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傷だらけの掌が手荒れ塗れの私の手を包む



ふと或る時、水仕事を手伝った後にそのまま執務へと戻って仕事をしていたら、その傍らで近侍を務めていた清光に何やら顰めっ面で視線を貰い、首を傾げた。


『ん…?どうした清光?そんな顰めっ面して。』
「いや…その手ェ…。」
『手…?俺の手が何か?』
「ちょっと、いやだいぶヤバイ感じになっちゃってんじゃねーのかなぁ〜って思って……。」


彼からの引き攣った返事を頂いて、改めて己の両の手の甲を見つめてみた。

うむ…、我ながら見事という程に酷い有り様だった。

直接的に言えば、其れは其れは痛々しい程に荒れ放題だった。

手が荒れるのを分かっていてゴム手袋もせずに素手で洗剤を使って水仕事を手伝っていたせいだ。

食器洗剤と言えど、最近の洗剤は洗浄力の向上からか汚れがよく落ちる分、肌は思っていた以上のダメージを負っていた。

其れが心配ならば手荒れ防止に水仕事後にハンドクリームを塗ったりなどのケアを行えば良かった話なのだが、面倒くさがりな私は其れを怠ってすっかり荒れに荒れまくらせていたのだった。

流石に、此処まで酷ければ市販の簡単なハンドクリームなんかでは間に合わないレベルだろう。

もし塗るにしても、ただ保湿力が高いだけのハンドクリームとかではなく、もっと治療的な薬になるような物を塗るのが手っ取り早い気がする。

さて、どうしたものか。

今手元に有る物でそんな大層良い物は置いていない。

そうこう考えていたら、意識した所為か、荒れた指の関節部位が痒くなってきた気がした。

うん、不味いな。

このままでは執務に支障を来すかもしれん。

そう思考が辿り着いたところで、傍らで溜め息を吐いた清光が徐に立ち上がり私の腕を取って立ち上がらせた。


『はれ?清光、俺の手引っ張って何処行くの…?』
「良いから…ちょっと来て。」


問答無用と言う風に半ば強引に連れられた先で辿り着いたのは、とある部屋の前だった。

其処は、主に本丸の医療班に属する薬研が医務室として使用している一室だ。

そんな処に連れてきて何をするんだろうと純粋に疑問符を頭に浮かべていると、不思議そうにする私を他所に中に居る彼と話を進めて、一方的に彼に私を任せると自分はさっさと執務室の方へと戻っていった。

何やねん。


「加州の旦那に直接頼まれたんじゃあ仕方ないな。少し散らかったまんまだが、入ってくれ。」


そう言われ、大人しく部屋の中へと入り、一段高く作られた一角の畳のスペースへと腰を下ろした。

部屋に入ってすぐに座布団を差し出されたので、有難く其れを拝借し、尻の下に敷く。


「さて、と…取り敢えず話は聞かせてもらった。早速だが、大将、手ェ出してくれねーか?」
『ぅん?良いよ、ほい。』


言われるままにパッと彼の目の前に差し出すように両手を出せば、案の定顰めた顔で見つめられた。


「こいつぁ思ってた以上に酷ぇな…。」
『そんなに?』
「おう…。なぁ大将、こうなるまでどんだけ放ってたんだ?」
『え?え〜っと…だいぶ結構経ってるかなぁ…?自分では最近までそんな気にならなくってさ、ずっと放置してた感はあるよ。あははっ、我ながら今更だけど、痛々しいね!』
「笑い事じゃないぜ、大将…。」


あまりの手荒れの酷さに目も当てられないと思ったのか、どうやら清光は治療をして欲しさに薬研の処まで連れて来たようだ。


「全く…大将は何でもかんでも出来そうな真面目そうに見えて、意外とズボラな上に面倒くさがり屋な人だよなぁ。ま、其れが大将らしさの一つとも言えるってのは分かってるんだが…流石の此れは頂けねぇなァ〜。偶々目にした大事な人の手がこんなんなってたら、そりゃ心配にもなるわな。大将の手があまりにも痛々しくて見るに堪えねぇってんで、最終手段として俺が駆り出された訳だが…分かってもらえたかい?」
『うぃっす…。』
「にしても大将…こりゃ酷ぇぞ。よくこんなになるまで放置してたなぁ〜。此処まで来りゃ、水触った時なんかに相当沁みてたんじゃないか?」
『う〜ん…まぁ、結構最近になってからはそうかも?』
「せっかくの別嬪さんな手が台無しだろ。全く、ウチの大将はしょうがないお人だな…。ほら、薬調合してあっから、手ェ出しな。俺が直々に塗ってやるからよ。」
『あざーっす。めっちゃ助かりまぁす。何時もありがとねぇ〜。』
「申し訳ねぇって気持ちがあんのなら、その酷い手荒れをちったぁ直そうと思ってくれや。」
『うぃっす、すんません…っ。』


怪我する者達が絶えないこの本丸では常に彼等の傷を治療する為の薬が常備してある。

その為か、元々誰かの為に調合してあったんだろう軟膏を薬品棚から取り出してきて、其れをたっぷりと両の手に塗りたくられた。

結構な数のあかぎれやらが出来ていたのもあるし、その傷にしっかりと塗り込むように塗りたくられたので地味に沁みて痛かった。

変な声で呻き声らしき声を漏らしてしまったのは情けなく思うが、こうなってしまったのには自分に原因があるというか自業自得である。

彼のお陰でしっとりと手は保湿されたが、その保湿度の高さ故か代わりにベッタベタになってしまった。

おまけに、薬草を煎じて作られた軟膏だからか色は緑色をしていて、質感はねっとりとした物で少量でも伸びの良い物なのは良いのだが、ちょっとだけ鼻を突くツンとした匂いがする。

その匂いに思わず顔を顰めていると、薬を小さな容器に移す彼に言われた。


「あんまりにも酷ぇ手荒れだったからな、塗った時めちゃくちゃ沁みただろ…?其れが大将が自分の手をどんだけ労わってこなかったっていう証拠さ。もう同じ痛みを何度も味わいたくはねぇだろう?」
『う゛ぅ゛ぅ…ッ、此れからはちゃんと気を付けます…!なるべく水仕事の後はケアするようにしますぅ〜……っ!』
「分かったんなら、よし。軟膏、何時でも塗れるように取り分けておいてやったから持ってきな。匂いはちっとキツイかもしれぇが、其れが一番よく効く薬だから我慢してくれ。此れを一日数回、手に満遍なく塗る事。特に夜寝る前なんかは、保湿の為にもきちんと塗る事だ。良いな?」
『あ゛ぁい…っ、分かりやしたぁ……っ。』


修行から帰ってきてからの彼は以前にも増して過保護気味である。

元々審神者である私がしっかりしてないから、彼等が自分よりしっかりしていて保護者染みてしまっただけなのだが。

一先ず、彼からの軽いお咎めと施しを受けて文字通り身に染みた事で医務室を後にした。

貰った薬は有難く受け取る事にして、取り敢えずは今日から言われた通りに手が空いた時は塗っておく事にしようと心に決める。

そのまま仕事に戻るのもちょっと色々と不味そうだったので、薬研から予備の手袋を借り受けて其れを手に嵌めてから仕事に勤しむ事にした。


ー執務室へ戻って仕事に戻ってから暫くが経った頃、出陣先から帰城したたぬさんが戦績報告をしに部屋へとやって来た。


「第二部隊、只今戻ったぜー。部屋、入っても良いか?」
『おうよー、どうぞ入ってくだせぇな。』


彼の呼び掛けに軽く返事を返して振り返り、無事に帰還した彼の姿を認めてホッと胸の内で安堵する。


『お帰りんしゃい、たぬさん。結果はどうだった…?』
「大方何時も通りだ。敵部隊の殲滅に、出陣先の時代に何か変化はないかについての調査…何方も特に変化は無し。此れと言って変わりは無かったよ。相変わらずの歴史修正を目論む奴等の狙いに見当付けて、先回りして其れを阻止、目に付く限りの敵は全て殲滅してきた。」
『了解。今日も任務ご苦労様。計測データからも特に歴史が改変されたと思われる変異点は見られなかったし、今回も無事任務は遂行出来たって事だね。報告書の方はこっちで纏めて提出しとくから、後はゆっくり休んでて。出陣お疲れ様でした…!もし出陣先で拾ってきた資材とかがあったら、蔵に運んどいてね。後で管理部にチェック回してもらうから。』
「おう。んじゃ、俺は一旦風呂行って汗流してくるわ…。戻ったら近侍交代で良かったな?」
「うん、合ってるよ。今やってる仕事の方は俺が最後までやっとくから、残りのは楽で簡単なヤツだけ。あと宜しくね〜。」


審神者と其れに仕える刀剣男士宜しく、軽く言葉を遣り取りして出陣先から帰ってきた彼を労う。

そうして一度それぞれの目的の為にその場を解散するかに思えた矢先に、何かに気付いた彼より声がかかった。


「おい、アンタ。」
『ん…?何ぃ?』
「その手どうしたんだ?何で手袋なんか着けてんだ?」


目敏い彼にはすぐにバレてしまったようだ。

まぁ、端から隠す気も無かった私は、指摘してきた彼の言葉に素直に答えた。


『あー、コレね?あんまりにも手荒れ酷かったから薬塗ってもらったんだけど、其れで手ぇベッタベタになっちゃったもんだかたさ。そんままじゃ仕事しづらいわってなって、薬研から予備の手袋借りて着けたって訳。別に怪我したとかって言う理由からじゃないから安心しなよ!』
「そんなベタベタになるまで薬塗られたのか。」
『うーん、まぁ塗られたの軟膏だからねぇ。軟膏って油分多く入ってる分、保湿力は高いけど付けた後ベタベタになるのが難点なんだよね〜。其れをたっぷり塗りたくられなきゃいけないくらいに酷いレベルにまで荒れさせた俺が悪いんだけどさ…っ!』
「あ〜るじ〜…?そこ、ドヤって言うとこじゃないでしょ〜。」
『へーい、すみませぇーん…っ。』
「ったく…あ、田貫も気が付いた時には主の手気遣ってやってね?主ったら、ズボラだからすぐ面倒くさがってケアすんの怠るからさ。軟膏塗るのサボらないように見張っといて。」
『あっ、清光ったら然り気無い…!』
「ハイハイ、主は仕事に戻る戻る〜。まぁ、そんな訳だから…ちょこちょこ宜しくね。」
「はぁ…。」


いまいち要領を得ないといった感じに頷いて部屋を出て行ったたぬさん。

変なとこで気を遣わせてすまないなと思いつつも、自分の悪い癖は直そうともしてないとこにいい加減誰かさんから説教を垂れ込まれそうだと思った。

その後、手袋をした事で何か仕事に支障が出るという事も無く、変わらず滞りなく片付け終え、今日一日分のノルマを達成する事が出来たのだった。


ー夜、寝る前になって、薬研に言われていた事をしっかり思い出した私は、言われた通りに机の引き出しに仕舞っていた薬を取り出して両手の手荒れに塗り込もうと軟膏の中身を手に取った。

すると、其処で夕方近侍に交代してからずっと側に付いていたたぬさんから声をかけられた。


「今から薬塗るのか…?」
『うん。薬研から、寝る前にもしっかり塗っとけよって言われてたから、忘れずに塗っとこうと思って。』
「其れ、俺が塗ってやろうか?」
『え…?良いの?別に自分でも塗れるよ?』
「けどさ、そういうの自分で塗ると塗りづらかったりもすんだろ。薬研程上手く塗れるかは分かんねぇが、俺が代わりに塗ってやるから、其れこっちに貸してくれ。んで、手ェ出せ。」
『えぇ…でも、この軟膏地味に匂いキツイし、色なんて緑色してるし、おまけに塗った後ベタベタするから手ェ洗わなきゃなんなくなるよ?めんどくない、其れ?』
「良いから、其れ貸せって。意地でもこっちに寄越さねぇってんなら、アンタの腕捻り上げてでも取るぞ…。」
『いや、そんな意固地になる程のもんでもな…って、あーはいはい、渡します渡しますから…!ほい、軟膏っ。』
「最初からそう素直に渡してりゃ良いんだよ…。ほら、塗ってやるから手ェ出せって。」
『お、おぅ…っ、お願いしやす………っ。』


そう言っておずおずと手袋を外した両手を出してみせると、眉間に皺を寄せて見つめてきた彼の視線が痛く刺さった。


「アンタさぁ…こうなるまで放っとくとかどうかしてるだろ?」
『う゛…っ、耳がイタイ台詞っすわ……ッ。』
「こんな見るからに痛々しくなるまで放ってるから加州やら薬研達に心配されるんだろうが。コレ…絶対ェ沁みるぞ?」
『うん…昼間に薬研に塗られた時も結構沁みた、イッタイィィイ〜ッッッ!!』
「あ、悪ぃ…ッ、そんな痛がらせるつもりは無かったんだが……っ、」
『んぐふぅ……ッ、イイエ、此れは自分のせいでなったものなのでお気になさらず……っ!すまんね、思いっ切り沁みたのが悶えて思わず声に出しちゃったわ…続けてどうぞ〜。』
「お、おう…今度はもうちっと優しく心掛けるわ…。」


沁みる痛みから思わず悶絶してしまって、変に声を出してしまったせいか、気遣う様子を見せるたぬさん。

めっちゃ気遣わせてしまって情けないぜ…。

荒れの酷さに傷口に沁みる痛みが地味に精神を追い込む。

冬の切り傷が疼くような、あの痛みに似ているんだが…コレ如何に。

地味な疼きがSAN値を削ってならないなぁと悶えていると、ゆっくりとも優しい手付きで軟膏を塗り終えた彼が容器に蓋をしながら零した。


「せっかくすべすべで滑らかな肌してたっつーのに、どうしたらこんなになるんだかな…。アンタ女だろ?もっと自分の身も大事にした方が良いんでねぇの?戦で刀握る俺達と違って、アンタは綺麗な手ェしてんだからさ…大事にしろよ。」
『ウッス…すんませんっした…ッ。以後、気を付けますぅ……っ。』
「ん…。」


薬でベタベタになるのも厭わずに、私の手を柔らかく両の掌で包み込んだたぬさんは、そう零した後労わるように私の手を擦り撫でた。

その温かな熱が、何でか分からないけども、とても心地好くて、私は黙って其れを受け入れる。

其れから部屋を分かれて就寝する事にしたが、床に入ってからもその熱は手から離れる事は無く何時までも掌に残ったのだった。

その件以降、自分でも塗れる軟膏塗りを何故かたぬさんに塗ってもらう流れになったのであった。


ー別日にたぬさんを探して本丸内の廊下を歩き回っていると、通りすがりにどうしたのかと訪ねてきた長谷部にこう答えた。


『いや…ちょっとこの軟膏を手に塗ってもらおうかと思って探してたんだけど、こっちには来てなかったんだね。』
「軟膏、ですか…?」
『うん。あまりにも手荒れが酷いってんで薬研から塗り薬としてこの軟膏を貰ったんだ。其れで、水仕事終わったのもあって塗ってもらおうかなぁ〜って思ったんだけど…。』
「其れでしたら、俺が代わりに塗って差し上げましょうか?ご自身では塗りづらいところもございましょう。」
『あ゛ー…っ、いやぁ、別に自分でも塗れるから自分で塗っても構わないんだけどね。何となく、ずっとたぬさんが塗ってくれてたのもあってたぬさんに頼もうとしてただけなんだ。長谷部の手を煩わせる程の事でもないから気にしないで…?』
「はぁ…、主がそう仰るなら。」


そうこう話していたら、三匹の小虎を抱えたたぬさんが向かい側の方からやって来た。


「何か通りすがりの奴から主が俺の事探してるって聞いたけど…俺に何か用か?」
『おお、たぬさん…!噂をすれば何とやらってヤツだね。丁度良かったや。ちょっくらたぬさんの手を借りたいなと思って探してたとこなんだよ。』
「ふぅん…で?俺に何の用だって?」
『此れ、水仕事終わったから軟膏手に塗ってもらおうかと思ってさ。』
「嗚呼…そういう事か。」
『もし、今手が空いてて暇だったら〜で良いんだけど…。』
「別に構わねぇぜ。ただ、ちょっと此奴等を五虎退んとこに戻してきてからで良いか?数匹どっかに行ったまま迷子になってるみてぇだ、つって短刀等が騒いで探し回ってたからよ。」
『おやまぁ。そりゃ困った事になってたねぇ。小虎ちゃん達は好奇心旺盛で何にでも興味を示すからなぁ〜。やんちゃなお年頃だね。だが、同時に困ったさんでもあるかにゃ?あまり五虎ちゃんに心配かけさせるような事したら駄目だぞ〜っ。』


そう言ってうりうりと頭を撫でて可愛がってやっていると彼の腕に抱えられる一匹の小虎が私の手の中にある軟膏に興味を示して顔を近付けようとした。

慌ててその手を遠ざけさせてから、駄目だよと制し窘める。


『あー、こらこら…っ!此れは君達が食べる餌やおやつなんかじゃないからあげられないよ…!此れは私の手荒れに塗る用の薬なんだ。食べ物じゃないんだぞ?だから、不用意に口の中に入れたりなんかしたら❝めっ!❞だからな〜。』


食いしん坊の小虎の様子に仕方がないなとばかりに苦笑いを浮かべてから、後で小虎ちゃん達用のおやつでも差し入れに行くかと内心思う。

その様子を間近で彼に見つめられていたとも知らずに。


「そんじゃ…一旦粟田口の部屋に寄ってくっから、アンタは部屋ででも待っててくれ。」
『はぁーい、了解で〜す。』


気軽に返事を返して一旦別れ、無用組二人で使っている彼の部屋の方へと向かった。

そうして部屋に入ると、ぎねが滞在中であった。


「お…っ?どうした、主?俺等の部屋に何か用か?」
『ん、ちょっとたぬさんに軟膏手に塗ってもらおうかと思ってお邪魔しただけですよん。』
「正国なら、今五虎退の虎探しに行くってんで出て行ってるぞー?」
『うん、それなら知ってるよ。さっき会ってきたから。もう見付かったみたいで、今返しに行ってるところだよ。俺はその間先にお部屋に来て待機してようかなってとこさね。お分かり…?』
「あ、虎見付かったのか。良かった良かった〜!五虎退の奴、めちゃくちゃ気にしてたからなぁ〜。見付かったんならもう一安心だな!」
『そうやねぇ〜。』
「そういや、アンタ…正国に軟膏塗ってもらいに来たって言ってたけど…其れって自分じゃ塗れないもんなのか?」
『いや?塗れるには塗れるんだけど、自分で塗るとちょっと塗りづれぇってなだけで代わりに他の人に頼んでるだけだよ。』
「だったら、正国が来るまでに俺が少し塗っといてやろうか…?今、丁度暇だしさ。」
『ううん、其れは良いよ。わざわざ他の人に頼むのもなんだし。あと、コレ結構触った後ズルズルベタベタするしね。さっき通りすがりの長谷部とも同じ遣り取りしたんだけどさ、何となく頼む相手はたぬさんが良いなって思うんだよねぇ〜…。特にコレと言った根拠は無いけどさ。単にたぬさんに塗ってもらってるからってなだけなのが一番の理由かね?』
「へぇ〜…、成程ねぇ〜。」
『何さ、その意味深な頷き様は…。言っとくけど、別に変な意図とかは無いからな…っ!』
「はいはい、分かってますよ〜。」


ニヤニヤ笑みで生温かい視線を送ってくるぎね。

ちょっぴり不満顔で見返してやった。

其処へ噂の渦中にある彼が部屋へと戻って来た。


「部屋で待ってろ、とは言ったけど…何も俺達の部屋の方で待ってなくても良いだろうにさァ…。」
『ありゃ、ごめん。もしかして俺の部屋の方の事指してた…?ごめんね、其れはすまなんだや。』
「いや、別にどっちでも構わねぇけども…。」
「あ、もしかして俺お邪魔だったかぁ?せっかくだもんな、二人きりになりたかったよなぁ〜!」
「は?何の話だよ。」
「いやいや、良いんだ…!何も遠慮する事は無いぜ!此処は俺に任しとけって…!!ってな訳で、俺はお邪魔虫にならないよう別の処へ移動しとくなぁ〜!お二人さんでゆっくり楽しんでくれ…っ!」
「はぁ?いや、だから何の事だっつの…。まぁ、良いや。彼奴が出てくってなら、其れは其れで構わねぇし。さ…っ、とっととその荒れまくった手ェ出しな。ちゃちゃっと俺が塗ってやるからよ。」
『うーっい、お願いしゃーっす。』


ぎねの謎発言に怪訝な顔をしながらも、大して気にする素振りも見せずに元からの目的を果たす為に早くしろと促しされる。

そうやってまた同じように彼に薬を塗ってもらう流れとなる。


「毎日細めに塗るようにしてるお陰か、だいぶ良くなってきてるんじゃねーの?」
『うん、最初のあの酷さからはだいぶ良くなってきてるんじゃないかなぁ〜とは思うね!』
「此れなら…俺が塗らなくても良くなる日も近ェな。」
『いやぁ〜、たぬさんにはお世話になりまくりましたわぁ〜…っ。ほんま有難や有難や〜!』
「ま…っ、元の綺麗な手に戻るのは悪くねぇわな……。」
『あはは…っ、流石にあのガッサガサの手のまんまじゃ色々とやばかったからねぇ〜!たぬさんのお陰だね。有難う。』
「…おう。」


最初の頃と比べてだいぶマシになった手の状態を見遣りながら呟く。

毎日欠かさず使い込んだ軟膏は量が減って、最初はたっぷり縁の付近にまでしっかりと入っていたものが、今や容器の半分以下にまで減っていた。

其れだけ彼に塗り込んでもらっていたという証である。


『薬もすっかり減っちゃったねぇ〜。』
「まぁ、毎日欠かさず使い込んでりゃな。」
『んふふ…っ、たぬさんのお陰で元の綺麗なお手てに戻りそうです…!感謝感謝なのです!』
「別に…アンタが頼まなくても此れぐらい俺は塗ってやったっての…。」
『うん、でも薬塗ってベタベタになるのも嫌がらずに塗ってくれてたから、凄く嬉しかった。俺は其れを伝えたかっただけ。』


温かい手の温もりに擽ったく思いながらそう返していると、不意に手を止めた彼が真剣な眼差しを向けて口を開いた。


「大事な人の手だから…当然のこったろ。アンタは俺の主であると同時に、俺の命を懸けてでも守り通さなきゃいけねぇと思う人だ。その人の手を守れるんなら…此れぐらいの事アンタが望まなくってもするっての。」


瞬きを忘れる程に、強い眼差しだった。

彼の零した言葉が心を貫いて反響する。


『た、ぬさん……?其れ…って…………、』


軟膏を塗り上げた上にそっと嵌められた手袋越しに、彼の頬が寄せられる。

まるで何かを懇願するように摺り寄せられるその熱に、私は何も言えなくなって、ただ其れを享受した。


「……アンタは俺とは違う。だから、アンタの手が傷だらけになんてならなくて良いんだ。…アンタの手は、綺麗なままで良い。俺が其れを守ってやるから、アンタはそのままで居てくれ。」


随分と残酷な祈りを告げられたものだと思った。

同時に、どうしようもない程の熱量が胸に込み上げてきたのを感じる。


『…俺なんかを守ろうとしてくれて、ありがとね…。』
「守るさ…アンタは俺の大事な人だからな。」
『…俺は、誰かに望まれるような人間じゃないよ?』
「其れでもさ。アンタは俺の今の主であり、失くしたくない大事な人だ。何が何でも守り通す…例え、俺が折れちまう事になっちまってもな。」
『其れは俺が絶対に許さないから。俺の刀が折れる事は、死んでも許さない。誰一人とて絶対に欠けさせない…っ。だからお前も俺が折らせたりなんてしない。』
「…なら、アンタも俺に誓えよ。俺がアンタの支えになれるんなら、俺をアンタの生きる道にしてくれ。」


握った手はそのままにゆっくりと引き寄せられて、互いの距離を詰めて額を合わせる。


『俺の中では、何時だってたぬさんは俺の光だよ…。たぬさんが居るから、俺は生きていられる。今も此処に居る事が出来るんだよ。たぬさんは、俺を照らす月だ。その光を見失わない限り、俺は審神者で居続けるよ。』
「アンタが生きている限り、俺も生きてる。逆を言えば、アンタが死ななきゃ俺は生きてる。…其れを忘れんなよ。」
『…うん、俺が居る限りは皆生きていられるんだって分かってるから…大丈夫。俺は死なないよ。』
「其れで良い。…アンタに死なれちゃ、意味が無ェからな。」


鼻の先と先が触れ合うくらいの近さで、互いを確かめ合うように向き合う。

彼と自身の存在を確かめ合うように、互いの熱を分け合うように。

互いの痛みを分かち合うかのように。

私達は暫くの間そうして額を合わせたまま静かに寄り添った。


執筆日:2020.05.16