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愛しさ溢れて薄ら紅舞い散る



『たぬさん、ちょっと本体借りても良い?』
「あ?何に使うんだ…?」
『んふふ…っ、ちょっとね〜!』


特に前触れ無くそう言って彼から本体を借りると、一度そのままの状態で握って重みと感覚を確認し、部屋前の庭先に出て鞘を払って軽く振るってみた。

私は普段から刀を帯刀したりしないし、直接戦場に出て武器を振るったりする訳でもないから形だけのものだった。

見様見真似の剣舞。

其れでも、やっぱり本物を纏うからには本物らしい動きっぽくなって、其れなりの様になっているかな。

満足したら、舞台物で観ていたのを真似して、くるくると手首を回して一瞬だけ宙に浮かせて最後ズバンッ!と斬る真似をしてから鞘に納めた。

やっぱり私が振り回すには重い刀だから、そんなに長い時間振り回す事は出来ない。

此れ以上はただ手首に負担を掛けて痛めるだけだからと素直に諦めた。

其れに、私なんかが振るうにはやはり過ぎる程の立派な刀だから、振るうよりも時折眺めてみるくらいが丁度良いのだ。

今回のは、偶には眺めるだけでなくちょっとで良いから振るってみたいな、という好奇心から握ってみただけ。

気が済んだら丁寧に扱いつつ彼へと返した。

私が庭先に出て振るってみている間、其れを止めるまでもなく縁側からずっと眺めていたらしい彼は、いつの間にかひらり、はらり、と誉桜を舞わせていた様だ。

主である私が珍しく彼の本体を直接自分で振るってみた事が嬉しかったのか、無意識に散らしていたらしい。

彼の元へ戻ってみると、喜色を滲ませた明るい表情で己の膝に頬杖を付き、私の事を見つめていた。


『貸してくれて有難う、たぬさん。』
「もう良いのか?」
『うん…っ、満足したからね。』
「にしても、アンタの方から直接俺を振るいたいなんて言い出すとは…どういった風の吹き回しだ?」
『ふふ…っ、単なる気まぐれからだよ。何か唐突にたぬさんの本体を握ってみたくなって、ついでに舞台とかの真似して其れっぽく舞ってみたんだけど…どうだった?』
「まぁ、意外と様になってたんじゃねーか?」
『そう…?たぬさん本人にそう言ってもらえたなら嬉しいなぁ〜。』


普段本物の刀を振るったりなんて真似しないから、本当に珍しい気まぐれだった。

極めてからより強くなった彼の魂の源でもある本体を握ってみて思ったのは、戦の世に生まれた訳でもない私が握るには不恰好で似合わない重さである筈なのに、やはり不思議と手に馴染むという感覚であった。

私の為に強くなってくれた彼の想いが伝わってくる様で、ちょっと照れくさい。

彼の手に収まる姿を見て、やっぱりこの黒く飾り気の無い刀は彼自身なのだなぁ…としみじみ思った。

私が持つよりも彼自身が持つ方が様になるのは当然の話だけれども、何となく其れだけじゃない気がしたのは気のせいではないのだ。

今しがた私が直接手に握り振るってみせた真っ黒な本体を大事そうに撫でる彼が、口許に微笑みを浮かべながら呟いた。


「例え、単なる気まぐれからでも、アンタに直接振るってもらえたのは…やっぱ嬉しいもんだなァ。」
『んふふ…っ、見るからに嬉しそうにしてるもんね、たぬさん。逆にそんな喜んでもらえるなら、偶には今みたいに振るってあげてたら良かったかな…?』
「…いや、其れは良いよ。ただでさえ細っこくて折れそうな程弱っちいアンタの手首に此れ以上の負担は掛けたくねぇからな。今日みたいな気まぐれぐれぇが丁度良いんだよ。」
『そっか…じゃあ、また今度今日みたいな気まぐれ起こしたら、本体触らせてね。』
「別に、触るだけなら何時でも構わねぇんだけどな。もっと俺の事使ってみてくれたって良いんだぜ…?」
『ふふふ…っ、じゃあ、いっその事たぬさん自体に抱き付いちゃおっかな?――なぁーんて…、』


半分冗談のつもりで言ったのだが、真に受けたらしい彼が本体を傍らに置いて腕を広げて私を誘うもんだから、其れに私は吸い込まれる様にぽすり、と彼の腕の中へと収まった。

以前にも増して逞しく厚みを増した胸板が掌に触れてついつい気恥ずかしさが出てくる。

自分から言い出しておきながら今更照れが勝ってきて、思わずもぞもぞとぎこちなく彼の腕の中で身動いだ。

彼の側に居る事は勿論落ち着く事だが、其れ以上に彼に包まれている事が思っている以上に落ち着ける事に内心私も大概になっちゃったなぁ…だなんて思った。

お互いに好き合っているのがこんなにも擽ったい事だったとは、少し前までの私は知らないだろう。

気付かない内から彼に惚れていて、また彼からも優しい距離感で慕われていたなんて思いもしなかったのだから。

スリリ…ッ、と首筋に顔を埋める彼が頬擦りする様に擦り寄ってくる。

其れは擽ったいものの、存外心地好くて、不思議と許せてしまうのであった。


「…なァ、アンタは俺の事を愛しく思うか…?」
『勿論、そりゃ毎日思ってますとも。胸から溢れるくらいには何時も思ってますよん…?』
「そうか……物として、刀として、こうして人の身を得て其れすらも求められるのは…やっぱり嬉しいもんだなァ。」


ぎゅう…っ、と力強く抱き締めてきた彼の胸に抱かれて、私は擽ったそうに口から抑え切れなかった笑みを零した。


「…今、俺はアンタの事、堪らなく愛しく思うよ。」
『有難う…私もたぬさんの事愛しくて愛しくて、好きが溢れて堪んないくらい大好きだよ。』


偶々、今日が同田貫刀工の没日だったという事から気まぐれを起こして彼を振るってみただけだったのだけど。

こんな風にお互いがお互いの愛情を確かめ合う流れになるとは、なかなかに面白い展開である。

だけども、彼が愛しくて堪らないのは本当の事だから…今日も今日とて彼へと密かに小さな想いを募らせていくのだった。


執筆日:2020.11.19