ホットケーキE−Law−


目的地が決まらないまま全力で自転車を漕ぐ。
気が付くと一番よく行く目的地、勤務先の大学病院に到着していた。

…落ち着くには、いいかもしれない。ちょうど調べたいこともあったし、図書館に行こう。

勤務先には24時間利用可能な図書館がある。
学生さんの試験期間には大賑わいになるものの、今みたいな閑散期は本当に静かで居心地がいい。

最新のジャーナルを手に取り、目を通しているうちに、少しずつ気持ちが整理されていく。


…キス、されてしまった。
 というか、させる隙を、与えてしまった。
 こうなると、もう元には戻れない。


次の学会の日程を確認して手帳に書き込む。


…あの時、お兄ちゃんだと思ってるって、言わなくてよかった。
 言ったらきっと、傷つけていただろう。
 まあ、こうやって飛び出してきた時点で、十分傷つけてはいるけれど。


掲載の文献に目を通していると、興味を惹かれる引用文献を見つけた。
ジャーナルを本棚に戻し、今度は引用文献を探しに行く。

図書館の最上階は、文献集が電動書架で管理されていて、他の階よりも重厚な空間だ。
電動書架を移動させて、必要な文献を探すものの、運悪く最上段に位置しているようだった。

足台を探しに行こうとすると
「マナ?」
「…ロー」

「珍しいな、こんなところで」
「うん、ちょっと調べたいことがあって」

足台を探す私の視線に気づいたらしいローが「どれだ?」と聞いてくるので、書架の真下に移動して最上段を指さす。

「あの緑色の背表紙のやつなんだけど」
「あれか」

書架の間隔は狭い。
私の横に立つローが手を伸ばして文献を取ろうとすれば、通路から見て私の体はローの体の影にすっぽりと納まるのだろう。

「ほら」
「ありがと。背が高いっていいね」
「…」

ローが、何かを探るように私を見る。ざわついた内面を見透かされているようで、居心地が悪い。
お礼を言って、その場を離れようとしたけれど。

「来い」
手を引いて書架の奥へと連れ込まれる。

書架と窓の間には2m程度の隙間があって、たまにここで仮眠をとる学生もいると聞く。
通路からは、完全に死角。

「…ロー?どうしたの?」
「それはこっちのセリフだ」

振り返ったローは、痛みをこらえるような顔をしていた。

「マナ、何があった?」

え。
なにもないよ。
ちょっと、びっくりしただけ。
ちょっと、昔のこと思い出しただけ。
それで、知っていたけど気づかないふりをしてきたことが、目の前に差し出されただけ。
ただ、それだけ。
なのに。

「…なにもない」
どうして私の言葉はこんなに嘘のように響くんだろう。

ひとつ重めの溜息が落とされて。

「なにもないなら、そんな顔にはならないはずだ」
ふわり、と抱きしめられた。



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