2話




 広い教室にあるのは一つの教壇と四つの席。
  一学年ひとがくねんの生徒はとても少なく、四人だけだ。


「お前さ、またやってんの?」
「飽きないね」


 白髪にサングラスをかけた少年は机にだらんとしながら、隣にいる清に呆れたように問いかける。
 前髪に特徴のある黒髪の少年も眉を下げて肩を竦めているため、彼も同じことを思っているようだ。


「作っておけば、置くほど予備出来るからね」


 清は右隣にいる男共に目を向けることなく、ちくちくと器用に針を布に通して何かを作っている。


「いや、お前の呪力底なしかよ」
「元気なことはいい事だけどね」
「元気ですませていいの?あれ」


 何かを作るのにどうやら、呪力を込めているらしい。
 彼女の後ろに転がっている人形の群れにチラッと視線を向けた五条悟は頬を引き攣らせると夏油傑はうんと頷いた。
 しかし、彼の反応に疑問を持ったのだろう。清の左隣にいる煙草を吸っている家入硝子は自分から一番遠い夏油に冷静にツッコミを入れる。

 三人がこのような反応をするのも無理はない。
 清の後ろに転がっている人形は1体や2体ではない。小さな山が出来ているところを見ると何十体は作っているのだ。


「毎回任務に行くたびに1体は壊れるんだから、たくさん作っといて損はないでしょ」
「だとしてもさ」
「限度があるんじゃないかい?」


 彼女は鼻歌を歌いながら、気分良さそうに縫い続ける。
 だが、文句はちゃんと聞こえているようだ。
 答えるが、硝子はぷはっと煙草の煙を吐き出し、チラッと視線を向けると彼女の言いたいことを代わりに傑が口にする。
 彼の場合は口調が柔らかいからか、提案のように聞こえるから不思議だ。


「……つーか、任務に持って行けるだけにしとけよ。邪魔くせぇ」
「暇なときにいっぱい作っておきたいんだもん。私弱いからすぐ怪我するし」


 同級生の顔を見ることもせず、黙々と呪骸を作っている清に五条は苛立って来たのか。眉を吊り上げて荒々しく言う。
 しかし、彼女は彼の苛立ちに気が付いていないのか、マイペースに自分の意見を口にした。


「弱ぇのが分かってんなら、まず怪我しないように立ち回る訓練した方がいいんじゃね?」
「それは悟の言う通りだね」
「珍しく正論だな」
 

 五条の苛立ちはだんだんエスカレートしているらしい。貧乏ゆるりまでし始めている。
 机に腕を預けて手のひらに自身の頭を乗せている姿は非常に偉そうだが、その態度に突っ込む人間はいない。
 それがこのクラスで頭里前のことだから誰も気にしないのだ。
 しかし、彼の言ったことは間違っていないようで呪骸を作っている本人以外は賛同している。
 まあ、硝子は少し驚いた顔をしてぽつりと零しているが。


「…………あはは」


 その言葉にやっと彼女の手はピタリと止まり、五条たちの方へ顔を向けた。
 キョトンとした顔をしていたが、馬鹿にしているような乾いた声で笑い声を出す。


「てんめぇ……」
「ちょ、悟。落ち着こうか」
「落ち着いてられっかよ」


 ブチっ。
 頭の何かが切れた音がすると五条は額に青筋を浮き立出せるとノロノロと立ち上がった。
 流石にそろそろ止めないといけないと思ったらしい。傑は焦ったように彼を止めるが、真黒なオーラを纏いながら、ドスの効いた声で言い返す。
 なかなかキレているのが分かるのだろう。傑は片手で顔を覆いながら、深いため息を付くが、五条は隠す気のない不機嫌を彼に向けた。


「もー、五条君はキレるの早いね」
「キレさせてるのお前だぞ」
「知ってる」


 明らかに清のせいなのだが、まるで他人事だ。
 ケラケラと笑いながら、また縫物を始めると硝子は呆れた目で彼女を見つめ、言葉を投げかける。
 だが、それは理解しているようだ。あっさりとした答えが返ってくる。


「…………」


 硝子は考えるのも止めるのも面倒になったのだろう。
 煙草の煙は深く吸い、肺に満たすと吐き出した。


「お前ら、騒がしいぞ」
「あ、夜蛾先生」


 ガラッと扉が開く音がするとサングラスをかけた厳つい男性が入ってくる。
 その姿を見ると清はぱっと顔を上げた。


「………お前は作る量の限度を覚えろ」
「ほれみろ、言われてんじゃねぇか」


 夜蛾はその声に反応してそちらを見るが、彼女を見るよりもその先にある山が気になったらしい。
 眉根を寄せて、一言を言うと五条は教師を指差して清に訴えた。


「えー……まあ、夜蛾先生が言うなら気を付けまーす」
「おい……」


 彼女はまだ作業を続けた勝ったのだろう。困った顔をするが、恩人かつ恩師の忠告は無視する気にはなれなかったようだ。
 はぁ……とため息を付いては素直にソーイングセットに針を戻す。
 それが信じられないのか。五条は不満そうにぴくぴくと眉を動かした。


「はあ……お前たち二人で任務に入ってこい」
「二人って誰?」


 なんともある意味息がぴったりなような、ちぐはぐなような生徒のやり取りに夜蛾は頭をガシガシとかきながら、肩を上下して息を吐く。そして、ビシッと指を差して端的に指示を出した。
 指を差している先は五条と清の間。
 つまり、誰も刺していないと言っても過言ではないのだ。
 彼女はキョトンとした顔をして首を傾げる。


「真ん中二人だ」
「はあ?俺とコイツで?」
「……私、いるかな」


 夜蛾は、はっきりと口にする。
 真ん中二人というのはつまり、両端にいる硝子でも傑でもない。五条と清だ。
 この二人の組み合わせの任務は珍しいのか、五条は怪訝そうな顔をして彼女を指差す。
 しかし、その意見に反論はないのだろう。清も彼の方へ顔を向けて自分を指差し、不安そうにぽつりと零した。


「いらねぇな」
「あはは……だよね!」


 そんなことない。
 普通の人だったら、お世辞でもそう言うだろう。
 だが、五条悟という人間は自分の気持ちに正直だ。いい意味でも悪い意味でも。
 きっぱりと答えれば、彼女は笑って頷く。


「いってらっしゃーい」
「俺に押し付けんな」


 清は手を軽く振りながら、彼を見送ろうとするとその態度が気に入らなかったようだ。
 ガシッと彼女の机を軽く蹴り飛ばして抗議した。
 まあ、押し付けられて素直に言うことを言う人間はこの場にいない。


「聞こえなかったか?俺は二人でと言ったんだ」
「「はーい」」


 しかし、夜蛾は納得するわけがない。彼は二人に近寄り、威圧的に言い聞かせた。
 もはや、彼の厳つい顔に低音ボイスが加わると脅迫に近い何かに聞こえる。
 二人は顔をそらして適当な返事をする辺り、息は合っているのかもしれない。


「怪我しないように気をつけなよ」
「何かあったら、五条君を盾にするよ」


 硝子はポンと清の背中を叩き、激励すると彼女は残念なことをキラキラした笑顔で言った。


「あのなぁ……」
「じゃ、いってきまーす」
「〜〜〜っ、」


 がたっと音を立てて面倒くさそうに立ち上がる五条は目を細めて文句を言いかけるが、それは清によって遮られる。
 夜蛾から渡された書類を持ってさっさと教室を出て行ってしまうのだから、彼女は自由だ。
 文句を最後まで言わせてもらえなかったことに不燃焼なのだろう。五条は唸りながら、清の後を追った。
 その足音は乱雑な音でイライラしていることを体現している。


「五条の奴、振り回されてるなぁ」
「見ていて楽しいけれどね」


 うるさい音がどんどん遠ざかっていくことを確認した硝子は呑気に感想を述べた。
 その感想は傑も同じだったのか、くすっと笑みを零して頷く。


――……同じものが見える人たちがこんなにいるのね


 入学した初日。
 満開の桜が風に靡かれている中、嬉しそうな泣きそうな顔をして言う彼女の姿を傑は脳裏に思い起こす。


「……あれから1年か」
「どうかした?」


 彼は目を閉じてふっと笑ってポツリと零した。
 それは硝子の耳にも届いていたのだろう。不思議そうにじっと見つめながら問いかける。


「初めて会った時の間抜け面を思い出してね」
「ああ、あれは傑作だな」


 傑はニコッと笑って手のひらをひらっと天井に向けて思い出したことを説明すれば、彼の言わんとしていることがすぐ分かったらしい。彼女もまたふっと口角を上げた。


「あんな大人しかったのに……変わるものだね」
「そりゃ生きてるんだから、変わるだろうよ」
「……それもそうか」


 初めて会った時の清は今のように表情豊かではなかったのだろう。
 一年、一緒にいたからこその変化をしみじみと感じている傑に硝子は煙草を口から離して息を吐き出す。
 彼の思ったことを否定していないからこそ言いたいことは分かるのかもしれない。だが、変わらないなんてことはないと思っているからこその言葉なのだろう。
 冷静に言葉を返してくる彼女に傑は困ったように笑って納得を示した。


「……お前は煙草を吸うな」


 そんな残された二人の生徒の話を黙って聞いていた夜蛾だが、ずっと気になっていたことがあったらしい。
 それはもう扉を開けて教室に入った時から、未成年が煙草を喫煙しているということに。


「………」
「………」

 恐らく教室に入った時点で止めるべきことなのだろうが、今更感が凄いのだろう。
 二人の生徒はただ黙って担任を見つめていたのだった。



◇◇◇


 空は何処までも青く、白い雲は優雅に泳いでいる。
 そんな空の下、呪術高専の二人の男女は歩いていた。


「五条君、書類ちゃんと見た? 」
「お前が見てりゃ十分だろ」


 隣を歩く頭二つ分ある五条に聞きながら、清は手に持っている書類に目を通す。
 しかし、鼻っから見る気がなかったのだろう。彼は適当な返事を返すだけだ。

 
「うわぁ、出た。人任せ」
「ここの学校か?」


 彼女は丸投げ発言に抗議しようと思ったのか、ガバッと顔を上げて半目で睨みつける。
 五条は清の言葉なんて気にも留めていないのかもしれない。ピタリと足を止めて面倒くさそうに建物を見上げた。


「だね……呪霊が出るの、は……!」
「……おい、どうした?」


 文句の一つや二つは出てくるが、どうでもよくなったのか。彼女はため息一つ付くとコクリと頷き、正面を向く。
 目の前にいるものに驚き、清は大きな目を見開くとその不自然な言葉の処理に五条は眉根を寄せては彼女の視線の先を見た。
 そこにいたのはブレザーに身を包み、ギターを背負った同い年くらいの少年とその友人らしき少年だった。


「お前なんでここにいんだよ」
「…………」
「嘘つきがこんな所にうろちょろしてんのちょー迷惑なんだけど?」


 ギターを背負った少年は醜悪なものを見るような目を向けて、痛々しい声で話しかけるが、清はその言葉に反応を示すことをしない。
 応答がないことに苛立ったのか、ギターを背負った少年の目には酷く冷たい炎が宿っているようにさえ見える。見下した態度で言葉をかければ、鼻で笑った。


「知り合い?」
「嘘つきすぎて親に捨てられた嘘つきだよ」
「……」


 異様な雰囲気を感じ取ったのだろう。彼の友人は困惑した表情をして首を傾げると馬鹿にしたように吐き捨てる。
 ここまで言われれば、誰しも反論するだろう。それが正しいにせよ、間違っているにせよ。
 しかし、それでも彼女は口を固く閉じていた。


「嘘って?」
「え、アンタ知らないの?つーか、嘘しかつかないから一緒にいない方がいいぜ?」
「っ、!」


 五条は心底うざそうな顔をして口を挟む。
 彼にとってそれは意味の分からないことだったのかもしれない。
 ギターを背負った少年はぷっと吹き出してあざ笑えば、五条を不憫に思ったのか。憐れむように忠告をするとその言葉に初めて清は顔色を変えて俯いていた顔を上げた。


「………」
「何もないのにいるとか言って構ってちゃんでさ、ないこと言い続けてたんだよ」
「マジかよ」


 五条はその言葉がますます意味が分からないらしい。黙ったまま、眉間のシワを更に深く刻む。
 清を卑下することが楽しくなってきたのか、彼は気分良さげに今まであったこと・・・・・・・・・・・・のように語った。
 ギターを背負った少年の話だけを聞けば、”ヤバい女”と思われるのは間違いない。
 彼の友人も同じことを思ったのか、引いた顔をして軽蔑した目を彼女に向ける。


「くだらね、行くぞ」


 まだ少年が話し始めて数分も経ってはいない。だが、気分が悪くなる話題なのだろう。
 五条は一層不機嫌なオーラを醸し出し、深いため息を付くと乱暴に清の手首を掴んで歩き出した。


「え、あ、五条君…!?」


 まさか、強引にこの場から連れ出されるとは思っていなかったのかもしれない。彼女は驚いた顔をして彼の後頭部を見つめる。
 しかし、彼は振り返ることはない。困った顔をして掴まれた腕に目を落とした。


「おい、最後まで人の助言を……!」


 ギターを背負った少年もまた逃げられるとは思っていなかったらしい。言い足りないとばかりに五条に声をかけるが、言い掛けた言葉を無意識に飲み込んだ。
 何故なら、五条が静かに鋭い目で睨んでいたからだ。
 彼らは猛獣に目を付けられた小動物のように身を縮こまらせると血の気を失わせ、二人とは違う方へ走って行った。


「ま、待って待って、五条君!早い!」

 
 五条は目的の学校を目の前にしていたのにどんどんと遠ざかっている。
 それに清は慌てて声をかけるが、止まることはなかった。
 しかし、彼は身長が高いゆえに足も長い。
 前へと進むペースが追いつかなくて足がもつれそうになった彼女はグイッと腕を引っ張って何とか止まってもらおうとした。


「うっ……いたた……」


 ピタッと何の予兆もなしに止まる五条の背中に清はドンと顔面をぶつけた。
 やっと止まった。
 その思いと共に出てくるのはぶつかった時の衝撃の痛覚だ。
 空いている片手で鼻頭を摩ると彼は苦虫を噛み潰したような顔をしており、その表情は彼女にとって新鮮だったのだろう。
 ぽかんとした顔をして見つめた。


「お前。どうして言い返さなかったんだよ」
「え……」
「いつものお前なら、言い返してるだろ」


 不機嫌MAX。
 それが声音にも出ている。
 しかし、五条からそんなことを言われるとは思っていなかったらしい。間抜け面をしたままいると彼は言葉を続けた。


(五条君は呪術師になる前の私を、知らない……)


 清はバカにされた自分のために怒っているということが分かったのだろう。
 心が痛くて、悲しくて、切なくて。でも、あたたかい。
 不思議で複雑な感情を覚えながら、目を細めて見つめ続けた。


「……15年間」
「あ?」
「15年間、親にも周りの人達にも、本当のことしか言わなかった。でも、嘘つきだって言われてたの。言われ続けたの」


 そして、ゆっくり口を開くとぽつりと呟く。
 それは思っていたモノと違っていたのかもしれない。
 五条は眉をピクッと動かして反応すれば、彼女は微笑んで昔話を語るように言葉を紡いだ。


「……」


 彼はサングラスの奥にある空のような、宝石のような碧眼を丸くさせる。
 分厚い仮面を被った道化のような清の表情に。


「信じてくれない人に何言っても無駄でしょ」


 彼女は仮面を被ったまま、柔らかい声音で諭すように言った。 


(なんっつー、目だよ)


 確かに口角を上げて笑っているのに、細めた目の奥に温度はない。
 拒絶の色を孕んでいるようにさえ五条の目には見えるのかもしれない。
 息を飲んでは心の中でボソッと呟いた。


「はあああ……」
「ちょ、五条君??髪乱れる!」


 出会って二年目。
 四六時中、四人でいたからこそ知らないことはあまりないと思っていたのだろう。
 だが、ここでまた知らない一面を知った。その事実に彼は深いため息を付くとわしゃわしゃと乱暴に頭を撫で始めた。
 この空気でその行動に出るとは思わなかったらしい。
 清は一線を引いていた顔を止めて慌てたように乱暴に撫でる五条の腕を両手でガシッと掴んで止めようとする。
 

「ちゃっちゃと祓って甘いの食いに行こうぜ」
「ええ、私は激辛ラーメンがいいな」


 しかし、男と女だ。力で勝てるわけがない。
 なされるがままになっているといつもの彼女に戻ったことに彼は胸を下ろしてパッと手を離してはニッと笑って提案した。
 グシャグシャのボサボサ。
 此処までされると普通は怒るものだが、清は違うらしい。
 口を尖らせて髪を整えるだけで反抗はしない。するとするならば、自分の意思を出すことだけだ。


「…………」
「…………」


 スイーツと激辛ラーメン。
 南半球と北半球のような関係のものを口にした二人はただ黙って見つめ合う。


「本当にお前とは合わねぇな」
「ほんと、真逆よね」


 二人は深いため息を吐いてお互いに悪態を付くが、それに刺々しさはない。
 あるのは柔らかい空気間と少しの笑みだった。



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