予定では、夕餉の頃には起きるつもりだった律子だったが…。
結局、あれから夕餉の時間になっても起きなかった彼女が起きたのは、翌日の朝の事だった。
『……………寝過ごした……。』
身を起こしての彼女の第一声は、そう発せられた。
彼女が来日初日に倒れて目覚めてからの二日間、力を消耗し続けて疲労が溜まっている事を知っている皆は、敢えて起こす事をせず、寝かしたままにしたようだ。
(気遣ってくれたんだろう事は解るが、起こして欲しかったな…。博多や鳴狐達に、こんのすけに、まだまともな挨拶出来てないまんまだからさ…。)
思った以上に眠ってしまっていた事に、額に手を当て項垂れる律子。
はぁ…っ、と溜め息を吐いて、面を上げて枕元を見た。
すると、真新しい巫女服っぽい物…恐らく、これから審神者として活動する上での仕事専用服と、此方は見慣れた、自宅にあった筈の己のジャージ上下一式が置いてあった。
それも、きちんと綺麗に折り畳まれて。
昨日、後任のこんのすけが来た事から、政府からの支給がようやっと届いたとは解るのだが…。
何故、家にある筈のジャージがあるのだろうか。
ついこの間まで、仕事から帰ってから着用していた部屋着であるから、よく覚えている。
黒地に青緑のラインが入った、極一般的なジャージである。
見間違える筈もなき私物であった。
しかも、ご丁寧に、政府からの支給物の一つだろう、黒の長袖Tシャツも一枚一緒に置かれていた。
まだ、色々と彼女が着る用の衣服が揃っていないからであろう。
ジャージをどう此処まで持ってきたのかは不明だが、どうせなら、今の季節に着る衣服一式全部用意して欲しかったと思うのは、業だろうか。
一先ず、思考が一周するくらい考えてから、漸く布団から出る律子。
実は、此処までくるのに、彼女は布団から一歩も動いていなかったのである。
身を起こしたものの、下半身は布団に入ったままという状態だったのだ。
少し気伸びしてから身体を伸ばすと、もそもそと昨日から着たままだった堀川より拝借中のジャージを脱ぐ。
ついでに、これも何故か用意されていた私物の下着一式があったので、それに着替える。
乙女として、下着を着替えないのはあるまじき行為だと思っているからだというのは、この際省略させてもらおう。
己のジャージに着替えると、やはり着慣れた部屋着だったからか、今まで着ていた中で一番落ち着く。
そうして、一枚のタオルを手に、そろりと部屋を出た律子。
辺りは、まだ静かだ。
皆、まだ寝ている時間なのだろう。
それもその筈。
彼女が起きたのは、まだ陽が登り始めたばかりの早朝と言える時間だったからだ。
早朝という事もあって、少し肌寒い空気である。
あまり音を立てないよう、そっと襖を閉め、洗面所のある方向へと歩き出した。
誰にも逢う事なく洗顔を済ませると、一晩分飯を抜いてしまったからか、身体が空腹を訴えていた。
何かしらあるだろうか、と朝飯を食べに厨へと向かう。
たぶん、まだ誰も居ないだろうと思い込んで、厨の戸を開けると。
「ぅわ…っ!?び、吃驚したぁ…っ。」
『え……?』
開いた途端、がち合ってしまった堀川だった。
まさか同時に扉を開けるとは思っていなかったし、それも主である彼女だったとは思いもしない訳で。
二人して、軽く固まったように見つめ合っていると、扉の隙間から清光がひょっこりと顔を出した。
「どうしたの、堀川…?あ、主。起きたんだね、おはよう。何やってんの?」
『お、おはよう…っ。いや、開けても誰も居ないかな?って思ってたから、ちょっと吃驚しちゃって…。何かごめん、堀川…。』
「いえ…っ!僕の方も、まさか主さんが来るとは思わなかったから、驚いちゃって…。取り敢えず、おはようございます!」
『う、うん。おはよう…。』
「随分とぐっすりお眠りでしたが、体調の方はどうです…?顔色を見る限りでは、大分よろしい様ですが。」
『宗三…!おはよう。今日は宗三も厨当番なの?』
「おはようございます。ええ、そうですよ?厨当番は今、料理の出来る者が交代合替でやっているんです。」
『そうなんだ…。早く内番とか決めないとね…っ。』
「それは良いですが…、貴女、昨晩から何も食べていないでしょう…?もう少しで手軽なのを作り終えますから、広間で待っていなさい。」
『あ、ありがとう…っ。じゃあ、待ってるね。』
大人数分の朝御飯を作るのだ。
そりゃ、忙しかろうと思い、あまり邪魔にならぬ内にと厨を出た律子。
言われた通り、広間の方へ向かうと、其処には既に先客が居り、こんのすけがちょこりとお座りしていた。
『あ、こんのすけ…。おはよう。早いんだね、朝。』
「おはようございます、主様っ。ご気分は如何ですか?」
『うん…、数日振りにスッキリしてるよ。昨日まであった怠さとかも、全く無いよ。』
「それは良かったです。昨日のご様子では、かなり体調が優れぬご様子でしたので、心配してたんですよ?」
『迷惑かけちゃってごめんね?』
「いえっ、状況を鑑みれば、仕方のない事ですから…。ですが、あまり無理はしないでくださいね?僕も、出来る限りは力になりますから!」
『ありがとね、こんのすけ。』
緩やかに一人と一匹で会話をしていると、先程言っていた“手軽なの”が出来たようで、それを温かいお茶と共に持ってきた宗三。
ついでに、こんのすけの分の油揚げも添えて。
「お待たせ致しました。朝餉の全てが出来上がるまでは、まだ大分時間がかかりますので、これでも食べて待っていてくださいな。」
『お漬物の沢庵に、おにぎり…っ!私の為に、わざわざ握ってくれたの…?』
「だって、貴女、かなりお腹を空かせてるでしょう…?そんな貴女を、何時までも待たせる訳にはいきませんからね。朝餉が出来上がるまで、食べていてください。」
『わぁ…っ、ありがとう…っ!感動で涙出そう…っ。』
「大袈裟ですねぇ…。此方は、こんのすけの分ですよ。料理は出来次第持ってきますから、大人しく待っていてくださいね。」
『はぁーい。』
宗三お兄ちゃんのお母さんっぷりに感激していれば、ちょっぴり呆れた笑みを向けられた律子。
「食べないのですか?」とこんのすけから促されたので、目尻に微かに浮かび出ていた涙を拭って、お茶を飲んでからおにぎりを一口かじった。
『…美味しい……っ。』
あまりの美味しさに、再び涙が浮かびかけ、堪らず次の一口をぱくりぱくり。
その時の律子の顔は、幸せそうな表情を浮かべていたという…。
朝餉が出来る頃には、皆ぞろぞろと起きてきて、挨拶を交わしながら朝餉を食べた。
朝餉を食べ終えた後は、一度湯浴みをするべく、湯殿がある方へと向かった律子。
やはり、汗を流しておかないと、幾ら着替えを済ましたとは言え、気持ち的に落ち着かない。
朝風呂宜しく、軽く汗を流し終えて部屋に戻ると、堀川より拝借していたジャージも含め、洗濯物を出そうと再び部屋を出る。
そうして朝からパタパタと部屋に戻ってくると、部屋の中心部にちょこんとお座りしたこんのすけが居た。
「お待ちしておりましたよ、主様。」
『あ…何か待たせちゃってた?ごめんよ。』
「いえ。審神者として、この本丸の主になられた主様がお忙しいのは、当然の事ですから。」
『それで…、私に何の用かな?』
彼女が、彼の前に座ると、口を開いたこんのすけ。
「主様には、これから、審神者としての勤めを果たしてもらいたく思い、お待ちしておりました。」
そう言った彼を見ながら、頭の中で彼の言った言葉を復唱し、姿勢を正す律子。
こんのすけは、そんな彼女の様子を見遣り、言葉を続けた。
「主様には、これから、鍛刀という作業を行ってもらいます。この本丸には、まだ刀剣男士が少ないですから、それを増やす行為です。上手く行けば、新しい刀剣男士の方が来てくださりますよ!主様は、引き継ぎの審神者ですので、一から霊力を込めて顕現した刀をまだお持ちじゃないですよね?今回、鍛刀を行い、顕現出来れば…主様にとっては、実質上の初期刀になる訳です。」
『そっか…。初鍛刀かつ初期刀になる訳だね…。』
「はい。薬研様に窺いましたところ、今日の主様の体調は見るからに良さそうだ、と言っておりました。ですので、鍛刀を試みても、何ら心配には及ばないと思われます。」
『そうなのか…!それは、私としても嬉しいし、何だか楽しみだ…!』
「体調が安定してきたのは、恐らく、此方の世界で三日程食事を摂った事が理由でしょう。これからは、これまでの心配をせずに活動出来ますよ?まぁ、慣れるまでは大変かもしれませんが。」
そういうものなのかと納得し、そういえば、昔、ある物語で似たような話を聞いた記憶があるなと思い返す。
それを思い出すと、妙に納得出来る話で、成る程なぁ…と落ち着いたのだった。
一先ず、鍛刀場へと向かい、政府から届いたばかりの審神者引き継ぎの件での礼の品と思われる、大量の資材を目にした。
『…何も、物送りゃ済むってモンじゃないだろう…。』
「それは、僕も同意見です…。」
政府の遣り口に不満を垂らしてから、鍛刀場に居る鍛治主の妖精さんこと式の方々に挨拶し、適当に投入する資材の数を決め、受け渡す。
「あの…、主様…?その数では、短刀ではなく太刀や打刀が出来てしまいますが…っ。」
『え、駄目…?ウチの本丸、見るからに太刀が居なさ過ぎるから、太刀を喚びたいなと思ったのだけど…。』
「普通…初めて鍛刀する場合、短刀から作るのが一般的なのですが…。」
『でも、それって、普通の本丸での例でしょ…?ウチは黒本丸だったし、何より、鍛刀する前に短刀三振りと打刀一振り再顕現させてるんだから…大して変わらないんじゃない?』
「え゙…っ!それは、本当ですか…っ!?」
『あれ?皆から聞いてない…?』
「聞いてませんよ…!?そりゃ、霊力も体調も安定しない中、そんなに力を使っていれば、倒れもしますよ…!!」
『倒れはしてないよ…倒れる寸前だったかもしんないけど。』
「同じ事です…っ!!嗚呼…っ、何でそんな大切な事を何も説明していないのですか、政府は…っ!!」
こんのすけの政府への不満を暫く聞き流している内に、式の方々は鍛刀し始めてくれ、知らない内に「03:00:00」という数字が出ている事に気が付かなかった。
執筆日:2017.12.03