第肆話




「はむはむはむはむ…」
(凄い食欲だな…)

 
  何処にでもある店。桜色を混ぜたような銀の髪の女性は目の前の光景をマジマジと観察する。それは何故かと言うと、何杯も積まれた茶碗。それでも満足せずにがっつく少年が居たからだ。まるで、ご飯をお預けされた猫が目の前に用意されたまんまに夢中になっているようだ。彼女は目をぱちぱちと瞬きをしながら、感心している。
 彼女の隣には包帯を無駄遣いしている男。太宰治が座っており、また太宰の目の前には国木田が席に付いていた。国木田の隣には腹減り少年。敦が食べ続けている。


「まったく貴様と云うやつは、仕事中に“良い川だね”とか云いながらいきなり飛び込むやつがあるか!」
「………」

 国木田は目を閉じ、眉間に皺を寄せながら言葉を紡いだ。それは苛ついている事が声音からもハッキリと分かる。楓もまたそれについては同意だったのだろう。肯定も否定もせず、ただ黙ってその言葉を聞き流していた。


「おかげで見ろ、予定が大幅に遅れてしまった」
「国木田君は予定表が好きだねぇ」


 国木田は懐から小さな手帳を取り出すとパラパラとページを捲る。そして、開いたページを目の前にいる太宰へぐいっと見せつけた。それで彼に反省を促そうとしたのだろうか。しかし、その行為は何の意味もなさない。太宰は右肘をテーブルに付くと手のひらに顎を乗せて、呑気に言葉を返した。
 

「これは予定表ではない!理想だ!!わが人生の道しるべだ。そしてこれには“仕事の相方が自殺嗜癖”とは書いていない!」
(書いてあったら自虐嗜癖としか思えないよ、国木田さん)
 

 彼の反省の色の無い言葉にキッと鋭い目を向け、手帳を叩く。いや、予定表と理想の違いを否定したいだけなのかもしれない。彼は理想と違う現実を受け止めきれないかのように叫んだ。その様に楓は冷めた目を向ける。実に彼女のツッコミは的確だ。しかし、それは口に出ていない為、彼女の胸の内なのだが。


「ぬんむいえおむんぐむぐ?」
「五月蝿い!出費計画のページにも“俺の金でしこたま茶漬けを食う”とは書いていない」
(それは最早、未来予知者…それよりも……)


 もぐもぐ。もぐもぐと食べ続ける敦。何か気になることがあったのだろう。口の中に入っている食べ物が無くなっていないのにも関わらず、言葉を発した。実にマナーが成っていない。しかし、それを指摘する者は此処には居ない。国木田は敦に叱咤した。実にそれは八つ当たりと云っても過言では無いだろう。事実、その状況を招いたのは太宰だ。彼に云うべきだろう。しかし、彼に言っても無駄だと感じているからか。少年をターゲットにしているようにも見える。
 彼のグチグチと吐く言葉を聞きながら、心の中でやはりツッコミを入れている楓#。しかし、ツッコミを入れた事よりも気になることがあるらしい。彼女は国木田に視線を向けた。


「ぬぐんむぬ、ぐね?」
「だから仕事だ!」
「んぐむぬ?」
「今日の仕事?軍関係の依頼だが」


 敦は飲み込むことをしない。まだ栗鼠のように頬張ったまま、問い掛け続ける。それに苛立ったように国木田は答えた。それはさも、当たり前のように。また敦は問い掛ける。国木田は少し、感情の起伏が落ち着いたのか。今度は彼の問いかけに落ち着いて答えた。


「……なんで君たち会話できてるの?」
「それね」
「「?」」


 その様をずっと見守っていた太宰と楓。二人は同じ事を思っていた。何故、最早日本語と呼べない。その言語を国木田が理解出来るのかという事だ。太宰は眉を下げて、何とも言えない表情を浮かべる。彼の問いかけは最もだからだろう。楓#は彼の問い掛けに同意を示した。恐らく、誰が聞いても同じ疑問を持つだろうが、当の本人達は自覚が無いのだろう。不思議そうな顔をして首を傾げる。 


「姫には分かるんじゃ?」
「手を握られてて分かるわけないでしょ?」


 珍しく同意をした事に驚いたのだろう。太宰は微かに目を見開いた。自身の顔を右手で支えながら、彼女に視線を向けては問い掛ける。しかし、彼の口角は僅かに上がっていた。その問い掛けに対する答えが分かっているようにも見える。否。分かっているのだ。
 彼女は怪訝そうに眉間に皺を寄せる。そして、睨みつけるように視線を横にいる男に向けた。太宰は彼女の左手を握っている。つまり、彼女は異能力を封じ込められているのだ。その状態で相手の心を見ることは出来ない。何故ならば、太宰の異能力は相手の力を無効化させるから。


「人の多いところだと気分悪くなるだろうと思って気を使ったんだけど、お節介だったかな?」
「………」


 彼は不機嫌そうな彼女の顔を見てどことなく嬉しそうだ。惚けたように更に問いかけ、繋いだ手をテーブルの下から上へとあげる。わざと彼女を苛立たせる素振り。それは彼女自身も分かっていたのだろう。
 彼が言っていることもまた事実。彼の体の一部が触れていれば、周りのまどろっこしい感情は彼女の中に入ってくることはない。否定も肯定も感情に出してしまえば、彼の思い通り。それが分かっているからか、彼女は黙って射殺す程の殺気に満ちた視線を太宰へ注ぐ。手を離さない。それは癪なのだろう。乱暴に彼の手の中にあった自身の手をぶんどった。
 

「「………」」
 

 首を傾げていた国木田と敦は二人の不穏な空気に背筋に、冷たいものが走る。姿勢を正すと敦は口に入れていた茶漬けをゴクリと喉を通した。そして、まだ茶碗に入った残りを口の中へと掻き込む。敦の隣にいた国木田もまた眼鏡を曇らせた。視線を彼らに向けないように手に持っていた手帳を開いて、顔を隠す。


(……この行動さえ、どーせ太宰の思うつぼ。どんな行動を取った所で全て奴の手のひらの上。そうやって考えるとイライラする……机叩き折りたい程に)
 

 楓の眉間の皺がどんどんと深く刻まれる。深いため息と共に太宰の居ない方へとプイっと顔を背けた。彼女はどのパターンの行動をとっても彼の前では無意味だと思っているのだろう。彼女は感情のまま、破壊衝動をしたい欲望をなんとか抑えていたのだった。


第肆話
『積マレタ茶碗』



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