夜眠くなったからとさっさと床に就こうと自室の在る二階へと移動している最中だった。
窓から見えた外の景色に、一寸程見惚れて立ち止まったのだ。
(今夜は月夜だなぁ…夜も晴れてるお陰か、綺麗なお月様がよぉく見えるや…。きれぇ〜い。満月なのかな?まんまるお月様で、まるでまんばちゃんみたいだなぁ…っ。)
満月の色を映した様に輝く美しい金の御髪を持つ彼の刀に想いを馳せ、部屋へと入る。
そして、敷きっ放しであった布団を整え、枕に頭を乗せて目を瞑る。
どうか、夢の中で愛しき彼に逢えます様に…。
そんな小さな祈りを胸に抱いて眠りに就いた彼女であった。
―その夜の深き頃…不思議な事が起こった。
夢に見た彼が彼女の元へとひっそり訪れたのだ。
窓から射し込む僅かな月明かりを受けて輝く金の髪は、暗闇の中でも分かる程の美しさを放っていた。
彼は、夜に紛れて忍び込んだ者に相応しく布を纏って部屋の前に佇んでいた。
しかし、その身に纏う
今や名残の様に羽織る程度にしか使用していなかったが、まさかこういう時の為の物とは思いもしない。
だが、幽霊と見紛う程に明るい白さを孕む色合いに、この場には若干不釣り合いだなというのは否めなかった。
彼は物音一つ立てぬ様、静かに部屋の戸を開くと、その隙間に身を滑らせて室内へと侵入した。
万が一があるので、部屋の戸はそのままに彼は部屋に入ってすぐの地点に腰を屈めて目的の物を眠る彼女の枕元へと置く。
そして、深く安らかにスヤスヤと寝入っている彼女の表情を見つめて、小さく口許に弧を描かせた。
何も気付かないまま眠る彼女の様子を見つめる彼の眼差しは、温かな慈しみに満ち溢れていた。
上下する胸元に聞こえる寝息は規則正しいものである。
よく眠る彼女に安堵したかの様にそ…っと手を伸ばすと、額に掛かっていた髪を払ってやり、そのまま柔く髪を梳く様に頭を撫ぜた。
眠りながらも、心地好いのか、幸せそうに顔を綻ばせた彼女に彼もつい「ふ…っ。」と笑みを零してしまった。
刹那、慌てて口許を押さえて布の下で顔を引き締める。
せっかく寝入っている彼女を起こしては元も子もない。
ついでに言えば、此れは内密に行い切らねばならない
改めて彼女の様子を窺っていると、不意に寝返りを打った彼女の肩と手が布団の外へと出てしまった。
おまけに、よく見れば寝相で些か毛布や布団がずれてしまっている。
整えてやらねば朝方冷えて寒くなってしまうだろう。
布団から出てしまった肩や手も入れてやらねば風邪を引き兼ねない。
彼女を起こさぬ様、最低の注意を払った上で静かに世話を焼く。
ずれた布団をそ…っと整え直し、寝返りを打った拍子に出てしまった肩と手を布団の内に引っ込めさせる為、首元近くまでしっかりと毛布と布団を引き上げ被せてやった。
―うむ、此れで良し。
満足したのか、静かに溜め息を吐くと、優しい手付きでぽむぽむ、と数回布団の上を叩いて立ち上がろうと腰を上げかけた。
静かにそのまま立ち去るつもりで居たのだが…うっかり身に纏う長い布の裾を踏ん付けていた様で、腰を上げて移動しようとした拍子に足を滑らせ、揉んどり打ってどてりっ、と尻餅を
大して腰を上げぬ間に尻餅を搗いたので其れに対する衝撃音は然程響きはしなかったが、代わりに腰元に帯びていた本体の刀がガシャリッ、とぶつかった音を響かせた。
瞬間、彼の胸中にヒヤリとしたものが伝う。
中途半端な体勢のまま現状の刀の位置を確認し、見遣る。
すると、入ってすぐの位置に居たせいか、部屋の敷居を胯越した先の板張りの廊下に刀の鞘が触れていた。
何たる無様、何たる不覚。
完全にやらかしてしまったのは明らかな事であった。
あのまま静かに颯爽と立ち去れていたら様になっていて格好も付いたであろうに。
やはり己はまだ未熟なのか。
恥ずかしさも
彼は慌てて取り繕うが如く小声で謝罪を口にした。
「―す、すまない…っ、起こすつもりはなかったんだが、うっかり俺が尻餅なんか搗いたせいで物音を立ててしまった…っ。せっかくぐっすりと寝入っていたところを邪魔して悪かったな。……その、起こしてしまったお詫びとは言わないが、日付を越した今日はアンタの誕生日だろう…?だから、こっそりと密かにアンタを喜ばせ様とこうしてアンタの元へ訪れていたんだ。アンタは
声を潜めて告げた言葉は届いたのか否かは不明だが、ほぼ夢の中に居る彼女が寝惚け眼をゆったりぱちりと一つ瞬きをした。
其れを返事と見なして彼は頷く。
「じゃあ、俺は行くから…アンタはこのまま寝ていろよ。明日、朝になって起きた時、枕元を見てみて欲しい。アンタにとって、きっと良い事があるぞ。決して後悔はさせないさ。だから、忘れずに確認してみろよ。其れじゃあな。――おやすみ、主…良い夢を。」
そう告げた彼は、そ…っと彼女の目を塞ぐ様に掌を翳すと、寝惚け眼であった彼女は其れに従って大人しく目蓋を閉じ、再び夢の中へと落ちた。
果たして、今のも夢か現か幻か。
まさに神のみぞ知るところなのであった。
―翌日、気持ち良く晴れた朝の日が射し込む眩しさと外から聞こえてくる朝独特の喧騒に目を覚ました彼女は、ふわりと欠伸に目を瞬かせて伸びをした。
その拍子に何かが腕に触れた感触がして内心首を傾げ、ふと寝転んだまま枕元の上の方を見遣った。
見上げた視界に映るは、昨夜には無かった物の存在。
「はて?」と疑問符を浮かべつつ身を起こし、改めて己の枕元を見遣れば、何やら二種類の花で可愛らしく構成された花束が淡い色合いの封書と共に置かれていた。
花束に使われていた一つは、黄・白・ピンクの三色のマーガレット。
もう一つは、白色をした薔薇であった。
其処で閃いた様にスマホの画面を見遣り日付を確認すると、そういえば今日は自分の誕生日だったという件を思い出した。
差し詰め、此れは自分宛ての誕生日プレゼントだろうか。
そう思った彼女は、起きて早々気になった封書を手に取り、封を開いて中身に目を通してみた。
手紙の文章は簡潔且つシンプルなもので、ただ一言“誕生日おめでとう、側に置いてある花は誕生日プレゼントだ。”としか書かれていなかった。
宛名も送り主の名前さえも一切書かれていない。
しかし、見覚えのある筆跡に、不意に昨夜見た朧気な記憶を思い出した。
そういえば…昨夜、深夜に一度だけ何故か目が覚めてしまった瞬間があった。
その後すぐにまた寝付いてしまったが、その時に見た光景は今でもしっかりと思い出せる。
夢か現かは知り得ぬが、彼の愛しき刀が夜な夜な自分の元へ逢いに来てくれていたのだ。
何事かを囁かれた気はしたが、音を聞き取る事は叶わず、代わりに最後特大級の柔らかな微笑みを残して去って行かれた。
此れで惚れない訳が無いだろう。
起きて早々素敵な夢を有難うと、スマホの画面越しに彼へと呟くのだった。
さてはて、一連の出来事が真に常画面の向こうにて見守っている神様達の仕業であったかは謎である。
※マーガレットの花言葉(全般的)…恋を占う、真実の愛、信頼。
(色別)…黄色→美しい容姿、白色→秘めた愛・恋占い、ピンク色→真実の愛。
※白薔薇の花言葉…純潔、私はあなたに相応しい、深い尊敬。
執筆日:2020.12.07