捕まえた


 人の善心も悪心も。
 私の心を突き刺す刃のようにしか見えなかった。

 だから、人の心に触れるのが怖くて。
 だから、良くも悪くも在れるそれを向けられるのが怖くて。

 ずっと怯えていたの。
 ずっと逃げていた。


「捕まえた」
「…………」


 目の前には長身長の男がいて、私の背中には壁がある。
 彼が両手を伸ばして私の左右を封じられれば、逃げ場所なんてどこにもなかった。

 でも、五条君はそれをしないということは私が逃げないということを知ってる。

 知ってるからこそ、ワザとらしい自由を与えてくるんだ。
 なんて憎たらしいんだろう。


「あのさぁ、いい加減諦めたら?」
「いやよ」


 今、目の前にいる男は学生時代から変わらずに恋慕をぶつけてくる。

 飽きもせずに、私という存在を見つければ近寄っては好意を伝えて来るんだ。
 呆れたように首を傾げて促してくるけれど、私はそれを認めたくない。
 だから、必死に抵抗しているわけだ。


「そんなに僕って信用ない?」
「仲間としてなら信用してるわよ」

 
 残念そうに嘆く彼に私はただただ淡々と答えた。

 そう、信頼してる。
 信用もしてる。

 でも、それはあくまで仲間として。


「……どうして僕の気持ちから逃げる訳?」
「逃げたいから」
「答えになってない」


 深いため息をひとつ付いて聞かれても答えは一つしかない。
 体現してることがすべてだと言うのに言葉を要求するこの男を憎たらしく思いながら、言えばそれは棄却された。


「それ以外、答えなんて――」
「何を怖がってる訳?」
「……!」


 思った通りに行かなくてだんだんイライラとした感情が湧きあがってくる。

 眉間にシワを寄せて抗おうとしたら、その言葉は最後まで言わせてもらえずに鋭く突き刺すナイフのような問いを投げかけられた。

 そんな素振りなんて見せたことないはずなのにどうしてそれを知っているのか分からなくて、思わず目を大きく見開くと五条君はニヤッと口角を上げる。


「甘く見られても困るんだよねー……何年、なまえのこと見てると思ってんの?」


 さり気なく私の顔の横に手を伸ばして退路を断ち、もう片方の手で目を隠している黒い布を取った。

 隠していたものから覗く、キラキラと輝く宝石のような、一瞬一瞬を彩る青空のような瞳が私を捉える。


「…………」


 私はこの目が苦手だ。

 どんなに拒んでも。
 逃げても。
 全てを見透かしているようで。


「ん?」
「私は私に向けられる心が怖い」
「知ってる」


 催促してくるように端正な顔を近づけてくるから、白状しないとどのみち解放されないと思った。

 私はついに彼から逃げることを諦めて伏目がちに言えば、予想外な言葉が返ってくる。


「………あのねっ!」
「僕は一度手にしたら離さないよ」


 私を振り回すような五条君の言動にいい加減腹が煮えくり返ってきた。
 ガバッと顔を上げて文句を言ってやろうとした瞬間だった。唇に柔らかい感触を覚えたのは。

 それがなんだったのか、頭の中で整理するのは時間が必要で固まっている私に彼はまた不敵に笑うんだ。

 長い付き合いだから、分かってるんだ。

 好意が好意じゃなくなる瞬間を。
 好きが嫌いになる瞬間を。
 愛しているが無関心になる瞬間を。

 私が恐れているということを。


「……」


 学生時代から気持ちを伝えられてきたことはあったけど、行動に移されたことは一度もない。

 全部分かってて逃げる私を捕まえて、また逃がして泳がせてくれていたのに、今日初めてキスされてしまった。

 これは彼の警告なのかもしれない。

 もう逃がせないと。
 逃がす気がないと。


「…………くっそ重い呪いをかけてやる」


 じっと見つめてくる綺麗な碧眼の奥にある熱が私を捉えているような感覚を覚えると背筋がぞくりと栗毛立つ。

 それは高揚か、否か。
 今の私にはわからない。

 でも、もう逃げることは許されないなら呪術師らしからぬ言葉を与えてやろうと思った。

 逃げることを許されないのであれば愛を与えよう。

 それも過剰な程の愛を。
 呪いと紙一重の愛を。

 逃がさないと言った彼が後悔するほどの愛を。


「……ふっ、……クックッ、いいね。最高だよ」


 私の言葉は予想外だったのか、目を真ん丸とさせると楽しそうに喉を上下させて笑って私を抱き寄せる。


「そりゃ、どーも」


 人の心と向き合いたくなくて逃げてたのに結局一番厄介な奴に捕まった。

 それなのに五条君の腕の中はなかなか居心地が良い。

 それに一番困ってしまったけれど、もう逃げなくていいという事実が胸を温かくさせたことは私だけの秘密。



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