「体術の勉強をしておこうか」
「体術?」
生徒たちは動きやすいジャージに着替えてストレッチをする中、五条は名案とばかりに唐突な事を言い出す。
「呪霊と戦うために必要な事だからね」
「へぇ、そうなんだ」
「お前……本当に何も知らないのな」
無知な彼女に簡潔に教えれば、理解は出来るのだろう。
ふむふむと納得すれば、真希は呆れた目を向けた。
「見えるけど、自分でどうにかしたことないし……ハーモニカ吹いてる間は呪霊が近寄らなかったし」
「……」
嫌味にも聞こえるその言葉をあまり深く考えずに受け取ったらしい。困ったように眉を八の字にして頬を掻いた。
有り得ない。真希はまるでそう言いたげな顔をする。
ハーモニカーを拭いている間は近寄らないなんてことはない。呪霊という存在はそんな甘いモノじゃないと知っているからだ。
「んー……それじゃ、1on1やってみようか」
「なんでバスケのノリなの」
「誰とやるんだ?」
話が適当なところでまとまると五条は人差し指を天に差しながら言う。
それはまるで体育の授業でも始まるような言い方に奏は思わず、突っ込むとパンダは身体ごと右に倒して聞いた。
「奏と真希やってみようか」
「おいおい、基礎も知らないようなやつをいきなり当てるか?」
五条は指差しながら、指名する。
しかし、あまりにも体術の練習にもならない組み合わせを言われたと感じたのか。真希は目を細める。
呪術の知識がない。体術がそれなりに必要だということも知らないような口ぶりな彼女とやらなければならない。
それがやる気をなくしているのかもしれない。
「やってみないことは分からないよ」
「体術って普通のやつ?」
「まあ、そうかな。武器ありでもいいよ」
けれど、担任である五条は飄々としたまま言う。
何を考えているか分からない彼に真希は眉間に皺を寄せると奏はこてんと小首を傾げた。
五条は軽く頷き、両手の人差し指を左右に振る。
「マッキーはなんか使うの?」
「あたしは棍棒を使うけど……お前、本当に大丈夫なのか?」
「んー……じゃ、私も……一応持ってようかなぁ」
くるっと身体ごと振り向いて真希の顔を覗き込むと彼女は困惑した顔をした。
それは一般から入学した人間が戸惑うことなく、飲み込んでいく様に違和感を覚えたのだろう。
眉根を寄せながら、問いかければ、奏は顎に手を添えてポツリと零す。
「何持つ?」
「長くても腕力ないから振り回せないし、これにするよ」
武器を持つ、という選択をした彼女が意外だったのかもしれない。五条は興味深そうに聞けば、奏は迷うことなく、ある得物を選んだ。
棍棒を使うという真希と真逆に位置する武器。
刃長15センチほどのナイフを。
(いやいや、あまりにもリーチの差がありすぎて話にならねぇだろ)
あまりにもハンデが大きすぎる。
それか率直な感想だったのだろう。真希は深いため息をつき、目を細めた。
「それじゃ、マッキー。お手柔らかにね」
「バーカ、手加減するわけないだろ」
「あはは、やっぱり?」
奏は気にすることなく、ニコッと笑って肩をぽんぽんと叩く。
無知な同級生に何を言っても伝わらない。なら、身体に教え込めばいい。
そう思ったのか、真希はニヤリと笑って返せば、奏は残念そうに微笑んだ。
「勝負になるのか?」
「しゃけ」
「まあまあ……見てなよ」
素人同然の奏を思い、パンダは心配そうに見守ると彼と同じ意見なのだろう。棘もまたこくこくと頷く。
そんな二人を他所に五条はニヤリ、と口角を上げた。
「いくぞっ!」
ジャリっという地を踏む音がすると真希は棍棒片手に一気に踏み込む。
その攻撃はなんとも鋭く、早かった。
「……おわっと!」
「!」
向かってくる風を受けながら、奏は寸前のところでふらり、と避ける。
その避け方はあまりにも自然でその場にいたものは驚いた。五条悟以外は。
何も知識も経験もない人間がそんな動きをするとは思えなかったからだろう。
「マッキーは……動き早い、ねえっ!」
「そういう……お前は…っ、逃げるのが上手いな」
次の手、次の手と攻撃をする真希に対して、彼女は躱しながら、賞賛する。
素人じゃない動きに動揺しつつも、真希は負けじとばかりに攻めの体勢を続けた。
嫌味の言葉はもしかしたら、冷静を保っているようにみせかけるためなのかもしれない。
「あはは、十八番なもんでっ!」
「よそ見してんじゃねぇ……よっ!」
顎目掛けて棍棒が飛んでくるとくるりと右回転してまたしても、避ける。そのおかげで背後が剥き出しだ。
またとないチャンスに真希はニヤリ、と笑って突いた棍棒を横に振る。
確実に当たるはずだった。
「っ!」
だがしかし、棍棒に鈍く当たる感触がない。
というよりも、対峙していた人間が目の前にいない。
真希はキョロキョロと辺りを見渡そうとした瞬間、ひんやりと首筋に冷たい何かを感じた。
「……危なかったあ……はい、これでいいんだっけ?」
「っ!」
ふぅ、と吐息を吐く音と共に呑気な声が聞こえてくる。ゆっくり声のする方へと顔を向ければ、首にナイフの模造を突きつけながら、お茶目に首を竦める奏の姿があった。
(どーなってんだよ!?)
一般入学。その言葉に惑わされ、素人だと思い込んでいた。いや、それをなしにしても戦い慣れた動きに真希は目を見張り、見つめる。
「マッキーの早いから当たったら痛そうで怖いや」
「奏、凄いんだなぁ」
「ツナ」
スっとナイフを下ろすと惚けたように頭を掻きながら、笑う。その姿は正しく、普通の女の子だ。
傍から見ていた同級生たちも驚きを隠せないらしい。何度も瞬きをして、奏を褒めていた。
「うんうん、奏は上手く攻撃を躱してるし、真希は次の手もスムーズだったね」
「ちっ」
「あはは…」
五条は驚くこともなく、愉快そうに口角を上げてぱちぱちと拍手を送る。
相手の実力を測り間違えていたことが悔しいのか、真希は不機嫌そうに舌打ちすると奏は気まずそうに笑った。
「奏って本当に一般人だよな?」
「そうだよ」
パンダはこてんと首を傾げて聞くと返ってくるのはあっさりした答え。
何も間違っていなければ、嘘もない。本当のこと。
「なんでそんな体捌きが一般人じゃないんだよ」
「たかな……すじこ?」
「……なんて?」
負けたのが余程悔しかったのかもしれない。真希もまたぐいっと顔を近づけて問い詰めた。
考え込むように顎に手を当てながら、首を右、左と傾げながら、問う棘。
3人に質問攻めされてる状況に困ってはいた。しかし、棘の言葉がまだ理解出来ないのか。彼女はキョトンとした顔をする。
「あー、スポーツやってた、とか?」
「ツナ!」
「そりゃぁ……」
察したパンダが通訳すると棘はコクコクと頷いた。
何かやっていたか。その質問に答えるなら、当たり前のようにYES、だ。
だけど、彼女は斜め上を見て言葉を濁らせる。
(担任を暗殺しようと極めてたからだけど)
言えない。
言えるわけがない理由がそこにあるからだ。
「そりゃあ、なんだよ」
「クラス総出でチャンバラごっこしてたんだよねぇ」
焦れたい彼女に催促すれば、それらしい答えが返ってくる。
本当と嘘の中間に値するであろう、答えが。
「はあ??」
「みんなでチャンバラごっこって凄いなぁ」
「こんぶ」
「うちのクラスなんか個性的だったからね〜」
にわかに信じられないのだろう。真希は眉間に皺を寄せているが、パンダは感心したように呟くと共感出来たらしい。棘もまたコクコクと頷いていた。
これ以上、追求されることはなさそう。
そのことに内心、安堵して奏は笑って誤魔化す。
(………奏の学校は椚ヶ丘中だったけど、ニュースになった噂の怪物でも関係してるのかな?)
少しずつ、距離が縮まってる生徒たちを五条は眺めていた。その表情は朗らかにも見える。
けれど、包帯の中に碧眼は目を細め、明らかに奏を捉えていた。