第伍話




「はあー♡食ったぁぁぁ♡♡♡」
「……でしょうね」


 自身の腹を手で摩る敦の目の前には食べ終わった茶漬けの椀がテーブルに山積みになっている。
 十皿ほどの空の皿が。
 それを見た楓は呆れたように目を細め、ぼそっと言葉を零した。


「もう茶漬け十年は見たくない♡」
「お前……人の金でこれだけ食っておいてよくもまあぬけぬけと」


 満足気に言うところを見れば、それだけ腹は満たされたということだろう。
 そんな少年に苛立ちを覚えたらしい。国木田は眉をピクピクと動かし、低い声で文句を口にした。


「ほんと助かりました」
「?」


 敦は態度を改め、頭を下げ、礼を口にする。
 彼のその態度に疑問を持ったのだろう。国木田は首を傾げた。


「孤児院を出て、ヨコハマにきてから、食べるものも寝るところもなく……あわや餓死するかと」
「君、施設の出かい?」


 顔を上げる敦は眉を下げて恥ずかしそうに言葉を紡ぐ。
 ふと気になったかのように太宰は片手を出し、問いかけた。


「出というか………追い出されたんです」
「追い出された、ね……」
「それは薄情な施設もあったものだね」


 敦は暗い表情を落とし、言葉を濁しつつも、返答するとその言葉が意味深長に聞こえたのだろう。
 楓はぽつりと引っかかったように言葉を零すと隣にいる太宰は眉を下げ、敦を憐れむ言葉をかける。 


「おい太宰、俺たちは恵まれぬ小僧に慈悲を垂れる篤志家とくしかじゃない。仕事に戻るぞ」
「そう言えばさっき、軍関係の依頼とおっしゃってましたが、何のお仕事を?」
「なあに………探偵だよ」
「……探偵………」


 国木田は苛立った表情をして、太宰に忠告をすると急かさせるように言葉を投げかけるが、敦はふと疑問に思ったことがあったらしい。
 不思議そうに問いかけると太宰は不敵に笑みを浮かべてその問いに答えた。
 返ってきた答えが思っても見ないものだったのか、敦はぽつりとオウム返しをする。 


「探偵と云っても、ペット探しや不貞調査ではないぞ」
「……異能集団『武装探偵社』って聞いたことない?それ」
「………え?」


 勘違いをしてもらいたくなかったのだろう。
 国木田は腕を組みながら、追加するように言葉を紡いだ。
 違うの?
 そう言いたげな顔をする敦に気が付いた楓はどうちがうのかを口にすると彼は目を見張り、驚いた表情を浮べる。


(風の噂で聞いたことがあった。武装探偵社……曰く、軍や警察に頼れない危険な仕事を専門にする探偵集団……昼の世界と夜の世界、その間を取り仕切る、薄暮はくぼの武装集団……この三人がそうなのか?)
「へぇ、随分詳しいのね」
「…え?」


 楓の言った言葉は聞き覚えがあったらしい。
 心の中で”武装探偵社”について知っていることを思い出す敦だ、それは太宰に手を握られていない彼女には丸聞こえだ。
 詳しく知っていたことに彼女は目を細め、口角を上げると称賛するように言葉を紡ぐ。
 口にしていないのに、まるで聞こえていたかのように言葉を敦に向けてくる楓に彼は瞳を揺らし、一言を零した。 
 彼女の能力を知らない者からしたら、それは恐怖でしかない。敦は頬からじわりと冷や汗をにじませながら、彼女を見つめた。


「おー、あんなところに良い鴨居が!」
「?」


 不穏な空気が流れ出しそうな雰囲気をぶち壊すような明るい声音。
 太宰は鴨居を見上げ、喜ぶように言葉を紡ぐと敦は眉間にシワを寄せ、首を傾げる。


「立ち寄った茶屋で、首吊りの算段をするな!」
「違うよ。首吊り健康法だよ」


 雰囲気が変わったのは良いが、自殺の三段をする相棒に国木田は眉根を寄せ、苛立ちを見せると説教するように彼に言葉を投げかけた。
 しかし、当の本人は飄々とした顔をして国木田の言葉に反論する。


「なんだそれは」
「えー?!国木田君知らないのー?すごく肩凝りに効くのにぃ!」


 国木田は健康法と聞き、少し興味を出したのだろう。
 彼に問いかけると太宰はそれを知らないことに驚きを隠せないらしいが、その口調はどこかワザとらしい。


「なに、そんな健康法があるのか?」
「ほら、メモメモ」
「………」
 

 それに気が付いていないのだろう。
 国木田はそんなに薦める健康法ならと興味を完全に持ってしまったようだ。身を乗り出して、問いかけると太宰は手帳を出してメモするように言うと彼は素直に手帳を取り出し、記し始める。
 楓は呆れたように目を細め、ため息を零した。


「くーびーつーりーけんこーほー」
「嘘だけど」


 国木田は手帳にゆっくり言葉を紡ぎながら、書いている。
 それが書き終わろうとしたタイミングで虚偽だと暴露する太宰は性質が悪い。 
 その言葉を聞いた瞬間、国木田はバキッとペンをへし折ったのだ。
 まあ、こんな嘘を付かれて、怒らない人間なんていないだろう。


「普通に考えたら分かりますよ…国木田さん」
(こ、この三人がホントにあの武装探偵社?)


 彼女にとって彼に同情の余地はないのか。楓は肩を落とし、気だるそうな視線を国木田に贈りながら、言葉を返した。
 太宰の言葉が嘘だと分かっていたら、教える優しさを見せても良いのだが、彼女にその優しさは持ち合わせていないようだ。
 昼の世界と夜の世界、その間を取り仕切る武装集団は恐ろしいイメージがあったのだろう。
 三人のやり取りをずっと見守っていた敦は戸惑いを隠せないらしい。


「相棒は川に流されるわ、行き倒れの小僧は遠慮もなく食いまくるわで俺の完璧な予定が今や白紙同然だ!」
「……こいつと組んでる時点で諦めるべきですね」


 国木田は今日という日を振り返り、予定を狂わされたことに肩をワナワナ震わせるとバンッと音を立て、机を叩くと太宰に文句を言い放つが、楓はどこまで冷静だ。
 その怒りを持つことは論外とばかりにツッコミを入れる。


「今日の仕事だけは予定通り終わらせるからな!わかったかこの唐変木とうへんぼくぅぅうう!」
「その、今日のお仕事っていうのは?」


 しかし、彼の怒りは収まらないのだろう。
 立ち上がり、太宰の胸ぐらを掴み、ブンブンと揺さぶりながら、文句を吐き続けた。
 そんな彼に楓は頭を下げ、はあ…とため息を吐くと敦は不思議そうに問いかける。


「あ゛あ゛?!」
「ああすみません!余計なこと訊いちゃいました!そ、そそ、そうですよね、探偵社の仕事は、守秘義務とかありますもんね」
「……今日の仕事は別に隠すような類のものではない。軍の依頼で、“虎”探しをしている」
「…………虎?」


 呑気な質問に国木田は怒りをそのままにして、反応すると敦は酷く怯えた様子で謝罪の言葉を口にする。
 彼の怯えた姿に冷静さを取り戻したのだろう。国木田はクイッと眼鏡を上げて息を吐き出すと敦の疑問に答えた。
 敦はその言葉にピクッと反応を示し、言葉を零す。  


「そ。近頃街を荒らしてるって噂の人喰い虎」
「ま、本当に人を喰ったかどうかは知らないが倉庫を荒らしたり畑の作物を喰ったり、好き放題さ。最近、この辺りでの目撃情報が多くてね……どうした敦君」


 楓はテーブルに肘を付き、手のひらに頬を乗せてると加えるように言葉を口にした。
 太宰も彼女に続き、言葉を紡ぎながら目を瞑り、手のひらを上にしてひらひらとさせていたが、片目を開き、チラッと敦に視線を向けると彼へ話しかける。
先ほどまで座っていたはずの彼は床を這いずるように慌てまろびつつ逃げようとしていた。


「ぼ……ぼ……ぼ僕はこ、これで失礼します。さ、さよーならー」


 見つかった。
 それが分かると敦はギクッと反応をし、どもりながら、言葉を紡ぎ、そのまま去ろうとしたが、襟首を国木田に掴まれて持ち上げられた。
 まるで猫のように。


「待て小僧。貴様、何か知っているな?」
「………」
「む……無理だ!奴に人が敵う訳ない!」
「貴様……人喰い虎を知っているのか?」


 掴まえた国木田は彼の顔を覗き込みながら、問いかけると敦は青い顔をして大量の汗を流す。
 楓は無言で彼を見つめ続けるとその視線も痛く感じたのだろう。
 敦は諦めたように白状をすると否定的な言葉を紡いだ。まさか、人喰い虎を知っているとは思わなかったらしい。国木田は問い詰めるように言葉を紡ぐ。 


「あいつは僕を狙ってる!殺されかけたんだ!この辺に出たなら、早く逃げないと!」


 敦は国木田の拘束を振り切って駆け出そうとした。しかし、国木田の腕が素早く動き、敦の手首を取り、捻って組み伏せる。そのまま床に叩きつけられた敦を馬乗りになって押さえこまれてしまった。


「小僧!茶漬け代は腕一本か、すべて話すかだな」
(やり方がマフィア…探偵なのに、一応……)


 不敵に笑みを浮かべる国木田のメガネは光が反射してキラリと輝く。
 か弱い少年を抑え込む大の男の姿に大人げなさを感じたのだろう。
 彼女はまた一つ、深いため息を零したのだった。


第伍話
『首根ッコヲ掴マレル』



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