「……むり」
淡い色をした桜の花びらが吹雪のように舞い上がる中、浮かれた人々やポケモンがランチョンマットを広げて飲めや騒げやのお祭りをしているのを一瞬の絵として捉え、そして進行方向へと視線を逸らす。今から私もあの場所に行くのかと思うと、もうすでにものすごくいやな感じが胃に迫り上がってくる。ただでさえ口下手の人見知りだし、インドア派だし、見た目も真っ黒だし、本当に苦痛でしかない。目の前を歩く私のご主人であるトレーナーや同じ手持ちであるメガニウムやデンリュウたちは、私とは対照的にウキウキルンルン、今にもスキップしそうな足取りだ。そのノリに付き合わされ、トレーナーが酔っ払い、仲間も酔っ払い……という一連の流れを既に予期し、私は重い溜息をついた。
私は、一介のブラッキー。マサキという人の元で生まれたが、幼い頃にこのトレーナーに譲られ、それからずっと彼らの旅に同行している。仲間はメガニウム、ヌオー、デンリュウ、ネイティオ、あとアブソルさん。なぜジョウト地方を旅しているのにアブソルがいるかというと、トレーナーがわざわざ遠い地方のひとと交換して手に入れたらしい。彼女はなかなかの良き同僚だ。一番最後にメンバーに加入して、暗い顔ばかりしている私のことを気にかけてくれているのか、今も最後列をとぼとぼ歩く私の隣にそっと並んで声を掛けてきた。彼女の笑顔は、ニコッと効果音のつきそうな、気さくで陽気な笑顔だ。
「大丈夫? 顔暗いけど。お花見嫌い?」
「嫌い……ってわけじゃないんですけど、あんまり得意じゃなくて、すみません」
「あはは、あなたはそうよね、絶対。マスターたちには私が適当に言っておくから、ひとりでどっかふらふらしてきなよ」
「え……いいんですか?」
「任せて。せっかくこんな満開の桜なんだし、得意の絵でも描いてきたらいいじゃない。花を見るだけが花見じゃないわよ、絶対」
「あっ……、はは……」
その単語が彼女の口から飛び出た途端、私の元からぎこちない笑顔がさらに固くなる。彼女はなかなかの、良き同僚だ。一度こっそり趣味の絵を描いているところを見つかって以来、時々気を使ってくれるようになったところ以外は。いや、気を使ってくれること自体は有り難いのだ。おかげでこうして苦手な状況から逃げる口実を作ってくれたりと事実とても助かっている。だが、綺麗なものを綺麗なままに描けるほど、私の心が綺麗じゃないのだ。なんだか恩を仇で返すようなことばかり思ってしまって、彼女といるとえも言えぬ罪悪感に駆られた。
彼女に背中を押され一同から抜け出すと、私はひとり、人のいない外れ、ちょうど見かけた小高い丘のほうへと足を進めていく。その天辺に佇む一際大きい桜の樹が、ぼんやり歩く途中から気になっていたのだった。その途中、地面に落ちた、踏まれてすっかり黒ずんだ花びらのカーペットを私もローファーで踏みしめながら。私が描くのなら、どちらかというとこちら側のほうが身の程に合っているような気がした。奇をてらっていたり、ニヒルを気取っている気持ちが無いといえば嘘になるが。アンニュイな雰囲気を醸し出して、白馬の王子様が迎えに来てくれる幻想を私は未だに抱いているらしい。
にしても、王子様とか(笑)ほぼ何も頭を使うことなく足を進めていたから逆に思考がよく回る。そしてその思考には無意識の欲望が顕著に現れる。認めたくないが、私はきっと子供じみたお姫様願望を未だに引き摺っているらしい。自分でそれを嘲笑するくらいの客観性は持っているつもりだけど、それでも止められないことってこの世にはあるのだ。ばかだなあ、と思いながらそれでも足を進める。やけになって弾んできた足取りで坂道を登り切ると、腰に手を当て丸まっていた背中をぐいっと勢いよく後ろに反らせた。バキバキィ! と華のブイズ女子らしさの欠片もない音がに坂道に響き渡って、まるでギャグだ。よいしょ、と背中を戻し、何気なく視線を桜の樹の根元にやったときだった。
胸に、穴が空いた。心臓がぽっかりなくなるような感覚がした。
桜の大樹の、その根元に腰掛けたそのひと。金と言うよりも、あたたかな蒲公英色と言うのだろうか。網膜に自然と射し込んでくる優しい黄色の長い髪が、春風にさらさらと揺れる。長い脚をどこか気だるげに片方立て、片方を伸ばし、その立てたほうの膝を肘置きにして、地面に置いた本の頁を指で捲っている。その指先の繊細な傷の儚さに目を奪われていたとき、ふわりと私の顔面を風が吹き付ける。思わず身構えて目を瞑り立ち竦んで、もう一度おずおずと視線をあげると、私はまた息が出来なくなった。彼が、顔を上げていたのだった。
熟れた果実のような、鮮血のような、濃いあかいろ。彼のその瞳のレンズに、私の瞳の赤を映す。長い睫毛に、整った鼻筋に、薄いくちびるに、光を乗せて。視線と視線が重なって、今度は優しい風が花びらを乗せてふわりと私たちの間を吹き抜けたとき、彼は薄く、その瞳とくちびるを緩めて微笑んだ。
胸に、穴が空いた。春風が、良い空気の逃げ場を見つけたとでも言うように、ふわりとその穴を通り抜けて行った。