ピンポーン、と鳴り響く。それに驚いて肩が跳ねた。


「……」


 アポなんて聞いてないし、突然訪問してくる友人なんかいない。
 もし、学校関係なら電話の方が先に連絡来るはず。

 何かしらの勧誘かと思って無視して、温かい紅茶を飲んで体を温めていると、また鳴る。

 それはもう、2回、3回、4回と回数を増やし、なんなら鳴らしてからの間隔がどんどん短くなってきた。

 流石に近所迷惑だ。
 仕方なく、重い腰を上げて不機嫌顔で玄関の扉を開ければ、いつかの目隠しした長身長の男が立っていた。


「やっほー」
「……お引き取り下さ――」


 飄々とした態度で片手を上げて開口一番、インターホン荒らしした人間が呑気に挨拶するのは如何なものなんだろう。
 
 変な人じゃなくて安心している自分と、また五条さんが来てしまったという嫌な不安に複雑な思いを抱え、扉を閉めた。


「ちょっと待って。宗教勧誘じゃないから」
「そんなの分かってます」


 ううん、正確には閉められなかった。
 今日に扉の間に足を捩じ込まれて止められてしまったから。

 この行動がまさかだったのかもしれない。彼は一瞬、焦ったように言葉を並べる。

 見た目は不審者と言っても過言ではないと自負しているから出たのか、それは分からないけれど、なかなかに衝撃的。
 でも、何度も鳴らされたことに不快な思いを抱いた私は食い気味で答えて終わらせた。


「まあ、この間言ってたことを説明しに来たからさ。ね、家に上げてよ」
「……ここじゃダメなんですか?」
「僕はいいけど、君は後悔するんじゃない?」


 ぐっと、扉を掴む手に力が入れられる。両手でドアノブを持って締めようとしても、私の力じゃ勝てっこない。
 
 家に上げたくないし、上げたら上げたで長話になりそうで。不満たらたらの顔を思い切りして尋ねた。

 でも、五条さんは私を試すように首を捻る。
 きっと、恐らく、こんなところで話す話ではないと安易に言っているんだ。


「どーーーぞ」
「お邪魔しまーす」


 それが短い言葉で分かるからこそ、苛立たしい。
 彼相手に今更、取り繕ったって何にもメリットはない。だからこそ、わざと嫌がってると言う態度を取りつつ、中に招き入れた。

 普通は嫌だと思うの。嫌がってる態度を取られるのって。
 でも、五条さんは楽しそうに口元を緩めて軽やかに、言葉通りに、家に上がり込んだ。


「水道水ですが」
「ああ……うん」


 アポなしで訪ねてきた人間におもてなしをする気にはなれない。蛇口を捻っただけの水をドンッ、とテーブルに置いて笑って見せた。

 刺々しく言ったことに彼は、戸惑っているのか。それともただの水道水が出てきたことに驚いたのか。どちらか分からないけど、こくりと頷いて、見つめてくる。


「で、不吉な言葉を残して去った意味は?」


 その視線の意味がどんなものなのかなんて分からないし、知ろうとも思わない。
 さっさと要件済ましてお帰りいただこうと気を引き締め、対面に座ると本題を切り出した。


「遠い親戚であるおばさんの息子夫妻が不可解な事件で亡くなってるって言ってたよね」
「そう聞いてます」
「その夫妻を調べれば、息子がいた」


 虎杖くんが東京に行く時に少しだけ話したそれを確認するように聞いてくる。
 それに間違いはないから、素直に頷けば、五条さんは続けて言った。


「養母から……孫の傑さんって聞いてますが、何処にいるか分からなーー」
「そいつが殺したんだよ」


 いつも悲しんで仏壇の前で泣いていた養母を思い出すと胸が痛む。
 たまに懐かしそうに朗らかに微笑みながら、話してくれる孫のことを彼から聞くことになるとは思わなくて。驚きつつも、養母から聞いた話を伝えようとした。

 けれども、やけに静かな声が私の声を被せるように事実を告げる。
 

「は?」


 言ってる意味が、一瞬、分からなかった。
 
 聞いた話、警察でも未解決事件になってる。
 それに行方不明で孫に容疑がかかってる訳でもなかった。

 なのに、目の前の人は断言する。


「君が養子に入った家の息子夫妻を殺したのはその息子ってこと」
「じょう……だんでしょ……」


 聞き間違えかと思った。思いたかった。
 けれど、五条さんは信じない私のためにもう一度、はっきり言う。

 それでも、信じたくなくて。
 バクバクと鳴る心臓を抑えようと胸に手を当て、震える声で呟いた。


「本当本当……元々は呪術師だったんだけど人殺して呪詛師になったんだよね」
「……」


 信じる信じない、じゃない。もう起きたことだからなのかもしれない。
 彼はまるで教科書に書かれた歴史を語るように軽い口調で言う。

 日々泣いていた養母を思えば、こんな悲惨な事実はない。
 でも、私はそんなにできた人間じゃないから違うことに囚われてた。


「そんなやつの……まあ、あいつの祖母さんの家に養子になったなんて君の実家にバレたらどうなると思う?」
「……殺される」


 ニヤリと人の不幸を楽しむように笑って問いかけてくる元婚約者は鬼か、悪魔なのか。
 そう、私もそれを考えていた。

 良くしてくれた養母のことより、自分の身を優先して考えてしまった。
 窮屈な鳥籠から出られたって喜んだら、実は自ら死に行くようなルートを選んで生きていたと、知ったんだから、無理ない。

 婚約者に婚約破棄されただけで罵声を浴びさせて挙句の果てには勘当するような家だ。
 知られたら、生きれる保証なんてどこにもない。


「まあ、そうなる可能性が高いね」
「運…………悪すぎ……」


 それは五条さんも読めたらしい。
 私が零したそれに否定することはなかった。

 冷たく突きつける現実にどんどん体温が失われていく感覚を覚える。正直、指先の感覚がない。

 これからどうやって生きていけばいいのか。
 ただそれだけを考えるしかないけれど、呪われているとしか思えない自分の人生に、嘆かずにはいられなかった。


「ね、びっくりするぐらい運悪いでしょ?」
「……」


 まるで他人事のように問いかける彼が憎い。
 確かに、他人事だけれど。五条さんが関わって来なければ、一生真実を知ることもなく、自由で入れたかもしれないと思ってしまうから余計に。


「ここにいてももうバレるの時間の問題だと思うんだよね」
「でしょうね、五条さんがここに来ちゃってますし」


 淡々と告げられるそれに絶望しかない。

 ただでさえ、彼に見つかってしまったのは良くない。非常に良くない。なのに、こうも会いに来られてしまえば、五条さんの言う通り。
 実家に見つかるのも時間の問題だ。


「そう!だからさ、もうこれは五条に苗字を戻すしかないと思うんだよね!」
「……私にまた地獄を味わえと?」


 私の心とかけ離れた明るい声で告げられる。
 それはもう、名案とばかりに両手をパンっと叩いて。

 それは非常に迷惑極まりない話しすぎて、思わず、低い声で問いかけてしまった。


「あ、やっぱり?」
「…………」
「ここで一つ提案」
「……」


 とぼけた声で聞き返され、目が自然と細くなる。
 力のない人間は蔑まれる家だった。それを彼も知っているかのような聞き方だから、仕方ないと思う。

 無言の肯定をする私に五条さんはふぅと息を吐いて、人差し指を出す。

 今度は何を言い出すのか。
 くだらないことを言い始めるんじゃないかと疑心を抱きながらも、ただ言葉を待った。

 それしか、今、私に出来ることがないことを知っているから。


「戸籍を実家に戻すのは嫌だよね?」
「嫌ですね」


 提案と言いつつ彼の口から放たれるのは問い。
 分かってて聞いてるからこそ、ムッとする気持ちが湧き上がってくる。けれど、今は我慢。

 即答で答える私にニヤッと笑った。


「僕と結婚しない?」
「……破談にしたの誰でしたっけ?」


 五条さんから言われるそれに、一瞬時が止まった……ように感じた。

 それはきっと普通のプロポーズだったとしたら、嬉しくて驚きの意味でになるだろうけど、私の場合は違う。

 Pardon?聞き間違いかな?の方。

 だからこそ、嫌味な返ししか出来ない。
 まさか、八年前に婚約破棄した人が名案とばかりに結婚を促してくるとは思わなかったんだもの。


「僕だね」
「……今更になってなんで私と?」


 嫌味を嫌味とも取らず、ヘラッと答える。
 それに目眩がしてきそうになった。こめかみに手を添えて、深く息を吐く。

 何事も、呼吸が大事。
 心を落ち着かせてその意図を確かめるべく、聞き続けた。


「結婚は未だにめんどくさいとは思ってるよ」
「それでなんで結婚……?」


 結婚を提案してきた人のセリフとは思えない。
 もう、なぞなぞでもしてるのかと思えて仕方ないけれど、彼の表情がストンと落ちたところを見ると本気で思ってることだけは伝わる。

 目眩どころか頭痛までしてきそうになり、眉間に皺を寄せてしまう。いや、誰だってこの話をされたら、険しい顔になるよね。
 そう思いながらも、本音を探そうと疑問を投げた。


「上にしろしろ言われて煩わしいんだよねー」
「……それで適当に結婚しちゃおっかなーと思ったって事ですか」


 投げやりに返されるそれにもう、ため息なんて出なかった。それはもう、呆れすぎて。

 初めてあった時も適当だったように見えたからこそ、今回もそうだと思った。


「適当じゃないよ」
「はあ?」


 けれど、五条さんは上げていた口角をすんっと下げて、真剣な声で答えた。
 目隠ししてて目元は分からないけど、声だけ聞けば。そう、感じる。

 でも、どこが適当じゃないのかなんて理解できないわけで。
 おもむろに怪訝そうに聞き返してしまった。


「適切に選んでるよ」
「破断した人間をですか」


 まるで、言葉遊び。
 どこが適切なんだか、私には分からない。

 八年前に婚約破棄した本人が前の婚約者に結婚を申し込む人なんて何処探したって彼しかいない。
 イカれた発想すぎて、だんだん目が細くなる。


「まあ、文句は言わないでしょ」
「……昔は五条ですけど、今は夏油……そんな女を嫁入りって反対されますよ」


 ひらっと手のひらを見せて言い返す姿はまるでイタズラな風だ。
 でも、自分の言葉に自信があるように見える。

 それがとても、不安で、怯える私がいるのも確かだ。
 ぎゅっと自身の手を握り、零した言葉に背筋が凍りそうになって、俯く。

 夏油から五条に戻ったところで、少しでも疑いがあれば処分を下すような世界の家に生まれた。
 だからこそ、五条さんと結婚することになっても、反対されて、わたしはこの世とおさらばになる。
 それが目に見えていたからだと思う。


「……だから、君から夏油をまず取ろうか」
「養子縁組を解消ってことですか?」


 彼はテーブルに肘をつき、人差し指を出して提案する。

 それは結婚すれば自然と取れるもの。
 でも、わざわざ言うということは、そうじゃないと言うことなんだろう。

 そろりと顔を少し上げて、ちらっと見ながら聞けば、五条さんはニヤリと笑った。


「こっちで色々と手を回すから夏油家との繋がりもバレることもなくなる」
「それちゃんと合法です??」


 天井を指していた指はいつの間にか、ぱあっと開かれていて。まるで、問題解決と言わんばかりだった。

 そんな簡単な話じゃないし、絶対的に戸籍に残るからバレる。なのに戸籍に残らずに養子縁組を解消するという発言から、違和感を覚えずにはいられなかった。

 眉根を潜めて聞くくらいには。


「そういうことは考えなくていいから」
「…………」


 チチチッと口で鳴らせば、不敵な笑みを浮かべる。
 それが答えなんだと、分かってしまった。

 だから、もう、何も言う気にはなれない。
 というより、もう知らない方がいいと察した。


「君のことを守ってあげるかわりに僕のお嫁さんになって欲しい」
「……なんで私は普通の人生を歩めないのかしら」


 ずっと目隠しで隠されていたのに、五条さんは目隠しをするっと外す。閉じていた瞳が開くとあの、キラキラと輝く青が私を見つめた。

 なんで、目隠しを外したんだろう。
 わざわざ、格好つける必要ないのに。

 なんで、改めて言うんだろう。
 これはプロポーズでもなんでもなくて、ただの取引なのに。
 
 そんな考えが浮かんだけれど、口から零れたのはそんなことじゃなく、ただ私の人生の嘆きだった。


「五条家に生まれた時点でそれは諦めた方がいいよ」
「……解放した人にまた鳥かごに戻されるなんて」


 それはもちろん、独り言のようなものだったけれど、近くにいる彼には充分聞こえる声だったらしいり
 当然のように返された。

 うん、そうだよね。分かってる。分かってるつもり。
 他の家から見れば、ワンマン構成の五条家だけど、五条家の中ではまあ、他と似通ってる家もあるにはある。特に私の生まれたあの分家はそう。

 たった一言に納得する自分と、理不尽に不満な私が対立する。
 だから、五条さんに言った言葉はある意味八つ当たりだ。

 彼は助けてくれる人。
 でも、私なんか探さないでほっといてくれれば良かったのに。

 その思いが勝ってしまって、睨んでしまう。


「君がいた鳥かごよりも快適だと思うよ」
「……仕事はどうしたらいいんですか」


 五条さんは眉を八の字にして首を傾けて言う。
 それは多分、正しい。絶対的に。

 でも、受け入れられるか否かと聞かれるとそれはまた別問題に感じてるのだから、それもまたしょうがないと思う。

 悶々としてても頭は意外と回転するものらしい。
 ふと、問題を思い出し、ちらっと見上げて問いかけた。


「そもそも僕と結婚できる?」
「命と結婚だったら、命取ります」


 私の疑問は意外だったのか、彼はビー玉のように目をまん丸にしてはふっと目を細め、問いかけ返してくる。

 答えをくれるわけでもなく、ただ先延ばしにして試されてるような感覚にムッとする。

 別に結婚願望なんてない。
 むしろ、一生しなくていいと思ってた。あの教育を受けてたから余計にそう思ったのかもしれないけど。

 でも、命と天秤に掛けられれば話は別だ。
 どっちに秤が傾くかなんて分かりきってる。 


「あ、そう?」
「そしたら……専業主婦になった方が都合良いですよね?」


 あっさりと出した答えが意外だったのかしら。
 でも、いちいち気にしていられない。まだ確認しなければいけないことが残ってる。

 だからこそ、あえて何も触れずに問いかけた。
 問いかけたと言っても、ほぼ決まっているような気がして。
 五条家の籠に戻されるのだから、そうだと思っていたからの質問だった。


「……いいの?」
「何がですか?」
「仕事、好きでしょ」


 彼の口から出たそれに意味が分からなかった。
 だって、まさか聞き返されるとは思わないじゃない。

 眉根を寄せて小首を捻って聞き返せば、テーブルに肘を付いて。
 手のひらに頬を乗せながら、そう言われた。

 その言葉に、ドキッ、と心臓が跳ねた。

 どうしてそのことを知ってるんだろうって。
 どうして、わざわざ確認してくるんだろうって。


「……もし、教師を続けていいと言ってくださるなら、やりたいとは思います」
「そうなると、高専に来てもらった方がいいかな」
「高専って……え、呪術の?」


 それを聞く気にはなれなくて。冷静を装いつつも、本音を打ち明けるだけにした。
 どうせ、無理だと思ってたから。
 
 五条さんは考え込むようにしながら一つ、提案してくれることがとても意外だった。
 けれど、言葉を理解した瞬間、訳が分からなくなる。

 彼が言う高専というのは、呪術を専門として習う表向きの学校。
 一般教養を教えることはあっても、呪力のない私に提案することじゃない気がしたから。

 だから、思わず聞き返してしまった。


「そうそう。まあ、君の弟や悠二たちもいるけど」
「大人しく、専業主婦してます」
「あ、やっぱりヤダ?」


 彼は平然と肯定するだけ。
 でも、付け足したように教えられたそれに身体が硬直した、気がした。

 だからだと思う。跳ね返るボールのように無意識に即答していた。
 私の反応を予測してたいたみたい。反応速度に驚くことなく、五条さんは手のひらから顔を離して笑った。
 

「……虎杖くんたちは構いませんが、弟には会いたくありません」
「まあ、その方が君も楽だろうね」


 自然と目が細くなる。それもそうだ。
 正直、弟は嫌いだから。

 たった二つ。されど二つ。
 歳が下だっていうだけの存在だけど、両親が両親なだけに私を見下して。
 大した頭は持ってないくせに一丁前に偉そうぶるから、余計に会いたくない。

 教師を続けたい、という思いよりも勝る。
 出来ることなら、両親にも一生会いたくない。

 それは彼も理解してくれたのかもしれない。深く聞くこともなく、納得して終わらせてくれた。


「……」
「それじゃ、よろしく」
「あ、あの……学校はいつ辞めた方が……」


 ガタッと立ち上がる五条さんに慌てて、声を上げる。もう話はほとんど終わってる。
 けど、私にとって重要なのは今の職場をどのタイミングで辞めるか、だ。

 その目安を聞こうとした、つもりだった。


「大丈夫。手はもう回してるから」
「は?」


 全くもって意味のわからない大丈夫、に間抜けな声が出る。

 手を回してるって聞いてない。
 それに理事長や校長にもまだ何も説明してないのに五条さんが勝手に動いてしまったってことに頭が混乱した。


「じゃ、そういうことで」
「……………………」


 何事も無かったように片手をひらひらと宙に舞わせ、玄関に向かって歩いていく彼の背をただ見守ることしか出来ない。

 色々と聞きたいことが増えたのに。
 色々ありすぎて情報の整理が追いついてないから敷かないかもしれない。


「そういうことで……じゃない!」


 パタンっ、と閉められたドアの音がすると先程までいたあの人はもう居なくなってた。

 ひょろっと来て、さらっと帰ってしまう。
 まるでイタズラな風のよう。

 でも、振り回されっぱなしはあまり好きじゃない。
 本人の前で言いたかった文句を力の限り、今吐き出すしかなかった。


◇◇◇


 翌日、朝早くから理事長から電話が来て、驚いた。
 本人の許可もなく、先週の金曜日付で寿退社ということになってた、なんて聞いて驚かない人がいるのかしら。

 頭を抱えつつも、悩み事はまたひとつ減ったは事実。仕方ないから、大人しく荷造りを始めることにした。
 五条さんのとこに嫁ぎに行くために。



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