▼▲
君と居る為の口実を告ぐ



練度がカンスト――上限に達してから長い事経っていたからか、極めて帰ってきてからは再び前線で活躍出来る喜びを此れでもかと噛み締めた様な調子でキラキラと目を輝かせていた。

そんな彼が、ふと何気無く私の部屋へと訪れた。

私はというと、丁度放置して伸び過ぎた両手足の爪を切ろうと身を丸くしている時だった。


「なぁ、主ぃ〜。ちょっと良いかぁ?」
『うん?どしたの、ぎね…?』
「あ、いや、特に用があるって訳でもないんだ。ただ、何となくアンタの顔が見たいな、って思って来てみただけ。急に邪魔して御免な、何かやってる最中だったか…?」
『え…?や、まぁ、ちょっと暇空いたから、爪でも切ろうかと思って爪切りしてただけだけど…。』
「そっか。仕事の邪魔したとかではなかったんだな。良かった…。爪切ってるだけならさ、部屋、居ても良いか?」
『別に良いけどさぁ…ただ爪切るだけで他何も無いよ?』
「其れでも良いんだよ。連隊戦は終わったし、次の出陣まで待機するだけじゃ暇だからさ。アンタの爪切るとこでも眺めてるよ。」
『はぁ…、まぁ好きにすれば良いけども。あんまじっと眺められてると切りづらくなるから、程々にしてね?』
「分かってるって。アンタはさっきまでみたいに楽にしてなよ。俺も気楽にしてるからさ。」


よく分からないが、どうやら次の出陣までの暇を持て余したが故の訪問らしい。

此処のところ、彼とは時々近侍を任せる以外ではあまり関わる事が無くなっていたから、其れもあるかもしれない。

本丸が出来て初期の頃に顕現した古参組の一振りである槍だから、余計そうなるのだろう。

刀剣数が増えてくると、どうしても新刃君達やレベリング組ばかりに気を割くから、寂しがらせてしまったに違いない。

私はそう思って、彼をそのまま部屋に居させる事を許可し、手の爪を切る作業に戻った。

私が再び爪を切り始めてからの間、お互いの間に会話は無い。

静謐な部屋に、ぱちん、ぱちん、とした音だけが響き渡る。

指先の爪を理想の形と長さに整えるべく、意識を集中してぱちり、硬めの爪を切っていく。

どうでも良い話だが、変に父と似たせいか、私の爪は他の家族と比べて硬い性質を持っていた。

その為か、乾燥するこの季節では、油断すると自分の爪で自分の肌を傷付けてしまう事があるから厄介だ。

だから、手の指の爪は定期的に切る様に気を付けているのだが…足の方はついつい忘れがちになってしまう。

手の指の方と違って、足の爪は伸びる速度が遅いから、忘れた頃に見るとすっかり伸び切っている事が多い。

ぱちり、両手の爪を切り終えると、その出来具合を確認してから、今度は足の爪を切るべく靴下を脱いで伸び具合を確認した。

やはり、予想通りに伸び切ってしまってより硬くなってしまった親指の爪が天を向いていた。

此れはちょっと大変かもしれない。

足の方は、両足共親指の爪だけ巻き爪気味になっているから、切る時は細心の注意を払わねばならぬのだ。

親指の爪は特に硬いから、切る時に力が要るし、かといって変に切り過ぎると痛いしで悩みどころなのである。

手の爪とは違って切りにくい上に、足の方はつい忘れがちになるから、伸ばしがちになって余計面倒ではある。

しかし、切らないままは悪影響となるので、切らないという選択肢は無い。

先程よりも意識を集中して切り始めると、不意に彼の方から声をかけられた。

私は其れに手を止め、彼の方を見遣る。


「…なぁ、」
『何…?』
「足の方の爪、俺が切ってやろうか?」
『え…、どして?』
「や、何か切りづらそうにしてたからさ…。俺、今暇してるし、良かったら手伝ってやろうかなと思って。…駄目か?」
『駄目…ではないけど、逆に良いの?確かに手の方と違って足の爪は角度的にも切りづらいけどもさぁ。わざわざ他人ひとにやってもらう程子供でもないっていうか、何というか…取り敢えず申し訳なさが先立つんだが。』
「俺の方が気にしてないんだから、そう変に気にしなくて良いって。俺がアンタの世話焼きたくなっただけだからさ。アンタさえ良ければ、爪切り、こっちに貸してくれ。」


そう言って、少し離れて様子を眺めていた彼がずずい、と身を寄せてきて片手を差し出してくる。

そんなに私の足の爪切りたいのかな…、なんて思って、特に断わる理由も思い付かなかった事から、素直に持っていた爪切りを手渡した。


『……ほい、どうぞ。』
「ん。じゃあ、切りやすい様にちょっとこっちの方に足出してくれるか?大丈夫、擽ったりなんて真似しないから…ほら、足出して。」


彼に促されるまま、自分が切りやすい様に引っ込めていた足を彼寄りになる様ずい…っ、と控えめに差し出す。

すると、その足を優しい手付きで撫ぜた彼は、慈しむ様に目を細めて爪先に爪切りを宛がい、さっきまで私がやっていたみたくぱちん、と爪を切った。

途端、硬めな親指の爪の切れ端が、ぴょん、と近場に飛んで落ちる。

構わず、彼は私の足の爪を切り続けた。

再び、ぱちん、ぱちん、といった音だけが部屋に響き始める。

その静寂を破ったのは、やはりぎねの方だった。


「アンタの足の親指の爪って、ちょっとだけ巻き爪っぽくなってるよな。痛くないのか…?」
『ん〜…時と場合によるかな。普段はそんな気にならないよ。まだそんな酷い訳じゃないから。でも、気を付けないと悪化するし、酷くなったら歩くのも辛くなるらしいから、病院に行って治療しなくちゃいけなくなるらしいよ?まだ私が審神者になる前の学生時の頃の話だけど、リアルに巻き爪治療で病院に患ってる先生が一人居たから、冗談抜きでやばい話。』
「うえ〜…っ、其れじゃあ主も気を付けなきゃだなぁ。人の身になって暫く経つけど、つくづく人間の身って大変だよなぁ〜って思うぜ。」
『ふふふ…っ、心配してくれてありがとね、ぎね。』
「でも、俺達に手入れが必要な様に、人間の身にも手入れが必要なんだって事は身に沁みる程理解してるさ。長年人の身やってる訳じゃないからな。」
『そうだね。其れだけぎねも人間の身に慣れたって事さね。』
「最初こそは色々と戸惑ってたけどなぁ。今は違うさ。槍である事には変わりないが、同時に人になれて良かったなとも思うんだ。…だって、こうしてアンタに直接触れる事が出来るんだからな。」


さわり、また優しく慈しみいっぱいに撫ぜる様に触れてくるから、堪らず私は言葉を詰まらせて唸った。


『ん゙ん゙ん…っ、』
「あ、悪い、擽ったかったか…?」
『いや、まぁ其れもあるんだけども…別の意味で色々と擽ったくなってしまってですね…っ。…うん、まぁ、深くは気にしないで。』
「…そっか。気分を害したとかじゃなくて安心した。…実はさ、俺、アンタの足好きなんだよ。何か触り心地というか、形とかが良くてさ。」
『凄ぇ初耳なんすけど…。』
「そりゃ、初めて言ったからな。」
『…どうして今更になって言ったの?』
「ん〜……何となく、伝えたくなったから、かなぁ…。へへ…っ。極めて帰ってきて、改めてアンタの槍である事を再認識したらさ、何だか凄くアンタの事が愛しく思えてきたんだよ。元々主として、大事な人として慕ってはいたけど、其れとは別の意味で…な。だって、アンタってば、俺が帰ってくるなりめちゃくちゃ嬉しそうな顔で出迎えるわ、“ウチの一番槍が超絶イケメンになって帰ってきたぞ!”…つって、処構わず自慢しまくるからさぁ……嫌いになんてなる訳がないだろ?」


そう俯き気味に上目遣いで告げてきた彼の顔は仄かに赤かった。

ついでに、彼の今更な告白を受けた私の顔も同じ様に火照っていた。

やだ、何コレ…地味にめっちゃ恥ずかしいんだけど。

堪らず足を引っ込めようとしたら、彼に足首ごと掴まれて制されてしまった。

彼の大きな掌に包まれた足がむず痒くて堪らない。


「好きついでに言うとさ、主の足のこの他の指と比べて人差し指だけ一本飛び抜けて長いの、好きなんだよなぁ。全体的なバランスが取れた造形っていうのか?何か足の形自体が好みでさぁ…見てて綺麗だなって思う。造形美って言葉はこの為にあるんじゃないかって感じすらする程に。」
『大袈裟過ぎるわ…っ!』
「でも、其れだけ好きなんだって話だよ。主だって、俺の躰についてよく語ってたじゃないか…“ぎねは本当良い躰付きしてるよな”って。要は其れとおんなじ事だろ…?アンタこそ今更恥ずかしがる必要なんて無いんじゃないか?」
『んぐふ…ッ、其れと此れとは別の話だよ…っ。』
「アンタは時折そう言って逃れようとするけど…そういうとこ、俺は狡いと思うぞ。」


爪切り途中のまま彼に捕獲された足が、ガッチリと彼の手に捕まえられたまま抜け出せないでいる。

極めてより逞しくなった力が、私の足を掴んで離さないのだ。

最早擽ったさ云々のレベルを通り越している。


「なぁ、主…?」
『……な、に…っ、』
「此れからもさ、時々こうして俺にアンタの足の爪、切らせてくれないか?そしたら、アンタと逢う口実も出来るし、またアンタの足に肌に触れる事が出来る。メリットしか無いだろ…?」


爪切りを置いた手が、するり、私の足を掬い上げて頬擦りをした後に、好きだと言った指先へ愛しく触れる様に優しく口付けを落とした。

その直後、彼は至極嬉しそうに口許を緩めてにんまりと笑って言う。


「…駄目か?」


私が断われないのを分かり切った上でそう訊いてくるぎねは、あざとい確信犯だった。

明らかに意識した上目遣いで言ってきた辺り、彼もだいぶ私のツボを把握していると見える。

其れだけ長い付き合いなのだ、彼と私の関係は。

審神者と其れに付き従う槍の付喪神という図は変わらずとも。

人の身を得て長い我が本丸の一番槍は、まこと人らしくなったものである。

其れが誇らしくもあり、また同時に嬉しくもあるのだが…元を正せば皮肉な話だ。

まぁ、今はそんな話、思考の隅にでも置いておくべき事なのだろう。

爪先に口付けるだけでは物足りないと目で訴えかけてくる我が愛しの槍に早く応えてやらねば…。

私はガッチリと掴まれたままの足を揺らして憮然とした態度で口にしてやった。


『…その逢う為の口実、足の爪切るだけで良いの…?』
「勿論、其れだけじゃ満足出来ないのは分かってるが…ただでさえ忙しそうにしてるアンタの事をあんまり束縛したくはないし、他の奴の面倒見なきゃいけない事も理解してるからさ。…だから、時々で良いんだ。アンタに迷惑は掛けたくない。」
『……もし、ぎねが逢いに来てくれるの迷惑じゃないって言ったら…どうする?』


羞恥を飲んでそう告げれば、彼が息を飲み込んで私の事を真っ直ぐに見つめてくる。


「…其れ、嘘や冗談とかじゃないよな…?」
『……うん。全部、私の本心から言った事だよ…っ。』
「もし…もし、其れが本当だとしたら、めちゃくちゃ嬉しいし…っ、その、期待しても良いって捉えても良いよな……?」


さっきまであんなに余裕たっぷりに構えていた癖に、いざその時になったら不安そうに自信を失くすとは…やはり根本的なところは未だ変わりないらしい。

期待に満ちた目で見つめてくる彼の目を見つめ返しながら、私はこう言ってやった。


『初めからぎねを拒んだ事、此れまでずっと一度として無いよ。』


そうして気恥ずかしいながらも笑みを浮かべてやれば、彼は非道く驚いた様に目を見開いて、次の瞬間には男らしい覚悟を決めた目で私を射抜いたのだった。


「俺は何処まで行ってもアンタの一番槍だって事、変わるつもりは無いから…その代わりに、アンタの事を今在る一生を捧げても守りとおしてみせると誓うよ。アンタがその身を俺に捧げると言うのなら、俺は槍でもこの身でも持てるもの全てをアンタに捧げてやるさ。きっと後悔はさせない…っ。――だから、今、この時にアンタの事を抱き締める権利を俺にくれないか…?」


赤みを帯びた瞳が期待と不安に揺らぎ、私を見つめる。

掴まれていた筈の足は、いつの間にか呆気なく拘束を解かれていて自由だった。

私は彼に両手を差し出す様にして迎え入れる準備を整える。

次いで笑みを浮かべれば、其れを了承と見なしたのか、抱き締めても良い合図と見なしたのかは分からなかったが、恐らく両方なのであろう。

以前にも増してより逞しくなった胸元に引き寄せられた私は、すっぽり彼の腕の中に収まる程小さく華奢な身であった。

ジャージの上着で隠れて見えなかった首飾りが、目の前で揺れて煌めく。

いつの間にか、こんなに近い関係に至っていたのだな…なんて、今更な事を思う思考は、早くも熱に焼き切れそうで堪らなかった。


「―嗚呼、本当に夢じゃないんだな…。アンタの匂いが、こんなにも近い処に在る…。華奢で細くて柔らかい身が、俺の腕の中に在るなんて…愛しくて堪らないよ。」


そう耳元で低く掠れた声で呟いた彼は、大層嬉しそうに私を腕の中に閉じ込めた後、暫くは離さないとばかりにぎゅっと抱き締め、愛しげに頬擦りをするのだった。


執筆日:2021.01.19