黄昏時の客人




 私の遊び相手は父の店に訪れたモノたちだった。
 前の持ち主がどんな人だったとか、体験したこととか、かれらが見てきたことを教えてくれた。それは私にとってはキラキラした御伽噺に思えて、子供心を擽らせたものだ。

 人や妖、モノの聲が聞こえることを家族の中で唯一恐れなかった父はそんな私をいつも暖かく見守ってくれていた。
 お前はものを友達のように扱うなぁ。
 そう言って笑みを向けて、頭を撫でてくれた。
 あの時間は今思い出しても愛しい時間だった。

 この店は次元を越えるということをあの頃の私は知らなかった。
 これは私がまだ幼く、店を引き継ぐうんと前。懐かしい記憶の夢を見た。
 私は聲が聞こえることが当たり前だと思っていた頃――


◇◇◇


 店の窓からは赤とオレンジと紺色のグラデーションがかった色の空が見える。もう夕刻となっていたらしい。
 紅の髪に花緑青はなろくしょうの瞳を持つ幼い少女はじっと窓からは見える空を眺めていた。


「ねぇ、お父さん」
「ん?なんだい?」


 窓から視線を逸らし、くるっと後ろを向くと彼女と同じ髪の色と瞳の色を持つ男性に声をかけた。どうやら、二人は親子のようだ。
 男性は優しげに笑みを浮かべ、柔らかく落ち着く声音で少女に問いかける。


「そろそろ、お外暗くなるからお店閉める?」
「ふふ、そうだね。そろそろ閉めようか」


 少女は首をかしげ、父親に問いかけた。空が暗くなれば店を閉める。日々、過ごしていてそれが当たり前だと理解したからなのだろう。
 幼い娘がこてんと首を傾げる姿が愛らしく見えるのか、店主である男性は笑みを零し、コクリと頷いた。
 その言葉に幼い少女はぱあっと明るい表情を見せる。嬉しそうに父親の足にひしっとしがみついた。父親はそんな娘を愛らしいと思ったのか、こらこらと言いながらも柔らかい笑みを浮かべる。


「よぉ、店主」
「おやぁ…いらっしゃいませ」
(あやかし、さん…?)


 そんな父子のやり取りを遮るガラッという音が響いた。音に導かれ、店の入口へと顔を向けるとそこには男性が立っている。それはまたなんとも言えない色香を漂わせており、着流しが似合う男前だ。瞳の色は金色で、髪もまた薄い黄色を混ぜたような綺麗な色。そして、なぜか髪の先端を結んでおり、長いその髪は宙に浮いていた。
 その男性は見知った人物に話しかけるように言葉を紡ぎ、店の中へと入ってくる。店主はのんきに感心した声を出し、客を出迎えた。幼い少女は人とは違う空気を放つ客人をまじまじと見つめる。


「……ん?」
「どうかしましたか?」


 客はキョロキョロとあたりを見渡した。しかし、探している"なにか"が見当たらないのだろう。眉根を寄せ、首を傾げる。
 困ったような表情を浮かべる客に店主である男性は優しく問いかけた。それに対して、客は口を開くが言葉を発することはなく、口を閉じる。


(あの女がいない…なんでじゃ?)
「…店主はお父さんだよ?」
「っ!!」


 店に入った瞬間、店主と呼んだ客が心の中で女の人を探している。生きるモノの聲が聞こえる少女はこの矛盾点が気になったようだ。
 顎に手を添え、考え込むの客の姿に少女は首を傾げ、思ったことをそのまま言葉にしていた。まさか、考えていたことへの答えを返されると思ってなかったのだろう。客は目を見開いて、幼い少女に目を向ける。


「こら、勝手に人の心を読むのはやめなさい」
「あ、……ごめんなさい」


 店主は娘が唐突に言葉にしたことに驚いたような表情を浮かべ、少女を諌める言葉を告げた。何も事情も知らないものが聞いたら、畏怖するか不気味だと感じるだろう。生きとし生けるものは何故か、自分の知らないものを勝手に恐れるものだ。少女のためを思って言った言葉。
 それを分かっているのだろう。やってしまった。少女はそういう表情を浮かべ、眉を下げて謝罪の言葉を口にする。


「その子供は?」
「すみません。私の娘です」


 まじまじと見つめる客はやっと口を開いたと思えば、店主へと問いかけた。
 店主はぺこっと頭を下げると娘の背中に手を添え、紹介するように客に見せる。


「……へぇ、娘か」
「わたしが怖くないの?」
「はっはっ…!お前さんなんて怖くないぞ!なんたって、ワシは天下をとる男じゃからな!」


 納得したのか。客は顎に手を添え、じっと少女を見続けた。
 普通の娘であるならば、恥じらったり、人見知りを発動させたりするだろう。しかし、この少女にそのような素振りは全くない。むしろ、興味津々とばかりに身を乗り出し、問いかけた。
 心の聲を聞ける。
 それを知ると恐れられ、怖がられ、軽蔑の目を向ける。そういうものと出会うことが多かった少女にとってそれは珍しいことだったからだ。
 客はキョトンとした表情を浮かべるとすぐさま、豪快に笑いとばす。そして、彼女の問いをバッサリと肯定した。


「……あなたは妖さん?」
「っ!……お前さん、よく分かったのぉ」


 怖くない。
 その言葉をいうものは二つだけ。妖か、ものだ。
 だからだろう。少女は裏表のない笑みを浮かべる客をじっと見上げ、それについて問いかける。
 客は幼い少女に人も妖も見分けがつくとは思っていなかったようだ。人の形をしていれば、妖も人と見分けがつかないものだからだろう。だからこそ、客は驚いたような表情を浮かべる。


「……妖さんと人間、モノの聲はみんな違うから分かるよ」
「お前さんも聲が聞こえるんじゃな」


 客が不思議に思ってることを聞き取っているのか。少女は曇りなき目を彼へ向け、言葉を返した。
 客は眉を下げ、どこか悲しそうな寂しそうな表情を浮かべてぽつりと零す。


「………も?」
「なるほどなぁ…そういう事かい」


 彼が落とした言葉の意図を理解出来なかったのだろう。少女は困ったように眉根をよせ、首を傾げた。
 一人勝手に納得する客はぽんぽんと無断で少女の頭を撫でる。


「??」
「あれが…これ、かぁ………はぁ、わしはいつまで待てばいいんじゃ……」


 心の聲も言葉にされてる声もやっぱり意味がわからない。
 少女はそんな表情を浮かべ、頭の上には疑問符を沢山浮かべている。撫でられることに抵抗しない彼女はわしゃわしゃと、撫で続けられて髪がボサボサになっていた。
 ぽつりぽつりと言葉を零し、勝手に解決に向かっている客だったが、答えが出たところで深い深いため息をつく。そして、途方に暮れた表情を浮かべた。


(声も聲も、言ってる意味が分からない…)
「仕方ないのぉ…ほい、これをやる」


 少女は勝手に悩んで納得している客に納得いかないのか。眉間に皺を寄せ、心の中でぼやく。
 撫でる手をやめると、はあ…とため息をつくと懐から簪を取り出した。


「え、何で?」
「大事にしておくんじゃぞ」


 目の前に差し出された簪。飾りには白い蝶々が付いていた。突然差し出されたものだから、少女は目を見開いて驚く。彼女の反応は無理もない。会って間もないのにも関わらず、贈り物をされる所以がないのだから。
 しかし、客は手を引っこめることはせず、少女の手のひらにそれを置いた。キョトンとした少女の顔を満足そうにニッと口角を上げ、言葉を投げかける。


「……お客さん、それでは申し訳ありませんのでこちらの品をお渡しします」
「ん?ああ…別に構わ……」
「いいえ、お気持ちですから」


 娘と客の会話を見守っていた店主だが、ここにきて会話に介入し始めた。客だと思っていた人物が自分の娘に贈り物を渡しているのだから、当然といえば当然だ。
 客は片眉を下げ、断る素振りを見せる。しかし、グイッと顔を客に近づける店主は客に有無を言わさぬ圧で客の手にお返しのモノを手渡していた。


「仕方ないのぉ。有難く受け取っておく」
「………」
「また来る」


 彼の手にものは煙管キセル。黒色で漆を塗ってあることがわかる代物だ。受け取ってしまったからだろう。客は困ったような表情を浮かべては煙管を握り、承諾する。
 少女は簪を手にし、客は煙管を手にした。そのことに気が付いた少女は目をぱちくりとさせる。
 客はそんな少女の頭をまたぽんぽんと撫でては少女に言い聞かせるように言葉を零した。そして、彼はくるっと踵を返し、店の出口へと足を運ぶ。
 店から出ていった彼の姿はもう見えることはなかった。


「お父さん…あのひとまた来るって」
「そうだね」


 見送ったぬらりくらりといた客人の姿が見えなくなると少女は父親を見上げ、言葉をかける。
 少女は何が何だかわかっていないのだろう。表情からそれが読み取れる。しかし、父親もまた然り。
 客人が何故、自分の娘に簪を渡したのか。わかっていないのだろう。
 店主は困ったように眉を下げ、少女に言葉を返した。


「いつ来るのかな?」
「どうだろうな……10年後かもしれないし、明日かもしれないな」
「??」


 少女は父親の手をぎゅっと握ると遠くを見つめるように客が出ていった店の外を見つめ、問いかける。
 店主は苦笑しながら、少女と同じ視線になるようにしゃがみ込んだ。そして、これまた意味深な言葉を紡ぐ。
 父親の言っている意味が分からないらしい。少女は眉を下げ、首を傾げた。それはまたもや疑問符を沢山浮べるほどに。


「来ようと思っても、この店には来られないんだ」
「そうなの?」


 まだ六歳程の少女には難しい話だ。
 父親はそう思っているのだろう。今の彼女にわかる言葉を使い、ぼやかしつつも説明する。
 少女はきょとんとした顔をしてさらに問いかけた。


「時が来れば、訪れるんだ」
「へー……」


 父親はこくりと頷き、言葉を紡ぐ。少女はそれの意味を理解しているか否かで言えば、後者だろう。それでも、父親の言葉を疑うことはなく、そういうものだ。その程度には理解したかのように言葉を零す。


(……今度会うのはいつかな)


 少し、怖そうで色っぽいお客人。少女はその人の言葉を心の中で反芻させては受け取った簪をぎゅっと握りしめていたのだった。



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