父上に手を引かれ、桜の花びらが舞い散る道を眺めながら歩く。すると、一人の男性が遠くから手を振っているのが見えた。

「楠本先生お待ちして下りました。荷物や医療道具は中に入れさせて頂いたんで」

どうやらこの男性はこの村の住人らしい、わざわざ先に送っておいた荷物を家に運んでくれたようだ。年齢は四十くらい農家のお方だろうか、私たちに軽くお辞儀をしながら人当たりの良さそうな笑顔を向けた。

「すまないね、助かったよ」

「いえいえ、こんな田舎にお医者様がいらしてくれるなんてとてもありがたいことです。村の皆も感謝しているのですよ、これくらいのことはさせてください」
そう言って男性は微笑んだ。

「いやいや、こちらこそ新参者だ。村の皆さんにはご迷惑をおかけするかもしれないが、これからよろしくお頼みます。」
そう言い、父上は頭を下げた。私も慌てて頭を下げる。

「とんでもない!分からぬ事があれば遠慮なく仰って下さい……ところで隣にいらっしゃるのは娘さんですか?」

「ああ、挨拶が遅れましたな。貴音、挨拶しなさい」

『はい、お初にお目にかかります、楠本宗謙が娘、貴音と申します。至らぬ点が多くあることと思いますが、これからよろしくお願い致します。』
そう自己紹介をし、深々とお辞儀をする。

「いや〜えらい別嬪なお嬢さんだ。礼儀正しいし、こんな出来のいい娘さんを持てて楠本先生が羨ましいかぎりです」

「ありがとうございます」

「それでは私はここで失礼を致します。長旅でお疲れのことでしょう、ゆっくり休んで下さい」
男性は頭を下げ、帰って行った。

「さて、貴音。今日からここが私たちの診療所兼我が家だ。大切にしていかないとな…」

『はい、父上!』

私はそう返事をし、これから暮らす家を見上げり。広すぎず、狭すぎない、住み心地が良さそうな家屋だ。
父上が門に看板を建てた。

【楠本診療所】

私はそれを見て、これから始まる生活に胸を躍らせた。












次の朝、私たちは診療所の開業そして、これからの生活に向けて準備に追われていた。

「貴音この医学書を私の書斎室の棚に入れてくれ」

『はい!ただいま』
父上から大量の本を受け取り、本棚に並べる。

『えーと、この本はここに入れて…後は食器を片付けなきゃ』

父上も私も朝からバタバタとせわしなく動く。お昼過ぎた頃、ようやく必要な荷物は全て片付き、私は、お茶を淹れて父上と一緒に一休みをする。

「貴音、ようやく家の準備もひと段落ついたし、私はこれから吉田先生に挨拶に行こうと思っている。貴音お前も一緒に付いて来なさい。これからお前も吉田先生の下でお世話になるのだから、挨拶しないといけないな」
と突然父上が言い出した。

『え?どう言うことです?父上』

私は父上の仰っている事がよく分からなかった。

「吉田先生は今、この村の貧しい子ども達のために寺子屋を開いて学問を教えていると言う。お前もそこに通いなさい。今まで私が家を空けている間、ずっと家のことをやらせて寺子屋に通わせてあげられなかったからな、すまなかった。」

『え?じゃあ、私は学問を学べるのですか?寺子屋に通ってもいいのですか?』

「ああ、行きなさい」

父上はそう言い頷いた。どうしよう…とても嬉しい!簡単な読み書きは父上から教わった。けれど寺子屋に通えて、しっかり学問を学べるなんて思ってもみなかった。

『ありがとうございます!父上!』
私はこれ以上にない嬉しさが込み上げた。


早速、父上と一緒に吉田先生がいらっしゃる寺子屋に向かった。村から少し丘を登った所にポツンと家屋が建っており、門には【松下村塾】と書いてあった。離れの道場からは、竹刀の叩く音とドンドンと地面を蹴る音、子ども達の叫ぶ声が遠くから聞こえる。初めての空間に少し緊張をする。

「ごめんください、楠本です」

父上がそう言うと、中から亜麻色の長髪の男性が顔を出した。

「おや?楠本先生お久しぶりです。ようこそいらっしゃいました」
そう言い、柔らかい笑みを零した。
この方が吉田松陽様、物腰が柔らかで、中性的な顔立ちをしており、とても穏やかな人だと感じた。優しい人とはまさにこう言う人のことを言うのだろう。

「ご無沙汰しております。吉田先生」

「わたしの我儘で楠本先生には多大なご迷惑をお掛けしました。申し訳ありません」
と頭を下げた。
「いえいえ、私も丁度医学館を辞めて、開業医をしようと考えていた所でこの様な話を下さったのですから、この様な形で吉田先生のお力になれるのならばなんて事ないですよ。しかも、娘をここに通わせて頂けるなんて、ありがたいことです」

「そちらが楠本先生の娘さんですか?」
そう私の顔を見て、優しく微笑んだ。

『あっ、はい、わたくし娘の貴音と申します。この度、この寺子屋に通わせて頂けるなんてとても光栄です。よろしくお願いします。吉田先生』

「ふふっ、こちらこそよろしくお願いします。可愛らしいお嬢さん。お父上からお話は伺っていますよ。ここにいる子ども達は、個性が強く面白い子達が多いですから、きっと君もすぐに仲良くなれるはずです。では、改めて、貴音さん松下村塾へようこそ」
そう満面の笑みを浮かべた。この人の笑顔はとても素敵だ。私も嬉しくて微笑み返す。
すると吉田先生がちらりと目線を後ろに移し、

「おや?すみません子ども達がみんな来てしまったみたいで」

そう言えば、いつの間にか子ども達の声が聞こえないなと思ったら、奥の方から大勢の子ども達がこちらを見ていた。
子ども達が小さい声で「誰だ?あの子?」「超絶かわいいじゃん!」とボソボソ聞こえてきたが、その中でひと際目立つ銀髪頭の子とちょぴり目つきの悪い黒髪の男の子がこちらをじっーと見つめてきた。長髪で総髪な男の子が二人をたしなめる。その視線が少し怖くて私は、父上の袖をぎゅっと握りしめた。







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