太陽の日差しがジリジリと肌を刺す、秋とは名ばかりのあの日。
三葉は死んだ。
人から聞いた話だと、子供を庇って轢かれたらしい。目頭が熱くて視界がぼやける。
ああ、泣いてるんだ。
冷静な頭で理解はするけれど、感情はぐちゃぐちゃだ。何故だか分からないけど、ずっとずっと探してた人だった。
会いたくて会いたくて仕方ない人だった。
やっと会えた人。でも、彼女は俺を置いて逝ってしまった。
最期に見た彼女の顔はとても綺麗で。どこか満足そうに微笑んでいた。
彼女の時はここで止まった。
彼女と出会ってから輝き、色彩に溢れた世界。何気ない日常の風景でさえ、輝いて見えた。
でも、そんな世界は白黒の世界へと変わってしまった。
俺は未だに彼女の時が止まってから前に進めてない。
それでも、時というものは残酷で。あれから3年の月日が経っていた。
◇◇◇
「…………はあ?」
ピピピッという電子音が遠くから聞こえるのだろう。深いところにいた意識が浮上してきたようだ。重い瞼をゆっくりと上げる。
視界には見知らぬ天井が目いっぱいに広がっていた。寝ぼけた頭を稼働させるが、訳が分からないのだろう。眉根を寄せて怪訝そうな表情を浮かべた。
「はあ?昨日…三葉の三回忌に出て…それから…………ああ?」
気怠そうに体を起こして、顔に手を当てる。
どうしてこんな場所にいるのか。
それが見当つかないのだろう。彼は昨夜の行動を思い出そうとブツブツと言葉を零した。
しかし、起こした上半身。
いつもならあるはずのないものが体にある。胸部にある2つの山。大きくもなければ小さくもない。中くらいの山だ。寝ぼけていた目が、これ以上ないくらい見開かれる。そして、上擦った声が部屋を響かせた。
(夢………にしてはリアルだな……あれ…)
夢か現実か。
それを確かめるために、女性は胸部にある胸に両手を添える。こともあろうに胸を揉み始めたのだ。最初は夢だと思っていたのだろう。
しかし、それにしては手の感触が現実味を帯びていた。彼女は揉み続けている手をピタリと止める。
「前にも……こんなことがあった気がする……何でだ?」
デジャブ。
既に何処かで同じようなことがあったような気がしたのだろう。彼女は顎に手を当てて、考え込む。しかし、その答えは出ることはない。
「…………待て待て待て…何で、俺が女になってんだ!?」
既視感を思い出すよりも大事なことを思い出したのだろう。
彼女ではなく、彼らしい。
女の姿になってしまったようだ。ハッと我に返ると頭をくしゃくしゃと掻きながら叫び声を上げる。
そして、ベッドから降りると、部屋の隅にある姿見へと移動した。そこに映った姿は黒髪のミディアムヘア。こげ茶色の真ん丸な瞳を持った女性の姿だった。
「誰だよ………この女…」
姿見に映る女性の姿に見覚えがないのだろう。女性の姿をした立花瀧は肩の力を脱力させる。そして、姿見に寄り掛かってはずれ下がった。現実を受け止め切れないようだ。はぁと深いため息ひとつを零す。
下していた視線を上げると白いテーブルに置かれた手帳に目が付いた。彼はのそのそと近寄る。
「苗字…名前……」
まるで、自己紹介するように女性の名前が書かれていた。彼はその名前を口にする。名前の書かれた下には自身の長所や短所が書き込まれていた。
彼にとってはその記入された内容が懐かしいのだろう。頁をめくると企業の名前がずらりと書かれていた。そして、全ての企業に赤ペンでばつが付けられていた。
「……この体の持ち主は就活生みたいだな」
今年は就活生にとって氷河期。噂では聞いていたが、実際目にして実感したようだ。彼は眉根を寄せる。
「俺の身体はどーなってんだ…戻れるのか?」
彼は手帳から目を離し、窓から見える空を見上げた。昨日は土砂降りの雨が降っていたというのにそれが嘘のようだ。燦々と降り注ぐ太陽の日差し。瀧は途方に暮れた顔をしながら、ぽつりと言葉を零したのだった。
◇◇◇
「あ、れ……夢か…」
ゆっくりと重い瞼を上げるとそこにはシンプルな部屋の風景が広がっている。確実に自分の家じゃない。
まだちゃんと意識が浮上してないのだろう。迷うことなく夢だと決めつけた。そして、寝返りを打っては二度寝しようと意識を手放そうとする。
「…………んん?」
深く息を吐く。
体の力が抜けることを実感すると眠れそうだとばかりに口角を上げた。しかし、ここで違和感に気が付く。
低い声を出していたことに。
目をぱちっと開いて眉間に皺を寄せた。
「声が…風邪引いたかな……んんっ!?」
自身の喉に手を当ててはげんなりした表情を浮かべる。そして、更に違和感に気が付いた。咽仏が出てい強調されている。そのことに。自分の身体が異常をきたしていることを実感すると飛び上がった。
改めて部屋を見ると明らかに自分の家じゃない。そのことを実感すると彼は血の気が下がるのを感じた。バタバタと足音を立てて、部屋から玄関へと向かう。
向かう途中で、洗面台を見つける。男性は洗面台に取り付いている鏡をがばっと勢いよく見つめた。
「嘘…男の人になって…夢、だよね…あはは………夢じゃないっ!!」
そこに映された姿は成人している男性の姿。流石に受け止め切れないのだろう。頬を引き攣らせて、夢だと自分自身に言い聞かせた。
無理やり乾いた笑いを上げては頬をぎゅっと摘まむ。夢なら痛みなんてないはず。古典的なやり方ではあるが、彼は実践した。でも、痛みを伴っている頬。
それに目を見開いて驚き、声を上げた。どうやら、彼じゃなく彼女のようだ。男の姿になった自分に頬を引き攣らせている。
「ど、どどど!どうしよ!?」
非現実な出来事に受け止め切れないのだろう。彼女は頬に両手を添えて、鏡に映る姿を見ながら混乱する。
何で。どうして。
そんな疑問しか浮かばないけれど、それに対する答えをくれる者もいない。でも、問わずにはいられないのだろう。鏡を見ながら、自問していると眠っていた部屋から音楽が流れた。
ごくりと固唾を飲み込むと音楽が流れる部屋へと戻る。音楽が流れている原因はこの身体の持ち主のスマホからのようだ。
そこには発信者の名前が出ている。出ていいものか。
一瞬。戸惑った表情を浮かべるが、直感的に取らないとまずい。そんな感情になったのだろう。彼女は応答ボタンをスライドした。
「も、もしもし…」
『あ、立花か。お前…出社しないでどうした』
緊張からか、声が裏返る。電話に出ると相手の中年男性は何処となく心配そうな声音で問い掛けた。
「あ、の……えっと…」
(どうしたらいいんだろう…というか、この人…社会人なの!?)
どうした。そんなことを言われても、説明なんて出来る訳もない。混乱する頭でなんて言葉を返そうか。彼女は言葉に詰まらせる。そして、電話の相手から貰った情報に更に動揺を隠せなかった。
『……確か、昨日が恋人の三回忌…だったな』
「…………っ、」
言葉に詰まらせている様子に電話の相手ははあと息を吐く。そして、ボソッと言葉を零した。その言葉を聞き取ってしまった彼女は息を呑む。
『お前、有給余ってたな』
「あ、はい?」
息を呑む音が聞こえたのだろう。電話の相手はふぅと息を吐く。先程とは違う明るい声音で唐突な問いかけをした。彼女からすれば、この身体の持ち主が有給を余らせているかどうかなんて分かるはずもない。
それにも関わらず、肯定の言葉を口にしていた。まあ、実際には後ろに疑問符が付いていたのだが。それは電話の相手には疑問符は気に止まるものではなかっただったのだろう。
『働きすぎだ。俺が人事に怒られる』
「…は?」
更に続けて、説教じみた言葉を投げかけ続ける。どうやら、この身体の持ち主はろくに有給を消化していなかったようだ。しかし、彼女は唐突に言われた言葉の意図を理解できないのだろう。間抜けな声を発する。
『1週間、ちゃんと休めってことだ』
「……ありがとう、ございます…」
『じゃあな』
電話の相手は声を上げて笑った。意図を理解できていないことが丸わかりだったのだろう。分かり易く伝えた。その言葉に彼女は驚きながらも、お礼の言葉を口にする。その呆けた声音に思わず電話の相手はフッと笑みを零すとガチャッと電話が切れる音がした。
「何か聞いちゃいけないような話、聞いちゃった…」
身体の持ち主の中々重い事情に困った表情を浮かべる。見知らぬ男の事情を知ってしまったのだ。無理もない。
「私がこの男に人になってるってことは向こうは私になってるってことだよね!?…Fwitterなら、連絡とれるかも…!!」
彼女はハッと我に返るとあることに気が付いた。入れ替わっている可能性だ。彼女は電話を取ったことでロックされていた画面が解除されていることに目を付ける。そして、良く利用されているSNS「Fwitter」のアプリを探した。
「この人、やってる!」
スマホの中からアプリを見つけると明るい表情を浮かべ、アプリを開く。検索から彼女の使っているアカウントのIDを打ち込み、検索を掛けた。そこには彼女の使用しているアカウントが見つかる。すぐさま、フォローボタンを押す。そして、DMから自分のスマホの解除パスワードを教えるべく、四桁の数字を並べた。
「って、この人のスマホのパスかけてない…今の状況としては有難い……頼むからフォローに早く気が付いて…えーっと、立花さん!!」
スマホを両手で持ちながら、入れ替わっているであろう相手に話しかける様に言葉を紡いだ。そして、先程電話相手に呼ばれた名前をスマホに向かって叫ぶ。
「来た…!!」
数分せずにピロリンとスマホが鳴る。Fwitterからの通知。フォローを返されたこととDMの返信が来たことへのお知らせだ。彼女は思っていた以上に早く来た返事に目を見開く。
「えっと…貴方は、立花…さんですか?っと」
素早く彼女はDMへ返事を返す。自分のアカウントに返す返事が他人の名前の確認。その事実がおかしく感じたのだろう。困ったように笑いながら、DMの返事を待った。
〈ああ。アンタは苗字名前…で、合ってるよな〉
〈そうです!何で、入れ替わって…あ。すみません。多分、上司の方だと思うんですけど、電話が有って。有給余ってるから1週間休めって言われました〉
早いレスポンスに嬉々として、喜ぶ。自分の直感が合っていたことと自分の身体がどうなっているのか。という不安から解放されたのだろう。彼女はすぐさま、返信を返した。そして、申し訳なさそうな顔をしながら、今朝電話が有った事を告げる。
〈まあ、この状況だから助かったな。アンタは?就活生だろ。面接受けるんじゃないのか?〉
「何で知って…ああ、そういえば、面接全滅して八つ当たりでペケしたままふて寝したんだっけ……」
テンポの良いレスポンスに目を向けるとそこには何故か話してもない彼女の情報を手にしていることが伺えた。彼女は眉間に皺を寄せて、首を傾げる。しかし、昨日の晩に何をしていたか。それを思い出すと呆れたように遠い目をした。分かりやすく情報提供をしてたのは昨日の自分であることを。
◇ ◇ ◇
〈全然受からなくて、今日から一旦お休みしようと思ってたので大丈夫です!〉
「……大丈夫じゃないんだろうな」
瀧は届いたレスポンスに目を向けると元気いっぱいな文が書かれていた。この氷河期に挫折して疲れ果てているのが伺えたのだろう。彼は眉根を寄せてぼそっと言葉を零した。彼は当たり障りのない言葉を返す。
何の繋がりもなかった人物。何故か入れ替わって、縁を結んでしまった相手。根拠のない大丈夫の言葉に思わず、笑みを零す。しかし、その事に彼は気づくことはなかった。
〈状況把握するためにも明日、一度会いませんか?〉
「………」
〈ああ、そうしよう〉
話を切り替えて、今現状お互い抱えている問題を切り出す名前。その文面に確かにこのままじゃ、分からないことだらけだ。そう彼も思ったのだろう。嫌悪することなく彼は彼女の意見に賛成を見せた。そして、待合せ場所や時間帯がスムーズに決まっていく。
〈あ!あと、今日絶対お風呂入らないでくださいね!ていうか、体に変なことをしないように!〉
「……やべ、胸揉んだわ」
〈はいはい。お前もな〉
もう決めるべきことも話すべきこともない。そう思われていたが、彼女から唐突の注意事項を受ける。年頃の娘が気にする問題だ。無理もない。だがしかし、瀧は既に寝起きからやらかしてしまっていた。
まずい。
そんな表情をしては目を逸らす。けれど、レスポンスをいきなり返さないのもおかしな話だ。彼はそっけない返事を返し、名前とのやり取りを終わらせたのだった。