此れは、或る不思議な咄で、とある女の子が神様に見初められるお話である。
―或る処に、片目だけが色の違う目を持った女の子が居た。
オッドアイと言えば簡単だったかもしれないが、その片目は、物は映せど、色が無かった。
日本人として生まれたならば、基本、瞳の色は黒であろう。
しかし、片方だけ色を失った目に色は無く、透明であった。
其れは、生まれつきのモノだった。
そして、それがいつも彼女のコンプレックスだった。
何故かと問われれば、その片目のせいで、幾度となく、心無き者に虐められてきたからである。
けれど、生まれつきのモノなのだから、どうしようもない。
故に、彼女は、その忌まわしき目を隠すようになったのだった。
だが、予期せぬ事は、何時だって起こり得る事である。
それは、或る時、悪ふざけした男達が、冗談めかして彼女の片目を覆う眼帯を面白がり、一人の男が其れを剥ぎ取ったのだ。
すると、当然の事ながら、色素の無い片目の事はバレて、面白半分だった彼等は、途端に気持ち悪がり始める。
そして、彼女が此の世で最も嫌う言葉を突き付けたのだった。
それから数日、彼女は目を付けられたようにソイツ等に揶揄われ、厭がらせを受けるようになる。
始めの数日は、もう慣れた事だと受け流していたが、それも長く続けば辛くなるもので…。
偶々訪れた小さな神社の前で、その数日に起こった事を吐露し、悲しみに涙した。
涙を見せると、話を聞き届けてくれたのか、小さな社の前に人ではない者が現れた。
男の姿をしているようだった。
すると、その者は、涙に濡れた彼女の頬を拭い、優しい言葉をかけてくれたのだ。
「其れは、辛かっただろうね…。よく堪えたよ。偉いね、よく頑張ったね。我慢せずに泣いて良いよ?僕が全部受け止めてあげるから。」
その者は、そう言って、彼女を慰めてくれた。
聞けば、彼は、此の神社に祀られる龍神様だと言う。
彼は、実に優しかった。
彼女が泣き止んで落ち着くまで、温かく背や頭を撫で続け、側に寄り添ってくれた。
直に泣き止んだ彼女は、「話を聞いてくれてありがとう。すっきりしたよ。」と目蓋を赤く腫らした顔で笑って礼を述べた。
彼は優しげな声で、「何かあれば、また此処においで。話を聞いてあげよう。」と言った。
そして、何かを思い出したように、「あっ。」という顔をすると。
「そうだ…っ。また、彼等に悪戯されないように、まじないをかけてあげよう。」
『まじない…?』
「そう。君が、二度と彼等に虐められる事のないようになるまじないだよ。此れをかければ、きっと、彼等は君に悪さをしなくなるよ?」
『本当…っ!?』
「僕からのまじない、受けるかい?」
素直に頷いた彼女は、辛い事が無くなるならと喜んで受け、まじないをかけてもらうと、嬉しそうに微笑んで帰っていったのである。
彼女が居なくなった後、話を聞いていた龍神様は心の内で怒り、彼等に神の怒りの鉄槌…天罰を下す事にした。
―翌日、学校に来ると、夢の中で謎の男に脅されたと言う彼等。
その内のリーダー格の男が再び彼女に詰め寄り、怒り狂った声で怒鳴り付け、「あんなのただの夢だ…っ!」と眼帯を奪った。
そして、目に入った彼女の片目の色を見て、悲鳴を上げる。
神様のまじないが効いたのだ。
しかし、夢の内容を信じようとしなかった彼は、彼女を化け物と罵り、彼女の事を酷く傷付けたのだった。
―更に翌日になると、彼は、学校に来なくなった。
神様に目を潰されて、片目を失ったらしい。
それを恐れた仲間の男達も、その翌日から学校を辞めた。
―或る人里離れた処で、その一連の様を見ていた者が居た。
其の者は、或る者にこう言った。
「たった一人の人間を気に入ったからと、その人間の日常を脅かす存在の人間の目を潰すなんて、馬鹿だな…。」
同域の龍神様である大倶利伽羅という者だった。
咎めの一言をもらった件の神様は言った。
「…だって、あんなに可憐で愛くるしいか弱い女の子を苛めるだなんて、許せないじゃないか。」
妖しくニヤリと笑んだ彼の目は笑っていない。
まじないは、呪(マジナ)い。
―また幾日が経ったとある日、彼女は街中で龍神様と出逢う。
其れも、神様の姿ではなく、人混みの中にも紛れられる人の姿で現れたのだった。
うっかり信号無視をした車に突っ込むところだったのを、後ろから首根っこを掴まれ、難を逃れる彼女。
「君はおっちょこちょいだね…。危なげで、一時も目が離せないよ。」
『龍神様…っ!』
「し…っ。此処ではそう呼んではいけないよ。そうだな…、僕の名前を教えておこう。僕の名前は、光忠。君は…?」
『私の名前…?私は奈乃!……あっ。』
「どうかしたのかい?」
名前を告げた途端、「しまった…!」というような顔をしたが、すぐに思い直したのか、「ごめんなさい…っ。」と謝ってきた。
『ううん…っ、何でもないの。ちょっと前に小耳に挟んだ事を思い出してちゃって…。“神様に本当の名前を教えてはいけないよ”って話なんだけど…光忠は、自分が住んでる地域の神様だから、教えちゃっても大丈夫だよね?だって、光忠からしたら、私は氏子だもん…!』
彼女は、そう、何気ない事のように笑って言った。
(―嗚呼、なんて愚かで優しい子なのか…。)
彼は、微笑み返しつつ、ドロリとした感情を心の内に渦巻かせた。
「あぁ、そうだね…。君は、僕の氏子だ。だから、これから君は、僕と一緒に行くんだよ、奈乃。」
妖しげに煌めいた金色の目が、彼女の目を見据える。
『え………?』
す…っ、と伸びてきた掌に視界を覆われる。
「君は、もう僕の子だよ。」
彼と同じ色をした片目が、きらりと煌めく。
「さぁ、僕達の棲み処へ還ろう。」
周りを行き交う人混みなど一切気にした様子はなく、彼は彼女の両頬に手を添える。
『光、忠……っ、』
小さく驚いた瞳が、彼の金色の中で耀いた。
「大丈夫だよ、安心すると良い。還る処は、ただただ刻がゆるりと流れてゆくだけの安寧の地さ。君の心の傷を癒す場所だよ。僕の目を見つめて?周りの音なんか、すぐに聞こえなくなるから。」
ずいっ、と近付いた顔は至近距離に迫り。
有無を言わさずにその口を塞ぐ。
一瞬だけ、彼女の口から、くぐもった声が漏れた。
契りの口付けである。
周りの刻が止まったかのように流れ始めたと感じた頃には、塞がれていた口は離されていて。
傍らには、柔く微笑んだ神様が居た。
「さぁ、其処の鳥居を跨げば、僕等の領域だよ。愚かな真似をする人間共が立ち入る事は決して無い場所さ。」
するりと取られた手に、いつの間にかしっかりと抱えられた身体。
幼児を抱くように抱えられた身は、視界が高く、遠くまで見渡せるようだ。
「さて、還ったら何をしようか?移ろい行く現世でも眺めてみるかい?なかなかに面白くて、飽きないよ。」
残った彼女の黒い片目は、光を失っていた。
人としての目を失った彼女は、片目が見えなくなったが、其れもすぐに気にならなくなる程、彼という神様に愛されるのである。
―だが、その咄は、また別のお話に…。
執筆日:2018.04.12
加筆修正日:2019.08.19