つい最近、付き合い始めばかりの我妻善逸と都築桃花はソファに腰を掛けてバラエティ番組を見ている。
「ねえ、桃花ちゃん」
「ん?」
善逸は彼女の手をぎゅっと握りながら、声をかけると桃花もまた握り返し、彼の方へと顔を向けた。
「明日って空いてる?」
「明日……は、ごめんなさい…予定が……」
ワクワクした顔をして善逸は問いかける。
明日は土曜日。
社畜である彼は珍しくその休みをもぎ取ることが出来たようだ。しかし、彼女は申し訳なさそうな顔をして言葉を言い淀ませる。
「そっか〜……残念」
「えっと、よ、夜一緒にご飯食べることは出来るよ!」
デートする気満々だったのか、しょんぼりとする彼に桃花は罪悪感を感じたらしい。慌てて言葉を付け足して善逸の顔色を窺った。
「じゃあ、一緒に食べようね」
「うん」
いちいち、感情を出す善逸に呆れる訳でもなく、心に沿おうとする彼女が愛らしく感じたのか。彼は嬉しそうに微笑む。それを見た桃花もまた胸にあたたかいものがじわりと広がる感覚を覚え、コクリと頷いた。
「……思い出したんだけどさ、たまにギター背負ってどこかに行ってるけど、何してるの?」
「……知ってたの?」
善逸は不思議そうに首を傾げると彼女はギクッと肩を動かし、瞬きを繰り返した。
「たまたま見かけたんだけど、え、気付いて欲しくなかった!?」
「………隠したり、嘘ついても分かっちゃうんだよね?」
ドクンっという音が桃花から聞こえるのだろう。ぼーっとしながら答えるが、彼女の身体から聞こえてくる音の意味を理解したのか、慌てたように両の手で桃花の手を包み込むと涙目になる。
泣いちゃいそうな顔をする彼にハラハラとしながらも、ふっとあることを思い出した。
善逸の耳が非常に良いということを。
彼の耳にかかれば、隠し事も嘘もばれてしまうということを確認するように問いかける。
「……うん」
「じゃあ、ちゃんと言わないとだね」
隠し事をすることは普通のことだろう。だが、善逸の耳にかかればそんなものは隠せることはない。それで嫌われることは少なくなかったのかもしれない。彼は苦虫を噛み潰したような顔をして頷いた。
彼女はそんなつもりで言ったわけではないらしい。困った顔をしてぎゅっと手を握り返した。
「え、で、でも……言いたくないんじゃあ…」
「うーんと…恥ずかしいから言いたくないだけなの」
言いたくないことは誰にでもある。
それは重々承知のことだったからこそ、あっさりそう言うとは思わなかったようだ。彼は目をぱちくりとさせて戸惑ったように言葉を紡ぐ。しかし、桃花の口から出た答えは彼にとって意外な言葉だった。
「え、どういう……」
「えーっと……誰にも言ってないから内緒にしてね?」
「う、うん」
打ち明けるにも緊張がするのか、彼女は鼓動を早くなるのを感じながら、念を押すように小首を捻る。そんな姿にまたきゅんとときめきを覚えながら、善逸はごくりと固唾を飲み込んで返事をした。
「……私、モモって名前でネット歌い手をやってるの」
「…………うっそ」
桃花はほんのりと頬を赤く染め、小さな声でぽつりと告げる。テレビの音はそれなりの音量だ。それよりも小さな声だと普通であれば、聞き取ることは適わないが、彼の耳にかかればそんなことはない。
衝撃的な発言に善逸はぽかんっと口を開けていた。
「あ、あのね?あんまり有名でもなくて……ていうか、あの、前世で好きだったことを今更ながらやってみようっていう思い付きでギター弾いて曲作って歌ってみただけなんだけど……」
「めっちゃファン!!」
「……へ?」
素人が何やってるんだという反応だと思ったのか。彼女は恥ずかしそうに目をキュッと瞑ってざっくりやって居る理由を述べ続ける。しかし、そんな思いは杞憂で終わることになった。
彼は目をキラキラと輝かせながら、握ったままの手を更に力を籠める。予想外の展開についていけなくなるのは桃花の番らしい。
「俺、モモちゃんのめっちゃファンだったの!!音ぶれないし、表現が豊かで、歌がすっごいうまいし、聞き心地良くてさ!!寝れない時とか聞いてたんだ!!桃花ちゃんが歌ってたの!?」
「う、うん……」
興奮は冷めないらしく、善逸は当の本人を前に嬉々として語り続けた。彼女はその様子をただただ一等席で眺めているしか出来ず、戸惑った返事を返すのがやっとらしい。
「これってもう運命だね!!」
「…………」
嬉しさのあまりにガバッと桃花を抱きしめていた。
――運命だよ!俺達は結ばれる運命だったんだ!!
かけられた言葉に以前見た夢で言われた
「桃花ちゃん?」
「……善逸さんは私を喜ばせる天才だね」
なんの反応を示すことのない桃花に彼は困惑したようだ。眉根を寄せて、不安気に顔を覗き込むと目の淵からぽつりと涙が零れ落ちる。そして、彼女は柔らかい表情を浮べて微笑んだ。
「えっ、なんで泣いてるの!?俺、そんなに気持ち悪かった!?」
「……運命にしてくれてありがとうございます」
まさか自分の発言が気を悪くさせてしまったのかもしれないという不安が過ったらしい。善逸は顔を真っ青にさせながら、おろおろしていると彼女はそっと彼の頬に触れ、目を細めてあたたかい声音でお礼を言った。
「え?」
「……でも、まさか善逸さんが聞いてるなんて思っても見なかったなぁ」
オタクのように語っていたことに泣いていたわけじゃないということが分かったのだろう。しかし、そんなお礼を言われることなんてした覚えもないのかもしれない。彼は呆けた顔をしてじっと桃花を見つめた。その表情にふふっと笑みを零せば、善逸の頬から手を離してその手で涙を拭って不思議そうに呟きながら、彼の肩に頭を寄せる。
「それは俺もだよ……だから、聞いたことある声だったんだね」
「そうだね………もしかして、カミナリさん?」
「う、うん……それ、俺の
肩にかかる重みにドキッとしながらも、善逸は嬉しそうな顔をして手持ち無沙汰からか、手遊びをし始めた。そんな彼の手を見ながら、彼女は頷くと動画を上げた時に必ずコメントをくれる人の名前を思い出したらしい。
顔を見上げてじっと見つめれば、彼は顔の近さにまた胸が高鳴り、頬を赤らめて照れくさそうにこくりと首を縦に振った。
「そっか……善逸さんはむかーしから私の心の支えになってくれてたんだね」
「……桃花ちゃん」
すりっと擦り寄ってはぎゅっと抱き付きながら、幸せそうに紡ぐ桃花からはシャンプーの香が漂ってくる。その香りに心をくすぐりながら、善逸は抱き締め返した。
「もうバラしちゃったからいいかな」
「な、何が?」
彼女はぎゅっと抱き付いたまま、ぽつりと呟くが、何の話かは彼には理解できていない。眉を下げて情けない顔をしながら、問いかけた。
「……明日、レコーディングするの」
「えっ!?マジで!?」
桃花はどことなく恥ずかしそうに耳打ちをする。明日空いてないといった理由を打ち明けられた善逸は目を大きく開き、ガバッと身体を引き離して驚きの声を上げた。
「うん」
「え、じゃ、邪魔しないからついて行ってもいい?」
彼女が大きく頷くのを見ると頬を赤らめて彼は首を傾げる。推していた歌い手の現場というのは興味がそそるのかもしれない。
「……一人で黙々と作業してるだけなんだけど、いいの?」
「全然いい!むしろ見学させて!!」
期待された目を向けられて問われれば、断ることは難しいのだろう。ぱちぱちと何度か瞬きをし、ゆっくりと口を開けば、確認の質問をした。
善逸は即答。
カンマ1秒の間もないほど、自分の意思をはっきりと伝えていた。
「………ふふ、明日一緒に行ってください」
前世の想い人が今世の恋人になり、ひっそりと始めた歌い手活動のファンがそれまたその人だった。
そして、誰にも打ち明けるつもりがなかったこの話を一番最初にしたのも彼であることに何やら不思議な縁を感じたのかもしれない。桃花は笑みを零すと幸せそうに笑った。
「うん!……あ、じゃあ、と、泊まってく?」
「…………そう、します」
彼女の笑みが更なる幸を呼ぶのか、善逸も満面の笑みを浮かべてこくりと頷く。
明日一緒に行動するなら、今日も一緒にいてもいいという考えに至ったようだ。先程とは違う少し緊張感のある高揚を覚えながら、彼はさりげなく問う。
言わんとしていることは伝わってるらしい。長い沈黙の後、彼女もまた頬を赤らめて首を縦に振ったのだった。