12
色々に懲りて早起きをするとからしくねェ。知っている女とはいえ、成り行きで数日夜を共にする。当然手出ししているわけもない。ただ穏やかな寝息を聴きつつ、寝るというだけ。それはそれでハレンチな気もしてきたがそれを考え始めると全てが身体に響きそうで常に仕事の事を考えるようにしていた。ひょんな事から、高潮の避難先として自宅に招いてしまったのが全ての問題であった。
「あの、夜キッチン使ってい…?」
「好きにしてくれ」
「うん、さすがに毎日食べて帰るのもって…、パウリーは今日帰ってくる?作るなら2人分でも同じようなもんだから作っておくけど…」
「…そうだな」
お互い気を遣わないように、そんなやり取りをしたわけじゃないが各々好きにメシを食ってから帰ってきているだけな生活の二日間。昨夜はもうそろそろ海水の影響なくなり店が開けられそうだとナマエは言っていた。店長が稼ぐ気満々だけどまだ観光客も少ないよねという世間話をしていた事も思い出す。目の前のナマエは、貸しブル屋で働くためかラフなTシャツにパンツ姿で出勤していく。この姿に店名入ったエプロンなりをつけるとよく目にする働いている姿になるのだろう。控えめに声をかけてくるが、キッチンなんて好きに使ってもらって良い、基本湯を沸かすくらいの場所であった。フライパンくらいはあるだろうが、下手したら1ヶ月は使っていないかもしれない。
「…じゃ、頼む」
「分かった。好き嫌いしないでね?」
「ガキじゃねェんだ、なんでも食う」
そりゃそうだよねと笑いながら、じゃキッチン使わせてもらうと再度言いながら戸を開けていくその姿を見送った。
高潮シーズンはどうにも仕事の進みが悪くなる。どうしようもない事であるし気が滅入る。響き渡る様に張り上げる声にもどこか身が入らない。
「気合い入っとるのぉ」
「あァ?いつも通りだろ」
『酒場が今日から営業だからだろう。コレだから飲んだくれは、ポッポー』
引いていった波と共に、穏やかな風吹く良好な天候になってきている。避難所になっているドックからも帰宅していく民も見られ、徐々に閑散というか通常に近い状態に戻りつつある。そりゃそうだよな、と当たり前な事を理解はしていた。昼休みはこの二日夜寝れない分を補充するかの如く、木材の上で足を組んで横になる。さすがに他人とスペースを同じにするというのは負担になる。顔見知りの付き合ってもねェ女に手を出す程落ちぶれてはいないが、この状況だと出す男は出すだろうなという気持ちも分からなくはない。だからって出さねェけどなと全て考えた事の後ろに固定文句を貼り付けた。
「ふぁ、」
「何だ寝不足か?」
「まぁな」
寝るっつーのに近付いてくるなと、組んだ足先でルルを追い払った。しかし場所を移動するのが面倒くさいのか、勝手に近場の木材の山に座って、デリバリーだかで買ったらしい昼食を食べ始めていた。寝るっつってんのに、独り言のように仕事の話をしてくるルルの話を聞きながら寝たんだか寝てないんだか分からない状態で昼休みが終わってしまった。
日差しがキツくなってきて、同時に喉の渇きに水でも飲むかと思った時だった。事務員が次の依頼があると書類を届けてきた。渡された書類をパラパラめくる、査定依頼だろう用紙に目を通して、カクにでも走ってもらう事を考えた。しかし、辺りを見渡しても鼻の長いやつが見当たらない。ルルに聞けば、避難所の方ではないかという予想をもらい、そちらに向かった。カクはというと予想通りに避難所の方でガキと戯れている。通りがけに捕まったのかどうかはしらねェが、遊んでやっているというよりは共に遊んでいるようにも見えなくもない。両腕に子供をぶら下げてはぐるぐる回っているのが見えた。仕事都合で呼べば、近くにいた子供が人を指差して借金王だの言い始めた。
「パウリーこの前デートしてたんだって」
「デートってぇ?」
母ちゃんが見ただのなんだの子供達同士で呑気な会話をやり取りしている。そして周囲の職人達から笑いを含んだ生温い視線が投げかけられる。舌打ち一つ、めんどくせェ事になったと子供らの目線にしゃがむが、頭や腕を触ってくるためにすぐに立ち上がりたくなってしまう。
「好きだってこと」
「そうなんだ〜」
「あのなァ…そういう好きとかじゃねェんだ」
「じゃーどういう好きなの?」
「あー……そうだなァ、とりあえずおめーらの母ちゃんとか親父に聞いとけ。ホラ、さっさと戻んな。カクも仕事あんだ」
「え〜」
「ちゅーはしたの?うちのおとうさんおかあさんしてるんだよ」
「っ…ガキが聞く事じゃねェよ。ホラ、心配してんぞ。戻れ」
「聞くまでかえんなーい」
何人かの子供が入れ替わり立ち替わりのように、脈絡なく質問をしてきたり、そうかと思えば急に子ども達だけの会話になったりしている。最近の子供はマセてんなと頭をかき、追い払うように手で払えば、カクとまだ遊びたいだのと散々文句を言っていた。
「で、どこまで進んだんじゃ?」
「そうだな、聞いておこうか」
「わけェなぁ、パウリー職長は」
「いやぁ羨ましい事だなァ」
「てめェらはしばくからなァ!?」
背後にいたルルやカク、周囲にいたベテラン職人らが生温い目、いやニヤついた顔で口々にガキのような追及をしてきた。ため息をつきながら、さっさと散れとばかり手で追い払う。作業を促したが、家庭持ちの職人らは手を動かしつつ家族の話に話題が移っていた。
「なんじゃつまらんのぉ」
「つまるつまらなねェじゃねェ。仕事だ、ほら査定だとよ」
「ひとっ走り行ってくるかのぉ」
「あぁ」
「途中で貸しブル屋寄ってくるわい」
「冗談でもやめろ、あいつは…そういうアレじゃねェんだ」
「どういうアレなんじゃ」
「あー、ったく放っておいてくれ」
ゴーグルをかけ直す。お節介で面倒な奴らが多過ぎると仕切り直しをした。ナマエに対しては今更何をしようっていう訳じゃねェし、事実手を出してはいねェし、多少の人助けなソレだ。多分、何つーかあいつは、おれじゃなくてもあの調子だろう。客商売でもあり、自然に人の扱いに長けていると感じる時も多い。もしかしたら今回もこちらが家に呼ばなくても、同じように世話やいてやる奴もいるかもしれねェ訳だ。口にもせず仕切り直したわけだが何となく不愉快さが残った。
「パウリーもどうだ?」
「あー…そうだな」
日が沈みかけて、手元がやや暗くなってきた。そんな仕事終わりに酒場にと声がかかる。いきつけの店も開くだろう事は知っていた。家は…、と思うと何となくだが今は顔が見たくない、見たくないというか顔を合わせる事が非常に躊躇われた。メシを作ってもらっておいて放り出すとか最低だろう、だからこそ帰らねェとならねェのは分かる。ただ作ってもらったものをあの空間で食べるっつー事を考えると無性に苦しさのようなもどかしさという感覚が広がって、こびりついた様に取れなくなりそうであった。
「どうしたァ?やっぱ金の方か?」
「それは大した事ねェ」
「ははっ、ソレともコッチの方がイイか?」
借金関係で言えば、ギリッギリ取り立てられないくらいの期日だろうと考えている。自分としたら通常通り過ぎる。飲みに行く声よりもやや下卑な笑み含みながら誘ってくる職人は歓楽街への誘惑もしてきている。さすがにそっちはなァと考えつつ、咥える葉巻を離した。
「あー…とりあえず一杯行くか」
「なんじゃ歓楽街選ばんのか、残念じゃ」
「ンでてめェが残念がるんだ」
「ナマエに報告するところじゃった」
「あいつの名前を出すな」
途中割り込んできたカクが戯けたように意味深な言葉を発する。胸に湧き上がるような暗い感情がある気がして、このままではやはり帰りにくいと結論づけて酒場に足を選ぶ事になった。どうにもこうにも憤りのない苛立ちがあり、それを感じ取られたのか、女と喧嘩でもしたのか?と周りは勘繰ってきたが、それもしてねェと一蹴した。
一杯、とはいかず二杯、三杯と酒を胃にへと流しこんだ。やはり素面ではやはり無理だ、あの何とも言えない空間に帰れる気がしない。ただ今日は何杯飲んでも酔える気がしなく、渋々壁に掛かっている時計を見た。
「げ」
「なんだパウリー、予定合ったのか?」
「あー、いや。なんだ、その…おれは先帰るわ」
付き合いわりィぞと笑う声が入る、そんな仲間内が声をかけてくるが構わず店を出る。辺りはガッツリと夜であり人気はまばらであった。店の中と外の熱気の差を感じつつ、家路を少し早足で歩く。今更急いだとしても何ら変わらない、夜風が通り過ぎていくのを感じるだけであった。
「ビックリした」
「悪かった」
「大丈夫だよ。おかえりパウリー」
「おぅ、……おれがいねェなら、鍵くらいかけろ」
「え、あぁ」
勢いよくドアを開けたら、本を読んで居たらしい姿があった。扉を開けると同時に驚いたようであり謝った。そりゃァやる事ねェだろうし、本くらい読むだろうが少し意外であった。
「何か食べてきた?どうする、一応作ったのあるけど」
「…食う」
「冷めちゃってるから、温め直すね」
椅子を引き、読んでいた本を中断して腰を上げる姿が目の前にある。フワリと何事もなく笑いつつ、先に食べちゃったと報告をしてくる。シャワーを浴びたらしい乾いたばかりのような髪を片側だけに寄せているせいで鎖骨が目に入った。室内着はサイズが違うんではないかと思う程に大きいサイズだろうかと思う。目に入るものを眺めていたら、いきなり振り返られられた。
「あれ、パウリー呑んできてる?」
「…ワリィ」
「なんで謝るの。仕事の付き合いだってあるでしょ」
お酒の匂いすると笑いながらフライパンに火を通し始めれば、食欲をそそる様な良い香りが広がりはじめる。上着のような作業着を脱いで手持ち無沙汰だとばかりに斜め後ろに立つ。あんたには仕事の付き合いにも見えるが酒場に行ってきた理由は、同じ空間にいたくなかったとか言えるわけねェよなと目の前のつむじを見下ろした。そんな事も知らずにおれの面倒をみる女が目の前にいると思うと申し訳なさしか出てこなくなってきてしまった。
「…美味そうな匂いする」
「そりゃ美味しく作りましたから」
どこか得意気に、昼休みの時に水水肉買って店で下味つけておいたのだと話す姿を見るとやはり罪悪感しか込み上げてこない。そりゃまぁ自分が食べてェからだというのは分かるが、頼んでしまっていたから、コチラの分も含まれていたかと思うと更に苦しくなってくる。心底自身の行動に胸糞悪くなるとか、何つー自己勝手な話だろう。
「パウリー?」
「ッ、ワルィ」
そりゃ背後に立たれれば多少なりとも不思議に思うだろうな。謝るか白状するか色々と頭は回っているつもりが結論まで行きつかない。振り返ったナマエと目があって半歩後ずさった。
「…大丈夫?パウリー具合悪い?さっきから謝ってばっかだけど…」
「ッ、」
「あ、…ごめん」
「悪くねェんだ。いや、あー、とにかく悪くねぇから気にしないでくれ」
急に目の前に伸びてきた小さく手を思わずはらってしまった。こちらの反応に目を丸くするナマエとしっかり目が合った。そりゃそういう反応するだろうなという考えと共にまたどん底に叩き落とされた気がした。手をはらったのはおれだというのにだ。ダメだ、この女と一緒にいると何かが淀んで狂っていく気しかならない。
「そっか。まぁ、そういう時もあるよね」
あるあると穏やかに言いながら、温め直したから食べてくれるんでしょ?と簡単に笑みに戻る姿すら見ていられない。すげぇ気を遣われているのは分かるし、向こうにしたら面倒くさい客くらいなイメージなんだろうか。クレーム対応に近いんじゃねェのかというくらい淡々と慣れた様子でしかないのも若干苛ついてしまう気がした。そりゃいい大人であり、おれのこの行動の方がガキな様なもんだ。コレだけのあたりをされて文句の一つも言わない、要は一線引かれている事に今更気付いた気がした。ただ、メシを用意したのに遅いってどういう事だと文句を言われても困るところではあって、どのような道を選択すれば良いのかすら考えつかない。これはあまりに手に余る案件過ぎてならなかった。
「…あんたと顔合わせるのが、気まずかった」
「え、」
並べられた美味そうな肉料理を用意してもらってそれを目の前にしていう言葉でもない。ただ今言わねェと罪悪感に押しつぶされそうにならずにありのままに声を発してしまった。
「いや、何つーか、この空間が…」
「そう、えー…と、どうしたら良い?出て行った方がいい?」
「いや」
「えぇ…」
さすがのナマエも困惑していて、そりゃそうだろうとおれは何言ってだろうかと顔を覆い隠す。こんな時間に出て行かれても問題であるし、同じ空間にもいたくねェと言われてどうすりゃァ良いっておれだったなら怒るだろう。
「あの、何か…その余計な事しちゃって」
「あんたはしてねェ、おれの問題だ」
あからさまに困惑したまま何を言ったら良いかと探っている。言わなきゃ良かったかと思うがアレ以上に今の気持ちを表す言葉が出てこなかった。行き場のないらしい手をギュッと握ったままである姿に一歩近付いたが、少し驚いたらしく半歩背後に下がられてしまった。そう、この行動一つにも何かが揺すぶられて、心臓が鷲掴みにされるような痛みが伴う。
「あ、とりあえず、折角温めたから食べて欲しいかな」
「おう、…そうだな。なんだ、ありがとう」
「いえいえ」
握っていた手をお店の様に座れと差し出される、そして案内されるがままに座った。出された肉料理は味がしっかり染みていて香りと共に美味かった。一応サラダもあるとの事でそれも当然の如く胃の中におさめていく。背後でフライパンだかを洗う音を聞きながら、作ってもらったものを食べていく。そこに違和感を覚えてしまった。
「ッ、悪かった。なんだ、だから背後に居なくていい」
「そ、そういうつもりじゃ」
そりゃ顔合わせたくねェと言われてどうしようかと思うっつー話だ。何も解決してねェ、当たり前の話だ。食べている最中に、背後でフライパンだかをゆっくり洗っているのが分かっちまって、キッチン周りを拭いて時間を誤魔化そうとしている事まで分かってしまった。おれは何つー事を言っちまったんだと後悔という言葉通りに、更に反省ばかりを繰り返す。頼んだメシをすっぽかして、心配する手を叩き、顔を合わせたくねェ的な事を言う。頭の中で整理すりゃ、ただただ人として問題なだけであった。あまりにもナマエが不憫であって、そうさせたのもおれという事実は変わらない。
背後から聞こえる不規則な息づかいも、それを隠そうとしている全てがおれをおかしくさせていくようでならない。そもそも何がしてェんだか自分自身でわからない。この女を傷付けるとか、そういうつもりは微塵もねェのにも関わらず今の状況はなんだ。いつかのように水ぶっかけて怒らせた時よりも不味い空気を察している。
「えーと、じゃぁ私本読んでる。それでいい?」
「あぁ」
いつもの声色よりも明るさがあって、テーブルを挟んで向かいの椅子に座る姿。しかしこちらを向かずに90度違う方向に向いて座っていた。髪のせいで表情は見る事が出来ない、しかしその方が良かったかもしれない。
「…美味かった、です」
「うん、なら良かった。一応ね、時間あったからお酒のアテになるようなもの作ったから明日にでも食べてね。多分味染みていて美味しいはず」
「おう、わりィな」
いつものような笑うような声が聞けたのがせめてもの救いという事になった。しかし次の日冷蔵庫に入っていたものがイワシの酢漬けであって、何で好物だと知ってんだという事と共に奈落の底に落とされる形となった。