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「とりあえず今は急いでここを出た方がいいみたいだな」
あのザギという妙な男の事もあるし、今一番の良策と言える。アイナの体調を考えるとそうはしたくないが、ここに居ては危険だ。気付かれる前に街から離れなければ。
そう思って少しユーリの気が急ぐ。それなのに呼び止められた。振り返って見ると、あのルルリエの花弁を渡してくれた老人が立ってる。ユーリは顔に出さないが、僅かな焦りを察したのはアイナとラピードだけだった。
「花のお礼がしたいので、我が家へおいでください」
「そんなお礼だなんて……」
「そんな遠慮なさらずに」
完全な善意の申し出を断るのは申し訳なかったが、そこまでして貰う程の事ではない。そう考えたエステルがやんわりと断るが、このハルルの街の誇りと言える木を治して貰った礼をしたいと彼も譲らない。
すると、ユーリにもたれかかっていたアイナが、するりとその腕から抜け出して一歩前へ出た。
「ごめんなさい。私達、事情が変わってしまいまして。急ぎの用がありますので、ゆっくり出来ないんです」
「私でお力になれる事なら何なりと……」
「そのお気持ちだけで充分ですよ」
「いや、しかしそれでは気持ちの収まりがつきません」
まさかそんな風に言われると思ってもみなかったアイナが困ったように、案の定ユーリに視線を投げる。なんだかハルカはアイナが頼ってくれなくて面白くなかった。ハルカのそんな気持ちなんてお構いなしにユーリは「なら、こうしよう」と言ってアイナの隣に立った。しかも、やっぱり彼女の腰に腕を回して支えるのを忘れない。
「今度遊びに来たら、特等席で花見させてくれ」
「あ、それいいね!」
「はい!とても楽しみです」
ユーリの口から飛び出た意外な名案に、ハルカはアイナを取られて不機嫌だったのも忘れて同意する。それにエステルの声が続いた。こんなにも美しい花を特等席で見られるなんて、とても贅沢だ。ハルカは、また今度ゆっくり見たいと思っていたから心底嬉しい提案だった。
「……わかりました。その時は腕によりをかけて、おもてなしさせていただきます」
「あ、ひとついいか?アスピオって街に聞き覚えない?」
苦い笑いで提案を呑んだ老人にユーリがすかさず問う。すると彼は数回だけ目を瞬かせた。どうやら覚えがあるらしい様子に、ユーリとアイナは目を合わせる。もしかしたら有力な情報が聞けるかも知れないと、心のどこかで期待した。
「日陰の街が確かそんな名だったような……聞いた話では、陽がほとんど差さない洞窟の中の街だそうで。たまにマントとフードを被った無口な方々がこの街に、買い出しにくるんですが……どうにも気味が悪くて、ほとんど交流はないんです」
「その街はどこにあるんだ?」
「東の方角だったかと。詳しい位置まではなんとも……」
東。フレンが向かった方向と一致する。学術都市と呼ばれるくらいだ。魔導器(ブラスティア)とも何か関係があって、だからこそフレンが結界を直せる人物を探すために東にあるというアスピオに向かったのではないだろうか。可能性としては充分にあり得る。
「サンキュ、それだけだ」
ユーリが彼らしく礼を言うと、隣でアイナも小さく頭を下げる。その老人とハルルの街に別れを告げ、彼らは街を出た。ほんの少し進んだ所で、ユーリは自分に掴まりながらフラフラ歩くアイナの前へ回る。彼女の目の前で屈んだユーリの背に謝罪とお礼と、アイナの体が伸しかかった。
首の辺りに彼女の腕が来たのを感じると、すぐ膝裏に腕を回して立ち上がる。もうユーリの耳にアイナの寝息が届いて胸を撫で下ろした。自分の肩に乗るアイナの頭に唇を寄せようとしていると、エステルがまるで呟くみたいに言う。
「不謹慎かもしれませんが……私、旅を続けられて少しだけ嬉しいです。こんなに自由な事、今までになかったから」
「大袈裟だな。で、カロルはどうすんだ?」
「港の街に出て、トルビキア大陸に渡りたいんだけど……」
ユーリの問いにカロルが答える。また新しい単語が出てきてしまったので、ハルカはとりあえず言葉だけでも頭に入れた。
トルビキア大陸……よくわからないけれど、たぶんハルカやアイナが元々居た世界でいうユーラシア大陸とかアメリカ大陸とか、それと同じで大陸の名称である事は明らかだ。トルビキア大陸なる所にどんな街や風景があるのか見当も付かないが、興味がないと言えば嘘になる。
だって、滅多に体験出来る事じゃない。自分の意思で、意図的に来たのではないとしても別の世界にトリップするなんて。なぜ、どうやってこの世界へ来たのか。そんな事考えたり悲観的になったりしたくない。それよりも、今目の前に広がるアイナが離れ離れになった十年を生きた世界を、ハルカは少しでも知りたかった。
「じゃぁ、サヨナラか」
「え!?」
「カロル、ありがとな。楽しかったぜ」
「あ、いや、もうちょっと一緒に付いて行こうかなぁ」
「なんで?」
さっきからユーリが少し意地の悪い顔をしながら言っている気がするのは、ハルカの気のせいだろうか。遊ばれているみたいでカロルが可哀想だが、ユーリが何か言う度に驚いたり焦ったりして、なんだか可愛い。
「やっぱ、心細いでしょ?ボクが居ないとさ。それに、アイナをおんぶしてたらユーリだって戦えないし!」
だからハルカもノってみる事にした。
「うん、確かにユーリの代わりに魔物に突っ込んでく人欲しいとこだよね」
「え」
思わぬ横槍にカロルが固まる。本気でショックを受けてしまう前にハルカが笑って見せると、カロルも冗談だと理解して笑った。ふたりが笑っているのを見てエステルもつい唇が優しい弧を描く。そしてエステルは、ポンと両手を合わせ満面の笑みを浮かべた。
「では、みんなで行きましょう!」
ここから東、フレンの向かった方へ。
黒い絵の具で塗りつぶしたキャンパスの上に、白と黄色を細かく散りばめたような。なんて言い方では、今ユーリの目に映っている夜空の美しさは欠片も伝わらないだろう。だが生憎、ユーリは自身の恋人と違って表現力も感性も富んでいない。
アイナなら、この夜空をなんて表現するのだろう。考えてもユーリの頭では、それらしい言葉が出て来なかった。だって彼女の表現力はユーリの予想をいつも超えるんだ。
「ん……」
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ほたるび