幸せジェットソン




Stage.1-貞本シンジ育成計画


…ジーワジーワと、五月蝿い蝉の鳴き声が、辺りに響き渡っていた。

立ち尽くす道路は陽炎を立ち昇らせ、ユラユラと空気を揺らしている。


―暑い…っ。


ただ此処に居るだけでも、蒸し風呂に入っているように汗が流れてくる…。

…風が無い。

せめてもの風が吹いてくれれば、この暑さも和らぐ気がするのだが…。

先程から、幾ら待てども、風は一向に吹く気配が無い。

それどころか、熱されたコンクリートが発する熱気は、増すばかりである。


―温暖化も程々にして欲しいってもんだわ…。


内心で愚痴垂れながら、真夏の太陽照り付ける坂道を登った。

坂道を下り始めた時…。

何処か近くで、小さな子供の泣き叫ぶ声が聞こえた。


(―親とはぐれた迷子か、はたまた、置いて行かれたのか…。不憫だな。)


泣き声の主は、自分の耳に届く距離に居るようだ。

見れば、少し先を行った電柱の所に、麦わら帽子を被った小さな子供が俯いていた。

服装を見るからに、男の子である事は分かる。

別に、赤の他人であるし、もし置いて行かれただけで、近くにまだ親が居る可能性だってある為、放っておいても関係が無いと思っていた。

だが、私は…何故だか、その男の子と誰かを重ねたようで、自然と足はそちらへと向けられていた。

男の子は、下を向いていたが、そこに突然暗い影が出来た事で、顔を上げた。

目元や鼻の頭が真っ赤になっているのを見て、随分前から泣いていたのだという事が分かった。


『―どうしたの?坊や。お母さんとはぐれたの…?迷子…?』
「…っ、ひっく…、…ぅあぁ…っ。…ひっく、ぅく…っ、……お姉さん、だ、だぁれ…?」


男の子は、嗚咽にしゃくりを上げながら、泣き腫らした面を傾げた。

男の子を怖がらせないよう、その場で屈み込み、目線を合わせる。


『私は、ただの通り過ぎのお姉さん。黒柯律。君の名前は…?僕の名前、言える…?』
「………シンジ…。」
『シンジ君か…。(何だか、見た目もあの子に似てるけど…まさか、そんな事は無いよね…。)お母さんは、何処に居るの…?一緒じゃないの…?』
「…ひっく…っ、……分かんない。」
『それじゃあ、お姉さんも一緒に、お母さん探してあげるから…。名字、言えるかな…?教えてくれる…?』


流石の名字まで同じ事は無いだろうと思っていたのだが…。

神様は何の因果か、私の予想を裏切った。


「……イカリ…。碇シンジ。」
『………“碇シンジ”君、ね。分かった。そんじゃ、お姉さんと一緒にお母さんを探しに行こうか…!』


まさかの同姓同名とか、どんだけ一緒なんだよ…、と思ったが、顔には出さずに。

小さな迷子の男の子の手を引いて、歩き出す。

しかし、男の子は聡い子のようで…歩き始めてすぐに問いを発してきた。


「…ねぇ、何処に行くの…?」
『ん…?交番。お巡りさんの所に行くの。』
「お巡りさん…?」
『そう。そこなら、お母さんとすぐに逢えると思うよ。』


不安そうに見上げる男の子の手をしっかり握ってやり、微笑んだ。

―近くにあった交番に着いてすぐ、迷子の男の子を見付けた旨を話し、親御さんと連絡を取ってもらう事にする。


「その子の家の連絡先とか、分かりますか?」
『連絡先ですね…?ちょっと待ってください。』


交番に待機していたお巡りさんに一言断りを入れて、傍らにしがみ付く男の子の方へ向き、再び屈み込んで訊いた。


『シンジ君、お家の連絡先とか、知ってるかなぁ…?電話番号!』
「お家の…?」
『うんっ!それが分かれば、お母さんに迎えに来てもらえると思うから、分かる…?』
「んっと…。あ、確かお母さん…僕の鞄に、何かの番号みたいなのを書いた紙を入れてた…。」
『それ、ちょっと見せてもらっても良い…?』
「うん…。」


ごそごそと斜め掛けしていた鞄から、小さなメモ紙を取り出すと、それを手渡してきた。

少しクシャッとしているが、書いてある文字が読めない程の支障はない。

見てみると、紙には綺麗な大人っぽい字で、九つの数字の桁が並んでいた。

間に、二つのハイフンがある事から、携帯の番号だ。

親御さんが万が一を考え、いつも持たせているのだろう。

それをお巡りさんに渡し、後は任せて、親御さんが迎えに来てくれる事を待った。

暫く待ったが、何度やっても掛け直した先の電話に出ず、留守番電話に繋がってしまう事から、どうやら携帯の電源を切っているようだった。


「申し訳ありません…。何度も掛け直しているのですが、留守電の方に繋がってしまい…。もう少し時間を空けてから、もう一度掛け直してみますが、もし繋がらなかった場合は…留守電にメッセージを残しておきましょう。」
『そうですか…。』
「可能であれば、アナタが一時的にその子を預かり、翌日、その親御さんが此方を訪れた際に、そちらまでご案内するという選択肢もございますが…如何されますか?」
『ウチで預かるんですか…?』


思わず、お巡りさんの目を見て驚き、次いで、用意されたパイプ椅子に座って大人しくする男の子を見た。

視線に気付き、首を傾げた男の子は、不思議そうな顔をする。

一人暮らしをする自分としては、一人子供が増えるぐらい、大した支障は無いが…どうなのだろうか。

現実問題に直撃し、頭を悩ませたが、こんな小さな男の子を放っておける訳なく。

取り敢えずは、という事で、一時男の子を預かる事になった。

親御さんが現れた時用に、此方の住所と連絡先を教えてから、再び熱気に溢れた外界に出た。

男の子は、あれから時間が大分経った為、既に泣き止んでいる。


「今度は何処に行くの…?」
『私の住んでるお家だよ〜。』
「え…?どうして…?」
『シンジ君から預かった紙に書かれていた番号に、お巡りさんが電話を掛けてくれたんだけど…何度掛けても繋がらなかったの。だから、今日は時間ももう遅いし、一時的にだけど、私が君を預かる事になってね。明日、親御さん…君のお母さんが迎えに来てくれるまでの間だけ、我慢してくれるかな…?』


屈み込んで視線を合わせつつ、男の子に自分の家で預かる事になった訳を告げる。

男の子は一瞬不安そうな顔をしたが、ずっとしがみ付いていた裾の代わりに、繋いでいた手を強く握り締めてきた。

「明日までの辛抱だから、ごめんね?」と頭を撫でてやって、手を引いて歩き出す。

今度は、交番ではなく、元より自身が向かっていた自宅へと足を向ける。

男の子は、終始黙り込み、泣きそうになるのを堪えていた。

だけれども、私の手を決して離そうとはせず、しっかり握り締めていた。

―翌日、昨日の交番から連絡が入り、どうやら親御さんと電話が繋がったらしい。

「すぐにでも迎えに行くとの事らしいので、安心してください。」と伝えられた。


『シンジ君、良かったね!お母さん、迎えに来てくれるって!』
「ホント…っ!?」
『うん!交番と連絡を取った後、すぐにこっちに向かってるって。』


そう告げた途端、男の子は、ぱぁああ…っ、と顔を輝かせた。

昨日、あんなにしょぼくれていたのが嘘のようだ。

そんな風に思っているうちに、玄関のチャイムが鳴らされた。

次いで、若い男の子の声が玄関先で響いた。


<すみませーんっ!弟が此方で預けられてるって聞いて来たんですけど…。>
『はぁーいっ、今開けますねー?』


ロックを外し、ゆっくりと玄関のドアを開くと、そこには、中学生くらいの少年が二人立っていた。


―あれ…この子どっかで…?


「お世話になってる、シンジを引き取りに来ました!碇と言います。ウチの子が、ご迷惑をおかけして、本当にすみませんでした!」
『あぁ、いえ…大した事ありませんから…。』
「お母さん…っ!!」
『え!?お母さん…!?』


後ろに隠れていた男の子は、迎えに来た少年の一人を見て、そう叫んで抱きついた。

というか…よく見れば、この少年二人、あの有名な“新世紀エヴァンゲリオン”に出てくるパイロットに、そっくりどころか瓜二つである。

まさか…?


「こらっ、僕は母さんじゃないって言ってるだろ…?貞本…っ。」
『え……もしかして、君も“碇シンジ”君…?』
「あ…えと、分かっちゃいましたかね…?すみません、複雑な環境で…。」
『じ、じゃあ…そっちは、もしかしなくても、“渚カヲル”君…?』
「はい…。皆には“Qカヲ”って呼ばれてます。昨日は、貞本シンジがどうもお世話になりました。」
『ぅえええええッッッ!!!??』


人生最大で驚愕の声を上げた。


執筆日:2016.08.06

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