スプラッシュサマーサイド

 夏も間もなく本番、梅雨がそろそろ明けるであろうという時期。湿度は高く、伸ばしている髪が首に張り付く感覚が煩わしい。衣替えをして生地が軽くなったスカートにブラウスをもってしても暑い。
 ノートで首元を扇ぎながら隣の席を見ると、襟元をパタパタとさせて自分と同様に暑がっている茜の姿が目に入る。いつもより緩んだ首元が色っぽいな、なんて俗っぽい事を考えてしまった。
 入学してから音楽や同じ趣味の話で意気投合し、同性の友人より距離の近い――親友に近いような存在で居たのに、幾度となく告白されている場面を見ている内に「そいつは私のだ」って気持ちになってしまっていた。でも、この距離感が心地良くて、告白なんてしないつもりだけど。
 めちゃめちゃモテるイケメンな片思い相手は、恋心を自覚してから一挙一動何をしていても眩しく見える。鎖骨がちらっと見えるのえっちでずるいって。邪な考えと暑さを払拭するように首を振り、声を掛ける。
「王様ぁ、学園長の息子なんだからちゃちゃっと空調設備直すくらいどうにかなるでしょー?」
「んな事俺に言ってもどうにもなんねぇよ。第一ちゃちゃっと直るならもう直ってんだよ」
「授業に集中できませーんって生徒会の目安箱に投書しようかな」
「それ結局俺の所に来るやつだし、お前も一緒に見るやつじゃねえか」
「っ〜〜あーもー!じめじめする、ベタベタする、あーつーいー!」
 通常であれば「学生の本分は学業! 環境を理由に勉学が疎かになってはいけない!」という理事長の信念から、館内は基本的に全館空調管理がされており、常に快適な状態を保っている。
 しかし現在は連日の豪雨と寒暖差で空調設備が故障し、急ピッチで復旧に当たっているが、なにせエアコン可動シーズンに差し掛かっている為部品不足が起こり、修理もままならない状態だそうだ。
 茜の真似をして襟元をパタパタさせると、女子が襟元広げるなよ、って怒られた。うるさい、ちょっとでも意識させたいんだよこっちは。
「せめて早くプール入りたいわぁ」
「いつも体育面倒くさがってる真白がプール入りたがるなんて意外」
「もうこの暑さ、背に腹は代えられないのよ……」
「つーかそろそろプール掃除なんじゃね?」
「あーそれがあった……。毎年思うけど、それも業者に頼めばいいのに」
「親父も兄貴も、あれもイベントの一環だと思ってるんだろ。掃除とかも生徒が出来る所は業者頼まねぇし」
「青春を謳歌せよ少年少女! ってやつか……去年はプールサイドの掃除でめちゃくちゃ地味だったんだよねぇ。プールの中だとそれはそれで服濡れるからイヤなんだけどぉ……」
 そんな会話を聞いていたかのようにHRでプール掃除の予定が告げられ、茜と真白のクラスは50mプールの掃除の担当となった。来週の金曜日5限目の体育、とスケジュール帳にペンで書き込んでデッキブラシやバケツのイラストを書き込む。イヤとは言いつつ真面目に授業を受けるよりは楽だと思うと口元が緩む。どうか良い天気になりますように、とこっそりお祈りをした。

そしてプール掃除当日、梅雨とは思えないほどの快晴にお天道様もここまで張り切らなくてもよかったのに、と思いながら体操服に着替えた。長ズボンジャージの裾を膝まで捲り、半袖の体操着の袖を肩が見えるくらい腕まくりをすると日焼けをしていない腕があらわになる。日に焼けると赤くなってしまうので日焼け止めをしっかり塗ってプールサイドへ出ると、同様に着替え終わった男子が既にいた。
 茜はハーフパンツに半袖の体操着の袖を真白と同様に腕まくりしていた。お揃いみたいで少し恥ずかしいが嬉しくなっている自分がいた。
「腕出し過ぎじゃね?」
「自分だって。暑いし、出して恥ずかしい腕してないもんで」
「日焼けするぞ」
「日焼け止め塗ってるからへーき。ご心配どーも」
 プールの底は一年近く放置されて溜まっていたヘドロのような水が全て抜かれて、教師が先に少し水を撒いた程度だった。ここからデッキブラシで擦って綺麗にしていくのが生徒の担当だ。準備されていたデッキブラシやバケツを手にプールの中へ降りる。結構滑るから足元気を付けないと、と思いながら先を行く茜を追ってプールの中心部へ進んでいく。
「真白! あぶない!!」
「へ?」
 クラスの女子だろうか。名前を叫ばれて後ろを向くと、目の前には水の入ったバケツ。その向こうに転倒した男子が居たので彼が持っていたのだろう、なんてコンマ数秒の間にいろんな状況が一気に目に入ってくる。情報量が多い。
 滑って転ばないようにと杖のように両手でデッキブラシを持っていた私は防ぐことも出来ないまま、気が付けば頭から水を浴び、おでこにバケツが直撃していた。
「真白!!」
 少し後ろで茜の声がした。焦ってる声なんてレアだなーとか、バケツぶつかった所が痛いなーとか、なんで当事者はこんなに出来事がスローモーションのように感じるんだろう。
 水入りバケツの衝撃にバランスを崩して足を滑らせた私は、そのまま受け身も取れず後ろに倒れ、後頭部を強打した。
 あぁ、全身ずぶ濡れ――と思った辺りで意識を手放した。

 目を覚ますとそこは保健室のベッドだった。気絶していたのはたったの数分で、目立った外傷はたんこぶくらいだそうだ。クラスの子が持ってきてくれた制服に着替え(下着は保健室にある予備を借りた)、病院に連絡するから少し寝てなさい、と保険医に言われて再びベッドに横になった。すぐ目が覚めて良かった、救急車を呼んだ方がいいかしら、なんて話を担任と保険医がしながらパタパタと急ぎ足で遠ざかっていく(救急車は大げさだからやめて欲しい)。体育の先生が運んでくれたのかなとか気絶とかダサいなぁとか、能天気に考えながら寝返りを打つと勢いよく扉が開いた音がしてカーテンが開き、息を切らした茜が入ってきた。制服に着替えてるのにまた汗をかいている。
「おはよ、茜。プール掃除終わった?」
「それどころじゃねぇだろバカ! ……もう何ともないのか?」
 茜がベッドの横に置いている丸椅子に腰掛ける。いつもの教室の席より近く、カーテンで半個室の状況は少し落ち着かない。慌てて視線を逸らし、保冷剤を頭に当てた。
「っ、これから病院行くって。たんこぶだけだと思うけどなぁ」
「頭なんだし、念の為だって」
 茜がそっと腕を伸ばしてきて、打った後頭部に手を添える。少し痛みが走ったが、そんなことよりも顔の近さの方が気になってしまって思わず俯いてしまった。そんなことされたら、誰だってその気になってしまうって自覚あるんだろうか。距離感が日頃からおかしいと思ってはいたが、これはやりすぎだ。遮光カーテンで暗くなっている分、顔が赤くなってるのがバレないといいのに。
「悪い、痛かったか?」
「そ、じゃ、なくて、も、近いっばかっ」
「近く寄らないとケガの具合確認出来ねぇだろ―—顔、赤い。熱でも出てきたか?」
 あぁ、バレちゃった。真剣な声色に心配されてるのは分かっているのに、こっちはそれどころじゃない。
頭に添えられていた手が頬にくる。顔を上げるとすぐ目の前に茜の顔があった。
「こんだけハッキリ会話できてりゃ大丈夫そうだが……」
「そっ、そう、だよ。大袈裟」
「大袈裟かどうかは医者が決める……目ぇ覚めて良かった」
「……ありがと。今回は私の運動神経と運が良かったってことで」
 心配を掛けたのは事実なので素直にお礼を言うと、優しい眼差しが振ってくる。あぁ、そうやって優しくされるのも心配させるのも、全部私だけにならいいのにな。こんな恋人みたいな距離感で見つめあうなんて、たまにケガするのもいいなって思ってしまった。
 頭を打ったせいもあるのか、この場の空気が妙に甘いせいもあるのか、ぽぅっとしている私に茜が分かりやすくため息をつく。
「もうちょっと警戒してくれよ……」
「は?何が?」
「あー……後悔無いようにもう言っとくわ」
 卒業する時でもいいかと思ってたんだけど、と呟いて離れた手で頭をガシガシと掻きむしる。離れた手の熱が名残惜しくて、少し残念だなぁと思っていると今度は両肩を掴まれて身体の正面が向き合うように姿勢を直された。
「えっ、な、何?言うって何を?」
 戸惑う私は、茜のハーフの血が入ったガラス玉のような瞳に見つめられて、その視線に捕らわれて動けなくなる。心臓が早鐘を打つようにうるさく鳴っていて、掴まれた肩から鼓動が伝わってしまいそうで恥ずかしい。恥ずかしいのに、目が逸らせない。
 密度の高いまつ毛、高く筋の通った鼻が本当にきれいで見とれていると、形の良い唇がゆっくりと開き、言葉を紡いでいく。
「好きだ。誰にも渡したくないし、ずっと真白の傍に居たい」
 あまりに情熱的で真っ直ぐな言葉に息をするのも忘れてしまう。この場所だけ時間が止まったような感覚で、今言われた言葉を理解しようと脳内で何度も反復させる。すき……好き?茜が、私を?
「う、そ……そんな、急に、なんで、そんな素振り今まで……」
「お前が男に言い寄られるの苦手って分かってたから必死に隠して取り繕ってた。……縁起でもねぇけどさ、言えないまま後悔することがあるかもしれないって今日の事で思い知った。隣に居るのが当たり前じゃないってことも。お前は俺の事そんな目で見てないかもしれないけど、俺はお前の事恋愛対象として好きだ。これからは友人としてじゃなくて、恋人として隣に居て欲しい」
 苦しいような茜の表情に、時々大好きだったお祖父さんの話をするのを思い出した。忙しい父や兄に代わってよく遊んでくれていたこと。体調が悪く入院した後、容体が急変したと電話が掛かってきたを受けたのが茜で、最期に間に合わず看取れなかった事。
 そんな大事な人と自分を重ねてくれていることが嬉しくて、不安そうな茜が愛おしくて、肩を掴む手にそっと自分の手を重ねた。緊張しているのか、夏だというのに指先は水に浸けていたかのように冷たい。冷たい手に触れているのに、そこからじんわりと温かいものが胸に広がっていく気がした。
「……そんな目で、見てたよ、ずっと前から」
「っ、はぁー……勘違いじゃなくて良かった」
「勘違い……えっ、うそ、私そんなに態度に出てた!?」
「出てたっていうか、圧倒的に他の男と距離感違うし思わせぶりな態度してくるしもしかして、って感じ。ただそれも俺の都合のいい思い込みだったらダセェなって思ってた」
「うっわはずかし……っ!」
 伝わってるならもっと態度に出せよお前も……!
 羞恥に更に顔を赤くしていると、割れ物を扱うように優しく柔らかく、包み込むように抱き締められた。今にも心臓が爆発するんじゃないかってくらい私ばっかりドキドキしていると思っていたのに、茜の鼓動はわたしよりも強く早く鳴っていて、同じ気持ちなんだと思うと胸がいっぱいになって、いっそこのまま一つになってしまいたくなってくる。
「……キス、していいか?」
「んっ、……いいよ」
 耳元で低く掠れた声で囁かれて、背筋を伝って腰が痺れていく。顔が近づいてきて、どちらともなく目を閉じた。重ねた唇は柔らかく互いの隙間を埋めるように、想いを確かめるように、少し離れては角度を変え、啄むように何度もキスをした。
 唇が離れてなお熱い視線を交わしていると、廊下から足音が聞こえてきた。先生が戻って来たと悟り、茜の身体を引き離して慌てて布団に横になる。少し不満げな声が聞こえた気がしたが無視させてもらう。
「さ、お待たせ冬木さん。先生の車まで歩ける?」
「はい……っとと」
 再び身体を起こしてベッドから降りた瞬間、足がもつれてふらついた。平気とは言ったものの、やはり頭への衝撃は多少身体のバランスを狂わせているようだ。足腰に問題はないし先生に手を借りれば歩けるだろう、と歩みを進めようとした瞬間、身体が宙に浮いた―—次の瞬間、目の前に茜の顔があった。いわゆるお姫様抱っこだと気付くのに数秒かかった。
「ひゃっ!ちょ、あかねちゃん!?」
「先生、心配なんで俺も付いて行っていいですか?」
 こちらの言い分を無視し、前を歩く先生と会話している。腕で押さえてくれてるけど私スカートだし!ここ学校だし!他の生徒も居るし!っていうかすっごい見られてるし!!
「は、恥ずかしいから!自分で歩くから!」
「っと、危ねぇから大人しくしてな」
 抗議の声は茜のでこちゅーで簡単に制止された。で、でこちゅう……!!
 ただでさえお姫様抱っこでキャパオーバーしてるっていうのに、これ以上私をどうしたいんだ……!
「っ、いま、おでこ、」
「ほーら、喋ってると舌噛むぞ」
 にやにやと笑って明らかに上機嫌な茜に何の文句も言えなくなってしまったので、せめて赤面した顔が見られないようにと胸に顔を埋める。もうどうにでもなれ。

 翌日「公開カップル宣言」「ようやく二人が付き合った」と話題の中心になってしまうなど、今の真白は知る由もなかった。