偵察を終え、御影専農の校門を出る頃には日が傾きかけていた。
ポケットの中で携帯電話が短く震える。画面を開くと、雷門に潜入したばかりの土門からの短いメッセージだった。

『名前ちゃんの気にしてた豪炎寺、今日は鉄塔広場で無茶苦茶な特訓してるみたいだぜ!』

いかにも彼らしい軽い文面と、そこまで豪炎寺に執心していたように見えただろうかと気恥ずかしさから、名前は思わずフッと表情を和らげた。

あの時頼んだのはあくまで『足』への警戒であって、特定の個人の監視ではないはずだ。
ただ事ではない様子で頼み事をしてきた名前を案じてのことか、あるいは雷門の話で浮き足立っていた様子を察して気を回してくれたのか。頼んでもいない状況まで多めに報告してくる彼の人の良さに、呆れつつも自然と肩の力が抜ける。

……とはいえ、他校の生徒に露骨に肩入れしていると思われるのは考えもの。見透かされたような感覚に微かに頬を熱くしながら、名前は小さく咳払いをして自分を律した。
緩みかけた表情をきゅっと引き締める。
それでも、先ほどまで影山の言葉によって塗り潰されていた暗い胸の内は、土門のそのノリのおかげでいつの間にかすっかり軽くなっていた。

「俺は車で帰るが、乗っていくか?」

表情に出さずとも内心で百面相をする名前を横目に、迎えにきている黒塗りの高級車を前にした鬼道が振り返る。

「今日はちょっと寄り道するから。お疲れ様、鬼道」
「……寄り道?」

予想外の返答に、鬼道の動きが僅かに止まる。数拍の間の後、最近彼女が見せる珍しい変化の要因へと思考が至ったのか、探るような視線がゴーグルの奥で微かに揺れた。
だが、彼はそれ以上踏み込むことはせず、静かに車のドアに手を掛けた。

「……そうか。気を付けて帰れよ」

言葉少なに去っていく黒塗りの車が見えなくなるまで見送った後、名前は小さく伸びをした。
そのまま真っ直ぐ家へは帰らず、彼女の足は自然と稲妻町が位置する方向へと向いていた。





御影専農中での重苦しい偵察を終えた名前は、土門からの情報を頼りに稲妻町へと足を運んでいた。
向かった先は商店街に店を構えるペンギーゴ。

帝国学園も大概無茶苦茶な設備投資の下特訓を行なっているような気もするが、それを経験している土門の言う無茶苦茶な特訓とは一体どんな事をしてるというのか。
そんな疑問を抱きつつ、名前は店内のスポーツ用品コーナーと薬局コーナーを素早く回り、コールドスプレー、大容量のスポーツドリンク、それに消毒液や絆創膏などをポイポイとカゴへ放り込んでいく。無茶をしている幼馴染の姿を想像すると、つい買い込む量が増えてしまうのは性分だった。

ずっしりと重くなったビニール袋を提げ、夕日に染まる鉄塔広場へと辿り着く。
広場には、土門の言葉通り激しい特訓に身を投じる三人の姿があった。名前は彼らの視界に入らないよう、少し離れた植栽の陰に身を潜めてその様子を窺う。

「こいっ、豪炎寺!!」

染岡と風丸の叫び声が響く。彼らが腕を合わせて踏み台を作り、そこへ豪炎寺が勢いよく飛び乗った。二人の腕を踏み切って跳躍した豪炎寺は、鉄塔の高い位置に括り付けられたボールに向かって、オーバーヘッドキックを放つ。

……なるほど。確かにこれは無茶苦茶な特訓だ。

名前は植栽の葉越しに目を丸くした。
人の腕という極めて不安定な足場を利用して高さを稼ぎ、そこからオーバーヘッドキックに繋げる。着地に失敗すれば大怪我に繋がる荒技だ。踏み台の2人の腕も遠目から見てもかなり赤く腫れ上がっているように見える。
恐らく次の野生中戦に対抗するための、強力な新しい必殺技を習得しようとしているのだろう。細かい話については、後から土門が詳細に教えてくれるはずだ。今は深く考察するのはやめておこうと、名前は思考を切り上げた。

何度失敗しても、三人は泥だらけになりながら立ち上がる。
ユニフォームは汚れ、息は上がり、擦り傷だらけで、傍目から見ればボロボロの満身創痍だ。それでも彼らの瞳には諦めの色など微塵もなく、ただ一つの目標に向かって必死に食らいついている。

不格好で、泥臭くて、無茶苦茶で。
なのに、そのひたむきな姿がどうしようもなくかっこよく見えてしまって。名前は眩しすぎる夕焼けのせいにして、思わずきゅっと目を細めた。胸の奥が温かく締め付けられるこの感情だけは、どんな完璧なデータでも弾き出せないものだ。御影専農の様子を見てきた今日だからこそ、特に強くそう思った。

名前は彼らの意識が特訓に集中している隙を見計らい、荷物がまとめられているベンチの傍らへと足音を殺して近づいた。
ずっしりと重い差し入れの袋をそっと置き、あらかじめ用意しておいたメモ書きを一番目立つ場所に貼り付ける。
気づかれないうちに素早くその場を離れ、名前は一度だけ振り返ったその時。豪炎寺が見事な跳躍を見せた。
成功の喜びに沸き立つ最中、ふらりと倒れ込んで風丸と染岡の肩を借りる豪炎寺を見て、本当にどこまでもひたむきでストイックな奴だなと口角が上がるのを感じた。

夕陽に照らされる彼らのシルエットを満足そうに見つめると、彼女は誰にも見咎められることなく、軽い足取りで鉄塔広場を後にした。



「これは…?」
「マネージャーが準備してくれたのか?」
「だったら直接声をかけてくれてもいいだろ」

イナズマ落としを完成させるべくオーバーヘッドキックの練習をしていた豪炎寺と、その踏み台を買って出ていた風丸と染岡。ボロボロになりながらも成功した事を喜んでいれば、彼らが練習していた場所の近くにスポーツドリンクやらコールドスプレー、消毒液等、丁度今欲しいあれこれが大量に入ったビニール袋が置かれているのを見つけた。

【クールダウンはしっかりと】

ビニール袋にはセロハンテープで貼り付けられた、品の良いデザインのメモに、走り書きされている短いメッセージがあった。

「メッセージまで書いてやがる。一体誰なんだ?」
「見たことない字だな……。木野達じゃなさそうだ」

メモを覗き込んで首を傾げる染岡と風丸をよそに、豪炎寺はメッセージの筆跡を見てふと動きを止めた。
流れるような、それでいてどこかきっぱりとした特徴のある文字。極めつけはこの少し過剰ともいえる量の差し入れのラインナップ。
間違いない、彼女だ。
豪炎寺の目元に、自然と小さくもひどく優しい微笑みが浮かぶ。砂まみれの指でそのメモを汚さないよう、そっと綺麗な指の腹で文字をなぞった。

「豪炎寺、知り合いか?」

風丸は、豪炎寺がその走り書きでありながらも品の良さが滲む文字を、どこか愛おしそうに見つめている事に気付いて疑問を投げかける。

「……さあな。そのうち会えるかもな」

豪炎寺は短くそう答えると、セロハンテープを綺麗に剥がし、そのメモ書きをそっと自分のポケットへとしまった。

帝国学園に所属する彼女の正体を言うときっと彼等を驚かせてしまうだろうから。直接声をかけずにこんな回りくどいやり方で差し入れをした彼女の、不器用な優しさを汲んでやりたいから。
そんなもっともらしい理由を自分に言い聞かせながら、豪炎寺は小さく息を吐く。

本当はただ、彼女の存在を誰にも知られたくないだけだ。
帝国学園の人間である彼女が身を隠していたのは、間違いなく敵校の偵察目的だろう。だが、冷徹な役目の合間に純粋な応援としてこれらを置いていく不器用な温かさを、もう少しの間だけ、自分だけの秘密にしておきたい。
そんな密かな独占欲を涼しい顔の奥に隠し、豪炎寺は幼馴染の気配が残る夕暮れの広場を見つめながら、風丸の問いを静かにはぐらかした。