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 大時化が来る前の観光シーズンを逃すかとばかりに海列車で到着する観光客は当然のようにヤガラブルを借りていく。毎年この高潮のシーズンは何度か街を海に沈めていく、職業柄もあり災害そのものである。昔はそれも名物だったんだけどなぁと観光業を営む人達が口々に話している事も知っている。中心街には2号店というヤガラの避難用途に近い店があり、高潮シーズンはそちらが働く場所になる。重要な書類などはもう移動させたよと先日店主がやれやれとばかりに言っていた。
 客商売の為か染み付いている笑顔一つ、それで気持ちよくお金落としてくれるというものならば安いモノである。笑顔で手を振り観光客を見送る事を今日は何度しているか分からない。水の都と言うだけの魅力ある街であることは確かで、好きでこの都に住む人間としてはこの繁盛さは喜ばしい事であった。造船島の方を見上げれば今日も溢れる水を煌びやかに放っている。
 反省につき禁酒中である私、仕事終わりにいきたい気持ちもあるけれど、グッと堪えてコーヒーで落ち着かせている。この忙しさ、そして造船所付近に行く事用事も店主が動いてくれたせいか、全てを忘れて仕事に精を出していた。



「珍しいお客さんだよ」
「はぁい」

 太陽も沈みかかった時間、戻ってきたヤガラたちに餌をあげつつ仕事の労を労っていた。口元に手を当てているだろう店主の声に振り返る。私へのお客となると毎月商売関係でこの島を訪れている人だろうか、それともご飯誘ってくれた方か…と、私の名前を覚えてくれるくらいに利用してくれるお客様の顔を次々に頭に浮かべた。けれど、珍しいとはどういう事かと常連の客であればそんな事言わないはずと想像し直したところであった。ニッニッと餌をもらって上機嫌のヤガラ達が遊泳しているこちらの生簀の方に歩いてくる人物に目を丸くした。

「…確かに珍しいかも」
「なんだよ」
「借金取りに追われてない時もあるんだなって」
「どこに感心してんだ」

 葉巻を咥えながらのパウリーが大きな歩幅でこちらに歩いてきていた。ここ数週間は出くわす事はなくて、少し前よりも僅かに髪が短くなっている気もして時間を感じてしまう。パウリーを見た瞬間もしかしたら私は固まったかもしれないけれど、コンマ1秒で何事もなかったかのようにいつも通りに戻ることが出来た筈だ。

「パウリーも餌あげる?あ、その水水肉食べちゃダメだよ。餌用だから」
「なんだと思ってんだよ」
「ふふ、お腹空いてるかなぁって」

 ここ最近忙しい彼等には時折ご褒美とばかりにあげる水水肉。それを集まってきた子達にあげていく。勝手に餌やりを手伝わせてしまった形になるけれど、一応文句も言わずに同じようにヤガラの口元に運んであげている。パウリーとヤガラ仲良さそうだとか穏やかに思いながら、二人になったからこそ早くとせがむヤガラ達への餌やりが早く終わることになった。


「もうないからね〜」

 終わりだよ、と好物であろう水水肉がない事を告げるとまだ欲しいとばかりに鳴いてそうな子もいるがないものは無い。理解をしたのかどうかは不明だけれど、とりあえず満足気に食後の遊泳をし始めるヤガラ達に背を向け餌が入っていた桶を片付けようとした。
 その時であった。ドンッと勢いよく私の背中を押したら何かがあった。まだ欲しいという意味か生簀の方から私の背中を頭、というか口で体当たりをかましてくれたヤガラによって、私は前に倒れ込みそうになってしまう。

「わっ…ちょ、」
「っ、オイ!」

 倒れなかった、倒れなかったのは目の前がパウリーだったからだ。思わぬ突撃にバランスを崩した私はそのままパウリーに突撃した形になってしまって、転ぶと思い目を瞑って開いた時、目の前はオレンジ色であった。

「っご、ごめん」

 反射神経がすごいというのか、微動だにしない体幹が素晴らしいと言えば良いのかよく分からない。ただ倒れそうであった私の肩ごと半分抱きとめる形になってしまっていて、見上げたら驚いたらしいパウリーと目が合う。それは一瞬の事だった。パウリーの胸板にあった自身の手をパッと離して、謝りつつ距離をとるがパウリーは顔を紅潮させて固まってしまった。お願いだから、この前から含めてそんな恥ずかしい反応しないで欲しいと願いながら見事に狼狽えてしまった。生簀に向かってどの子が私の背中を押したかわからないけれど、コラッと軽く叫んだ。しかし目の前のヤガラ達は素知らぬ顔で上機嫌で鳴いている、でも今の私にとってはニヤついている様にしか見えなかった。

「ぱ、パウリー、ごめん。えっと、痛くなかった?」
「ッんな事で痛くなんざねェよ」

 パウリーが過度に照れるせいで私まで恥ずかしい。いい歳してこんな事で反応してしまうとはと別の意味でも恥ずかしい。私は汚れていない筈の手の甲で頬を冷やそうとするが全然冷えていっている気がしなかった。目の前のパウリーは目を合わす事なく、店の入口の方に少し小さく見える店主に向かって声をあげる。

「オイ店主!どれを直せばいい!?」

 響く低い声が遠くにいる店主さんに聞こえたらしく、店主は私に用意してくれと言っている。しかし私には全くとして話が伝わっていない、これは仕事的に問題ではないだろうか。ちょっと後で店主と話す事はありそうだなどと少し八つ当たり的に思ってしまった。何の話だろうかとウロウロ視線を彷徨わせ、最終的にパウリーに困った視線を投げかけた。

「あー、なんだ。直すもんあるらしいが分かるか?」
「えーと、えー…あ、アレかな!乗りカゴ直したいって言っていて、あっちにあったはず!」

 手振り身振りが激しくパウリーが私に用件を思い出せと要求してくるために、私の脳内も活性化されたようにここ最近の仕事についてを思い出す。まるでさっきの事なんて何もなかったとばかりに二人で捲し立て、案内しろとの事でその倉庫にパウリーを案内する。しかし案内というよりも、私よりも先にズカズカ歩くパウリーに後ろから声かけた様な形になってしまった。


「え、パウリーが直すの?」
「ワリィか?」
「ありがたいけど、天下の職長さんがやるレベルの作業じゃないでしょ」
「これは…、ついでっつーか、そこ通るときあのタヌキ親父に頼まれたんだ」

 倉庫に灯りをつけながら、パウリーのタヌキ親父発言に釣られて笑ってしまった。タヌキ親父とは店主の事だろう、しっかり乗りカゴの修理という無料作業を押し付けたのだと分かってしまった。

「あの、技術料払うよ。多分何とかできるはず、ごめんウチの店主が」
「いや…あのタヌキ親父とは、話ついてっから」

 倉庫の中にある木材やら道具やらをかき集めて手元に置くパウリー。いつも仕事として修理を頼む時は皆道具なり持ってきてたっけと改めて手ぶらで来ているパウリーに疑問をもってしまう。店主が直そうと思ったが途中で断念したような材料含めてパウリーの周りは一気に大工仕事場に近い雰囲気を醸し出していた。何故ここに来たのかと理由を聞こうかと思ったけれど手慣れた様に作業し始めたパウリーを見て声をかけるのをやめてしまった。忙しなく動く手つきにそりゃ縄だけ扱ってるわけじゃないもんね、と思いつつこれは私が近くにいる事忘れていそうだと思える程に手元に集中している姿がそこにある。だからこそ気配を消す様に少し離れたところで業務の片付けをする事に決めたのだった。

 サービス作業、もしくは残業としては申し訳ない時間だったと思う。つい興味があって時折覗いてしまったけれど、その作業の丁寧さは、前来てくれた修理の業者さんとは違う気がしてしまった。普段は豪快でデリカシーなくてギャンブラーなのに、と付け足したいところも今日はダメな気がした。どこに入っていたか分からないメモ用紙にサイズやらを書き込んでいたりしていて話しかけられる感じではなかった。私は邪魔にならない様に遠目で見守るのみと思いそこを離れる。そしてせめてお客様用のコーヒーでも淹れておこうと給湯室に向かった。




「お疲れ様です」
「あぁ」
「ありがとうございます、サービス残業」
「あー、これくれェ仕事のうちに入んねェよ」
「あとごめん、冷めかかっちゃったけど」

 首周りをグリンと回して凝りをほぐす様なパウリーに控えめに声をかけつつ、冷めかかってしまったかもしれないコーヒーを側におく。丁度に出す予定が私の時間の目測誤りである。出来上がったものは今店で使っているもの中でも1番しっかりしてそうであった。そしてよく分からないけれどもう一つ乗りカゴが新しく作られている。すごいなどとありきたりな褒め方をすれば、大した事はないと欠伸をしていた。
 コーヒーのお礼一言、そのコーヒーを酒の様に一気飲みするパウリー。コーヒの飲み方でない気もするが、とりあえず喉が渇いていたらしい。そして飲み干してから、手元の道具の整理を始めるパウリーを背にして私も片付けのために席を離れようとした。

「…次の休みの日いつだ?」
「私?」
「おまえ以外いねェだろ」
「えぇ…と、〇〇日だけど」
「んじゃその日買い物付き合え」
「え」

 次の休み、とカレンダーを眺めて何となく連勤になりそうだからと入れていた休みの日を告げる。なんとなくだけれど、通常はそこに用事があるかどうかを聞いてからという気もしたけれどそういう訳ではないらしい。こちらを向かない1を背負った背中、不躾に人の休みを奪おうとする男が目の前に居る。

「私足速くないの」
「あ?」
「借金取りに追われるのは勘弁かなって」

 控えめに笑いながら、その背中に投げかければ困った様に頭をかいている。そしてあぐらをかいて道具箱だかを整理したらしいパウリーが立ち上がる。私も道具などは片付けようと手を出そうとしたが、ひょいと空振りに終わらせてくれた。

「あー、今借金ねェんだよ」
「嘘でしょ」
「嘘じゃねェって」
「悪いものでも食べた?」

 あのギャンブラーが?大酒食らいのような男が?と思わず違う人でも中に入っているのかと思うほどにこちらを向いたパウリーを凝視した。額は知らないけれどそこそこあるとは聞いている、どうやって返したんだと疑問に思いつつ顰めっ面な顔を眺めた。

「あとはおまえのツケだけだ」

 まぁ払いにきたら、あの店主にこき使われたがなと舌打ちをしているパウリー。どういう青天の霹靂なのだろうかと考えるけれど答えには辿り着かなかった。ツケなんてあったっけ?と考えるけれど、匿ってそして軽食を恵んだくらいしかない。もしくはアレコレの謝罪だろうか?と声も出さずに唸った。それだけでとしたらあまりに律儀だろう。しかし、とりあえず人、仮にも女である私を誘うのに店の埃かぶっているような倉庫という色気のなさは健在であろう事は確かだ。そこには少しだけホッとして、追いかけっこをしないならとその誘いにのることにしたのだった。