君のことが

 オレンジ色の光に染まる放課後の教室。目の前にいる退屈そうな幼馴染の口から出た言葉に、叶希は日誌を書く手を思わず止めた。
「今・・・何て言った?」
「え?クロノさん引っ越すんだって」
「どこに」
「実家じゃね?わかんないけど」
 それより日誌終わった?帰ろう、という幼馴染の催促を完全に無視して、叶希は話題に出たクロノさんに思いを馳せる。
 ”クロノさん”こと時任黒乃は叶希の1つ上の先輩であり、彼女の想い人つまり好きな男である。部活中の真剣な顔と、会話中に見せてくれた少し幼い笑顔のギャップに一目惚れしてしまったのだが、この話は長くなるため割愛させていただこう。
 叶希は恋愛に関して奥手であり、出会ってかれこれ数ヶ月は経つのだが、今だに彼と話すだけで顔が真っ赤になるほど初心な心の持ち主である。連絡先は周りの協力でようやく手に入れることが出来たが、そこからあまり進展はない。それでも話せるだけで幸せだったし、彼も彼女のことはよく見てくれているので、些細な変化にも気づいてくれる。そうして片思いの生活を楽しんでいたのだが・・・
「引っ越す、ってことは転校するのかな」
「クロノさん実家が隣の県だって聞いたことある」
「県外?!」
 仮に彼が転校したとして、隣の県であれば会えないことはない。それでも今までと同じ生活は送れないし、彼にだって好きな人の1人や2人くらいできるだろう。そうなると叶希のこの気持ちは伝えられずに終わってしまう。
「ごめんツグ!これ代わりに提出してきて!」
「え?!ちょ、トキ?!」
 書き終わった日誌を押し付けて、幼馴染の声も聞かずに叶希は彼の教室を目指した。

 彼のクラスに勢いで来てしまったが、そこに彼は居なかった。受験も近いし空き教室で勉強するそうだ、と彼のクラスメイトに聞いた叶希は「ありがとうございます!」と深々とお辞儀をしてまた走り出す。そして別の棟にある空き教室に彼は居た。
「先輩!」
「っ?!・・・叶希さん?どうしたんだ急に」
「あっ、急に大声だしてすみません・・・」
「いやそれは大丈夫なんだが・・・」
 教室には彼1人、他の生徒は皆帰ってしまったらしい。静かな教室には黒乃が筆を走らせる音とページをめくる音だけが響いている。
 隣にどうぞ、と声をかけられたので叶希は彼が座っていた隣の席に静かに着席した。
勢いだけで飛び出してきたけれど、今になって頭が真っ白になって何を話していいかも分からず、自分の鼓動音だけが叶希の耳を支配する。でもこのままじゃだめだ、先輩がいなくなる前に言わなくちゃ。そうやってぐるぐる考えていたらどんどん目の前が霞んで見えて、目頭が熱くなって鼻の奥がツンとした。
「そういえば今日は部活が休みだったんだな・・・え!?」
「・・・え?あ、す、すみませ、あれ、なんでかな」
 一筋の涙が叶希の頬を濡らすと、それはとめどなく溢れてくる。
 目の前の彼も突然泣き出した叶希を見て慌てており、それがまた申し訳なくて叶希は涙を零した。
「先輩が、居なくなるって、聞いて」
「え?!・・・うん」
「もう会えない、のかなって、思って」
 涙は叶希のスカートの上に落ち、濃い色のシミを作って消える。黒乃はただずっと彼女が話すことに相槌を打っていた。
「寂しいな、って思ったら、いても立っても居られなくて、好きだって、まだ、伝えてないから」
 "好き"の2文字を口に出してしまえば簡単で、もう玉砕覚悟で全部言ってしまおう。叶希はその後も暫く彼の好きなところや好きになったきっかけを、泣きながら話す。いつのまにか固く握った手を彼の大きな手が包み込んでいた。

 どのくらい経ったのだろうか。叶希の涙が呼吸が落ち着いた。それを確認した黒乃は少し強張った声で彼女の名前を呼んだ。
「叶希さん」
「・・・はい」
 叶希の手を握る黒乃の力が少し強くなる。その手の温もりは心地いい。
「伝えるのが遅くなってしまって、その、本当にすまない。恥ずかしながら俺も自分の気持ちを正直に言うのがどうやら苦手みたいなんだ」
 ぽつり、と黒乃が話し出す。叶希と出会った日のこと。実は叶希と同じで黒乃も彼女に一目惚れをしており、更によく気づいてくれていたのは目で追っていたからということ。

「水川叶希さん、俺と付き合ってください」

 夢?と叶希の口から洩れた。
「夢だったら悲しいな」
「本当ですか?」
「本当に決まってる、ほら」
 叶希の濡れた頬を片手で優しく拭い、黒乃は微笑んだ。その表情はとても優しく、叶希の頬が今度は赤くなった。
「こうやって触れるし、体温だって分かる」
「でも」
「叶希さん」
「・・・私でいいんですか」
「叶希さんじゃないとダメなんだ」
 握られた手が熱い。止まったと思った涙はまた溢れるし、絶対今不細工な顔をしている。でも嬉しくて口元が緩んで仕方がない。

「私も黒乃さんがいいです」

 震える声で叶希は答えた。繋がれた手はとても熱いし、自分の心臓の音がうるさい。これからよろしく、そう言われて叶希は「はい!」と元気に頷いた。

 数日後、父に会いに行くという黒乃を駅まで見送りに来た叶希。
「黒乃さんが転校してもたまに会いに行きます」
「そういえば告白してくれた日に言ってたけれど、違うよ」
「はい」
「転校はしない」
「え」
 改めて話を聞けば、海外を飛び回っているお父さんが数日こちらに来るので3連休の休みの間だけ、2人で実家に帰るだけとのことだった。
「し、心配して損した・・・」
「でもこの事は周りに伝えてない筈なんだが」
「ツグから聞きました」
「じゃあ茜さんが大袈裟に伝えたのかもしれないな」
帰ってきたら文句を言わなくちゃな、と苦笑いする黒乃の手を叶希はぎゅっと握る。
「じゃ、じゃあ帰ってきたらすぐ連絡ください!」
「勿論。すぐに連絡するよ」
「迎えに来ますから!」
「ありがとう」
 間もなく黒乃が乗る電車が到着する頃合。行ってきます、と叶希の頭を数回撫でて黒乃は改札を抜ける。姿が見えなくなるまで手を振って、叶希は幼馴染に文句の電話をかけた。