【壱】
藤色


其れは、何の変哲も無い、日常の一コマである筈だったのだ。

何時ものように、昨晩は遅く寝て、ゆっくりと寝て、翌日は遅く起きてくる…という、駄目な生活の代表パターンを繰り返していた…そんな或る日。

何の面白味も無い、平穏な午後。

朝飯兼昼飯なブランチを終えた頃だったろうか…。

食後のお茶タイムをのんびり楽しもうと、急須で緑茶を煎れかけた、そんな時。

ふと家の外で大きな物音がしたのだ。

それも、何か大きな物がドスン!と落ちる感じの。

何だろうと耳を澄まし、音を聞いていると、また大きな物音がした。

今度は、何か物が雪崩落ちていくような、そんな感じの音だった。

先程落ちた物の衝撃で、周りの物まで落ちてしまったのだろうか。

変なの…、と思うだけで済めば良かったのだが、現実、それだけでは済まなかった。


『………今の、蔵の方からしたよね…?え、何…猫でも入った…?若しくは、泥棒か何かか…?それはそれで怖いけど、物の雪崩に巻き込まれてたりなんかしたら、飛んだ災難だよな泥棒の方も(笑)。』


軽く笑ってみたが、あれから物音は一切せず、何事も無かったかのようにシン…ッ、と静かになった。

それが何とも不気味過ぎて、嵐の前の静けさのように思えた心は波立った。


『え…何、何か怖いんですけど…。』


気分は、すっかりお茶どころではなくなってしまった。

一刻も早くこの不安を解消する為に、据えていた腰を上げ立ち上がった私は、ドッドッと速まる脈を感じながら、早足で家の裏口を目指した。

裏の戸を開ければ、目的の蔵は目の前だった。

この家の敷地内には、昔ながらの大きな蔵が一つ在る。

まるで武家屋敷の様な造りをしているが、蓋を開けてみれば、ただのガラクタが詰まった物置で、古過ぎて修理もされていないせいか、外側の土壁は風化して崩れ落ちている。

中は二階建てとなっているが、其れも最早床が抜け落ちるのではないかと思われる程に古く腐り、階段などは既に半分壊れていた。

おまけに、風通しなど一切しないせいか、酷く埃っぽく黴臭い。

どう見ても精神衛生上に悪い影響しか与えなさそうな、ただデカイだけの白塗りされた、そんな蔵だった。

そんな蔵の中に入った事があるとしても、昔、子供の頃に、言う事を聞かなかった罰として親に閉じ込められた時ぐらいだ。

出入口の戸が、蔵でよくあるタイプの如何にも頑丈で厳つい物ではなく、木で造られた格子窓付きの木製戸だった為、外は覗けるし、完全に閉じ込められた感は薄かったが、夜も遅く真っ暗がりの中鍵まで掛けられてしまえば、子供ながらに恐怖感はあったのだった。

下手をしたら、トラウマになる程度には効果がある罰であったが…。

今思えば、恐怖感を煽る理由に、蔵の中は掃除の手が全く行き届いておらずの虫だらけだった事が、一番の理由だったと思われる。

まぁ、そんな思い出さなくても良い、昔あるあるなエピソードは置いておいて…。

物音のした原因を調べる為、出来れば入りたくもない蔵へと足を向ける。

木製戸の前には、二、三段の石段があるが、其処には今や、もう履かなくなった靴を入れたプラスチック製の棚が置いてあるのだ。

まるで通せんぼするかのような邪魔な其れを、正直面倒くさいという気持ちを隠さずに、「どっこいせぇーっ。」と口にしながら退ける。

此れで漸く戸全体が拝めると一息吐いてから、柱に取り付けられたスイッチを押し、蔵内に設置された照明を点ける。

「一度も換えた記憶が無いのだが、ちゃんと点くだろうか?」と些か不安に思ったが、そんな杞憂は必要なかったようで、無事点灯した電気。

昔ながらの裸電球で少し薄暗いが、まぁ無いよりはマシだろと気合いを入れる。

簡単に掛けられただけの閂を外し、長い事暫く開けられていなかったせいで立て付けの悪くなった木製戸を無理矢理抉じ開ける。

ギリギリ何とか人一人が身体を滑り込まさせれるくらいの隙間程開くと、一応の確認の為に中を覗き込んだ。

一つしかない筈の出入口がこの有り様なら、泥棒など入ってきてはいないだろうが…念には念を入れてだ。

もし何処かに崩れた隙間とかがあって其処から侵入したかもしれない…、なんて事があっても可笑しくはないくらい古い建物だからである。

まぁ、出入口は一つであれど、別に戸はあって、其処は謎の木材やら冬に使う為のヒーターの灯油なんかが置かれている、ただの物置であるが。

物音的にそちらではなかったので、今回はそっちは無視の方向でいく。

何とか入る事が出来たのは良いが、如何せん物が多過ぎて、何が何処に落ちたかだなんて分からない状態だった。

其処らで彷徨いている野良猫が入り込んだ可能性も捨て切れないので、足元に注意しながら慎重に歩を進める。


『すみませーん、誰か居ますかー…?居たら返事してくださぁーい……って、相手が猫だったら通じないよねぇー…。』


埃っぽいせいで、先程から鼻がムズムズしてきてしょうがない。

ハウスダストアレルギー持ちなのもあって早くも出たい気持ちになったが、原因を探る為に堪える。

辺りを見回すも、特にコレといった変化は見られない。

というよりは、変化があっても分からないというのが本音である。

何も無くて、ただ積み重なっていた物が雪崩落ちただけなら、それで一件落着なのだが…頭の隅の方が、何かを警戒したように警告を鳴らす。

単なる杞憂で終わってくれと願いつつ、薄暗い室内を探していく。

其処で、不意に足元を皆が嫌うであろう代表格のアイツがシュッと通り過ぎていった。


『ギャアッ!?Gが出たァ…ッ!!もうやだ此処、早く外出て新鮮な空気吸いたい、早よ出たい〜ッ!!』


女らしさなど欠片も無い悲鳴を上げて一歩避けると、今度は蜘蛛の巣にぶち当たる。


『ギャアーッ!!蜘蛛の巣ーッ!!イヤァーッ!!』


そうこうしていたら物に蹴躓き、近くに置かれてあった段ボール箱を押し倒してしまった。

盛大に倒れてしまったお陰で、これまた盛大に舞い上がる塵や埃。

ゲホゲホと咳き込んでいたら、視界に映り込んだ、この世で最も大嫌いなヤツ。

叫ぶ前に全身が拒否反応を示し、臨戦態勢全開である。


『テメェこっち来んじゃねぇぞ!?来たらマジぶっ殺す…ッ!!逢ったが百年目……ッ、視界に入れたら逃すな!何が何でも駆逐しろ!!てか何でこんなヤツが地球上に存在してんの!?存在してなくて良いよ!!こんなヤツ居なくても食物連鎖は機能するだろうッ!?』


あまりの拒否反応に無茶苦茶な事を言うが、それだけ大嫌いな存在なのだ。

ぶっちゃけ、視界にも入れたくないし、入れたら入れたで瞬時に視界から消滅して欲しいと思う。

…と、本来の目的から外れていると、再び奥の方から物音がした。

虫のせいで盛大にビクついてしまっていたが、それでハッとし、今度は別の意味で警戒をする。


『おい…、誰か居るのか。居るなら、出てこい。』


警戒するあまりに、通常よりも低い声が口を割って出る。

先程とは別の殺気を放ち、鋭く眇られた目は据わっている。

ギシギシと軋む床を音を鳴らしながら歩いていく。

辿り着いた奥には、ほんの少しだけ開けた場所が出来ていた。

埃が立ち上っているところを見て、今しがた物音がした場所で間違いないだろうと見当を付ける。

口と鼻を袖口で覆い、その開けた所へ近付いてみると、何やら金色に光る物があった。

もっとよく見てみる為に更に近寄ってみれば、その光る物とは、金色に赤色の紐の装飾が付いた鞘だった。

それも、ご丁寧に刀の納まった代物であった。


『…何だ、此れ…?何でウチにこんなもんが在る訳…?』


見たところ、あまり埃がしていない事から、落ちた箱の中にでも仕舞ってあったのだろうか。

思った以上に綺麗な状態の其れに触れようと手を伸ばした、その瞬間。

ガタガタッと近くの物が再び雪崩れかけてきて、咄嗟にその刀を庇うように腕に抱いて退いた。

間一髪、難を逃れると、溜め息を吐き腕の中の刀を見遣る。


『ッ…ふぅ〜、良かったぁ……っ、あっぶねぇとこだったわ…。お前も、無事で良かったよ。せっかく綺麗なままで保管されてただろうに、汚ない中に埋もれちゃ可哀想だからね。』


さわり、と大事そうに鞘を撫ぜると、一瞬、キラリと鞘が耀いた気がした。

気のせいか、首を傾げるも、何となくな出来心から中身を確認するつもりで鞘から刀身を引き抜いた。


『うわ…ッ!?』


途端、ぶわりと謎の光に視界を埋め尽くされ、何も見えなくなる。

眩しさのあまり、腕を翳して視界を覆う。

暫くして、視界が回復すると、ゆっくりと瞬きをして腕を下ろす。


『…な、何だったんだ?今の…っ。』


まだ若干しょぼしょぼする目で目の前を見遣ると、紫色の何かが視界に入る。

「……ぅん…?」という感じで、徐々に視点を上へずらしていけば、きらびやかな装飾が目に入った。

そして、更に上の方を見遣れば、人の顔らしき物が目に入った。


(…え?…人の顔…?)


状況に付いていけないでいると、ふと、その人の伏せられていた目が開かれた。


(…あ、目が合っちゃった。)


つい思わずその綺麗な藤色をした瞳に魅入っていると、その人は不意に目を細め、こう呟いた。


「―貴女が…、今代の主ですね…?」


へ…?主……?

「何のこっちゃねん。」と頭を捻っていたら、何故か突然その人は跪いた。


『え…っ!?いきなり何々……ッ!?』


訳が解らずテンパっていると、その人は跪きながら頭を垂れて言ってきた。


「俺の名はへし切長谷部、と言います。…どうぞ、お好きなようにご存分にお使いください、我が主。」


もう何が何だか分からない。

ただ酷い物音がしたから、音がした方向の蔵まで来ただけなのに、どうしてこうなった。

言いたい事は山程、それは頭が埋め尽くされるくらいに浮かんだが、実際に口から出たのはほんの短い言葉だけだった。


『……えぇーっと…、あの…取り敢えず、頭上げてくれませんか…?その、凄く気まずい、です………っ。』


もうちょっと他に言葉は無かったのかと、言った後で後悔したのだった。


執筆日:2018.02.11
加筆修正日:2020.02.02

蔵屋敷。

PREV NEXT
BACK TOP