松下村塾、初登校の朝が来た。楽しみと不安な気持ちが同時に押し寄せてきて心が落ちつかない。
私は朝餉の準備をしながら、ずっとソワソワしていた。そんな私の姿を見た父上が微笑ましく見ている。

「貴音、今日が寺子屋の初登校だな。お前なら大丈夫だ。きっと皆んなが親くしてくれて、友達もたくさんできるさ」

そう言って私の肩を優しく叩いた。その言葉を聞いて少し気持ちが落ち着く。

『はい、父上!私、寺子屋に通えるの楽しみです。』

「そうか、良かった。それじゃあ朝餉にしよう。早く食べないと貴音が遅れてしまうからな」

そう言い二人で朝食を摂った。みんな仲良くしてくれるといいな……





寺子屋に行く時間、玄関を出ると、爽快な日光を全身に浴び、眩しさに目を細める。空も透き通るような青だ。今日は洗濯物がよく乾きそう。
そう太陽を見上げて思っていると、父上も玄関先に出て見送りに来てくれた。

『父上、お仕事で忙しいと思いますが、しっかり休憩を取ってくださいね。あとお昼ご飯を台所に置いてありますから、温めて食べてください。それから…』

「わかった、わかった。貴音は心配性だな。まるで貴音の息子になった気分だ。大丈夫だから安心して行ってくるといい」

そう言い父上は苦笑いを浮かべ、肩をすくめた。

『ふふっ、そうですね。では父上、行って参ります』

私は父上に見送られて、早足で寺子屋に向かった。
















【松下村塾】と掲げられた門の前で立ち止まる。
前は父上と一緒に来たが、今は一人で此処に立っている。私は自分の着物をぎゅっと握りしめた。

『よし!最初は笑顔が肝心』

そう意気込み門に足を踏み入れた。

寺子屋の扉を静かに開け、緊張した声色で訪ねる。

『すみません…今日から通わせ頂く楠本です』

すると奥からぱたぱたと足音が聞こえ、吉田先生がひょこっと顔を出した。

「貴音さんお待ちしてましたよ。どうぞ中に入って下さい」

吉田先生は私の緊張を和らげるように、ふわりと微笑んだ。やはり、この人の笑顔は素敵だ。

『吉田先生、今日からよろしくお願いします』

そう言い吉田先生に頭を下げる。

「そうかしこまらなくていいですよ、もう貴女はうちの門下生なんですから。それに私のことは気軽に”松陽”と呼んでください。子ども達はみんなそう呼びますから」

『はい、松陽先生』

「ふふっ、よろしい。では皆さんの所に案内しますね」

そう言い、松陽先生は私の前を歩く。私も先生の後に付いて廊下を歩いた。どうやら他の子ども達は、みんな寺子屋に集まって居るようだ。
すると先生が一つの部屋の前で立ち止まった。部屋の奥からは、子ども達の楽しそうな話し声や笑い声が聞こえて来る。
先生は私に振り返り、ニコッと微笑んで部屋の中に入って行った。

「皆さん、おはようございます」

そう声をかけると、子ども達がそれぞれの文机に戻り、松陽先生に視線を向け、挨拶をした。

「「松陽先生おはようございます」」

「はい、おはようございます。今日は授業を始める前に皆さんにご報告があります。今日から皆さんと一緒に学ぶ仲間が増えます。仲良くして下さいね」

すると、子ども達が期待の篭った声で「え?誰かな?」「男の子かな?女の子かな?」と囁き合う。

「それでは、貴音さん入ってきて下さい」

そう呼ばれ、部屋に足を踏み入れる。すると子ども達の視線が一気に私に向いた。しかし、一人だけ見たことのある、銀髪でふわふわした髪の毛の少年は口端から涎を垂らしながら気持ちよさそうに寝ていた。

「では貴音さん自己紹介お願いします」

『あっはい!わたくし、父上のお仕事の都合でこの村に越してきました楠本貴音と申します、よろしくお願いします』

緊張のあまり、慌てた声で自己紹介をし、頭を下げる。部屋にはシーンと静寂が響いた。

「では貴音さんはあちらに座って下さい」

そう促され、空いている文机に座る。すると横から黒髪で長い髪を一つに高く結い上げた、端整で凛とした顔立ちの少年が私に話しかけてくれた。

「俺の名前は桂小太郎だ。分からぬ事があれば聞いてくれ」

『はい、よろしくお願いします』

よかった優しい人が隣で。そう思い、胸を撫で下ろす。
授業が終わると子ども達が一斉に私に話しかけて来てくれた。
「どこから来たの?」「前に寺子屋に来てたよな?」など質問が飛び交う。
『えーと…』と大量の質問に言葉を詰まらせていると、ちょっぴり目つきの悪い、けれど彼も端整な顔立ちをしており、どこか気品も感じる少年が私に話しかけるでもなく、頬杖をつきながらこちら見ていた。
思わず目が合うと彼はふいっと目を逸らした。
どうしよう、嫌われてるのかな…








寺子屋1日目が終わり帰りの準備をする。女の子は家事の手伝いもあるため帰宅し、男の子はこれから剣術の練習があるようだ。

「あり?おまえ、前に此処に来てたヤツだよな?なんでいんの?」

今までずっと寝ていた銀髪頭の少年が目を覚まし、私を見つけて、死んだ魚のような目で頭をボリボリ掻きながら訪ねて来た。

『父上の仕事の都合で越して来て、今日から此処に通うことになりました。あの…楠本貴音と言います』

そう答えると彼は「ふぅーん」と間延びした返事をし…

「まぁ、これから俺らが先輩だから敬えよ。これお近づきの印にやるよ」

そう言い、頭にポンと乗せて来た。何かヌルリとしたものを感じ、頭上からゲロゲロと鳴き声がした。
私は一瞬何が起きたか分からず時が止まり…

『きっ…きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!』

私の悲鳴が寺子屋全体に響き渡った。

父上、これから寺子屋でうまくやっていけるでしょうか…



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