなく歩き去っていく。一瞥もされていないはずなのに、何故だろう。花に惹かれる蝶のように、否、私はそんなに美人じゃないから、月の光に集る蛾のように。彼に呼ばれた気がして、彼に微笑みかけられた気がして。そんなの思い違いだと分かっているはずだけど、彼によって脳が麻薬にかけられたかのようだ。酩酊に似たその感覚は、私の『ふつう』を惑わせる。
相変わらず人目を引きつける彼だから、その姿が廊下へ消えて、日常を装った異常の雰囲気が元に戻ってからようやく、私も気配を消して教室を去る。歩き始めてから私は、やった、と思った。あの集合無意識みたいな空間から抜け出したのだ。それは『ふつう』から外れること。つい数十秒前までは、恐怖を覚えていたこと。けれど今、私は同じことにとても高揚感を覚えている。私はあなた達とは違うの。そう思ったら、さっきまでは脅威の対象でしかなかったお弁当グループ達が物凄く陳腐なものに見えてくる。廊下の窓越しに気まずいあの子を睨み付けて、私は彼のかすかな煙草の匂いにつられて、屋上への階段を昇っていた。
眸子は微熱を帯びたまま