瀞霊廷 十一番隊隊舎にて
隊舎へと続く廊下を、一人の隊士が歩いていた。まだ空は白ばんでいたが、もう実務を熟している他隊士もちらほらと見受けられる。仕事をしているのではなく、鍛錬をつんでいるのだが十一番隊では同意義といっていい。
颯爽と歩いている彼の容姿は、眉目秀麗な顔をおかっぱで縁取っており、睫毛と眉毛に派手なエクステをつけていた。
彼は目的の部屋にたどり着くなり、声もかけずに障子を開け放った。開けると同時に、薄暗い中から呻き声が漏れる。
「あ゛ぁーくそ。頭がいてぇ………。朝っぱらから起こすんじゃねぇよ」
「もう卯の中刻なんだけど?完全に寝坊だよ、一角」
一角と呼ばれたその男は、顔を覆うようにしてのそのそと起き上がった。その動作を見つつ、綾瀬川 弓親はつんと澄ました顔の眉間に皺を寄せた。
「……一角。…………君ちょっと臭いんだけど」
不愉快そうに顰める綾瀬川に斑目は鼻を鳴らす。
「ほっとけ、只の二日酔いだ。……で、何かあったのか?」
「ついさっき十一番隊に出動命令が出たから君が行きたいかと思ってね」
「はぁ?どうせつまんねえ雑魚虚だろ。下っ端にでもやらせとけ」
「出没したのが80地区だと言ってもかい?」
80地区と綾瀬川の口から出た途端、斑目 一角の顔付が変わった。戦いに貪欲な目つきだ。
「そりゃあいい知らせだ。やっと俺が行けるときに要請が来やがった!んじゃさっさと行ってくるぜ」
今までの怠さは嘘のように素早く死覇装に着替えると、斬魄刀をひっつかみ荒々しく出ていった。
「やれやれ。あれじゃ虚討伐は二の次になりそうだね」
綾瀬川はもう既に無人となった廊下を見つめつつ、苦笑を洩らした。
◇
斑目は手早く数人の隊士を選び抜き、彼らを付き従えて80地区へ急いだ。80地区では約70年前から、虚の出現が急激に増加していた。調査に出向いたこともあったが、理由は解らずじまい、これといった解決策も無いまま今に至っている。
そして今、疼く手を抑えるのに斑目は苦労していた。久々に虚狩りが出来ることもそうだが、それだけではない。
80地区は我らが十一番隊隊長である更木 剣八の出身地だ。あそこには戦いに飢えた男どもがわんさかといる。書類漬けの鬱憤を晴らすには絶好の場所であると共に、何か掘り出し物の人材がいるかもしれない。
要は、理由をつけてひと暴れしたかった、ということだった。
彼らは80地区へ足を踏み入れ、虚が現れた地点である森に向かっていた。
その時、複数の虚の咆哮が耳を劈いた。彼らの走る速度が上がっていく。
「そろそろ虚の気配も近い。正面から斬りかかるぞ。てめぇら俺の後につづけぇ!」
「おぉ!!」
男たちが怒涛の勢いで叫ぶと同時に、視界に虚達が飛び込んできた。大きさは他の虚よりもはるかに大きく、報告通り三体いた。今正に一体が男を持ち上げ、二つに引裂き喰らっていた。大量の血が辺りに飛び散り、腰を抜かしている男と何やら白いものに降りかかった。それを視界の隅で捕えたが、意識は直ぐに虚へと移っていた。
斑目は喜々とした叫び声を上げ高く跳躍すると、目の前に近づいた虚の仮面を切り捨てた。咆哮をあげ虚は倒れる。
物足りねぇ…………。
内心で舌打ちしつつ、地上で四苦八苦している隊士達に加勢すべく方向を変える。
一体は倒したらしいが、残り一体に苦戦を強いられていた。触手のような腕に二人の隊士が弾き飛ばされた。まず斑目は触手を斬り捨て、宙にまうそれに足をかけばねのように軽々と飛び、これも苦なく斬り倒した。
地上に戻ると、「流石です!斑目三席」と感嘆された。これしきのことで褒められると、逆に癪に障る。
斑目はその隊士から離れると、死亡した男の近くに片膝をついている隊士と、その男がこと切れる様をじっと見ている子供に気が付いた。
男たちがいたのは覚えているが、この餓鬼はいただろうか。全く霊圧も感じなかったので気が付かなかった。
子供はうちの隊の副隊長よりも少し高いくらいだろうか。小柄なくせに成人ものの泥で汚れ何箇所も摩り減っている着物を着ているからか、袖がだらんと垂れている。頭に男が着ていたものらしい血だらけの上着を被り、腕にはどういうわけか手枷をかけ鎖は膝下まで垂れている。刀を持っていたが、どうやら脇差のようだ。
「おい、餓鬼。怪我はねぇか?」
義務として言ったつもりだったが、直ぐに声をかけたことを後悔することになる。
突っ立っていた子供はやっと我に返ったのか、わんわん泣きわめきこちらへ突進してきたのだ。
「うおぉ?!」
ゴツンと鎖が脛に当り、衝撃と激痛が同時に襲う。体当たりで体がクの字に折りまがった。
なんつー馬鹿力だ。
「ごわがっだーー!!」
子供は涙なのか鼻水なのかを斑目のにこれでもかというほどなすりつけてくる。
「っんの餓鬼!何しやがる?!気持ちわりぃからさっさと離れやがれっっ」
腕を放そうと四苦八苦していると、やっと回されていた手が離れた。皺くちゃになった死覇装に視線を落とすと、途端に子供にぶちぎれた事が馬鹿らしく感じられ怒りを通り越しどうでもよくなった。
____何故だ。虚を倒した時よりも疲労を感じる。
「………あ゛ぁー……。落ち着いたか?」
適度に距離を保ち、子供の様子を横目で伺いつつ聞いてみる。副隊長のお守りがこんなところで役に立つとは……。全く嬉しくもないが。
「う、ん……。有難う、ございました」
へらっと笑い頭を下げる子供。
よくこの80地区で生きてこれたなと、感心するほどなよなよして斑目の目には映った。それと共に関心も薄れていく。
弱い奴に興味はない。見ているだけで再び沸々と苛立ちが込上げてくる。
「さっきの男どもは仲間か?だからって男が泣くんじゃねぇよ。情けねぇ」
「殺しに来ただけだよ。なんでも人を斬れねえ臆病者の刀持った奴に博打で負けたのが気に食わなかったんだと」
「おー、そうか」
なにやら不釣合いな単語が耳を掠めたが、あくびが出るほど今は退屈で聞き流していた。隊士の治療をまだ行っている様子を伺いつつ、早く終わってくれと無意識に鼻くそをほじる。
「ところで、貴方方は何者?」
「あー死神」
「………死神……?聴きたいんですけど、物知りでちょっと変わった少年が知り合いにいたりしません?」
「…………は?」
今まで適当に対応していた斑目は一瞬耳を疑った。今自分は相当酷い顔していると断言出来るほど呆けてしまった。
「だから、物知りでちょっと………」
「そりゃわかってんだよ!俺が言いたいのは、何でんなこと聞くんだっつーことだ!!」
軽くイラッときて斑目が捲し立てると、子供は少しの間の後首を傾げた。
「え………さぁ?何でだろう…」
「はぁ?!!」
なめとんのかこの餓鬼。
「気にしないで下さい。………あの、ありがとうございました」
さっさかそれだけ言って頭をもう一度下げると、森の中へと走って行ってしまった。
引き留めようとするも後の祭り。
何だったんだ、あの餓鬼。
「三席、こちらの処理並びに報告は終了しました。………斑目三席?」
まだ子供が走り去った方を睨みつけていた斑目は、告げてきた隊士の存在に気づくのが遅れてしまった。
「………ああ、ご苦労。さっさと撤退するぞ」
そうは言ったものの、うわの空だった。
今更ながら、子供に全く傷がなかったことに疑問が湧いてきたのだ。他の男達は刀を持っていたが、子供の持参していた物といえば錆がついた如何にも古ぼかしい脇差のみ。虚とて馬鹿ではないのだ、誰をまず狙えばいいかなど明白なはずだ。
だが、子供は虚に攻撃もされなかった。
まるで視界に入っていなかったかのように。
それとも………
馬鹿らしい憶測が一瞬脳裏を過り、後頭部をかきつつ溜息を吐いた。考え出したらきりがない。部下は先に帰らせて、ちょっくら長居でもするか。
帰路にはつかずに一人離れた斑目は、懐に腕を突っ込んだ瞬間その動作のまま硬直した。
「パクられたぁぁあ゛あ゛ぁーーーっっ!!!」
◇
あの死神と名乗る黒ずくめの着物を着た人達から大分遠ざかった辺りで、苗字は立ち止った。長距離走っても、呼吸ひとつ乱れていない。
手に握られているのは、あの坊主頭から失敬した銭。久々に感じられる金の確かな重みに、嬉しさと並行して罪悪感も感じられた。
今まで盗みは己の中で御法度事で、その一線を越えればただの罪人に成り下がると言い聞かせてきた。だがそんな信念さえも空腹の前では無意味だ。
けれど、と思考が途絶え苗字は拳を握りしめる。
何をそんなに躊躇うことがある。
苗字は銭に穴が開くほど睨んだ。
あの者たちは嫌悪する死神だ。それが黒い着物の者たちと同義という事は今まで知らなかったのだが。
やはり無理に責任転嫁させて考えてみたところで、罪悪感は一向に消えなかった。仕方なく、銭を置いていくことも出来ないのでそのまま家へと急ぐことにした。
なにやら遠くの方で喚いている男に見つからぬうちに。
家へと気配を消して駆け込むなり、苗字は銭を投げ捨ててじめじめした地面に身を投げうった。死神らと会ってから緊迫としていたからあまり深く考えられていなかったが、余裕ができた今経過を頭で整理できていた。
「ちょっと変わった少年、か」
自分でも聞き取れるか分らないほど僅かな声量で呟いた。
自分でも、どうして彼らにそんなことを聞いてしまったのかわからない。只彼らから感じられる力があの子の纏っていたものと似ていると思った瞬間、気が付いた時には口走っていた。
それにしても、久々に彼のことを思い出した。今まで彼との記憶を忘却しようとしていたためかあやふやだが、今とは比べものにならないほど幸せだったことは覚えている。
苗字の成長が止まってしまう以前の、子供の頃出会った男の子。
曖昧な感覚となって、今も尚こびり付いている。
だが、思い出したところでもう彼とは出会えない。
そして、その後同居することになった一人の少女のことも。
彼女もまた、ある少年を追って死神になると言い苗字の前から消えていった。
残ったのは、死神に対する憎悪と、あの忌まわしい断片的な記憶だけ。
そして一人80地区へと戻り、今に至っている。
あの少女は今、どうしているのだろう。
きっともう、自分より大きくなっているはずだ。
更に少年少女の顔を記憶をたどって思い描こうとしたところで、苗字ははっと我に返った。
追憶しすぎた。このままでは、過去に囚われてしまう。金がないと生き残れないのだから、しっかりしなければ。
過去を頭の中から押しやり、手際良く襤褸小屋にある物をかき集め始めた。死神に会ってしまった事もそうだが、博打仲間が死んだため新たな収入源を見つけなければならない。
食糧入れとして、寄せ集めで作った箱の中に入れておいた黒い鈴を取り出すとそれを年季がはいり、もう元の色が何だったのかさえ分からないほど劣化した紐で手首に巻きつけた。苗字が人であった頃持っていたと思われる、唯一のものだ。どこかで落としてしまったのかもう音は鳴らない不良品だが、未だに手放せずにいる。
荷物といっても、特にないが少ない食糧をつめて包むとそれを背に背負った。
行くべき場所は、もう既に決まっていた。
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