「ねえ、あれはなあに?」
お父さんとお母さんに初めて言ったのは三つの時。
二人は困った顔をして私に話を合わせてくれたけれど、同じものが見えないと言った。
目の前にいるのに、そこにいるのに。
どうして見えないなんて言うのか。あの時の私には分からなかった。
「清……どうしてあんなことを……」
「私達が共働きだから、寂しさからそういうことを言ってるんだろう」
ふと目が覚めてリビングに行ってみれば、両親は肩を寄せて話し合いをしていて。
結論、寂しさゆえに気を引こうとしているんだと言うことになってた。
違う、違うよ。本当にいるんだよ。何で見えないの?
小さい黒い影は家の中にもたくさんいるんだよ。どうして分かってくれないの?
困った笑顔を向けて肯定する両親に不思議に思ったけど、あれはそういうことだったんだと知った。
真実に気が付いて、ひどく傷付いた記憶がある。信じてくれないということに胸が痛くて苦しかった。
目が熱くて、熱くて……鼻がツンとして。視界がぼやけた。
ボロボロと零れるものが分からなくて混乱するけれど、手のひらは濡れてる。
必死に止めようとするけど、どんどん溢れて止まらない。
くるしくて声を出したくなったけど、我慢した。
きっとここで声を上げたら、また二人を困らせるから。
静かに寝室に戻って布団を頭まで被って声を殺して、意識を失うまで泣いた。
翌日、泣き過ぎて目が腫れたけど、両親は仕事に行く準備と私を保育園に預けるための準備で慌てていて気づきもしない。
私の存在価値は二人にあるのか、急に不安になった。
ここにいていいのか、いつか捨てられてしまうんじゃないか。信じてもらえるようになるにはどうしたらいいのか。
幼いなりに、いっぱい考えた。
出した答えは信じてもらえるように頑張ること。
それからは何度も何度も言った。アイツらを見かける度に伝えた。
友達にも保育園の先生にも、お父さんお母さんにも。でも、言えば言うほど両親の顔はどんどん強張っていって。
言えば言うほど、友達は減って誰も信じなくなった。
「どうしてアンタって子は……いい加減にしなさい! そんなものはいないのよ!」
私の努力は結論から言えば、不正解だった。
分かってもらおうと頑張ることは無駄だった。
言えば言うほど、身体の痣は増えていく。
お母さんは泣きながら私を叩き、ヒステリックな声が私の耳を刺すようになった。
お父さんは見てみぬふりをする。
どうして、そんな嘘を付くの?
どうして、そんなに頭がおかしいのよ!?
ひどく痛い声が私を責める。
どうして、見える世界がお母さんたちと違うのかなんて私が一番知りたいよ。
要らない子みたいに浴びさせられるそれにただ耐えることしか出来なかった。
ただただできるだけ、小さく丸まってひっそり息をする。誰の邪魔にもならないように。
それが私に許された生き方だった。
でも、それもすぐ終わった。五歳の時に父方の祖父の死を口にしてその通りになってしまったから。
助けようと思って言ったけれど、それは余計に怖がらさせてしまったらしい。
精神病院に入れられたけど、そのまま家族に捨てられた私は児童養護施設へと預けられた。
◇◇◇
人間というのは不思議なもので、噂を信じるの。
本人の真実を信じようとしないくせに、他人の真か嘘か分からない噂を信じる。
「嘘ついてばっかだったから親に捨てられた子供」
そのレッテルが貼られた。事実は本当のことを言ったら、怖がった親に捨てられた子供なのに。
でも、真実は面白みがないんだろうね。面白いくらい前者が広がった。
だから、私のことなんて誰も信じない。
髪を引っ張られて殴られたのは私なのに殴ってきた奴が嘘泣きして私のせいにすれば、誰もが私がやったと信じて疑わなかった。
証拠なんてどこにもないのに。
最初は反論したけれど、嘘つきという強いワードが私に埋め込められていたから聞く耳なんて持ってくれる人なんていなかった。
小学校に上がっても、中学生に上がっても。それは分かることはなかった。
ううん、違う。私の名前は嘘つきになってた。
でも、別にどうでもいい。だって、もう誰も信じない。
期待したって無駄だって知ってる。もう昔から知ってることなんだ。
中学を卒業したら、私を知らない場所で働いて生きていこうと決めた。
養護施設には高校卒業するまでいられるけれど、息苦しい世界にわざわざいる必要ないもの。
今のうちに、ひっそり調べて静かに去ろうと思った時だった。
ああ、私の人生がこれで終わるんだ。
全くいいことなんてなかったなぁ。
そんな呑気なことを考えつつも覚悟を決めて目を閉じた瞬間。
耳を塞ぎたくなるような凄い大きい音だった。
驚いて目を開ければ、茜空が広がっているだけ。
目の前を覆っていた黒い物体は綺麗に消えていて、輝いている夕焼けの中で立っていたのは厳ついおじさんだった。
「大丈夫か?」
ただ静かにそう聞かれる。何が起きたのか。
まるで分からない私は声を出すことが出来なくて首を縦に振った。
「そうか……お前は見えるのか?」
表情が緩むのが見えると不思議そうに聞かれる。
「……あなたも見えるんですか?」
でも、生きてきて同じモノが見える人なんて会ったことがなかったから、びっくりして声が震える。
「ああ……もしかして、今ので見えるようになったか」
おじさんは頷いて困ったように顎に手を添えて考え込んだ。
今、本当のことを伝えたら、何かが変わるかもしれない。そう、直感した。
「幼い頃から見えます……そのせいで、私は両親に捨てられました……!!」
人生で最後のチャンスかもしれない。
見える人に会えることなんてこれっきりかもしれないもの。私は必死になった。
「見えるからと言ってなんになるんだ」
「あれはなんなんですか!?」
おじさんは眉間にシワを刻んだ。機嫌を損ねてしまったかもしれない。
それでも、ここで引くわけにはいかなかった。立ち上がっておじさんの服を掴み、懇願するように問う。
今まで何なのか分からずに見ていたモノの正体を教えてもらうために。
「呪い……俺達は
「じゅ……れ、い?」
「恨みや後悔、恥辱など人間の身体から流れた不の感情が具現し、石を持った異形の存在だ」
ため息を付きつつも教えてくれた。
初めてきたそれに私はぽかんと口を開けているしかない。
でも、ずっと見えてたモノは実在した。
私が狂ってる訳でも、頭がおかしいわけでも、嘘を付いてる訳でもない。
本当にいたという言葉を第三者から聞いて安堵を覚えた。
「お願いします……あれらを対処する方法を教えて下さい!!」
頭を下げてお願いした。
「断る」
返ってきたのは短い拒否。
ここで引き下がる訳にはいかない。
「来年の春に中学を卒業したら、一人で生きていかなきゃいけないんです……私に居場所なんてないんです……お願いします! 自分を守る為の術を……その世界を教えて下さい!!」
ここで頑張らなかったら、私に待ってるのは嘘つきと言われる世界だけ。生きるか死ぬかの岐路に立たされてる。そう思った。
「……それは呪術師になると言うことだぞ」
意味は分からないけれど、きっと呪霊というモノを倒す人間に成ると言うことを指しているんだろう。
「私はいままで死んだまま生きてました!」
「!」
「自分の見える偽りない世界で生きたい!」
見えるモノを全否定される世界に居るのはどれだけ辛いか、そんなのは私が一番知ってる。
本当の名前はある。
嘘つきなんて名前じゃない。
私から嘘つきを捨てさせて。
その思いで土下座をした。
おじさんが戸惑ってるのが雰囲気で分かる。
でも、うんと言うまで頭を上げる気はない。根性比べだ。
「……はあ……分かった」
「!」
長い長い、沈黙の後。
深いため息と共に了承の言葉が聞こえてくる。
嬉しさのあまりに顔を上げると困ったような優しい顔を浮かべるおじさん。
「まず、お前は高専に通え。スカウトということで書類を出しておいてやる」
迫力ある顔がグイッと近づいてくると鼻頭を指差して投げられた言葉。
聞こえる声に嘘はない。信じられる。その事実に私は綻んだ。
「ありがとうございます……!」
私はもう一度、頭を下げた。
「分かったから、頭を上げろ」
何度も土下座されるのは嫌いらしい。腕を引っ張られて無理矢理立たせられた。
「あの、おじさん……名前を教えて下さい」
「俺は夜蛾正道だ」
助けてもらった上にスカウトしてくれると言う人の名前が分からない。
聞き辛いと思いつつ、勇気を出して聞けば、すんなり教えてくれた。
間違いなく、この出会いは私の何かを変えてくれる。根拠もないけれど、その確信が持てた。
それから時が過ぎ、春――
私は都立呪術応答専門学校に入学した。