1話




 ――むかしむかし、とある国の小さな町には魔女の森と呼ばれる森がありました。
 しかし、町人達は決してそこに近づこうとはしません。

 なぜなら、名前の通り。その森には魔女が住んでいたからです。


「うっ、……ふっ……うぅ………」

 
 暗い森の中、少年はただひたすら泣き続けました。彼はこの森へ来てからどれくらいの時間が経ったなでしょう。
 彼の裾は自身の涙で濡れてびしょびしょになっていました。けれど、少年の涙は勝手に溢れて止まることを知らなかったのです。
 

「ぼくは、誰にも必要とされないの……?」
 

 厚い雲から出てきた丸い月が輝き、闇夜を照らすと少年はその光に気が付いて顔を上げました。
 まるで、月に縋り付くように少年は嗚咽を吐きながら問い掛ける姿は何とも悲しげです。しかし、当然月は静かに明かりを灯すだけでした。
 
 
「ひとり、は……いやだよぉぉ」
 

 少年はポロポロと涙を零しながら大きな声で寂しさを吐露しました。まるで自分の存在に誰か気が付いてと駄々を捏ねる子供のように。
 でも、月は気まぐれでまた厚い雲の中へと姿を隠してしまいました。
  

「ふっ、…………!!」
「だあああああ……!!」
 

 泣き続けていた少年はガサッと言う森の中が動いた音に驚き、目を見開いて息を呑みます。
 暗い森の中、何がいてもおかしくはないこの状況に恐怖を感じたのでしょう。
 少年は身を縮こまらせながら音のした方向をじっと見つめました。すると、今度は女の大きな声…と言うよりも叫び声が聞こえました。
 声音からするとイライラしているように聞こえます。
 

「めそめそめそめそ泣くんじゃないよ……!!」
「っ、!」
 

 ガサッ木々をかき分けて現れたのはローブを着てランプ片手に怒鳴りつける女性でした。彼女はローブのフードを深く被っていました。その為、目元が分からず…口元が分かる程度でした。
 突然人が現れた驚きと急に怒られた驚きで少年はぽかんとした表情をし、涙をぽろっと一雫落とします。


「……こんな夜中に何してる」
「…………」

 
 女性は怪訝そうな声音で少年に声を掛けますが、少年は応えようとしません。無理もありません。
 急に現れて急に怒鳴り始める人間に心を開くものなどいないでしょう。少年は眉間に皺を寄せて顔を背けてしまいました。
 

「ここが魔女の森だと知ってるのか?」
「……」
 

 女性は少年の応えを待たずにまた新たな問い掛けをします。少年は背けていた顔を見せないように俯き、黙秘を続けました。
 

「……はぁ、話したくないなら話さなくていいけど、泣くのはやめろ。うるさくて眠れもしない」
「………捨てられたんだ」
 

 女性は深い溜息を付いて呆れたような口調で注意をすると踵を返してしまいます。彼女の中での用事はどうやら終わったのでしょう。
 一歩踏み出そうとすると少年は小さな声でぽつりと言葉を零しました。
 

「…………」
「奇病になって」
 

 その一言に女性はピタッと動きを止め、少年の方へ顔を向けたのです。
 少年は俯いたまままたぽつりぽつりと言葉を紡ぎました。
 

「……」
「治せないし、伝染るから……いらないって……」
 

 女性は少年の吐露する言葉を黙って聞いています少年は段々饒舌になり、言われて傷ついた言葉を口にしました。少年の目には涙が溜まっています。
 よくよく見れば少年の皮膚は黒ずんでおり、病が進行していることが目に見えて分かりました。
 

「……お前はどうしたい」
「え……?」
 

 女性はそこまで少年の言葉を聞き、彼に問い掛けます。少年はまさかそこで問いかけられると思っていなかったのでしょう。
 思わずマントの女性を見上げました。その拍子にまた涙が一粒零れ落ちます。


「お前は生きたいのか死にたいのかどっちだ」
「……」
 

 女性は自分の問いに理解していないと思ったのでしょう。彼女はまた違う言葉で少年に問い掛けました。
 しかし、少年は表情を曇らせて上げていた顔を下げてしまいました。
 

「それも分からないガキなのか?」
「っ、生きたい……!!でもっ!!」
 

 中々答えない少年に女性は呆れたように荒い口調で問い掛けます。
 少年はバッと顔を上げて彼女の問い掛けに力強く答えますが、彼の中に一つ残る不安があるのでしょう。
 

「……」
「……ひとりは、いやだっ!」
 

 彼女はじっと黙って彼の言葉を待ちました。少年は下唇を噛み、口を開らくとポロポロ涙を流しながら言葉を紡いだのです。
 "生きたい"と言った時と同等の力強さで。

 
「……全く我儘だな、君は……どんな躾を受けたらこうなるのか……」
「……っ、」
 

 女性は少年のそばへと歩み寄り、しゃがみ込みました。そして、先程とは違う優しい声音で彼に言葉を掛けると微笑んだのです。
 先程とは違う声音で声を掛けられ、笑みを向けられた少年は戸惑い、息を呑みました。
 
  
「……付いてきなさい」
「え……」
 
 女性は立ち上がると短く少年に指示するように言葉を掛けます。少年はその言葉に目を丸くさせました。
 きっと彼女の意図が分からなかったのでしょう。呆然として女性を見上げます。
 

「生きたいなら…生き抜きたいと思うなら来なさい」
「……」
 

 女性はもう一度、少年に言葉を掛けました。踵を返して来た道を歩き始めると少年はゴシゴシと涙を裾で拭きます。そして、彼女の後を追いかけました。
 道をランプで照らし、辿り着いた先は森の中にある小さな家だったのです。
 
 
◇◇◇
 
 
「全く……彼処に何時間居たんだ……こんなに体を冷やして……」
「……」
 
 女性は少年を家の中に入れると玄関の近くにある棚に火を消したランプを置くと被っていたマントのフードを取ります。フードで見えなかった彼女の姿は銀の髪と薄紫色の瞳をしており、それはそれは綺麗でした。彼女の姿に少年は目を見開くと少し頬を赤く染めます。
 しかし、そんな彼のことに気づきもしない女性はランプを持っていた手で少年の手を取り、スタスタと暖炉の方へ向かって歩き出しました。椅子に掛けていた毛布を空いているもう片方の手でひょいと取ると少年の手が凍えるほど冷たくなっていることにブツブツと言っています。
 彼女なりの心配の仕方だったのでしょう。少年はただ黙って彼女の髪をじっと見つめながら後を付いて行きました。


「まず毛布掛けて暖炉の前で暖まってなさい」
「……」

 
 女性は暖炉に辿り着くとクッションの上に少年を座らせて肩から毛布を掛けて指示を出すとその場を立ち去ります。少年は暖かさに肩の力を少し抜いて毛布にくるまっては辺りを見渡しました。
 

(……見たことない本がいっぱい)
 

 少年は本棚に目が止まったのでしょう。見たことの無いタイトルの本が多かったのか興味津々のようでじっと見つめていました。
 

「これを飲みなさい」
「っ、……」
(……ひどい匂い)
 
 戻って来た女性はマグカップを片手にしており、それを少年の前に差し出しました。暖かい飲み物のようでカップから湯気が出ており、暖かい飲み物だということは明確でした。しかし、少年はカップの中身から何とも言えない匂いを嗅ぎとってしまったのです。
 彼は困惑した表情を見せては眉間に皺を寄せました。
 

「君が患った奇病は人間の医学では治せない」
「……」


 女性はマグカップを受け取らない少年に眉を下げてカップを持ったまま隣に座ると単刀直入に言葉を言い放ちます。彼女の言葉に少年は表情を曇らせました。
 人間誰しも病が治せないと言われれば絶望するのは当たり前でしょう。
 

「でも、私になら治せる」
「っ、本当?」

 

 女性が淡々と言い放った言葉は少年にとっては希望の光の言葉でした。少年は眉を下げて女性に縋るように問い掛けました。
 
「それは魔女にしか伝わっていない治療法だから」
「魔女……」

 
 女性は暖炉の明かりを見つめながら彼の問い掛けに淡々答えます。少年はぽつりと気になったワードを口にしました。
 魔女という言葉はこの国では決して口にしてはいけない言葉。何故なら、恐れられている存在だからです。
 少年は言い伝えに聞く魔女という目の前にいる魔女の相違に困惑しました。
 

「君がノコノコと付いてきた人物は町で恐れられてる魔女だよ、少年」
「………あなたが?」

 
 魔女と名乗る女性はふっと少年に微笑みかけながらもう一度わざとらしく自分のことを名乗ったのです。彼は目の前にいる女性が恐ろしい存在だとは思えなかったのか首を傾げて問い掛けました。

 
「そうよ」
「でも、黒い瞳と髪じゃない……」 

 
 彼女は首を縦に振り、肯定します。少年は魔女の定義とでも言うのでしょうか……。
 言い伝えに聞く魔女とかけ離れている銀の髪と薄紫色の瞳を持つ彼女を不思議そうに見つめました。
 

「どんな生き物でも異端児ってのはいるのよ……怯えて逃げる?」
「…………本当に治るの?」
 

 少年の呟いた言葉に魔女は悲しげに自嘲すると彼に意地悪そうに問い掛けたのです。少年はじっと彼女を見つめ、もう一度彼は確かめるように問い掛けました。
 

「……嘘は言わない」
「………うっ、……」
(に、がい……)

 
 魔女は眉を下げて笑いながら彼の問いに答えると少年は彼女からマグカップを受け取りました。少年はマグカップから漂ってくる匂いに怪訝そうな顔をしては意を決して飲んだのです。
 味は苦く、美味しいものではありませんでした。薬草を煎じているのだから当たり前です。それでも、少年は全てを飲み干しました。
 

「ふっ、偉い偉い…よく飲んだ」
「……」
 

 薬湯を飲み切った少年に魔女は柔らかい笑みを浮かべ、少年の頭を優しく撫でます。彼はまさかそんなことをされるとも思っていなかったなでしょう。少し恥ずかしそうに…でも、何処か嬉しそうな表情をして大人しく撫でられていました。
 

「……名前は?」
「え……?」
 

 魔女は少年の頭を撫で続けながら新たな問い掛けをします。少年にとってはその問いかけは予想外だったのでしょう。不思議そうに彼女を見たのです。
 

「君にも名前くらいあるだろう?」
「レイ……」
  

 魔女はどこか呆れたようにでも、優しさのある笑みを少年に向けてもう一度問い掛けます。少年は自然と名前を口にしました。
 

「レイか……良い名だね」
「………」
 

 魔女は少年…レイの名前を聞くと目を細めて微笑み言葉を返したのです。
 彼女のその笑みが少年にはどう映ったのでしょうか。レイは微笑む魔女を頬を少し赤く染めて見つめました。
 

「もう寝なさい。あっちにあるベッドを使っていいから」
「あの……!」
 
 掛け時計を見るともう日付が変わっており、2時を回ろうとしていました。魔女はレイからマグカップを少年からそっと取って立ち上がり、彼に指示する言葉を投げ掛けながら背を向けます。彼ははっとした表情をしては彼女へ声をかけました。
 

「何?」
「あなたの、名前は…」

 
 魔女は振り返り、レイに問い掛けます。彼はおずおずと言葉を紡ぎました。

 
「ああ、私は白き魔女……ロゼット」
「ロゼット……」

 
 魔女はまだ自身が名を名乗っていないことを思い出したかのようです。納得したような声を出すとふと笑って名乗りました。
 レイは彼女の名前をオウムのように繰り返し、呟くように口にしました。
 
 
 世にいる黒い髪と瞳を持つ黒き魔女とは違う銀の髪と薄紫色の瞳を持つ異端の白き魔女。
 
 
 
――これが少年と白き魔女・ロゼットの出会いでした。
 
 


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