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南風が強く吹いていた。天候まであやしくなりつつあった。予報では今晩から小規模ではあるが高潮が来るという事だ。高潮シーズンには何度か押し寄せる潮位上昇、アクアラグナ含め低い海抜の地域を沈めていく。当然の如く市民も理解しているし、各々家屋への浸水被害を防ぐために各々で処置施してから避難所に向かう。
「そろそろ風が強くなってきたのぉ」
「そうだな。おい!!今日の仕事は終いだァ!」
周囲の職人達に声を張り上げる。風に負けないようにと張り上げた声に揃った声が返ってくる。作りかけのガレオン船まで壊されちまっては大問題であり、大声で暴風への対策を指示をする。この時期かと分かっていながらも面倒な時期だと首を回しつつ、作業の日程調整が必要だと考える。組み直しをしなければと考えると先の事だけで疲弊してしまう。
日程調整の為に訪れた2番ドック内もザワザワと人が増えてきていた。いつも通りに避難所として解放されたドックには浸水区域の住民が荷物と共にどこか慣れた様子で身を寄せ合っていた。そしてそのドックの人混みの中に見知った顔があった。知らぬ男と何か会話をしていたが、人混み気にせずに名前を呼んで、指でこちらに招いた。
「お疲れ様。珍しいね?こっちに居るなんて」
「おまえなん…」
「何?」
何でここに居ると問おうとした。が、何をしているかなんて見りゃ分かるし、何も考えずに呼んだのが不味かった。顔を合わせたのは出掛けた時以来だった、強い風に靡く髪を抑えつつ不思議そうな顔をする彼女の耳には見知ったピアスがはめられていて唾を飲み込んだ。
「この時期は参っちゃうよね。まぁ海水の影響なくなるまでの数日が休暇っちゃ休暇になるけどさ。パウリーは仕事?大変そうだね」
「そうだな…」
大丈夫帰れそう?などと呑気にこちらを心配してくれる。そりゃそうだよなと数年ここに住んでりゃ毎度避難なりはしているよなと納得は出来る。こいつが体調崩して部屋に行った際は旅行でもするのかと言うくれェに荷物はまとめてあった事も思い出す。知らなかったとはいえ、想像出来ても良かったのかもしれない。が、しかし予想したところでどうしたっていう話だ。世間話よろしく、仕事頑張ってねと話を閉じそうな彼女が目の前にいる。そりゃこの島としてはこのような避難生活は一般的でそこそこ待遇が悪くないのは知っているが、目の前この女が見ず知らずの野郎ども含むような所に寝泊まりしているのかと理解すると何も考えられなくなりそうであった。
「おい」
「え、何?」
髪を押さえつつ、またねと元のスペースに戻ろうとする彼女の腕を掴んだ。多少の重労働するくせに細い腕だなと思いつつ、片手は自身のポケットを漁る。もうどうにでもなれとどこに向かってか叫びたくなる気持ちを抑え、ポケットに入っているものを握り、それを彼女の手のひらに押し付けた。手のひらに乗っているものを眺めている彼女。
「何これ」
「…鍵」
「どこの」
「うちだ」
「え」
驚いてから、訝しげに人の顔を見つめ始めてくれる。ンなに見んじねェよ、と言いたくなる気持ちをギリギリで耐える。いや、今何がしてェのかは自身でも分からない。
「…早番や夜勤でいねェ時が多いから使え」
「でも…」
「一人でも密度減った方が良いだろうが、あんた避難所で酒盛り始めそうだしな」
「な、」
都合の良い理由など見つかる訳もない。けれど酒は飲んでも酒盛りまではしてないと豪語している目の前のやつを見て、してんじゃねェかという呆れが出てくる。咄嗟に考えた理由としてはまぁ丁度いいのではないかと少し安堵した。
「…はぁ、まぁあんたには世話になってるしな…」
「世話なんてしてないよ?」
「…」
向かい風が大分強くなってきている中で、穏やかすぎる彼女は不思議そうに僅かに首を傾げていた。確かに思い返しても、迷惑はかけても世話してるつもりはねェだろうな。変なところを指摘され、瞬間沸騰したように熱が入るのが自身でも分かる。
「え、ちょっとなんでそこ赤くなれる訳?」
「しらねェよ!!アレだ!あれ」
「どれです…?」
「揚げ足取んな、いーから」
「ええ…」
困惑が隠せていないままのその手のひらに置いた鍵はそのまま今にも返してきそうであった。しかし言う事は出来ない。世話と言った内容にその何回か想像で服をひん剥き不埒な妄想しましたとか、やはり張本人に言える訳もない。いたってよくあるような繋ぎの言葉だったが、向こうが変なところに引っかかったために、一瞬その事象が頭に過ってしまったのが不味かった。苦し紛れに、変なところで揚げ足取りのような問答をさせるなという事でしか間を繋げられなかった。
「…何もしねェから」
これ以上は何も言わないでくれとばかりに小っ恥ずかしいセリフを吐いたと思う。心の底から何もする気はない。そう、言葉の通りに何もするつもりもねェけど、言ってから一番しそうな奴のセリフだと自身で気付いてしまった。今更カギを返されても困るが、返されてもしょうがねェやと諦めさえつきそうであった。顔を手で覆いながら、そもそも変な想像していた奴が吐いて良いセリフでもねぇなと思い直しガシガシと痛いくらいに頭をかいた。
「プッ、ふふ……うん、分かった。お言葉に甘えて少しだけ利用ささてもらうね?」
「笑ってんじゃねェよ」
「うん、ごめん」
ごめんという割には笑いを堪えすぎておかしくなってんじゃねェかというくらいに肩を震わせている。その姿に、ポケットに入っていたメモ帳に住所を書いて破って渡した。間の抜けた返事とともに、じゃぁまた後でねと笑顔で言ってくる女から逃げるように去った。どういう意味かも分かっているからこそ顔が合わせにくい上にどんな表情をしていたかなんて分かりたくもなかった。
先程よりも強い風と雨になってきて、アイスバーグさんが直々に終いの言葉を発してくれている。この強風ではルッチのハットリは今にでも飛んでいきそうで場所を保とうとしているのかよく羽ばたいている。予報では、数メートルほど低い地域は沈むと聞いている。
「最近にしては小規模じゃのぉ」
「あぁ、つーとなると次来るのがデカそうだな」
「パウリーは家か?」
「…あぁ」
「ワシも帰るかのぉ」
酒場も閉まってそうだなと誰かが言っていて、そうだよな…と逃げ道がどんどんと閉ざされて行くのを感じる。高潮当日はさすがに夜勤もなく、臨時出勤をさせてくれと頼める感じでもない。
そういう関係でもない女を何で招いてしまったのかと今更ながらに後悔しかない。しかし、あのまま見過ごすことは不可能だった。今思い出してもそれまで気付かなかった事に後悔しているくれェだと言うのにだ。先程から他の案を考えてはいた。1番ドックに連れてくるかとも考えたが、しかし1番ドックに連れてきたとしても同じ事であるし、だからってここにいる奴らに任せるかと言われると違う気もした。本社に泊まっちまうかと考えて、そんな事もしたことねェから変にあやしまれてしまいそうで途方に暮れる。
自宅に帰るのをここまで躊躇した事は過去一度たりともない事だ。しかし鍵を預けたままであるから、家にいてくれないと困る所ではある。しかしいられてもどういった顔を作れば良いのか分からない。どうすんだこれ、と思いつつ思考を巡らせていたら予想以上に遅く着いてしまった。戸の前で深呼吸をした、鍵がない以上ノックしないとならないが、手が最後まで迷った。
「はぁい」
「…おう」
「パウリーお疲れ様、おかえりなさい」
先にいた彼女が扉を開けてくれる事になるのは分かっていた筈だ。けれどこうして出迎えられるという事実は要らぬ想像をしそうでならない。まるでこのシチュエーションは、と一瞬浮かびそうになるワードを慌てて頭の中で打ち消した。
「…入っていいか?」
「自分の家でしょ、何言ってるの」
パウリー変だよ、と口元に手を当て目を細めて笑う姿がある。それだけで見慣れた空間な筈が知らない場所のようである。家に入ったスペースであるキッチンに荷物を置いたまま何も出来ずにいたらしい。散らかってる部屋のままであった為にその気遣いは助かったところであった。
一人である、夜勤などもあるから、まだ安いからとワンルームに近いような部屋に住んでいるのが今仇となっている。それでも賃金がそこそこ高ェというのは限りある陸地という事だ。若手はシェアルームで過ごしているのも知っている。今更ながらにワンルームに近い部屋の中ではどこに居ろって話だろう、やはり考えた案らしく、もはや自分がガレーラ本社に寝泊まりした方が楽そうである。こちらの雨で濡れた姿を心配してくれるが、オレの方としては彼女をみない方が精神的安定が保たれそうだった。
「とにかくキッチンスペースを少し借して下さい、じゃなかったら出る」
「っ、分かった」
「着替えなどもバスルーム使わせて頂きますし、パウリーが云々言わない服を着込みます。ご安心してください」
スペースの割振りを散々押し問答をしてから結局折れたのはこちらだ。ここまで言うやつだから、本気で出て行くだろうと諦めた。そして勝手にこちらの心配を先読みしたかのような宣言をしているために何かを見透かしてンじゃねぇかという不安があった。せめてキッチンで寝泊まりすると宣言された以上、掃除をして、まぁ良いかと納得しようとした。
納得出来るわけがない。結局はドアとかがあるわけなく、覗く気はないが見えてしまう部分もあるわけだ。とりあえず朝一にでも材料を持ってきて簡易的な部屋の改造を決意した。
「パウリーありがとう、自分のスペースもらえるだけで本当嬉しい」
ゴソゴソと与えたスペースでナマエが何をしているか分からないが、聞こえてくる楽しそうな声に適当な返答をする。意識されても困るが、あまりにいつも通り過ぎて調子が狂ってしまう。聞けば家財などは貸しブル屋の倉庫の一部を借りていると言う。一人になりたい時はそこで寝泊まりしていたりとするとか聞けば、今更ながら知らないことばかりなのだと思った。
「…その鍵は預ける」
「え」
「…なんだ、その今日みてェな時にゃァ便利だろ。大概、仕事でいねェ事が多いしな」
「それはありがたいけど」
迷惑じゃないかと聞いてくる声が出て、語尾が次第に控えめになっていく。迷惑じゃねェから言っていると頭を抱えつつ返す。壁越しの会話全てが自身らしくなくむず痒さしか生まれてこない。
「あの私何かした方がいいよね?何かして欲しいことある?」
何かと言われても、邪な考えが一瞬駆け抜けた。何もいらないと言ったが、留守時に家賃を滞納分含めて払ってもらい、ただただ平謝りをする事になるのはこの時はまだ予想し得なかったことであった。