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龍の燈(トモシビ)【後編】



―彼女が危機的状況に陥ってから、遡る程数刻前。


「なぁ…お前の携帯、さっきからうるさくね…?」


斜め前の席に座って授業を受けていた獅子王が、ふと後ろの席に座る彼の方へ振り向き、小声で言った。

授業に集中していた廣光は、ふいに声をかけてきた其れに、視線を自身の服のポケットへと向ける。

確かに、上着のポケットへ入れていた携帯が、先程からうるさい程にバイブ音を鳴らし続けていた。

誰からの連絡だろうか。


(…授業中なんだがな…。)


携帯は、一度切れると間隔を開けずに再び震え出す。

自分の番号へ掛けてくる相手など、数が知れていた。

恐らく、相手は、璃子か光忠か鶴丸辺りの誰かだろう。

また、ポケットの内側でスマホが揺れた。


「出たいのは山々だが、今は授業中だ。どうせ、あと数分で終わる…。そしたら確認するさ。」


彼は、溜め息を吐きながら、小声でそう返す。

スマホがピタリ、音を止めた。

やけに嫌な胸騒ぎがする。

数分間鳴り続けたスマホは、其の連絡を最後に途切れ、それ以降震える事は無かった。

授業を終えてすぐ教室を出た廣光は、ポケットへ仕舞っていた携帯を取り出し、着信履歴を確認した。

すると、彼女からの不在着信が数件に渡って掛かってきていた。


「璃子から、だと…?」
「誰だったんだ?さっきの電話の相手。」
「璃子からだ…。何で、こんな連続で…。」
「余程急ぎの用だったんじゃねーの…?」
「にしても、スゲェうるさかったよなぁー…途中ブッツリ切れて静かになったけどさ。」
「でも、主って、お前がこの時間授業中だっての知ってるんだろ?」


隣に並んできた兼定に問われ、答えた彼の後ろで正国が気怠げな声で続けた。

その言葉に、更に御手杵が続き、獅子王も口を開く。


「…嫌な予感がする…。」
「おん…やな匂いしかせん…。」


彼等の呟きに、後ろを付いてきていた国広と吉行がボソリ、言葉を漏らした。


「ッ…、急いで掛け直してみる…っ!」


酷い胸騒ぎがして、廣光は、何度も掛けてきた彼女の番号へと繋げた。

数回のコール音が耳元で聞こえる。

プツリ、と切れたコール音の先で聞こえてきたのは、無情にも機械的な自動音声だった。


<お掛けになった番号は、現在電波の届かない処に居られるか、電源が入っていない為掛かりません。ピーッ、という電子音の後…、>
「クソ…ッ!!何で繋がらない…!」


もう一度掛け直すも、響くのは電子音ばかりで彼女へは繋がらない。

痺れを切らした彼は、舌打ちをして、勢い良く駆け出す。


「お、おい…っ!何処行くつもりだよ…!?」
「決まってるだろう…っ!彼奴の処へだ…!!」
「この後の授業はどうするんだよ…!!というか、居場所が何処か解ってんのかよ…っ!?」
「授業なんて後でどうにでもなる…!そんな事よりも、今は彼奴の方が大事だ…っ!!」


廣光は、全速力で廊下を駆け行く。

左腕が僅かに痛む気がした。


―時は戻る。

数が圧倒的に足らず、不利な戦況ながらも、彼女達は何とか奮闘し、諦めず必死に活路を見出だそうと戦っていた。


「く…っ!応援はまだですか…!?貴方、此処へ来る途中、連絡していたんでしょうっ!?」
「当たり前にしたさっ!!したが…っ、彼奴等も出先に出ている真っ最中だったんだ…!!そう簡単に駆け付けて来れると思うなっ!!」
「役に立ちませんねぇ…っ!それでも上司ですか…!?」
「何だとぉ…!?」
「お二人さんっ、口叩くよか目の前の敵を斬ってくれや…!!」


段々と苛立ってくる二人に、険悪な空気が流れ出し、つい衝突しがちになっていた。

それを文字通りぶった斬って、叱咤する薬研。

あまりにも不利な状況に、仲間内で不穏な空気が漂い始めていた。

敵の数は、減る処か増える一方である。

次第に、気力を奪われていく彼等は、息を切らしていた。

嘗ては刀であった身なれど、今や完全なる人の身なのだ。

体力を奪われていくのも当然だが、傷が増えていくのも必然であった。

捌き切れなかった一撃が、目の前で戦う彼の太股を裂いた。

真っ赤な血が、彼女の視界で飛び散る。


『不動…ッ!!』
「イッテェ……ッ、だが、こんくらい屁でも無ぇよ…!ぅら゙ア゙…ッ!!」


痛々しい傷を負いながらも、彼女を守らんとする彼は、退かない。

状況と場は違えども、生前死ぬ前に見た光景と何ら変わらぬ光景に、大きく広がるばかりの不安は彼女の精神を追い込む。

また、凄惨たる悲惨な過去が繰り返されるのかと考えたら、もう遣り切れぬ思いが彼女を突き動かした。

彼女の感情が、爆発する。

精神の許容量を超えた感情に、璃子は魂からの叫びを持ってして吼えた。


『ったくよぉ…!まだ来ないのか、彼奴は……ッ!!早く来いってば、伽羅の馬鹿…っ。馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿あほんだらァ…ッ!』


最早、やけくそな強がりだった。

彼女の目が、強く鋭い目で前方を睨み付ける。

そして、近くに転がっていた鉄筋の破片の棒を手に取る。

戦闘で巻き込まれ壊れた空き家のコンクリート壁の一部だったのだろう。

折れて吹っ飛び転がっていた鉄の其の先端は、尖っていた。

十分に殺傷能力はあるだろう。


「おい…っ、何するつもりだ、大将ッ!?」
『私も戦う…!これ以上、守られてるだけ見てるだけなんて、堪えられない…っ!逃げるのも嫌だ…っ。もう、あの時の二の舞にはなりたくねぇんだよ…ッ!!』
「アンタ、正気か…っ!?無茶だ!!そんな武器じゃ、本気で死ぬぞ…ッ!!」
『そうならないように死ぬ気で何とかするよ…っ!じゃないと、本気であの時の二の舞だ……ッ!さぁ、来いよ、化物達が。どうせ標的は私なんだろ…?だったら、私を狙いな!殺れるモンなら殺ってみろ…!二度目はやらない……っ!!』


鬼気迫る表情で殺気を迸らせた彼女が、敵前へ躍り出る。


『ほら、早く来なよ伽羅…ッ!じゃないと、本気で別れる事になっちゃうぞ…!?それでも良いのかよ…!!良い加減、助けに来いよ……っ、大馬鹿者な大倶利伽羅がぁああああ…ッッッ!!』


彼の名を叫んで腕を振り翳した瞬間、手に握った御守りが眩く光り、彼女の目の前の視界を奪う。

まだ残っていた一縷の希望は、彼女を見捨てはしなかったのだ。

次に目を開けた先で、何時の日か見た桜の花吹雪が、ひらりひらりと風に揺られ、舞っていたのだった。

目の前で、ひらり、舞った先端だけ赤みを帯びた髪が、肩に落ちる。


「誰が、大馬鹿者だって…?」


ずっと聞きたいと思っていた声が、やっと聞けた。

逢いたくて堪らなかった存在が、今、目の前に居る。


「遅れてすまなかったな…璃子。」
『…本当、来るのが遅いよ…っ、馬鹿……!』


今まで堪えていた涙のダムが、決壊した。

彼女へと迫っていた刃を、彼が一閃で消し去る。


「授業を受けていたせいで、連絡を取れずに来るのが遅れた。急いで掛け直したが、繋がらなかったんでな…相当焦ったぞ。取り敢えず、無事で良かった…ッ。」
『携帯の件については、ごめん…っ。逃げてる最中に壊されちゃって、使えなくなっちゃって…。でもっ、あの時繋がらなくて、本気でまた死ぬかもしれないって恐かったんだぞ…!』
「だから、来たんだろう?それより、首の其れ、どうした…?あと、唇の傷。」
『え…っ?あ、嗚呼…首の此れは、さっき言った携帯壊された時の攻撃を避けた時に付いたものだと思う…っ。唇のは、たぶん、強く噛み締め過ぎたせいで出来た、』


唐突に塞がれた口許。

吃驚したあまりに二の句を告げれなくなった璃子は黙り込む。

ぺろり、口端の切れた箇所を舐めて滲んでいた血を拭った彼は、不機嫌な面で呟く。


「…アンタに傷を付けた奴は、どいつだ。」
『え………っ。』
「アンタを傷物にした奴は、どいつだと言っている…っ。」
『は……?廣光、ちょ…っ、怒ってます………?』
「怒ってない。俺は、今、物凄く腹の虫の居所が悪いだけだ…!」
『いや、それめっちゃ怒ってますやん…っ!?激おこじゃん…!!』


彼の睛に、ギラリとした獣のような鋭い光が宿る。

彼女へと向けていた時の穏やかな色は影を潜め、代わりに輝くのは、一目合っただけで射殺さんばかりの殺気を漲ぎらせたものだった。

獰猛に光る金色の睛が、敵陣へと向けられる。


「アンタの事は、俺が守り通す。二度も殺させやしない…っ。璃子は、俺の大事な命だ…!!今度こそ、守り切ってみせる……ッ!!此奴には、指一本触れさせるかァ…ッッッ!!」


眠っていた龍が咆哮した。

龍の意志に連なる者が、遅れて其の場へ駆け付ける。


「遅くなって、ごめん…っ!!運悪く渋滞に巻き込まれちゃったら、なかなか動けなくて…!仕方がないから、無理矢理別のルートを走ってきたよ!!」
「よっ!遅れてすまんな、長谷部…!光坊の運転は凄まじかったぞ!!まるで、ジェットコースターに乗った感覚だったな!」
「マジ怖かったぜ、アレは…っ!!」
「貴様等…ッ、くだらん台詞並べ立てるよか手を動かせ手を…!!」
「何だよぉ…っ、ちょっとくらい喋ったって良いだろ?こうやって応援に来てやったんだからさ!」
「解ってるよ…っ、相変わらずせっかちだなぁ、君は…ッ!!」
「うぉ…っ!?俺を殺す気か、光坊…!?刀振るなら周りに気を付けてくれ!!」
「そんなのに構ってられないよ、今は…っ!!」
「そりゃ、そうか。まぁ、久々の大舞台と行こうか…っ!!」


元太刀組と貞宗が本体の残像を浮かび上がらせ、刀を手に踊り舞う。

打撃王である光忠が加わった事で、一気に味方陣の打撃力が上がる。

戦に嬉々としてニヤリ笑む懐かしき光景が、彼女の目の前に甦る。


「ったく…!俺達の事置いてくなよなっ!!」
「そうだぜ?頼ってくれねぇなんて水臭ぇじゃねーか…!」
「そうじゃそうじゃ…っ!」
「戦事なら任せろってんだ…っ!!」
「久々の戦だ…!血がたぎるぜ!!」
「推して参る…!」


更に遅れて、何とか彼の後に追い付いた彼等も参戦する。

此れで、戦力は此方の方が上だ。

数は変わらず敵の方が有利だったが、心は既に勝利を確信していた。


『皆……っ!』
「どいつも此奴も、付いてきやがって…っ。此処は、俺一人で十分だ!馴れ合いは他所の奴としてくれ…っ!!」
『こんな時でも、ソレか…!!少しくらいは、人と馴れ合う事をしなさいよ!』
「俺が馴れ合う相手は、アンタ一人で十分だ。」
『おっま……っ!?』
「ちょっと其処の人…っ、イチャ付くなら、此れをさっさと終わらせてからにしてくださいません?」
「言われずとも…そのつもりだ。」


牙を剥いた彼が、鋭い爪を立てて、敵を蹴散らす。

もう、其処には憂いは無かった。

璃子は、面を上げて、真っ直ぐ前を見据える。

其の瞳に、恐怖の色は無く、代わりに強気な光が宿っていた。

味方陣の闘気の漲ぎった声が響き渡る。

一時は不利と見えた戦況は、どんでん返しにも逆転し、有利な戦況へと転じていた。

現代で巻き起こった戦は、終局へと向かい、勝利で飾られるのである。


―帰ってきた静けさに、穏やかな風が吹いた。

何とか戦闘を終えた彼等は、すっかり疲労し、傷だらけの状態だった。

スーツや制服等、服装こそバラバラであるが、皆揃ってボロボロの埃まみれである。

だが、表情は皆晴々しい笑顔を浮かべていた。

あんなにも鬱々しかった気分は、今や清々しいものだった。


『やっと、終わったんだね…。』
「嗚呼…此れで、アンタが命を脅かされる事も無くなった。」
『私達…ちゃんと生きてるんだね……っ。』
「嗚呼、俺もアンタも、皆無事だ…。」
『…良か、ったぁ……!』


漸く本当の意味で安堵した璃子が、泣き崩れる。

戦いは終えた。

やっと訪れた平穏に、彼は柔らかな優しい笑みを彼女へ向ける。

仲間達に見守られる中、二人は強く抱き合うのだった。


執筆日:2018.11.02