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「風気持ちいいね、アイナ」

不意にユーリの隣に立ってそう言葉にしたハルカは、驚いて彼の胸から顔を上げたアイナと目が合う。いつものように笑って見せると、目元を赤くしたアイナがふわりと笑って頷いた。彼女が笑った事で安堵したエステルとカロルが、改めて目の前に広がる海に視線を向ける。それはもう、本当に心底嬉しそうにエステルは言った。

「本で読んだ事はありますけど、私、本物をこんな間近で見るのは初めてなんです」
「普通、結界を越えて旅する事なんてないもんね。旅が続けば、もっと面白いものが見られるよ。ジャングルとか滝の街とか」
「旅が続けば、もっといろんな事を知る事が出来る……」

後ろで尻すぼみに喋ったエステルの方を体ごと向き、ハルカは優しく同意する。けれどエステルは聞こえていないようで、海を見詰めながら呟くように続けた。

「この水は世界の海を回って、すべてを見てきてるんですね。この海を通じて、世界中が繋がっている……」
「また大袈裟な。たかだか水溜りのひとつで」
「リタも結構、感激してたくせに」

ぼそっと真実を口にしたカロルの頭上にリタの手が上がる。咄嗟に目を閉じて両手で頭を包み込んだ。絶対に来ると思って疑わない衝撃に心も備える……が、いつまでもリタの手は下りて来ない。おかしいと感じてカロルが恐る恐る目を開けると、リタは未だ感動しているエステルの隣に立っていた。

どうやら殴る気はないらしいと理解したカロルがほっと息を零す。それからユーリの空いている方の隣を確保した彼は、アイナの頭を胸に抱いたまま海を眺める青年を見上げた。

「これが、あいつの見てる世界か。もっと前に、フレンはこの景色を見たんだろうな」
「そうだね。フレンは任務で旅してるから」
「追い付いて来いなんて、簡単に言ってくれるぜ」

自嘲気味に笑って言うユーリに、寄り添いながら海を見ていたアイナが彼を仰いで苦く笑う。隣でその話を聞いていたカロルはフレンという人の指定した港はもう少しで着くのに、どうしてそんな風に言うのだろうと思った。

「エフミドの丘を抜ければ、ノール港はもうすぐだよ。追い付けるって」
「そういう意味じゃねぇよ」
「え?どういう事?」

首を傾げてもユーリは答えないし、アイナも答えてくれない。

「さぁて、ルブランが出て来ないうちに行くぞ」
「ノール港はここを出て海沿いの街道を西だよ。もう目の前だから」

もうすっかり見慣れた立ち位置で寄り添いながら、来た方向とは違う下り坂に向かい始めた。答えてくれないのなら仕方ない、とカロルも慌てて付いて行く。リタも海を眺めるのを止め、ゆっくり後を追った。

しかしエステルは海を見る事を止められないらしく、動けないでいる。ユーリ達は置いて行くなんて事はしないとわかっていたけれど、ハルカはどうにか距離が開く前に彼女を動かそうと顔を下から覗き込んで声をかけた。

「その気になれば海だってまた見られるし、旅だっていくらでも出来るよ。今見てる景色だって、ハルルの街で旅を続けるって決めた結果でしょ?」
「……そうですね」
「ほら、先に行っちゃうよ!」

体をこちらに向けて目的地の方へ向かうカロルが、両手を拡声器代わりにして叫ぶ。後ろ向きで崖の縁近くを歩く彼に注意しようとハルカが同じように声を張ると、大丈夫と言う最中に足を滑らせて落ちそうになっていた。ラピードが真っ先にカロルの服を噛んで踏み止め、呆れた様子のユーリが自分の方へ引っ張る。

怖かった、怖かったとアイナにすがり始めたカロルを見ながら、リタが「馬鹿っぽい」と呟いてため息を零した。



ノール港はほとんど目の鼻の先みたいなものだったが、無駄に山越えになってしまった事で減った体力と時間の問題から、野宿をする事になった。それを提案したアイナとカロルを筆頭に天幕が建てられる。その間にハルカはエステルを誘って夕飯の支度を担当し、料理未経験のエステルにも簡単な野菜炒めを作った。

ハルカのアドバイスを受けながらエステルがほとんどひとりで作ったそれは、本人が思っていた以上に好評で。予想外の評価に上機嫌のエステルと、そんな彼女に誘われて断りきれなかったリタが後片付けをした。その間にユーリとラピードにくっ付いてまきを集めに行ったカロルが、焚火にそれを補充する。

そうやって分担して迎えた睡眠時間に、見張りを名乗り出たのはアイナだった。すると当然のようにラピードが彼女の隣で丸くなり、ユーリが空いている膝の上に頭を乗せる。恋人同士なのだから別に変ではないのだが、こんなに堂々とイチャつくのは……いかがなものだろう。
まぁ、そんな状態で魔物が来ても彼らなら大丈夫だろうし、たぶんアイナは途中でユーリと見張りを交代するんだと思ったので、ハルカは何も言わなかった。

エステルとカロルの間で寝転びながら天幕の上を、ぼんやり眺めていた。しかし脳は結構働いているようで、ハルカは海を見た時のアイナを思い出す。

「(お父さん、か……あたしが知ってる方のお父さんじゃ、ないっぽかったなぁ)」

離れていた十年間の中、彼女の父親となって支えてくれていた人が居たのだろうか。居たとしたら、どうして死んでしまったのだろう。どれだけ彼女を大切にしていたのだろう。

「(アイナがあんな風に泣くくらいだから、きっと本気で娘として愛してくれたんだろうなぁ……)」

そうだとしたら、いつかその人の墓参りに行ってお礼を言いたい。アイナを大切にしてくれてありがとうと、彼女の両親や兄の分も感謝を伝えたい。
いつか、アイナが離れていた十年間に何があったのか、話してくれたなら。

「(いーっぱい、ありがとうって……伝えなきゃ)」

そんな風に考えながらもハルカの目蓋は自然と落ちていく。体力には自信のある方だったのだが、やはり山越えには疲労したらしい。

眠気に誘惑されたハルカは、抵抗せず静かに目蓋を下した。



to be continued...

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ほたるび