ホーリーロードが終わりしばらくして、フィフスセクターに残された様々な後処理業務に追われている年末。表立って聖帝として動いていた豪炎寺と、千宮路大悟の近くで暗躍していた名前の仕事が、その日ようやく一段落したのは、街の灯りがすっかり夜の色に沈んでからだった。
肩にかかっていた力を抜く間もなく、名前と豪炎寺は並んで建物を出る。冷えた夜気が頬を撫で、ようやく一日が終わったのだと実感させた。
思わぬ寒さに無意識的にコートの裾に指を引っ込めると、右手が温もりに包まれ、するりと隣の男のコートのポケットに仕舞われる。よく見ているものだと感心して隣を見上げれば、彼はいつもの得意げなほほ笑みを口元に浮かべていた。きゅっと握る大きな手が擽ったくて左腕に軽く体当たりしてみた。びくともしない体幹は相変わらずのようだ。
日付の感覚を半ば失いながらの業務であったので失念していたが今日はクリスマスイブだった。
だからといって、特別な予定があるわけでもない。二人で仕事をして、いつも通り少し遅い時間に一緒に帰る。それだけだ。週末にでも改めて、落ち着いて何かやれたらいいな、という曖昧な約束があるだけで、今日という日は通過点のように終わりを迎えようとしている。
ビル街の通りには、人通りはまばらでも、街路樹や植え込みに控えめなイルミネーションが灯っていた。人の集まる商業地のそれとは違う、申し訳程度のきらびやかな明かり。それでも白や橙の光が点々と夜に浮かび上がる様子に、否応なく季節感を思い出させる。
名前はそれを横目に見ながら、隣を歩く豪炎寺の足音を意識していた。
「もうこんな時間か」
先に口を開いたのは豪炎寺だった。
「そうね。思ったより長引いた」
「悪かったな、手伝わせて。」
「後始末は誰かがやらなきゃいけないんだし仕方ない。それに元はと言えば仕掛け人は私なわけで。むしろ付き合わせてごめん。」
言葉にしてしまえば、それで終わる程度の会話。けれど、その裏に溜まった疲労や責任の重さを、名前は痛いほど理解していた。豪炎寺も同じだろう。
我々の愛したサッカーを愛する者を守る為の長い戦いには豪炎寺の選手生命をはじめ、全ての中学サッカーに関わる者の何かしらの犠牲を伴っていた。
その後始末ともなればかなりの重労働であるのも必然であった。
信号待ちで足を止めたとき、道の角に立つガラス張りのビルのエントランスに映る小さなツリーが目に入った。オフィスへの来客に向けたであろう、最低限だがきちんとした印象の飾り付け。華やかとは言い難いが、妙に目に残る。
「そっか、クリスマスか」
独り言のように呟くと、豪炎寺が視線だけをこちらに向けた。
「そうだな」
「なんか、実感ないけど」
「俺もだ」
そこで1度途切れた会話。
元々今日は無理に何かをしようという話はしていなかった。クリスマスだからって特別な事をしたいという年頃でも、関係値でも今更ない。
それでも期待していなかった、と言えば嘘になる。だが、期待していたと言い切るほどでもない。そんな中途半端な感情を抱えたまま、名前は歩を進める。
ふと、植え込みのイルミネーションの前で足が止まった。理由は自分でもよく分からない。ただ、光がきれいだと思っただけかもしれない。
「どうした?」
「いや。ただ…綺麗だなって」
立ち止まった二人の間に、短い沈黙が落ちる。遠くを走る車の音と、どこかの飲食店だろうか、流れてくる微かなクリスマスソングの軽快な音楽と漏れ聞こえる聞こえる談笑の声。それらが混ざり合って、夜を満たしていた。
「……今年は何もしないで終わるなぁ」
名前は冗談めかして言ったつもりだった。
豪炎寺は一瞬だけ目を丸くして、それから静かに口を開く。
「週末にって話じゃなかったか?」
「まあね」
言葉を選びながら、名前はぽつぽつと言葉を続ける。
「ただ、少しだけ……ほんの少しだけ、期待してたのかもって思って」
「……そうか」
豪炎寺は何も言わなかった。ただ足を止めて、名前の方に向き直る。
街灯の光に照らされた彼の表情は、いつもより少し柔らかく見えた。
繋がったままの指先が、彼のコートのポケットの中で絡まり合う。
そのまま、そっと彼の右手が伸びる。
頬に触れるか触れないかの距離で、ためらうように止まってから、静かに引き寄せられた。
唇が触れ合ったのは一瞬だった。
互いの熱を確かめるように、触れて、離れる。たったそれだけ。けれど、それだけで胸の奥に溜まっていたものが、すっとほどけた気がした。
「……これで、十分だ」
「…十分すぎるくらいかも」
低い声でそう言われて、名前は小さく笑った。
クリスマスの寒い夜に温もりを与える暖炉の火のような、柔らかな熱を帯びた眼差し。
交わった視線にお互いがフッと笑みを零して、再び横に並ぶ。
イルミネーションは相変わらず控えめで、街は穏やかだった。
「週末のディナー、期待できそうだよな。」
「そうね。イルミネーションも楽しみ」
約束を交わす言葉は軽く、クリスマスだからという特別感はない。けれど、それでいい。
名前はもう一度、街の灯りを見上げた。
何も用意していなかったはずのクリスマスが、静かに胸の奥に灯り続けている。
今日もきっと、忘れない夜になる。