二話




「「………」」


 青年と弥生は声を発することなくお互いをじっと見つめ合う。それはまるで時が止まったかのように、だ。


「あっ、えっと……ごめんなさい。前見てなくて…」
「……ああ、こちらこそごめんね。大丈夫?」


 弥生は我に返ると彼から視線を逸らし、戸惑いながらも謝罪の言葉を口にした。青年も彼女の紡ぎ出す声にハッとして謝罪の言葉を返す。彼は彼女の身を心配するように問い掛けて首を傾げた。


「っ、……私は大丈夫。それじゃ……!」


 青年の声が懐かしい声に聞こえるのか。それとも問い掛けるその様が懐かしいのか。彼女は息を飲む。弥生は下を向いて表情を見せないように言葉を返した。
 さっさとその場を離れようと思ったのだろう。ふいっと彼から顔を逸らし、その場を去ろうとするとパシッと手首を掴まれた。


「…ねぇ、名前教えてよ」
「………」


 彼女は突然掴まれた手首に肩を揺らす。青年は口角を上げながら彼女の名前を聞き出そうとした。聞かれたその言葉に彼女は目を大きく開けて揺れる瞳でそっと彼を見上げる。

 
――主、いつになったら名前教えてくれるのー?


 遠い昔に不貞腐れされて真名を聞いてきた愛しい刀を思い出したのだろう。彼女は目を瞠った。


「…清水弥生、です」


 彼女は目を逸らさすことはない。いや、目を逸らすことが出来なかった。彼女は唇を震わせては自身の名前を自然に名乗ってしまう。


「俺は加州清光。歴史に残る刀剣男士と同じ名前ってね」
「…凄い、ね…」


 青年は名前を聞けたことをどこか嬉しそうだ。にっこり微笑んで彼もまた名乗る。刀剣男士と同姓同名の加州清光の名を。彼女は目だけ彼から逸らし、当たり障りのない言葉を返すのが精一杯だった。


「持ってる教科書見る辺り、専攻は同じっぽいね」
「え…」


 清光はそんな彼女を見て少し眉下げる。それはどこか彼女の反応を分かっていたようにも見えた。彼は彼女の持っている教材に目を付け、ふっと微笑みながら更に声をかける。その言葉に彼女は彼に視線を戻した。


「俺、編入してきたばっかでさ。色々教えてよ」
「……ほ、他にも専攻の子はいるから…他を当たって欲しいんだけど」


 彼は彼女へ積極的に言葉をかける。それは彼女と繋がりを欲しているようにも見る。彼女は視線を泳がせながら断り文句を口にした。


「弥生がいいんだけど」
「っ!」


 しかし、清光は断られても強気で押し通す気のようだ。ぐいっと顔を近づける。彼女は彼の言葉に目を見開いて息を飲んだ。


「ぶつかったのも何かの縁じゃん。いいでしょー?」
「………わか、った」


 彼は目を細めて微笑みながらもう一度彼女に問い掛ける。彼女は少し困った顔をしたが、彼に押される形で承諾してしまった。


「やった!よろしくね、弥生」
「うん……わ、私…次の授業あるからまたね」
「あ、ちょ…!弥生!!」


 彼は彼女の言葉に人懐っこい笑顔を見せて言葉を返す。彼女は自分が承諾してしまったことに動揺しているのか。また目を泳がせながら言葉を紡ぎ、その場を後にした。様子を少し離れた所から見ていた友人は突然走り出す弥生に驚いてその後を追う。


(………困った時の癖、生まれ変わっても変わらないんだね)


 清光は去る彼女の後ろ姿を見ては眉を八の字にして苦笑した。彼女が見ていないにも関わらず、手を振る。どこか戸惑っている彼女の表情を懐かしむように。


――もー、教えちゃいけない決まりだって言ったじゃん!


 脳裏に浮かぶ彼女は眉を下げて呆れた表情を浮かべていた。まるで、聞き分けのない子供に何度も諭してきたかのような言い回し。それは彼が持つ遠い過去の記憶だ。彼はそれを思い出すとふっと笑う。


(主に…今は弥生、か…やっと会えた……きっと、俺のこと覚えてないだろうけど、それでもいい。俺はそばにいたいんだ)


彼は手を振っていた手を止めてゆっくり胸の位置まで手を下した。そして、自身の掌を見つめる。

その表情は嬉しさ半分、苦しさ半分。複雑な感情を抱えているのが分かった。彼は掌をぎゅっと強く握ったのだった。


◇◇◇


「ちょっとちょっと、弥生!いつの間に加州君と仲良くなったの!?」
「……初めて会ったよ、さっき」


 追いついた友人は弥生の肩を掴む。その勢いのまま問い詰めるように言葉を紡いだ。弥生は少し乱れた息を整えるように呼吸をしては友人の問いかけに答える。


「その割に彼、馴れ馴れしかったじゃない」
「そういう、人なんじゃない?」


 彼女はそうは見えなかったようだ。不思議そうな顔をしては追求するように言葉を紡ぐ。弥生はどこか疲れたような顔をして友人に対して言葉を返した。


「女子達はかっこいいけど近寄り難いって言ってたけど意外とああいう面もあるのね……って、顔色悪いわよ」
「ごめん、具合悪いから帰るね」


 友人は片眉を下げて考え込むように顎に人差し指を当てる。噂で聞いていた人物像と違う面を目にしたのだから無理もない。言葉を紡いでは視線を弥生に向けた。視線の先の弥生を見た友人は目を見開いて驚く。彼女の顔は青白い。決して、体調が良いものには見えなかったのだ。友人は慌てて彼女に声をかけた。
 突然現れた彼の存在に心と頭が付いていけてないのだろう。弥生は申し訳なさそうに友人に言葉を返すと持っていた教材をカバンの中に入れて帰る素振りを見せた。


「そうしな。ノートは取って上げるから」
「ありがとう。またね」
「気をつけて帰ってね」


 友人は心配そうな顔をして彼女を見つめる。そして、授業の心配はするなとばかりに言葉をかけると弥生は眉下げて微笑みながらお礼を言った。彼女はそのままは踵を返してキャンパスへの出口へ歩き出すと友人は彼女を労わる言葉をかける。


(……私の、清光だった…見間違えるはずない……どうして…刀解されたんだよね……何で人間に?)


 ゆっくり歩きながらキャンパスを出ていく彼女はぐるぐると考え込んでいた。刀剣男士が人間に転生した。そんな話は聞いたことがない。歴史上でも、刀剣男士は刀解されたと記述されているのだ。それなのにも関わらず、彼女の目の前に現れた彼女の刀剣男士だった加州清光が現れたのだ。分からないことだらけにただ混乱をする。


(………私は君にどう接したらいいのか教えてよ…)


 彼女は俯きながら誰かに助けを求めるように心の中で弱音を零す。誰かに縋りたくても前世の記憶なんて他人に話したところで解決しない。変な子というレッテルが張られるか。または冗談だと思われ、一笑いされて終わってしまう。だから、彼女は1人でこの思いを抱え込むしかなかった。彼女の気持ちとまるでリンクしているかのように空は今にも泣きそうな顔をしていたのだった。



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