紅の髪の女性はカウンターにうつ伏せになって、眠っている。古びた店内には客が誰一人としていない。それもあり、気が緩んでいるのだろう。
しかし、それも束の間。ピクリと眉を動き、ゆるりと目が開かれた。彼女は
「……ん、……懐かしい、夢……」
彼女は上体を起こすと目をこすり、寝ぼけたようにポツリと言葉を零す。
どうやら、簪を持って現れた客人は彼女の過去の思い出らしい。
雨宮骨董品店。
父から彼女へ受け継がれた店。
過去・現在・未来、次元を行き来する不思議な店。
来ようと思っても来られる訳じゃない。モノにとって休息の地であり、訪れるものにとってその店を知る必要があれば必然と招かれるのだ。
ふわああ。
彼女は大きな欠伸をして、両腕を上に伸ばすと固まった筋肉をほぐした。
店主が目覚めるのを待っていたかのようにタイミング良く、店の外から足音が聞こえてくる。彼女はその音に反応して、店の出入り口へと目をやった。
「邪魔するぞ」
(……あれ、あのひと……)
「ん?なんじゃ?」
次の瞬間、男性の声が聞こえてくる。
現れた客人はなんとも言えない色香を漂わせており、着流しが似合う男前だ。瞳の色は金色で、髪もまた薄い黄色を混ぜたような綺麗な色。そして、なぜか髪の先端を結んでおり、長いその髪は宙に浮いている。
客がきょろきょろと店内を見渡している姿に見覚えがあるのだろう。女性は目ぼけた頭がさえたように目を見開いた。
女性の視線に気が付いたらしい。不思議な雰囲気を持つ客人は彼女へ問い掛ける。
「あ、……いえ…ようこそ、雨宮骨董品店へ」
(簪の
突然話しかけられると女性は言葉に詰まったようだ。しかし、彼女は店の人間。接客をする側だ。慌てて首を横に振り、口角を上げて笑みを見せる。そして、客を招くための常套句を口にした。
腑に落ちない。
店主は心の中でそう零す。幼い頃に出会った妖のはずなのに向こうがこちらのことを覚えていない。しかも、彼女はたいそうな簪を渡されているのだ。疑問を覚えてしまうのは無理もない。
「随分変わった店じゃのぉ……」
「ここには人も
客はまたきょろきょろと辺りを見渡し、店の品を見定めては言葉を零した。それは褒め言葉として受け取れるか、否かで答えれば後者ではあるが。
女性は眉根を寄せ、困ったように微笑みながら、言葉を返す。聞き慣れているかのように言葉を受け流している姿から、客が訪れる度に言われているということが窺えた。
「ほぉ……妖も、か」
「ええ」
客は彼女の言葉にピクリと反応を示す。彼は彼女へ顔を向ければ、目を細めて意味深長に語りかけるように言葉を紡いだ。
彼女は彼が何を言いたいのか分かったのだろう。しかし、この店を継いでからというものそういう輩が多い。
つまり、妖だという脅しには慣れてしまっている。だからこそ、彼女はにっこりと笑みを浮かべてこくりと頷いた。
(つまらんのぉ……)
客は、はぁと息を漏らすと同時に心の中で言葉をこぼした。客は彼女の反応になのか、それとも店を見てそう思ったのか。それは誰にも分からない。
「……何がつまらないのです?」
「っ!?」
否、彼女には分かってしまう。店主の耳にはそれすら拾ってしまうから厄介だ。
しかし、彼が何に対してつまらないのか。それは彼女の耳をもってしても分からない。彼女は不思議そうに首を傾げ、問い掛けた。
客はまさか自分が思っていることを言い当てられるなんて思ってもみなかったのだろう。目を見開き、驚いた表情を浮べて息を呑む。
「あら、ごめんなさい。つい……」
「お前さんも妖か?」
またもや、やってしまった。
彼女の表情にはそう書いてあった。慌てて口元に手を当て、客への謝罪の言葉を口にする。ポロッと言い訳じみた言葉を零してるあたり、反省しているのか怪しいところだ。
客は疑心からか目を細め、何かを探るように問いかける。
「人間ですよ」
「ほぉ…どうやって心を読んだ」
この疑いもまた手慣れているのだろう。彼女は眉を下げ、困ったように微笑んだ。そして、彼の問い掛けに答える。
ただの人間。それがどうやって、そんなことが出来るのか。
それが気になったのだろう。客は口角を上げ、興味津々に彼女へ問いかけた。
「……さぁ、どうやってでしょうね」
「くっくっくっ、お前さん面白いな」
どうやって?
そんな質問に答える筋合いは彼女にはない。
ただ聞こえてくるから。
それが答えなのだろうが、そんな簡単な答えをくれてやるつもりはないらしい。
彼女は意味深長に微笑んでは答えをはぐらかした。
まさかはぐらかされると思ってなかったのだろう。きょとんとした顔をしては喉を鳴らし、笑みを浮かべて彼は褒め言葉を紡ぐ。
(そんなこと生まれてこの多々、言われたことないんだけど……)
彼女が生まれて二十数年。
言われたことのない言葉にどう受け取ればいいのか、分からないらしい。今度は彼女がキョトンとする番だった。
彼女は何と言葉を返そうか、考え込む。
「なあ、ワシの組に入らねぇか」
「……まるでヤクザのような言い方ですね」
「ああ、妖怪任侠のもんじゃからな」
彼はニッと口角を上げ、彼女を勧誘する。それはまるで背に入れ墨を入れたような組織への誘い文句だ。
彼女は表情を変えることなく、客の誘いに例え話をするように言葉を紡ぐ。しかし、彼女の冗談ぽく紡いだ言葉は真実。そう言わんばかりに通常ならば、聞き慣れない言葉を客が口にする。
「それはそれはまた、大物がつれましたこと」
「物怖じしないお前さんに惚れた!お前さんが欲しい」
妖怪の世界でも任侠なんてあるんだ。
それが彼女が一番に思った感想だ。しかし、それは口に出すことはない。彼女は冷静に静かに次に抱いた感想を口にした。
客はまたクックっと、喉を鳴らして笑う。彼女の対応が珍しいのか。気に入ったとばかりに言葉を紡ぐ。いや、これは口説いているに近い。
「………」
彼の口説きに彼女は目を見開いた。
ああ、そういう事だったのか。
彼女は幼い頃に渡された簪を思い出して、合点がいったとばかりにそう思った。
「何がおかしんじゃ」
「ふふっ……いいえ、何でもありません」
「そうは見えんが?」
彼女はあの時渡された簪の意味を知り、自然に笑みを零していたらしい。
目の前の女性が何故、笑みを浮かべているのか?
それが分からないのだろう。客はムッとした顔をして彼女へ問い掛けた。彼女は目を細め、笑い声を零す。しかし、彼の問いかけには答えず、はぐらかした。
何度もはぐらかされていることが気に入らないのか。客は眉間に皺を寄せ、首を傾げる。
「そうですね……長年、抱いていた疑問が晴れたから、とでも言いましょうか」
「は?」
彼が拗ねている。それが分かったのだろう。
客に不快な気持ちをさせるつもりは毛頭ないらしい。彼女は目を閉じ、言葉を紡ぐがそれはなんとも曖昧な回答だ。
それで理解出来るものがいるとしたら、恐らく彼女と同種の人か、サトリという妖だけだろう。
客はその言葉にただ素っ頓狂な声を出すしか出来なかった。
「…お誘いは断らせてもらいます」
「ワシは天かを取る男じゃぞ?」
彼女はさらりと色男の口説きに断りの言葉を口にする。それはもう、息を吐くように自然に。
彼は自分の顔に自信があるのか。それとも、自分自身に自信があるのか。恐らく、後者だろう。
そんな男を袖に振っていいのか?
彼はそう言っていると捉えられる言葉を紡いだ。
「私はこの店のものですから」
「……だったら、奪ってやる」
彼女は芯のある声音ではっきりと言葉を発する。
だから、誰のものになるつもりもない。
そうとも捉えられる言葉だ。その挑発的な言葉に客はニヤリと口角を上げ、ボソッと言葉を零す。彼は店主へと近寄り、彼女の後頭部に手を回して唇を奪った。
「っん!?」
「……次来る時はアンタを搔っ攫うから覚悟しておけ」
まさか、そんなことをされるとは思いもしなかったのだろう。彼女は目がこぼれ落ちるんじゃないかと言うほど、目を見開いて驚きの声を上げる。しかし、それは唇を塞がれていたことによって呑み込まれてしまった。
どのくらい時間が経ったのか。それは数秒の出来事だったかもしれない。しかし、彼女には長いことそうされていた感覚になっていた。
やっと唇が離されると彼は悪戯笑顔を浮かべて、言葉を紡ぐ。それは誘拐の宣言とも取れる言葉。
彼女は恐らく、初めての経験だったのだろう。顔を真っ赤にさせて、黙り込んだ。
どうやら、客は一度狙った獲物は逃すつもりは無いらしい。彼はふっと笑って、踵を返すと出口へと向かった。
「……待った」
「何じゃ、気が変わったか?」
彼女はハッと我に返り、このまま帰ろうとする客に低い声で引き止める。
逃がしゃしない。
そんな意味も込められているような声音だ。
しかし、客はそんな意味が込められていると思いもしなかったのだろう。振り返るとどこか嬉しそうに問いかける。
ついて行く。
その言葉を期待しながら。
「対価を渡さない限り、帰さないわよ」
「……は?」
彼女は冷めた目を彼に向け、先程までとの態度をガラリと変えて言葉を発した。
上から目線の言葉。
思っていたものと違ったのだろう。客はぽかんとして、言葉を零す。色男と言ってもその表情をすれば、まぬけとしか言いようがない。
「言ったでしょう?私は店のものだって……唇の対価、渡してもらうわよ」
「………お前さん、口調が変わりすぎじゃ…」
店主は腕を組んで、言葉を紡ぎ続ける。
その意味は本当に店のモノと同じく、店のものであることを主張していた。
そんなことより、礼儀正しく品行方正と思われる仕草、言葉使いから、態度を変えた彼女についていけないらしい。彼は頬を引き攣りながら、力なく言葉を口にした。
「客だと思ってたら、強引に奪われたのだもの。いわば、窃盗。最早、客とは言い難いわよね」
「とんだ皮を被った女じゃ」
店主は泥棒を見るかのように冷ややかな視線を向け、トゲのある言葉を客であった男に向けて吐く。それは彼にグサグサと刺さっているのか。妖は眉根を寄せ、困った表情を浮かべるとため息を零した。
「……貴方の持っているそれ、頂くわ」
「酒か?」
何とでもいえば?
店主はそう言いたげな視線を妖に向けはするが、言葉にすることはない。彼女は彼の顔から視線を腰にあるモノへを移し、それを指差した。
彼女が指差したもの。それは陶器に入った上等品に見えるお酒だった。まさか、そんなものを所望されるとは思ってもいなかったのだろう。妖はきょとんとした表情を浮べる。
「ええ、とりあえずそれで手を打ちましょう」
「……なかなか手ごわいのぉ」
彼女はこくりと頷き、言葉を紡ぐが、どこか違和感がある言い回しだ。彼は頭をガシガシと乱暴に掻いては大人しく、腰に掛かった陶器に入った酒を彼女へと差し出した。
「…今度は貴方にとって、大事なものが見つかるといいわね」
彼はしぶしぶと差し出すが、思い通りにならなくて面白くはないのだろう。それが前面に出ているのか、彼女はくすくすと笑みを零し、酒を両手で受け取る。そして、やはり意味深長な言葉を投げかけだ。
「次来たとしてもお前さん以外欲しいとは思わんじゃろうがな……って、………は?」
彼は酒を渡すと彼女に背を向け、店の出口へと向かう。投げかけられた言葉を背で受け取ると妖はハッと笑った。彼は諦め悪く彼女に言葉を投げ返しながら、店の敷居を跨ぐ。不敵な笑みを店主へと見せようと振り返ったが、それは見せることなく終わった。
彼は目の前にある現状に頭が付いていけていないらしい。頬を引き攣らせ、ピタリと固まった。
「店が、ない……」
彼がそうなるのも無理もない。先ほどまであつたはずの古びた店が忽然と姿を消していたのだから。
彼はただ呆然と何も無い土地を見て、ぽつりと言葉を零すことしか出来なかった。
「お父さんはこれが分かって煙管を渡したのかしら…んー……分かってたような、ないような……」
店から出て行った妖を見送った店主は酒を抱きかかえて、店の奥へと歩きながら言葉を紡ぐ。それは幼い頃にあの妖に貰った簪に対して、彼女の父親が対価を渡していたことに、だ。
簪を男が女に贈る。
それには二つの意味が込められている。
一つはお前を護る。
もう一つは一生を添え遂げて欲しい。
熱烈な求婚が込められているのだ。
前店主はあの客が未来で娘に会い、求婚するために簪を差し出したと気付いて、対価を無理やり渡したのか。それとも、ただ客として訪れた人へ対価を渡さないことが嫌だったから渡しただけなのか。今となっては聞くことも出来ない。真相は謎のままだ。
「ねぇ、あなた……あの人の名前、教えてくれる?」
店主は抱えている陶器の酒に声をかける。もちろん、陶器も命を持っているから、彼女と意思疎通が出来る。
陶器は会話が出来ることが嬉しいのだろう。嬉しそうに彼女の問いに答えた。
「へぇ、ぬらりひょん……ね」
その名を聞いた彼女は自然とオウム返しをするように
いつか、天下を獲る男。関東任侠妖怪総元締めの極楽一家。奴良組、ぬらりひょんの名を。
「さて、次に会う時はなんて言うのかしら」
辿り着いた先は、酒置き場。洋酒から日本酒。様々なものが置かれている。彼女は持っていた陶器の酒をコトっと置いた。
次、ぬらりひょんが来た時にどんな反応をするのか。それを考えると楽しくなったのだろう。ふふっと笑っては言葉を紡ぐ。
まあ、彼が次に会うのは幼い頃の私だけれど。
そんな言葉を零しては酒置き場から退出したのだった。
ぬらりひょんが次にこの店を訪れるのは彼女にとって、店にとって、過去になる。
「この対価は大きいのだから……覚悟なさい」
不敵な笑みを浮かべ、自身の唇に触れながら言葉をこぼした。彼からまた何かを貰うつもりらしい。
酒では足りないほどの対価のようだ。まあ、ファーストキスを了承なく奪われたのだから、無理もないかもしれない。
大人になった店主にぬらりひょんが再会するのはいつの日か――
それは誰にも分からない。