一話




 ――西暦二二〇五年

 過去へ干渉し歴史改変を目論む〈歴史修正主義者〉という犯罪者たちが現れる。彼らは〈時間遡行軍〉を編成し、我が国の歴史を修正しようと時間遡行を繰り返しながら攻撃を開始した。

 時の政府は時間遡行軍を追伐するための対抗策を考え付く。それは特殊な力を持って生まれた〈審神者〉に選ばれた人間と刀剣から目覚めた付喪神〈刀剣男士〉が力を合わせ、歴史を守らせることだ。この対抗策で何百年と抗争を繰り返し、歴史を守り続けて来た。

 そして、西暦二五七五年――
その戦いに終止符が打たれる。歴史修正主義者を打ち倒し、時の政府が勝利したからだ。


 とある大学。どこにでもある教室の一室。そこで教授は教壇に立っていた。彼は本を片手にこの国にあった歴史を語る。真剣に授業を聞く生徒もいれば、眠っている生徒もいた。


「ふわぁ……」


 そんな中、大きな口を開けて欠伸をする女性の姿。エチケットは守っているようで口元を手で隠しているようだ。彼女は口元から手を離すと机に肘を付く。目を細めながら教授の話を聞いているがやる気を感じさせない。


(まさか歴史の本になるとは思わなかったんだけどなぁ…)


 そんな事を思いながら授業を受けている生徒がいると知らない教授は更に詳しく説明する言葉を紡いでいく。しかし、彼女の耳には入っていないようだ。思い耽る彼女は書き留めただろう文字の書かれたノートを呆然と見つめた。


(…審神者だった前世の記憶持って生まれるとは思わなかった)


 彼女はノートの端にくるくると丸を書く。自分の世界に入り込むと自嘲するように口角を上げた。どうやら彼女は前世というモノを持ち合わせてこの世に生まれたようだ。そして、教授が話している審神者というモノを前世でやって来たらしい。


(……あの時は学校から本丸に帰る途中で事故って死んじゃったんだけど…)


 彼女は前回唐突に終わってしまった自身の生のことを思い出す。どんな感情を持っているのかは傍目では分かるはずもなく。ただ、くるくると丸を書き続けいた。


(…………約束、守れなかったな)


 彼女はくるくると丸を書き続けていた手をピタリと止める。悲しそうな顔をしては前世の心残りとでも言うのか。とある人物のことを思い出して心の声を胸に響かせた。 


(私が死んだ後、私の本丸がどうなったのか知りたくてこの授業を専攻したんだけど…結局、歴史修正主義者を倒して、組織壊滅すると…時の政府によって彼らは…………)


 彼女は止めていた手を再び動かす。くるくるからぐるぐる丸を書く音が変わる。手に力が入っている証拠だ。彼女は時の政府が下した命令に怒りを顕にする。


――ねぇ、主


 ゆるやかなツリ目に赤い瞳。襟足の一部のみを伸ばして胸元で結わえている男性の姿が彼女の脳裏に浮かぶ。そして、もう聞くことのない。あの柔らかく優しい声音が彼女の中でこだまする。


(…ごめんね、きっと…君も刀解されちゃったん、だよね……)


 彼女にはその姿と声を今でも思い出せるのだろう。ふと思い出すと悲しそうに眉を下げ心の中で謝罪を零した。

 歴史修正主義者を打ち倒し、組織を壊滅させた後。
 時の政府が下した命令は審神者と刀剣男士にとって残酷なものだった。審神者は審神者になる前と同じ生活を過ごすこと。そして、刀剣男士は刀に戻ることも出来ずに刀解されることだった。
 彼女は組織を壊滅する前に不慮の交通事故にあって亡くなった為、知る由もないことだった。しかし、歳を重ねるごとに知を得て知った事実に絶望したのだろう。


(ごめんね…君は私を守ってくれたのに……何も言わず君の目の前から去って……勝手に死んで…)


 彼女はもう一度心の中で謝る。命を懸けて審神者である彼女を守り、傍にいてくれた刀剣男士に。彼女は俯き、前世のことを後悔しながら自分を責めるように心の中に言葉を刻んだ。


――この戦いが終わっても


 彼女の脳裏にいる男性は色鮮やかに残っているようだ。彼は柔らかい表情を彼女に向けて言葉を紡ぐ。またあの声が彼女の中で語りかけるように響いた。


(君に残してあげられることは何も無くて…どんな思いでいたんだろう……) 


彼女は胸を締め付けられるような感覚に目をぎゅっと閉じる。苦しいのか、胸に手を当てていた。彼女は感情を我慢するように唇を噛み締める。


――主の傍に俺を置いてよね


 彼女の脳裏に浮かぶ男性は目を細めていた。そして、軽い口調で言葉を紡ぐ。それは何処か本心を誤魔化して彼女へお願いしているようだ。


(嗚呼、この記憶があるのはきっと君との約束を守れなかった私へ神様が与えた罰かな…)


彼女は机に顔を伏せて頭に手を添える。それは何かに耐えているようにも見えたが、伏せている彼女は悲しみと罪悪感に塗れたような複雑な表情をしていた。


「…………」
「ちょっと…弥生!」
「……へ?」


 彼女は授業を完全放置して自身の世界に入り込んでいる。そして、自身の心と戦っていた。そんな彼女の肩を揺らし、彼女を、弥生を呼ぶ声がする。その声と肩に触れる体温に彼女は我に返ると素っ頓狂な声を上げた。


「何ぼーっとしてるのよ…もう授業終わったわよ?」


 彼女の肩を揺らした人物はどうやら彼女の友人らしい。友人は眉を下げて彼女に声をかける。どうやら心配しているようだ。


「あはは…ごめんごめん」


弥生はやらかしたとばかりに笑いながら友人へ謝罪の言葉をかけると席を立つ。


「あんたたまーに何処かにぶっ飛んでるよね」


 友人は少しほっとしたように肩の力を抜いた。そして、表現が斜め上を行く言葉を紡ぐ。


「言い方……」


 彼女は友人のその言葉に呆れた顔をした。そして、肩の力を抜いてツッコミを入れつつ、歩き出す。そんな二人にも届くような大きな声…というよりも、女性達が騒いでいる声が聞こえた。


「な、何?奇声…?」
「ああ、加州君ね」
「へ?」


 弥生は困惑した表情を浮かべる。突然女性特有の甲高い声が聞こえれば無理もないだろう。彼女は隣にいる友人に問い掛けた。彼女は騒いでいる原因が容易に分かったようだ。その原因の中心人物の名を口にする。
 友人の口から出た人物の名前に弥生は思わず目を見開くと間の抜けた声を発する。どうやら歩いていた足を止めてしまうほど驚いたようだ。


「編入してきたイケメンよ」
「へぇ…うちに編入とか変わってるね」


 友人はなんて事なさそうに彼女に簡潔に説明する。弥生は平静を装いながら編入してきたという噂の人物の感想を述べた。 


(ていうか、名前…タイミング悪い)


 しかし、彼女平静は表面上だけのようだ。編入生の名前に脈を早める。体中の血流が早く流れているのを感じていた。彼女はその昔聞き慣れていた名前にバツの悪そうな顔をしながら心の中で毒を吐く。


「本当よね…それにね、面白いことに刀と同姓同名なのよ」
「刀とって……はあ?」


 友人は笑って彼女の言葉に同意を示した。そして。面白そうにゲットしたのだろう編入生の情報を弥生に伝えた。彼女は友人の言葉に眉を八の字にする。疑惑の目を向けて首を傾げた。このご時世無くはなさそうな名前。
 しかし、よりによってそんな同姓同名があるのかと思ったのだろう。彼女は信じられないと素直に顔に書いてあった。


「だから、習ったでしょ?刀剣男士」
「いや、そうだけど…加州って、加州清光?」


 彼女の反応が予想外だったのだろう。友人は不思議そうに首を傾げて更に言葉を紡ぐ。後にも先にも加州を名乗る刀剣男士の名前は一振りしかない。しかし、信じられないのか弥生は困惑したような顔をしながら彼女に問い掛けた。


「らしいわよ!凄いよね〜」
「………」


 友人は面白そうに笑っては彼女の問いに肯定すると呑気な感想を述べる。そんな彼女とは真逆の反応を示す弥生
は顎に手を添えて考え込むように前も見ずにスタスタと歩き始めた。


(落ち着け、私…名前がそうだとしてもあの姿とは限らないし、…それにもしあの清光と同じ姿だったとしても記憶ないだろうし…違う清光かもしれない……でも、もし…)
「ちょっ、弥生!危な!!」


 彼女は先ほどよりも更にバクバクと心臓を早める。まるで自身に言い聞かせるようだ。相当動揺していることが伺える。
 そのためか、自分の世界にまた入り込んでいる弥生には周りが全く見えていない。彼女の後ろにいた友人は彼女の名前を呼び、制止する言葉を放つが彼女の耳には全く入っていなかった。


「「っ!」」



 周りを見れていない弥生は目の前に誰がいるかなんて分かるはずもない。衝突は当然のことだ。彼女はその事実を事後に知る。そして、ぶつかってしまった相手もよそ見をしていたのだろう。彼女と同じような反応を示した。


「ああ、ごめ…」


 弥生がぶつかった相手はハッとしては申し訳なさそうに謝罪の言葉を紡ぎかける。しかし、それは最後まで言葉にされることはなかった。彼女の存在に驚くように見開いてじっと見つめる。


「……いいえ、こちら…こそ…」


 どうやら思いのほか衝撃があったのだろう。弥生はぶつかってしまった頭を押さえた。彼女もまた謝罪を返そうとして相手の顔を見る。しかし、彼女も彼同様に紡ぎかけた言葉を最後まで口にすることは無かった。
 ゆるやかなツリ目に赤い瞳。口元左下にはほくろ。髪は黒髪で襟足の一部のみを伸ばして胸元で結わえている。彼女の前世…審神者だった頃に選んだ一振…初期刀だった加州清光そのものが彼女の目の前にたっていたからだ。


(……もし、私の知ってる清光だったら、…私はどうしたらいいの…?)


 彼女から視線を逸らさない青年は何処か複雑そうな表情を浮かべる。彼は揺れる瞳で彼女を見つめた。彼女もまた今にも泣きだしそうな顔をして揺れる瞳で彼を見つめ続けたのだった。



ALICE+