――……10年前 高華王国・緋龍城

ここはまだ何も知らない私が住んでいた場所だった。


「父上、今度村を見て回りたいのですが……」
「駄目だよ、危険だからね」
「……またそれですか。もういいです。失礼します」

 幼い少女は父に期待のまなざしを向け、一つの願いを欲した。が、少し苦笑しては少女の願いは呆気なく却下されてしまう。
 彼女は父のセリフに聞き飽きたのだろう。ため息を付、目を細めていた。
 「危険だから」の一言で、どんなに願っても断れる願い。
 少女は諦めて父に辞儀をし、その場を去ろうとした。

「待ちなさい、ユエ」
「何でしょうか?」
「今日はユエの婚約者を呼んでおいたよ。だから、会ってね」

 父は娘の後ろ姿を見て思い出したように止める。それに不貞腐れた顔をして振り返る娘に優しく微笑み、軽々しく一言を言い放った。
 まるでお茶持ってくるように。

「……婚約者、ですか?」
「うん、ユエにぴったりだと思うよ。政務があるから私は行くね」

 父に言われた一言にただユエは茫然としたらしい。ハッと我に返り、不思議そうに聞き返すと彼は嬉しそうにうなずき、そそくさと政務室へと足を運んでしまう。

「……だいぶ急ね。会うだけ会いましょうか」

 いつかはこういう日が来ることは分かっていた。だから、嫌だというわけではない。本当にただ、驚いただけだのようだ。
 国王の第一皇女となれば縁談など来るのは必然。王として民のことを考え行動してくれる人であれば、覚悟はできていたのだろう。
 全く焦ることなく一旦自室へと戻って行った。


◇◇◇


「俺は嫌だからな」
「なんじゃ、その言い方は!」

 一人の少年と老人は言い合いをしながらどんどん足を進める。

「勝手に決めてんだよ、帰るっ」
「お前の意思など聞いとらん!」

 言い合いの末、少年は帰ろうと進んできた道を戻ろうとしたが、老人の怒りは上昇していき、少年の首根っこを掴み引きずりながら城の奥へを進んでいった。

「くすくすっ、随分仲がよろしいんですね」
「これは、ユエ姫様。お久しゅうございます」

 2人のやり取りを見ていたユエは笑いが堪えきれず楽しそうに微笑み2人を出迎えた。気付いた老人は急いで少年の首根っこを掴んでいた手を離し、目の前で手を組み、ユエに挨拶した。

「ふふっ、お元気そうでうれしいです。ムンドク将軍。……あぁ、ハクがそうだったのですね」
「貴女様もお元気そうで安心しました。ええ、そうでございます……、これ!挨拶せんかっ!」

 尊敬しているムンドクに会えたことがユエは嬉しかったらしい。元気な姿を見てはまた微笑むとムンドクも嬉しそうに微笑み返したのだった。
 イルの言っていた婚約者の来る時間帯は現時刻。目の前にいる少年がそうなのだと勝手に判断し、確認も込めてムンドクに問いかけたのだった。ムンドクは孫のハクにバシッといい音がするほど彼の背中を平手打ちした。

「って!ったく……風の部族、ハクです。ユエ姫さん」
「小僧〜!」
「ぐえっ!」
「くすくす、相変わらず活きがいい人ですね、ハク」

 だいぶ強く叩かれたのかハクはしかめっ面になりながら立ち上がり、面倒そうに簡単な自己紹介をした。それが気に食わなかったムンドクはハクの首を絞めていた。
 ユエは楽しそうに口元に手を当てて笑うとそんな彼女の姿に2人は固まる。

「……活きがいいってあんたね」
「だって、そうでしょう?……悪くないかも、婚約者」

 彼女の発言に対して、ハクは呆れた物言いだ。ユエは微笑んだまま、否定せず逆に問いかける。幼馴染が婚約者だと分かったからか、少し安堵しているようにも見えた。

「はあ?何言って……」
「うん、ハク。よろしくね?」

  最後の彼女の一言に抗議しようと言葉を紡いだところで遮られる。ユエはにっこりと笑ってハクに手を差し伸べ、握手を求めた。

「……変なやつ」
「ふふ、それでいいのよ。……っ!!」
「お、おい!どうした!?」

 ハクは腑に落ちないような……でも、心なしか頬を赤い顔をして差し伸べられた手を取った。ユエはその行動に満足したのか、また微笑んだのだった。
 しかし、握手を交わした瞬間。ユエは酷い頭痛に襲われ、跪いてはその痛みに堪えるように頭を抱えた。ハクは様子が急におかしくなったユエに焦りを感じて肩を揺らす。

(何……、これは……ヨ、ナ……とハク……?大きい、けど……)
「お、おい!姫さん!?」
(い、や……父上!?なっ、ヨナまで!?)
「顔、上げろ!……っ」


 頭痛と引き換えに流れる頭の中の映像は成長したヨナとハクの姿だった。放心状態のユエにハクはさらに焦り、だんだんと呼ぶ声が大きくなる。
 それでも、ハクが呼んでいることにも気が付かないほど、頭の中の映像にユエは囚われており、映像は悲劇へと向かっていた。残酷な悲劇の映像を受け止められず、大きな瞳から涙が零れ落ちる。
 ハクは全く返事のしないユエの顔を手で包み込み、顔を上げさせた。彼女はなかなか泣くことない少女だったため、泣いている姿にハクは戸惑いを隠せないのか、目を見開いている。

「……ご、めんなさい」
「頭……まだ痛いか?」
「ううん、大丈夫……」
「嘘ついてねーよな……」

 ユエは自分が泣いているということを理解するとまたすぐ俯いて涙を拭って謝るとハクは真剣な眼差しで##NAME1##の身を案じた。
 ユエは首を振り、顔を上げて問題ないとばかりに微笑む。そんな彼女が無理をしているのではと少し冷ややかな目を向けては熱がないかと自らの額をユエの額に当てて熱を測った。

「っ!!」
「……熱はないみたいだな」
「だ、大丈夫よ……私は嘘を付かないわ」

 ハクの当り前のような行動に彼女は少し顔を赤くして驚く。けれど、平然と熱を測るハクは熱がないことに安心してため息をついた。
 ユエは顔をそらして自分のことを信じないハクに拗ねたような顔をする。

「姫さん、無茶するからな」
「……してないわ」

 苦笑しながら、ハクはユエの頭を撫でるとその手に安堵しつつ、彼の言葉に否定した。

「……ハク」
「なんだよ」
「……ヨナを、……妹を頼みます」

 少し間を開けてからユエはハクの名前を呼ぶ。とても8歳の少女とは思えない程凛とした声だった。
 彼は“今度は何だ”とばかりに問いかけると彼女は真剣な顔をして妹のことをハクに頼む。
 いつになく真剣な顔にハクは息を呑み、何も言えなかった。

「ふふ、ハクが私の婚約者で良かった」
「……なんですか、それは」
「ん〜?何となくよ」

 さっきまでの真剣な顔とはうって違いまた可愛らしい微笑みをハクに向ける。彼はその彼女の微笑みに少し安堵してやっと出た言葉が突っ込むが、それに返したユエの答えはとても曖昧だった。



――……ハクが##NAME1##と会話をしたのはこれが最後となった。

 次の日、##NAME1##姫は何者かに攫われてしまったがために、だ。殺されてしまったのではないか、など噂が城で広まったが、真実は誰も知らない。
 分かっている真実はユエ姫は城から跡形もなく消えてしまった。ただ、それだけ。


「……父上、ヨナ……ハク……ごめんなさい……っ、……これしかないのよ……また戻るから。守れるように強くなるから……あんな未来なんて、変えて見せるから。覚悟を決めたから」


 悔しそうに涙を流している少女は暗闇の中へと消えたのだった。



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