(……ここは?)
薄らと頬に当たる柔らかい日にピクっと眉を動かすとゆっくり目を開ける。藤花は自分の意識があった場所とは全く違う天井が目の前に広がっていることに不思議そうな顔をした。
そんな彼女の身体中は呪霊の攻撃でそれなりの傷を負っていたはずだが、それは全て癒えている。だからこそ、頬にあった傷も無くなっていた。
「………うっ、〜〜っっ!?」
「あ、起きた?」
ゆっくりと上体を起こしてみると激痛が走る。それに我慢できずに声が出たが、その声も何故か掠れていた。
その声で目を覚ましたことに気づいたのだろうを五条は立ち上がり、近寄ると声をかける。
「サト……、ここどこ」
「僕の家」
「………何で?」
数時間前に投げかけられた言葉にデジャブを感じつつも、疑問を投げかけるとサラリと答えは返ってきた。
しかし、なぜ彼の家に連れてこられなければいけないのか。理解ができないらしい。眉根を寄せて頭の上に疑問符を浮かばせながら、首を傾げた。
「えー…あんなところで朝迎えたい?」
「そういう訳じゃないけど」
五条はベッドに腰かけてとぼけたように聞くと彼女は何も言い返せない。
あの部屋で目覚めるのは朝からげんなりするのは事実だからだ。
「何回かヤったら、藤が気を失ったんだよ。だから、僕の家に運んだ」
「…………」
最初の質問に答える気になったらしい。ちゃんと答えているが、その中に藤花としては受け入れ難い真実があった。
確かに第2ラウンドに入ったのは覚えているがその後、更に行為を続けていたことをうっすらと思い出したのだろう。血の気の下がった顔をする。
「どうかした?」
「身体が痛い理由を思い出しただけ」
顔色悪い彼女に気がついた五条は不思議そうに首を捻るが、ここまで来ると文句は何も出てこないようだ。藤花は頭に手を添えながら、現実逃避しつつぽそっと呟く。
「二回目以降は気持ち良さそうに喘いでたから、僕も安心したよ」
「っ、いちいち言わないでいい!」
彼は本当に意地が悪い。だからこそわざとその時のことを丁寧に教えると彼女はぼっと顔に熱を集めて声を荒らげた。
「ははっ」
「っ!……それより、あの術はなんだったの?聞いたことないんだけど」
「あー、そうだったね。知らなくて当然だよ、禁術らしいし。条件としては君に負けない呪力を持っていること」
もう五条が出会った時の表情が薄く何もかも諦めたような少女はいない。感情を表に出す彼女に顔を綻ばせると藤花はその笑顔に胸を高鳴らせた。
だが、それを認める気がないのか。気がついていないのか。どちらか分からないが、ばっと顔を逸らすと話題を変える。
落ち着いた今だからこそ聞ける話なのだろう。問いかければ、彼はとんでもない爆弾を何でもないように語った。そして、その条件のひとつを指すように人差し指を立てる。
「……私、相当あるはずだけど」
「僕は六眼を持っていて無限下術式の使い手だったから可能性があるって言われた」
藤花はぱちぱちと何度か瞬きをした。自身と同等の呪力を持った人間がいるとは思えなかったらしい。なんせ天狐の血が覚醒していなかったとしても、血が濃い彼女は呪力無尽蔵だ。
それに
「……」
「で、上手くいったわけだ。よかったね」
辻褄が合っているからこそ、返す言葉が見つからないようだ。ぽかんと口を開けて五条を見上げると彼はふっと笑って頭を撫でる。
「……」
「浮かない顔だね」
頭にある手のあたたかさに全てが上手く納まったことを実感したとしたならば、嬉しそうな顔をすれば良いのだ。だが、彼女は眉を八の字にさせて俯く。
それは嬉しそうな顔とは別のものだったからだろう。彼は不思議そうに顔を覗き込んだ。
「巻き込むとは言ったけど、たぶんこれからも巻き込んじゃうから……」
「どういうこと?」
顔を近づけられるとは思っていなかったらしい。ビクッと反応をし、申し訳なさそうに呟くが、その意味が分からない五条は眉をひそめた。
「今回みたいに私に死んで欲しい人は沢山いて、その中には私の封印を解きたい人間もいる……だから、サトも狙われることになるかもしれない……」
「ああ、それなら大丈夫」
藤花は瞳を揺らしながら、ぽつりぽつりと言い始める。
今回は元々していた封印が解け始め、そこに別の封印を施したことによって人間として生きることが出来たが、それを望んでいる人間が少ないということを忘れてはならない。それ故に今後も何かと彼女の問題に巻き込まなければならないかもしれないことが不安なのかもしれない。
しかし、彼はことなさげに言った。
「え……」
「僕、最強だから」
それに驚き、顔をあげれば五条は不敵に微笑んでいる。そして、自信満々に言葉にした。
当たり前のように。それはそうだ。彼は自他ともに認める現代呪術師で最強と謳われている男なのだから。
「……ふっ、ふふ」
「ん?」
それは重くさせていた心を軽くする魔法のような言葉に聞こえたのだろう。彼女は口角を上げると自然と笑みを零す。
五条は不安げな顔から一転し、笑い出す彼女をじっと見つめた。
「そうだ、そうだったね」
「………」
藤花は憑き物が落ちたかのように作り物ではない笑顔。心からの笑みを浮かべて笑いかけるとそれに彼は微かに目を見開き、見つめ続ける。
「でも、迷惑はかけられないからサトの封印は隠さないと」
「……どうやって?」
少し心が軽くなった彼女はどことなくスッキリした表情をして肩を竦めた。
しかし、藤花の言わんとしていることが分からないのだろう。五条は不思議そうに問う。
「耳飾りの封印を作り直せば、気付かれないでしょ」
「出来んの?簡単に出来るもんじゃないってちびっ子が言ってたけど」
彼女は人差し指を立て、簡単そうに答えるが、それは最初の方に白狐に棄却された案だ。
理解ができない彼はますます複雑そうな顔をする。
「うん、あれ私が作ったやつだからね」
「……なるほどね。あれだけ呪力が暴走してたら作れないわ」
藤花は眉を下げて頬をぽりぽりと人差し指でかきながら答えた。
そう、これで全て辻褄が合う。封印の呪具を作った人が血の覚醒をしかけていれば、作ることも難しいわけだ。
やっと合点がいった五条はふぅと息を吐き、納得を示す。
「耳飾りが健在していれば、目覚めかけたことも別の封印があることも気が付かれないでしょ」
「まあ……」
要は今日のことは周りにバレないようにすればいい。何とか誤魔化せるということを言いたいのだろう。
確かに昨日の晩は予定外と言え、特級呪霊が2体も現場に来ていたのだから誤魔化そうとすれば、出来るかもしれない。だが、それは彼の思う流れとは違うのか、乗り気ではなさそうだ。
「……本当に巻き込んでごめんなさっ…!」
「……」
藤花は頭を下げて謝ろうとしたが、それはさせて貰えずに終わる。何故ならば、五条が彼女の肩をポンと押し、ベッドに戻すと片方の手首を抑えて込んだからだ。
「……サト?」
「僕さ、女にモテまくって誘われることはあるけど、欲情したことなかったんだよね」
負った傷は癒えても、彼から与えられたものは癒えていない。痛そうに顔を歪ませると正面にある顔を見つめ、戸惑ったように声をかけた。
五条から返ってくる言葉は何とも今、聞くべきものなのか。そう思うような話なのだが、至って真剣な表情だ。
「…………随分唐突な話ね」
謝罪をしようとしてそれをさえぎられたと思えば、意味の分からない話をし始める彼に困惑しない人間などいないだろう。藤花もそのうちの一人。
彼女は眉間にシワを寄せて言葉を返した。
「何でかな……とーかには欲情した」
「………笑えばいい?」
五条は心底不思議らしい。じっと見つめながら、はっきりと言葉にする。それは正直にいえば、今言うことでもない。だが、言わずにはいられなかったのかもしれない。
真剣な顔、声音、雰囲気。全てを分かったうえで彼女は問いかけた。それしか話を誤魔化す方法が思いつかなかったのだろう。
「真面目な話」
「薬のせいでおかしくなってただけでしょ」
だが、茶化されてはくれない。呆れたような顔をして否定されるが、どう返せばいいのか分からないままの藤花は視線を逸らし、適当な言葉を見つけて投げかけた。
「んー……試していい?」
「じょ、うだんでしょ……もう無理、むり、無理だから…!!」
空いているもう片方の手を顎に当て、考え込むとグイッと顔を近づけてい聞く。
その距離の詰め方は心臓にとにかく悪い。イケメンだからこそ、余計に。
しかしそれよりも、彼の発言に彼女は頬を引き攣らせてサァーッと顔を青ざめた。もう身体は音を上げている。
慌てたように顔を横に振りながら、伝えた。
「まあ、それは冗談だけど……」
「………?」
コロコロと表情を変える藤花に頬を綻ばせるが、何か言いたげに言葉を飲み込む。
そんな五条の表情から何を考えているのかを探るように目を向けるが、一向に分からないのだろう。彼女は眉を寄せて首を傾げる。
(……愛ほど歪んだ呪いはないって思ってたんだけどね……どうやら、僕は勝手にかかったらしい)
そんな藤花の仕草すら、心を擽らせるようだ。全てを見抜く瞳に優しさの色が混じっている。
恐らく“愛”というものを自分に関わりのないものとしていたからこそ、“愛ほど歪んだ呪い”だという考えを持っていたのにそれに対面することになった自分に驚かされるのだろう。
だが、その感情が芽生え始めているのは認めざるを得ないようだ。
「まあ、どっちにしろ僕達はこれから長い付き合いになるんだから仲良くしていこうじゃないか。なんなら、恋人のフリでもしとく?」
「……なんで?」
ニコッと笑って軽く言う。そして、また爆弾のような提案もするのだ。
藤花は目を真ん丸にさせ、聞き返す。
彼女の反応は無理もない。また唐突かつ、突拍子もないのだから。
「僕は基本、誰かと一緒にいるよう人間じゃないからそうでもないのに距離が近いと怪しまれそうだしさ。いい案だと思うけど」
「……確かにそうかもしれないけど……不安でしかない」
人間関係をちゃんと作っておきなさいよ。
そんな文句を言いそうにはなるが、最もらしい理由をペラペラと語る彼に納得はするようだ。
だが、憂いは晴れることはないのか、心許なさそうな顔をする。
「命の恩人に言うセリフ?」
「うっ……で、でも、恋人のフリって何すればいいの?」
それは全く信用していないとも取れる言葉にも聞こえるものだ。五条は不満げな顔をして至近距離で見つめ、彼女の言葉を正す。
的確な指摘に言葉を詰まらせるが、もう一つ疑問が浮かんだ。藤花は人付き合いを避けてきたからこそ、恋人のフリが想像出来ないらしい。
「まあ、とりあえず人前でベタベタしてればいいんじゃない」
「……えぇ」
不敵な笑みを浮かべて簡単そうに答える五条に不安しか覚えないのだろう。眉根を寄せて力なく言葉を漏らした。
「いや?」
「嫌って言うか……恥ずかしいというか……」
「もっと恥ずかしいことしたのに?」
有無を言わせる気のなさそうな問いかけをすれば、彼女は目を逸らしてブツブツとボヤくとそれ以上のことをもうしているのに何を恥ずかしがるのかが、分からないのだろう。彼はキョトンとした顔をして聞く。
「っ!そういうところ、良くない……っていうか、サトはいいの?」
「何が?」
それは事実だが、言葉にはされたくはなかったらしい。かああっと顔を赤くさせるとキッと眉を吊り上げて怒ったように睨みつけ、投げやりに質問し返す。でも、五条はその返された質問の糸が分からないのか、小首を傾げた。
「その、私と……恋人のフリとか」
「じゃなきゃ、僕から提案はしないよ」
言わされることに躊躇いながらも答える。
今まで自分の存在を否定的に考えて生きてきたのが、安倍藤花という少女だ。自分の存在を肯定してくれる存在が現れたといえど、そうそう簡単に癖が無くなるわけがない。
分かっていたとしても無意識に自分を卑下するような言葉選びに五条は眉を下げて呆れたように返した。
「それじゃあ、……色々助けてくれてありがとう」
「……どーいたしまして。まだ寝てな」
「うん……」
彼がいいなら、断る理由がない。
一番いい方法だということが分かっているからだ。藤花はおずおずと少し照れくさそうにお礼を言う。
それは五条の提案を飲み込んだことを指すのだろう。彼は口角を上げると掴んでいた手首を離し、わしゃわしゃと髪を乱すようにしながら、彼女の頭を撫でた。その乱暴さも新鮮なのか、藤花は大人しく刻りと頷く。
「あ、因みに封印は成功させたけど定着させるために暫くは定期的に
寝室から出ようと扉の取っ手に手をかけたところで何か思い出したらしい。くるっと振り返り、彼女へと顔を向けると飄々とした顔をしてまたとんでもない事を口にした。
五条は何度爆弾を投下すれば気が済むのだろうか。つまり、交わることで封印をしたが不安定だからまた交わらなければならないということだ。
「聞いてない……っ!!」
藤花は驚いてガバッと起き上がり、大きな声を出す。しかし、いきなり起き上がった衝撃と大きな声を出した衝撃に身体は悲鳴をあげ、そのままベッドの中へと沈み込んだのだった。