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瞑目の月



ムシャクシャする気分だった。

何故か無意味に苛立って、訳も解らず気が立っていた。

何かイライラする。

とにかくムシャクシャして、その鬱憤を晴らしたくて、「ちょっと一人カラオケにでも行ってストレス発散してくる。」と母に告げて出掛けた。

取り敢えず、気が済むまで叫び散らしてくるから、帰りは遅くなるか、どうかしたら姉の家にでも泊まると言って。

母は、二つ返事で了承してくれ、出掛けに家を出て行く時、「気を付けて行ってきなさいよー?」と何時も通りの言葉と共に送り出した。

電車に揺られて、一時間弱。

街の中心部へとやって来た。

何故、カラオケに行くだけにそんな遠くまで行くのか。

答えは簡単だ。

住んでいる地元は過疎化が進み、ほとんどの店は廃れるばかりで、数年か前に唯一在った一店舗だけのレンタルショップと併合型の小さなカラオケボックスは、潰れて無くなってしまったからだ。

今日来た街の中心部とは反対で、半分くらいの時間で着く南側の港町にも、地元よりかは立派な名前も知れたチェーン店のカラオケボックスが在ったが…そちらは、その他店が駅から離れた場所に在って、都合が悪かった。

故に、駅近場もたくさんの店で溢れ返る街の中心部まで出て来たのだ。

カラオケついでに、軽くショッピングでも楽しもうという魂胆なのである。

自分も女の端くれ、自分の好きな物を好きなだけ見れる買い物は好きだ。

だが、主に見に行くのは、お洒落なアクセサリーや可愛いお洋服等ではなく、好きなアニメやゲームのグッズを取り扱う専門店や本屋等であった。

お洒落に興味はあるが、あるというだけで、気を遣う方ではない。

その為、お金を使うのは、専らそっちの方ばかりだった。

お洒落にはあまりお金をかけない、所謂残念なヲタク女子なのであった。

せっかく街へ出て来たというのに、特に着飾りもしない、普段と何ら変わらない服装。

おまけにノーメイク。

仕事以外で化粧をするのが面倒というか、元々化粧をするのがあまり好きではない質だった。

まぁ、今は職を辞めて、無職だが。

そんなフリーな生活に落ち着いた今、心の内側で燻る不快感を吐き出してしまいたかったのである。

家に閉じ籠ってばかり居るのは、性に合わない。

けれども、臆病な性格がずっと家に閉じ籠らせていた。

久々の外出。

カラオケも良いが、ショッピングも良い。

しかし、映画も捨てがたい。

確か、此処最近、気になっていた映画が封切りしたのではなかったか。

せっかく外出したのなら、日がな一日家の中でごろごろ惰性に過ごすより、少しだけでも活発に動きたい。

時間は、まだまだたっぷりある。

少しお店を覗いて、気が向いたら映画館へ行って、ちょこっとゲームセンターにも寄って匣体の中身を冷やかしつつ、カラオケに行って喉が潰れるまで歌い続けるなんてどうだろう。

どうせ、一人なら、何にも縛られず自由だ。

帰りの電車の時間は、その時になったら考えよう。

ある程度の時刻だけ頭の片隅に覚えて、駅を出る。

思えば、此処の駅は、地元や南側の港町に比べて大きく広かったな…。

それから、始めに頭で考えた予定を、適当にその場の気分で決め、好きな順番好きな時間だけ回っていった。


―お昼の時刻。

駅構内と隣接したプラザのフードコート内のとある店で軽く御飯を摘まんでいた。

手軽にお手頃価格で食べられる某有名チェーン店のバーガーショップで、お気に入りのセットを頼み、食べる。

勿論、一人静かに端っこの単体席で。

それでも、たまに出掛けた先で食べる美味しいジャンキーな味を楽しく堪能していた。

ペロリと平らげ、トイレ休憩も挟み済んだら、今日の目的大本命のカラオケだ。

腹も適度に満たされたし、さあ行くぞと言わんばかりの意気込みで、駅前にある何店舗か在る内の行き慣れた店舗へと入っていく。

受付に行けば、運良く部屋は空いており、すぐにでも利用出来るとの事だった。

それもその筈であろう。

今日は平日の真っ昼間だ。

余程の人気店とかでない限り、満室という事はない。

スマホのグループ会員とクーポン券を提示して、受付を済ませ、早速指定された部屋へと向かう。

エレベーターで階に着いたついでに、ドリンクも一緒に用意してから部屋を目指す。

部屋に着いたら、荷物とドリンクを置いて、部屋の照明を点け調整する。

選曲機を準備すれば、スタンバイオーケーである。


『ッシャオラァ…!声嗄れるまで、喉潰れるまで歌い続けるぜ…っ!!』


採点機能を読み込ませたら、後はひたすら歌いまくり続けるエンドレスである。

日が暮れるまで、気が済むまで、声を張り上げ歌い続けるのだった。


―時刻は夜の九時過ぎ。

すっかり駅周辺も、人通りがまばらになり、仕事帰りのリーマンやサークル帰りの大学生等ぐらいしか居なくなった頃。

ふらふらと少し力の無い足取りで駅へと向かっていた彼女…。

少しばかり度数の低いアルコールを摂取した為か、酒気を帯びていた。


(ゔぅ゙……っ、ちょっと調子こき過ぎたかな…。幾らノリに乗っていたとはいえ、流石に叫び過ぎたか、喉痛い…っ。おまけに、何か頭クラクラする……。)


しかし、体調が不調を訴えているのは、慣れないお酒を飲んだからという訳ではないようだった。

頭がぼんやりしていて、重い。

風邪でも引いたのか。

せっかく久し振りに出て来たというのに、結果がこれでは気分が晴れない。

先程まで散々歌い続けて発散したのに、意味が無くなってしまう。

あまりにも久し振りに大きな声を出し続けたせいだろうか。

少しだけ頭が揺さぶられる思いだったが、気怠く重い身体を動かして、駅広場へと向かっていた。

辺りは真っ暗で、店の灯りが明々と点いて地面を照らしている。

午後にカラオケボックスへと入って行ったが、あれから随分と時間が経ってしまった。


(…今、何時の電車があるんだっけ…?特急でも、一番近い時間の電車があったら、ソレに乗ろうかな…。)


夕食は、既に先程のカラオケ施設内で歌の合間に済ませた。

後は、家に帰って風呂に入り、寝るだけだ。


(何か、無性に疲れた…。久々に歩き回ったからかな…?家に帰って、早く寝よ…。)


ついでに、帰りの電車の中で一眠りしよう。

そう思って、足を進めていたら、不意に、視界が眩んだ。

クラリ、と遠くなる意識。


『ゎ…、やば……ッ。』


こんな処で目眩か。

思わず足を止めて、ふらついた身体を制止しようとしたが、踏ん張りが利かなかった。

暗くなる思考に、ぐらりと傾く姿勢…。


「ッ…!?おいっ、しっかりしろ…!!」


意識が遠退く前、咄嗟に受け止めてくれた誰かが何かを言っている気がした。


―ぼんやりとした意識の中、何か温かい物に触れた。

其れが酷く心地好くて、擦り寄る。

其れは、とても優しくて、温かい…。

もぞり、と身を動かして、寝返りを打つ。

そしたら、何か温かい物に優しく抱き締められた。

酷く心地が良い。

甘える仔猫みたいに、その温かい物へ擦り寄った。

すると、その温かい物は、そっと髪を撫でてくれた。

其れが、凄く優しくて、気持ちが良い。

もっともっとと強請るように、温かい手に自ら擦り寄る。

身体を抱き締めてくれる腕が、一瞬ぎゅ…っと強まった気がした。

ふいに、すん…っと鼻を動かして、匂いを吸った。

そしたら、自分の知らない匂いがした。

其処で、ハタと気が付く。


(あれ……此処、自分の部屋じゃない…?)


自身が今寝ているふかふかのベッドらしき感触や布団を思えば、其れは確かにはっきり解る事だった。


(ッ………!!???)


瞬時に目が覚め、ガバリと身を起こす。

いきなり勢い良く身体を起こした事で頭がクラッと来たが、そんなの些末事に過ぎなかった。


『此処、何処だ………ッ!?』


ガラガラと嗄れて盛大にしゃがれてしまった声が、心の呟きを漏らす。

遅れて、すぐ横で身を横たえていた者が起き上がる。

これから直視するであろう現実から目を背けたくて、取り敢えず自分の身形だけでも無事か確認する。

そう考えた瞬間、バッと握っていた布団を捲り、自分の服装を見る。


(大丈夫だ、ちゃんと服を着てる…っ。)


しかし、その服は、朝出掛けた時に着ていた自分の服ではなかった。

一瞬で頭が芯から冷めていく。

サァ…ッ、と顔を青くさせて、辺りを見回す。

きちんと整理された、あまり家具の置かれていない、男の部屋にしては小綺麗でシンプルな部屋だった。

ベッドの近くを見てみたが、自身が着ていたと思しき服は見当たらなかった。

ついでに、窓際に干された男物のパンツらしき物が目に入ったが、見なかった事にした。

隣に居る男であろう人物は、嫌に静かだった。

寧ろ、静か過ぎる程に静かだった。

どうか上半身裸の状態ではない事を祈って、意を決して、隣の人物を見遣った。

グギギギ…ッ、と鈍く固い動きで首を向けると、其処には、黙って此方を見つめる金色の睛を向けた青年が居た。


(良かった、相手もきちんと服を着てる…っ!)


其処だけに、取り敢えずは安堵して、無意識に止めていた息を吐き出す。


「………。」
『………。』
「………………。」
『………………。』


数秒間、見つめ合うも、互いが無言を返した。

気まずい事この上無い状況だ。

誰かこの状況を打破してくれ、若しくは、誰かこの場を変わってくれ。

しかし、それは叶わない事で、仕方なく自分で打破する為、重い口を何とか無理矢理開かせた。


『あの…起きてすぐのところ申し訳ないんですが、此処が何処なのか教えてもらっても良いでしょうか……?あと、出来れば、何故このように至ったかまでも教えて頂けたら嬉しいなぁ、と…。』


暫し、互いの間に沈黙が降りる。

頼む、頼むから、何か言ってくれ。

そして、願わくは、一夜の間違いというか過ちを起こしていないと言ってくれ…っ。

やけに心にグサグサと刺さる痛い沈黙が精神を蝕む。

脳内会議で心が半分死にかけていた頃、漸く彼は口を開いてくれた。


「…此処は俺の家で、居間兼寝室だ。昨日の晩、偶々大学からの帰り道に、駅の広場で突然気を失って倒れかけたアンタを介抱するついで、駅から近い俺の家まで運んで寝かせただけだ。家に着いてすぐ、気が付いたかと思ったら吐いたから、汚れた服は洗濯して着替えさせた。別に、わざわざ下を見たりなんてしてないから、安心しろ。」


ジ…ッと目を見つめて話していたかと思うと、最後の方だけふ…っ、と目を逸らしてそっぽを向いた。

そうか…。

一夜の間違い、犯してはならない過ちを犯してはいなかったのだなと解り、一安心する。

だが、しかし、問題は他にあった。


(見知らぬ親切な人に優しくしてもらった挙げ句、不可抗力とはいえ、私の吐いてしまった吐瀉物、つまりは汚物を処理させてしまったのか…。)


出逢っていきなり何も知らない初対面の人間を介抱して、吐かれる現場に居合わせた彼に、心の底から申し訳なく思うと同時にどうしようもない自分が情けなく思えてきて盛大に頭を抱え込むのだった。


執筆日:2018.09.28