▼▲
腹ごしらえ



今剣に案内され、お手洗いと洗顔を済ませた律子は、幾分落ち着きを取り戻したようであった。


『ふぅ…っ、やっぱり顔洗わないと寝起きはスッキリしないよね〜。』
「そうですね!つぎは、おへやにもどっておきがえですね?きっと、そろそろ薬研が、あるじさまがきれそうなふくをよういしてまってるころです!」
『そうだね。ところで…この浴衣もだけど、私が着れそうな服って、一体誰から借りてるの…?』
「あぁ、それはですね…、」


目が覚めた時に居た部屋までの廊下を歩きながら、素朴な疑問をぶつけていると、何やら目的の部屋の方から騒がしい声が聞こえてきた。


「何故、俺が主の為の水を取りに行っている間に、その主が居なくなっておられるんだ…!」
「仕方ないだろう。大将が厠に行きたいって言ったんだ。寝起きだったのもあるし、二日も眠ってたんだから、当然のこったろ。我慢させるなんて可哀想だろ?」
「それはそうだが…!何故、俺にも一言言ってくれないんだ…っ!」
「言おうにも、長谷部が行っちまった後の話だし。何より、待ってくれないだろ、アンタ。」


どうやら、彼に何も言わずに部屋から移動したのが悪かったらしい。

若干の修羅場状態に、どう出ていけば良いものかと考えあぐねていると。

此方に気付いた薬研が、声をかけた。


「おっ。戻ったか、大将。」
「主…っ!」
『えーっと…何か待たせちゃった感じかな…?ごめんね。』
「いや、案外早くて助かったぜ。長谷部の旦那がうるさくてな…。」
「な…っ!余計な事を…!」
「でも、じじつでしょう?ぼくはちゃーんとみていましたからね。」


「ふんっ。」と小さくも腕組みをして彼を見つめる姿は、さながら、会社の部下の失態を咎める上司のようだ。

生まれた時代の関係的にも、今剣の方が先輩で、この場で言えば年長者だ。

小さいながらも、しっかりとしていて威厳がある。


「あるじさまにめいわくをかけるようなことはしてはいけませんよ。」
「ぐ…っ!解っている…!」
『ははは…っ。(すげぇ立場逆転してるなぁ…絵面的に。)』


端から見たら、幼き子供に叱られる良い大人である。

そんな事を思いながら、場の行く末を眺めていると、本来の目的を思い出した長谷部が此方に向き直った。


「先程は失礼致しました…。此方、頼まれていたお水になります。」
『わ…っ、水差しも持ってきてくれたの?』
「はいっ。二日も水分補給が出来ていなかったのでは、一杯だけでは足らないだろうと思いまして。僭越ながら、ご用意させて頂きました。これなら、何杯でもおかわりが出来るでしょう?」
『ありがとう…っ!本当、すっごく喉渇いちゃってたから、助かるよ…!』
「いえ、主の為を思っての事ですから。」


彼女からの初めての主命をもらった事もあるが、それを彼女が思っていた以上に果たせたとあってか、めちゃくちゃ嬉しそうだ。

心なしか、桜の花弁が舞っているようにも見える。


(おお…、これが噂の刀剣男士の桜か…。うむ、綺麗だ。)


内心で頷く律子だった。

一先ず、水分補給をして喉を潤してから着替える事にした律子。

勿論、着替える際の彼等は、部屋の外での待機だ。

始めこそ、「主の着替えの世話をする」と言い出した長谷部だったが、彼女から、「自分一人でも着れそうな服だから良い。」と言われ、渋々引き下がったのであった。

そもそも、自分は既に成人を終えた女の身。

幾ら、着替えに手こずるような服だったとしても、子供のように手を借りる気は無かった。

況してや、相手は成人男性の姿だ。

着替えを見られるor手伝われる等、言語道断だった。

まぁ、実際薬研から受け取った服は、いかにも現代的で、そんな杞憂もしないで済む物であったが。

何故、現代的かというと…それは、借りた服が如何にも学生が着ているようなジャージだったからである。

それも、上下一式。

これなら、安心して着替える事が出来るが…はてさて、一体誰の服なのだろうか。

今剣に問いかけたものの、答えを聞き終わる前に会話が中断されてしまった為、解らず終いなのだ。

取り敢えず、後で改めて聞く事にしよう。

そう考えて、皆を待たせないようにと、急いで着替えるのだった。


「……おっ、もう良いのかい?大将。着替えはちゃんと出来たか?」
『うん、待たせてごめんね。サイズ的には問題無さそうだよ?ズボンの丈がちょっと長いのと、ウエストが少し大きいけど…。まぁ、何とかいけるかな。』
「そいつは良かったぜ。何せ、此処に居る奴等は、皆デカイ奴ばっかりでなぁ…。大将に見合うサイズの服が無いんだ。ちゃんとした服が政府から支給されるまで、暫くは我慢してくれや。」
『はーいっ、了解しやしたー。』


場を和まそうと、少しおちゃらけた返事をしたら、何故か長谷部が顔を背けて口許を覆い隠した。


『え、何…?何かまずかった…?』
「いえ、きにしないでください。あるじさまのかわいさに、こらえきれなかっただけですから。ほうっておいてだいじょうぶですよ。」
『え…?今の何処にそんな要素あった…?つか、私は可愛くないよ。』
「(無自覚か…。)恐らく、服のサイズが合ってなくてブカブカしてるせいだろうな…。放っておいて、先行こうぜ。」
『え、良いの?本当に放っておいて…。』
「いつものことです。」
「大将に対しての長谷部は、ちと阿呆っぽいんだ。突っ込むと余計に面倒になるからな。放っておくのが一番良い。」
『さ、さよですか…っ。』


二人はそういうものの、一人置いていくのは、どこか心苦しかったので、小声で一言声をかけておく事にする。


『わ、私達先行ってるね…?長谷部もちゃんと後から来てね。』


ちゃんと聞こえたかは定かではないが、先程の一件もある為、一言声をかけてから移動するのであった。

彼女達が居なくなって数秒後、彼はポツリと呟いた。


「主…っ、なんて愛らしいんですか…っ!俺のハートをこんなにも早く撃ち抜くとは、流石です……っ!」


一人悶えていたのだった。

ところ変わって、律子達は、別の部屋へと来ていた。

先程まで居た部屋よりも随分と広い、大人数が入りそうな部屋だった。


『うわぁ〜っ、広い…!さっきの部屋も十分広かったけど、この部屋は更に広いね…っ!』
「あぁ。さっきまでの部屋は、俺達粟田口の部屋だったからな。人数が多いもんで、他の奴等とは違って広い部屋なんだ。今は襖で仕切ってたが、取っ払ったらもっと広いぜ?」
『へぇ〜、そうなんだ…。あれ…っ?でも、審神者には審神者専用の部屋があるんじゃ…?』
「あぁ、その事なんだけどな…。」
「じつは、あるじさまがたおれられたことにもかんけいがあるのですが…。このほんまるは、まだあるじさまのれいりょくがゆきわたっていないのです…。あるじさまがきたばかりであったというのもあって、あるじさまのれいりょくがなじんでないんです。そのため、じょうかがすんでいないところがいくつかのこっていて…あるじさまのおへやも、そのうちのひとつなんです。」


申し訳なさそうに言う今剣が、しょんぼりとして小さく謝ってきた。

しかし、それは、彼が謝るような事ではない。

だから、決して彼が悪い訳でもない。


『謝らなくて良いよ?教えてくれてありがとね、今剣。』
「あるじさま…。」


腰を屈めた律子は、にこりと優しく微笑んで、彼の頭を撫でた。

顔を上げた今剣は、複雑な思いを滲ませた表情で彼女を見つめたのだった。


「さてと…っ。起きたんだったら、まずは飯だよな?二日も何も食べてないんじゃ、相当腹空かせてるんじゃないか?大将?」
『あはは…っ。実のところ、今にもお腹の音鳴りそうなくらいヤバイです…っ。』
「じゃあっ、おなかいっぱいになるまでたべなくてはなりませんね!」
「何事も、腹ごしらえしなきゃ始まんないだろうしな。どうせ、もうじき昼餉の時間だ。丁度良かったな、大将?」


ニヤリと再び目にした不敵な笑みを浮かべた彼が手を取り、部屋の上座の方へと案内される。

今剣はご機嫌に跳ねながら、厨の方へ様子を見に行った。

入れ替わりに、別の刀が部屋へと入ってきた。


「やぁ、おはよう。目が覚めたようだね…?無事に起きられて良かったよ。」
『歌仙…?』
「ふふ…っ、僕の事は既にご存知かい?嬉しいね。でも、こうしてまともに逢うのは初めてだからね。一応自己紹介しておくよ。僕は、歌仙兼定。この本丸では、初期の頃に顕現しているから、古参組なんだ。解らない事があれば、遠慮なく聞いてくれ。」
『うんっ。私は、栗原。審神者名を猫丸と言う。これから、色々と宜しく頼むね?』
「嗚呼、此方こそ、宜しく頼むよ。」


にこやかに話しかけてきた歌仙は、大きな料理皿を一つ抱えていて、話しながらことり、と食卓へと置いた。


「さぁ、もうすぐ昼餉が出来るから、主は座って待っていてくれ。すぐに運んでくるから。」
『うん、ありがとう、歌仙。』
「あ…っ!主さん、起きれたんですね?おはようございまーっす!」
「おはよう、主…。身体は、もう良いのか…?」


元気な明るい声で挨拶をしてきたのは、粟田口脇差・鯰尾藤四郎だ。

もう一振りの物静かな喋り方の方は、彼と双子のような関係性の骨喰藤四郎である。


『おお…っ、おはよう。元気だね、ずお。』
「えへへ…っ!まぁ、これが俺の取り柄ですからね〜!あ、そうだっ。俺の服、ピッタリですね!よく似合ってますよ、主さん!」
『えっ?という事は、このジャージ、ずおのジャージだったの…?』
「はいっ。主さんのサイズに合う服が無くて、何とか合いそうな俺の服が選ばれたんですよ!」
『そうだったんだ。何かごめんね?借りちゃってて…っ。』
「いえいえ、女の子に着てもらえるなんて、服も喜びますって!」
『は、はぁ…。』


意味深な言葉に疑問符を浮かべていると、勢いよく開いた障子。


「おいっ、貴様…!主になんて事を言っているんだっ!!」
「あ、漸く来たか。今回の復活は、まぁ早い方だったな。」
『薬研さん?身内だからって、ちょっと辛辣過ぎやしませんかね…?』


これは、これから賑やかになりそうな事間違いなしだ。


執筆日:2017.10.10