儚さは波に流して

 高校生活最後の夏休みを大切にしろ、と両手をきつく握りしめ熱く語る担任の声を聞き流しながら窓の向こうに目をやる。太陽は元気に中庭のアスファルトを照らしており、これから帰ることが辛いことを教えてくれた。クラスメイト達が立ち上がる音が聞こえ、いつの間にかホームルームの時間は終わっていた。
「日暮、夏休み何すんの?」
「なにって...バイトと受験勉強じゃね?多分」
「あーやっぱり?嫌だよなー...勉強したくねえ」
「だな」
 まだ帰らないの?と声をかけてきた友達と他愛もない話をしていると、目の前の男は羨ましそうに俺を見つめる。
「なんだよ」
「いいよなー、彼女がいる夏休み!」
「そうか?つぐみもバイト三昧だからそんなに遊べねぇと思うけど」
 ふと1つ下の可愛い彼女ことつぐみが夏休みは海行きたい!とか騒いでいたことを思い出した。そういえば今日休みとかって言っていたような気がする。
「わり、用事思い出したから帰るわ」
「お、じゃあなー」
 話もそこそこに飛び出すように教室を出て、つぐみがいる教室へ向かう。高校最後の夏休み、大事にするなら初日が肝心だ。
 そうだ、海に行こう。

「つぐみ!」
「うわ、何?!びっくりした」
「お前今日バイトは」
「休みだけど...?」
「行くぞ」
「は?どこに...って!ちょ?!」
 丁度帰ろうとしていたつぐみの小さい手をとって、昇降口まで向かう。ここまで来たらいっそ行き先を黙っていた方が面白いかもしれない。「マジでどこ行くの」と聞いてくるつぐみの問いを無視しながら、学校を後にして、最寄り駅にやってきた電車に飛び乗った。

 暫く電車に揺られていると窓の向こうには太陽の光に照らされた青い海が見えてきた。
「海?!」
「お前が行きたいって言ってたから」
「急すぎない?」
「でも来たかったんだろ」
「まぁ...そうだけど」
「今度は水着で入りに来ような」
「来る!!」
 チョr...否、素直で可愛い彼女の頭を撫でれば、彼女はなんだよ!と照れながら、その手を受け入れた。

 電車から降りて、砂浜まではすぐだった。潮の匂いが風に運ばれて鼻を擽る。思いつきで来たけれど、意外と良かったかもしれない。隣の彼女は早速靴を脱ぎ捨てて、海に一直線に走っていった。
「わーーーー!海だーー!」
「海だな」
「あははっ、冷たー!」
「そりゃよかった」
 スカートの裾が濡れないように手に持ちながら、つぐみは一人水遊びを楽しんでいた。その無邪気さが可愛くて愛しくて、でもなんだか寂しく見えた。
「茜!」
「ん?」
「アンタも入んないのー!?」
「はいはい」
 俺もなんだかテンションが上がっているみたいだ。靴と靴下を乱暴に脱ぎ捨てて、サイズが小さいスニーカーの横に並べた。
 砂浜は熱くて何だか今の自分の気持ちみたいだ。スラックスの裾を濡れないように数回捲って海辺へ。海水に足をつければ、ひんやりとした感覚が心地いい。
 すると少し大きな波がやってきて、裾が濡れてしまった。つぐみはそれを見て何故か笑っていた。そして聞いたことないメロディーを楽しそうに口ずさむ。その様子を忘れたくなくて、ポケットの中の携帯をつぐみに向ける。



「それ何の歌?」
「んー?茜の裾が濡れた歌!」
「んだよ、それ」
「名曲じゃん」
 えい!とつぐみがこちらに水をかけてくるので、お返しに片足を上げれば水しぶきが上がる。そして時間も歳も忘れて2人で気が済むまで遊び尽くした。

 オレンジ色の夕日が沈みかける頃、ふとあんなに楽しそうだったつぐみの顔が少しだけ寂しそうな顔をしていた。
「つぐみ?」
「あのさ、来年はあんたとこうして学校帰りにこういうとこ来れないのかなーって」
 俺は高3で進路という新しい道に進まないといけない。環境が変わってしまって今以上に会うことは出来ないかもしれないが、それでも今後彼女と別れる気持ちは一切ない。
「次は黒乃とか真白とかいつものメンバー誘って来ようぜ、車の免許とるから」
「ほんと?!約束!」
「おう、約束」
 小指どうしを絡める約束なんていつぶりだろうか。満足そうな彼女の唇にキスを落とせば、その頬が赤く染まる。
「顔赤いな」
「うるさい、夕日のせい!」
 小さな手を引き砂浜を後にした。どうか今だけは俺らの足跡が波に流されて消えませんように。
「なんてな」
「なんか言った?」
「つぐみの足は小さいなぁ、と思って」
「悪かったな小さくて!」
「可愛くていいじゃん、子供みたいで」
「ムカつく!!」


 後日、教室であの日の動画を見返していると横から真白が俺の携帯を覗き込みながら話しかけてくる。
『ふんふふーん♪』と水辺を歩きながら歌う彼女の姿を見て可愛いね、と真白が言うので軽く睨むと笑いながら交わされる。
「それ、ツグミちゃんの動画?」
「そ、俺の裾が濡れた歌だってさ」
「愛されてんね〜、アカネちゃん」
「おかげさまで」
 高校生活最後の夏休み。受験とかバイトとかで正直遊べる日なんて数えるくらいだろう。それでも限られた時間の中で、精一杯青春を謳歌するくらいなら罰なんて当たらないはずだ。
 今日もこの後予定が空いていると言っていた彼女とのメッセージ画面を開いて、デートの誘いのメッセージと先日の動画を送りつけた。