深夜から降り出した雨は、朝になってもなお降り続いた。
 最後の悪あがきで見た、四本目のニュース番組も「今日は一日雨! お洗濯物は諦めた方が良さそうです……」と、悲しく告げた。鬼怒川はついに諦めると、テレビを消した。
「ダメだね、どこもみんな今日は一日雨だって」
「しかも関東地方へ向けて、更に活発な雨雲が接近中です。激しい雷、突風を伴う可能性もあるそうですよ」
「もうそれ台風って言っていいんじゃないかな……」
 タブレットを見ていた鳴子にトドメを刺され、ぐったりとテーブルに伏せた。ソファーにうつ伏せになった由布院は、「あー今日休みで良かったわ……」と右手でサムズアップしていた。顔は見えないが、多分気の抜ける笑顔を浮かべていることだろう。
 窓をじーっと眺めている有基は、何をしているのか皆目見当がつかない。窓に何かあるのか、外に何かあるのか、寧ろ何もないのか。聞いてみたいような、聞いてみたくないような、不思議な感じに囚われながら、とりあえず第一便の洗濯物を部屋に干していった。
 部屋干しの匂い対策、などと銘打たれた洗剤を使ってはみているものの、何だか効果が薄いような気がする。洗濯機についている送風は三時間もかかる上、その間他の洗濯物はいじれないというのがあって、厚手の物を最後の便に回した時以外は使っていなかった。乾燥機がほしい、できるだけ早く乾くやつ。
 二便をセットしてからリビングに戻ると、さっきまでうつ伏せだった由布院が仰向けになっていた。
「なぁアツシ。俺さ、さっきちょっと考えたことあんだけど」
「なに煙ちゃん。花見? ダビンチ? 角界?」
「いや、雨」
「雨? ……あぁ、盛大に降ってるよね」
 窓を見て、相も変わらず降り続く雨にため息をつく。ともあれ、今は由布院が考えたこと、とやらだ。
「雨ってさ、学生の頃は微妙だったんだよ」
「微妙?」
「別に好きでも嫌いでもってこと。登校すんのはめんどくせーなって感じだったけどさ、恩恵もあったし」
「恩恵? 煙ちゃんが得するようなことあった?」
「ほら、外体とか。結構な確率で中止になったろ?」
「そういうことか」
 確かに外体、つまり外での体育は中止になることが、割とあったような気がする。特に屋外競技が中心の時期は、自習の確率が高かった。自習中、大人しく【睡眠に】励む親友を見かけていたから、よく覚えている。
「勿論室内に変えられちまう可能性はあるわけだけどさ、晴れてたら絶対に得ることができない、堂々とサボれる時間を確保できる可能性だってあったんだ。夢があるだろ?」
「いや自習しろよ」
「その点、社会人は違う。雨が降ろうと会社は休みにならないし、何も中止にならない。交通機関が乱れて遅刻したら苦い顔をされ、持参する菓子折りの水対策はかかせなくなり、いつもの公園でひと休みもできない」
「煙ちゃん公園で休んでるの」
「何て言うか、損する面が増えた気がすんだよなぁ」
 色々思い出してしまったのか、由布院は再びうつ伏せに戻ると、「はぁぁ……」とため息をついた。と、思ったらすぐに寝息に変わった。
 交代するように鳴子が顔を上げる。株価の動きをチェックしていたはずだが、終わったらしい。
「先ほどの由布院先輩のお話ですが、一理あるかもしれませんね」
「さっきの……って、雨が損ばっかりだーって話?」
「はい。雨の日というのは、誰だって外出を控えたくなるものです。その所為で経済活動は大いに停滞し、売り上げ等も鈍ります。それを解消すべく打ち出されたのが、所謂【雨の日限定のサービス】というものですが……。私を含め、利用していない人にはあまり得のない話ではあります」
「イオって、そういうのは興味ないの? てっきり活用してると思ってたけど」
「あまり対価に見合ったものがないような気がして……。利用したことはないんです」
「そっか。俺はちょっとだけあるよ。雨の日限定。スーパーなんだけど、雨の日シールっていうのが店頭で配られるんだ。で、それを好きな商品に貼ると、その商品が二割引きになるってやつ」
「それはいいですね。おうちの近くですか?」
「ううん。ほら、田中だよ」
「あぁ……」
 鳴子が小さく頷いていると、またしても由布院が仰向けになった。狭いソファーで、よくもあんなに寝返りが打てるものだと感心する。
「リュウどうしたっけ、今日」
「仕事だよ。朝、散々騒いでたの忘れちゃったの?」
 今日、唯一仕事があった彼は、傘と共に出て行った。一応午前中いっぱいで帰ってくるらしいので、雨が酷くなっているのに帰宅、なんてことにならなければいいが。
「ならおつかいでも頼んでみるか。この調子じゃ誰も家から出ねーだろうし」
「ええ、真っ直ぐ帰らせてあげようよ」
「もしコンビニに寄る予定があったら、ということにしてはいかがですか」
「じゃあ用事があって、雨も酷くなければってことにしよう。無理させちゃ悪いし」
 何となく決まったところで、洗濯機のアラームが聞こえてきた。中身を取り出すと、せっせと干していく。部屋干し臭が立ち込めてきたものだから、薄く窓を開けた。雨特有の湿った匂いが、冷たい風と一緒に入ってきたが、部屋の匂いよりはマシだ。
 洗濯を終え、鬼怒川はソファーの前に座った。家事が終わってしまえば、案外暇だ。まだそこまでお腹はすいていないし、昼ご飯作りはもう少しあとでいい。繕い物でもしてみよう、と裁縫箱と一緒に衣料品を引っ張り出してきた。
「おや、裁縫ですか?」
「うん。ほら、この靴下、爪先に穴が空いちゃってるじゃない? まだ全体はしっかりしてるから、縫えばいけるかなって」
「靴下はよくやりますね。底がまともなのに捨てるのは、どうも無駄な買い物をしてしまったような気がして、やるせなくなるので」
「……何か、両足一回ずつなら直せる気がしない?」
「はい。二回目になると、諦めがつくというか」
「判る」
 思わぬところで意気投合してしまった。鳴子はいくつか靴下を持ってくると、鬼怒川の隣で繕い始めた。一人の分だけではなさそうだ。じっと見ていることに気づいたのか、鳴子が言い訳がましく口を開いた。
「で、ですから、たった一度穴が空いたから捨ててしまうというのは、非常に勿体ないことなんです。別に私はリュウが靴下にどれだけ余分なお金を割こうと気にしませんが、」
「へぇ、優しいじゃんイオ」
 急に随分と低い声が割ってきて、鳴子は思わず針を落とした。
 錆びたブリキ人形のようにゆっくり振り返ると、いつも通り読めない瞳をした由布院が、こっちを見ていた。
「ってか、それやっぱリュウのも入ってんのな」
「い、いつから起きてたんですか」
「さっき。何か寒くなって」
「あ、窓開けたからかな。毛布持ってくる?」
「いや、起きたから平気。それよりなに、お前ら靴下縫ってんの? 俺のも頼んでいい?」
「えー、自分でやりなよ」
 落とした針が見つからず、ちょっとだけ焦る。いや、焦っているから見つからないのかもしれない。
 早く靴下を繕ってしまおう、そして撤退しよう。そう決めると目を素早く動かして針を探した。その様子を由布院がぼんやりと見ていたのだが、その視線さえも大分恥ずかしい。
 今までのんびりやっていたのは何だったのかと言いたくなるほど、高速で靴下の修繕を終える。ちらりと時計を見遣ってから、逃げ出すように立ち上がった。この面子で唯一、ストレートで家を出られる服装をしていた為、着替える手間もなく、さっさと玄関へ向かう。
「……少し出てきます」
「マジで? 何か買ってきて」
「漠然としすぎだろ。車?」
「はい。何か、では困るので、決まったらラインしてください。……行ってきます」
「行ってらっしゃい」
「行ってらっしゃいっすー!」
 窓をずっと眺めていた有基が、ついに部屋に目線を戻した。その感動は鬼怒川以外に全く伝わることなく、鳴子は家を出ていった。
 由布院は暫し考え込んでいたが、不意に「……まんじゅう」と携帯をいじり出した。決まったようで何よりだ。鬼怒川も折角なので《牛乳ほしいかな》と飛ばしてみることにした。《地球防衛部(笑)》にメッセージが表示され、既読が一つついた。と思ったら《俺もまんじゅう食べたいっす!》と出た。既読一、は有基だったようだ。
「……イオってさぁ、リュウに甘いよな」
 唐突な言葉に、思わず苦笑した。ストレートな表現だ、随分と。
「それ、イオとリュウには言わないであげなよ」
「言わねーよ、めんどくせぇ」
「いやいや、じゃあさっき何で言ったの」
「別に言う気じゃなかったけど。ただ、優しいじゃんって思っただけで」
「あ、じゃああれ無自覚で爆弾投下してたんだ」
「二人とも何の話してるんすか?」
 今までは会話に参加していなかった有基が、ひょっこり顔を出した。窓の外(推定)にある、何かしらを眺めるのに飽きたのだろうか。
「別に大したことじゃねーよ。っていうか、お前さっきから何見てたわけ」
 煙ちゃん行ったー!と思わず叫びそうになったが、色々な力を総動員して留めた。
「雨粒数えてたっす」
「こっわ」
「それは……何と言うか、闇が深い感じだね……」
 ドストレートな感想を零した由布院の頭をひっぱたいてから、何となく柔らかめにツッコんでみる。あまり違いがないことをツッコんでくれるのは、恨みがましい由布院の視線くらいだ。
 雨粒がどのくらい数えられたのかは、あえて聞かないことにし、靴下の修繕に戻ろうとした時、携帯が震えた。開くと、さっきメッセージを送ったばかりの《地球防衛部(笑)》に何か来ていた。
《すみませんが、タオルと着替えを準備しておいてください。リュウが割と災厄に見舞われたようです》