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偶然の邂逅



「え…………っ、君……もしかして…、主かい………?」


そう問われて、時が止まったかのように思われた一瞬。

遅れて言葉を理解した璃子は、長い間を空けてから問いを返した。


『え………?“主”って、何の事ですか……?というか、何方の事なんでしょうか…?』
「ぇ…………っ?憶えて…ない?」
『…??』


似た誰かと間違えているのだろうか。

少し戸惑いながら、おずおずと素直に思った事を口にすると、困惑したような表情を見せた光忠。

その表情は、ショックを受けたような雰囲気で、戸惑いを隠せないといった様子だった。

そんな彼の態度の変化に、今初めて逢ったばかりの彼女は混乱を極めていた。

何だか、自分の知らない処で物事が進んでいるような…まるで、知らない何かに迫られているような感覚に陥り、その場から一歩後退り、廣光の背へと隠れるように下がる。

少なからず怯えた様子を見せた彼女に気付いた廣光は、目を眇め、苦々しい顔を作った。


「えっと…本当に憶えてない……?僕だよ、光忠だよ…?」
『………す、すみません…。人違い、じゃないですか……?私は、貴方の事を知りません…っ。たぶん、誰かと勘違いしてるんじゃないですかね……。私は、貴方とは初めて逢いました…。』
「……………そう…。そっか…、人違いか……っ。はは…っ、な、何かごめんね…!別の誰かと勘違いなんかしちゃって…!人を間違えちゃうだなんて、失礼だよね!ははっ、僕ってば、格好悪いなぁ……っ!」
『は、はは……っ。人違いだったなら、良いんです…。ちょっと吃驚しちゃいましたけど…私も、貴方みたいなモデル並に格好良い人と逢ってたら、印象に残って、忘れる事なんて無いと思いましたから。私、本当に貴方とは初めて逢いましたし…。でも、たまによくやっちゃいますよね…?初めて逢う人と知り合いを勘違いしちゃう事って。』
「そ、そうなんだよねぇ〜…っ!人を間違えるだなんて、失礼だって解ってるんだけど、たまにあるよねぇ…!?」
『はい…っ。ですから、別に気にしなくても良いですよ?私も気にしませんから。あ…私の名前、でしたよね…?私、花江璃子って言います…。念の為、一応誤解を解いておくと…別に、私は彼の彼女でも、友人でもありません。ただの、通りすがりの大学生とフリーターな関係にしか過ぎません…っ。まぁ、補足をすれば、突然倒れてしまった私を介抱してくださったという事と、一宿一飯の恩があるという事ですかね…。』
「え…っ?」


瞬時に固まる光忠。

彼の思考が凍り付く。


「………そういう事だ、光忠…。よって、アンタがさっき言った事は全て、早合点の早とちりに過ぎないという事だ。解ったなら、もう俺に構うな。帰れ…っ。アンタと馴れ合うつもりはない。」
「へ………っ?嘘……っ、もしかして、僕全部勘違いしちゃってた…!?嘘でしょお…っっっ!!?」
「ふん……っ。残念だったな…?」


鼻で笑った廣光に、彼はサッと顔を青くした後、すぐに恥ずかしそうに顔を赤らめて顔を覆い隠した。

フォローが出来ない程に盛大にやらかしてしまった彼に、同情の余地は無い。

用は済んだと話に見切りを付けた廣光は、彼に背を向けると、スタスタと足早に去っていく。

慌てて後を追った璃子は、一先ず一礼だけ会釈をして、彼の後を追う。

一人その場に残された光忠は、暫く呆然と立ち尽くしたが、その内、持っていたスーパーの買い物袋を落として、その場に蹲るのだった。


―一方、駐輪場へと来ていた一行は、目的のバイクの元に居た。


『あの…良かったんですか…?』
「何がだ…?」
『え…いや、さっきの方……思いっ切り放置してきちゃいましたけど…。』
「別に構わない。彼奴が勝手にやって来ただけだ。放っておけ。」
『はぁ…。(本当に馴れ合わない系の人なのか?この人…。)』


微妙な顔で頷きながらも、少し後ろ髪引かれるようにさっきまで居た方向を見つめた璃子。

その様子に、小さく息を吐くと、彼は手に持っていたヘルメットを彼女へ投げて寄越した。

いきなり自分の方へぶん投げられたソレに、驚きつつも掴み取り、落っことしそうになったところを慌てて胸に受け止める。

急なパス回しに目をぱちくりさせ見つめる彼女に、フッと笑みを零した彼。

自身のヘルメットを頭に被ると、バイクへと跨がり、エンジンを掛ける。

その瞬間、ドルルゥン…ッといった低い唸り声を上げた、彼の愛車。

まだ戸惑いを隠せないといった様子で突っ立つ璃子に、廣光は首を向け言った。


「そのヘルメットを被ったら、後ろの席開けて荷物を入れろ。入れ終わったら、しっかりロックを掛けて、その上に跨がれ。」
『……やっぱり、後ろに乗らなきゃ駄目ですかね…。』
「それ以外、何処に座るって言うんだ…?安心しろ、飛ばしたりはしない。ちゃんと安全運転で運転する。解ったなら、早く乗ってくれ。何なら、アンタがコイツを運転するか…?」
『…いえ、私、二輪の免許は取っていないので…。』
「だろうな。なら、さっさとしてくれ。早く帰りたいんだろう…?」


未だ抵抗を見せていたが、覚悟を決め、ヘルメットを被った彼女は、言われた通りに荷物を後部座席の下へ入れ込む。

そして、一度深呼吸をすると、「お願いします…っ。」と告げ、跨がった。

慣れない為か、少しふらついたが、何とか席へと跨がる事が出来た。

それに一安心すると、ゆっくりと前を見据えて、次に彼の背中と腰を見た。


(何処に掴まったら良いんだろう…。やっぱり、定番の腰になるのかな。それって、何か気まずくないか…?)


一旦、一時停止して、迷う。

自分が跨がった席と彼の席との間の僅かな隙間に手を付きながら、逡巡する。

サイドミラーで後ろの彼女の様子を見ていた彼は、疑問に思い、口にした。


「何をしてる…?早く腰に掴まれ。出すぞ。」
『ぁ、嗚呼…っ、やっぱりそうなんですね…。』
「は…?」
『いえ、何でもないです。気にしないでください…っ。』
「そうか…。嗚呼、あと、コレを忘れない内に渡しておく。」
『へ……っ?何ですか、コレ…?』
「インカムだ。運転の最中は、コレで会話をする。」
『…もうヘルメットしちゃったんですけど…。先に言って欲しかったですね。』
「…すまん。」


うっかり渡しそびれてしまっていたインカムを渡した廣光は、忘れていた事を謝った。

一度被ってしまったヘルメットを外して付けてから、改めて被り直す璃子。

それから、きちんと通話が出来ているかの確認を取って、スタンバイする。


『それじゃあ…失礼します…っ。』
「嗚呼…しっかり掴まっておけよ。振り落とされないようにな。」
『怖い事言わないでください…っ!』
「慣れてないだろうから、一応忠告したまでだ。出すぞ…?」
『えっ!?わ…っ!!』


緊張した様子で腰へ手を回せば、しっかり掴まらされた彼女。

ただでさえ慣れない事な上に、近過ぎる距離に璃子はガチガチだった。

スタンドを蹴った彼に、慌ててしがみ付いた彼女は、悪くない。

ガタンッと車体が動いてすぐに、彼はアクセルを回してハンドルを操る。

走り出したバイクは車道へ出て、そのまま街道を走り始めた。

流れ始めた景色に、「ぅおおっ、走ってる…!」とビビりながら、必死に彼へとしがみ付く。

とにかく今思う事は、「自分、スカートじゃなくて、ズボン穿いてて良かったぁーっ!」という事である。

バイクに乗る上で、服装はズボンスタイルであった方が適しているからだ。

そんな彼女を他所に、彼が内心打ち震えていたとは、彼のみぞ知る事であった。


「取り敢えず、大通りの方まで出てきたが…此処からどう進めば良い?俺は、まだアンタの住んでいる家の場所を知らないんだが…?」
『あ…っ、そういえばそうでしたね!すみません…っ、伝えそびれてしまって…!えっと、此処からなら、今の信号を真っ直ぐ走った後、次の信号を右に曲がってください…っ。私の家は、×××にあるので、××の方向へ進んで頂ければ行けると思います…!』
「×××か…。なら、高速使った方が早そうだな…。」
『ひぃ…っ!!いきなり速いのは止めてください!怖過ぎて付いていけません…っ!!』
「…なら、時間は掛かるが、下道を使うか…。」
『送って頂いてる身で、我が儘言ってすみませぇん…っ。』


最早色んな意味で脳内パンクしそうな璃子は、涙目で訴えたのだった。

それからは、暫く道なりに進み、璃子が告げた行き先へと走らせていた。

そんな中、未だ必死で彼にしがみ付いていたら、徐に彼からインカムに通信が入った。


「…おい…聞こえるか?」
『ふぁい…っ!?な、何ですか…っ!?』
「その、少ししがみ付き過ぎだ…。運転しづらい…っ。」
『ふぇ…っ!?わわっ、それはすみません…!!必死だったもので…っ!』
「いや、まぁ…初めてなら、慣れずに怖いのは解るんだがな…っ。もう少し力を緩めてくれるとありがたい…。あんまりガチガチ過ぎると、ハンドルを切る時に身体を倒しづらいんでな。」
『わっ、解りました…!善処します…っ。』


ガッチリしがみ付いていた体勢から、少しだけ背筋を伸ばし、彼の背に寄り添うような体勢へと変える。

すると、見えていた周りの景色がよく見えるようになった。

まだ少し恐怖心は残るが、段々と乗る感覚に慣れてきたのか、心に余裕が出来始める。

次第に、周りの景色を見れるようになった頃、ふと彼が話しかけてきたのだった。


「…その、アパートを出てすぐの時の話なんだが…。」
『はい…何ですか?』
「彼奴が言った事は、あまり気にするな…。ただの勘違いだ。忘れてくれ…。」
『えと…、何でか訊いても大丈夫ですか…?』
「彼奴も…光忠も、アンタを困らせたかった訳じゃないんだ…。ただ、アンタとよく似た奴を知っていてな…ソイツと間違えただけなんだ。悪気はない…。」
『…それは、私も解っているつもりですが…?』
「嗚呼、解ってる。ただ、一応伝えておきたかっただけだ。まぁ、そういう訳だから、あまり彼奴の事を嫌わないでやってくれないか…?彼奴も、そう悪い奴じゃないんだ。」
『…ふふ…っ、仲が宜しいんですね…?』
「いや、そういうつもりで言ったんじゃないんだが…っ。」
『大丈夫ですよ。あれくらいの事で、人を判断したりしませんから。ただ、第一印象がちょっと可笑しな人だなってイメージにはなりますけど。』


耳のすぐ側で、風を切る音がする。

車体は、真っ直ぐに向かうべき道へと進んでいく。


『ところで…どうしてそんな事を?』
「アンタが気を悪くしてるんじゃないかと思っただけだ…。他意はない。」
『いえ…特に、其処まで気に留めてませんでしたけど…?既に、あの場で解決済みだと思ってましたので。』
「…そうか。それなら、良いんだ。変な事を言って悪かったな…。」
『気にしてないですから、構いませんよー。』


それから、二人は無言だった。

静かに道なりを走り、進んでいくだけ。

だが、それでも気にならなかった。

そもそもが、運転をしながらの会話というもの自体、注意が疎かになったりと危険が伴う為、あまりお勧めすべき事ではない。

だから、彼女自身、何の不満も無かった。

ただ、身を預ける温かい背が、やけに懐かしく感じ、同時に頼もしく感じるのだった。


執筆日:2018.09.30