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小さな嫉妬心は可愛い



切ろう切ろうと思いつつ、美容室に電話の一本を入れるのが面倒でほったらかしの伸ばしっ放しにしていたツケが、夜寝る前の寝支度の際に来た。

長く伸び過ぎた髪を丁寧に梳いて綺麗に整えようとしたのだが、如何せん長過ぎて櫛を髪先まできちんと通そうにも途中で絡まり突っ掛かって上手くいかないのだ。

何故こうも無精してしまったのか。

全く逆に面倒な事になってしまった。

髪は長く伸びれば伸びる程手入れが必要になってくる。

なのに、大した手入れも施していない髪はただ伸ばしっ放しという風に長くなるだけ長くなり、毛先に行く程傷んでパサついていた。

おまけに、冬の乾燥故か、非道く静電気が起きて櫛を通す度にぶわりと広がったり櫛に纏わり付くので困る。

宛ら貞子の様な状態だ。

だらりと顔横に垂らした今の今まで何も弄った事の無い黒き髪が、その鬱陶しい長さと存在感を主張していた。

さて、どうしたものか。

まぁ、取り敢えず何時もの様に適度に整えた後、左側寄りに緩く一つに纏めて流すのだが。

其処に行き着くまでが少し時間が掛かる。

長く伸ばし過ぎるのも大概なものだな。

一人、寝支度を整えながら思った。

猫っ毛故に、髪が伸びるとよく絡まって解けなくなる。

終いには鳥の巣の如く絡まりに絡まってダマの様になる。

そのせいで、最終的に面倒になってくると、本当は髪がより傷むからやらない方が良いのだが思い切りブチリと引っ張って無理矢理櫛を通すのだ。

そうすると、自分でやってても痛いとは分かっているのだが、変に面倒くさがって此処まで伸ばした自分が悪いのだ、自業自得である。

よって、寝支度だけに変な時間を掛けながらうんうんと唸りつつ髪を整えていた。

すると、何か用があったのか、其れとも夜のお散歩がてらに偶々離れの付近を通りがかっただけなのか、何方とも理由は付けられなかったが、閉め切っていた筈の襖が薄く開けられ、その向こう側から意外な人物が顔を覗かせた。


「大丈夫か、小鳥…?」
『うぇ、ちょもさん…っ?どしたの、こんな時間に?』
「偶々近くを通りかかったら、何やら呻き声が聞こえたのでな。何かあったのかと気になって心配になり、中の様子を窺ってみたというだけさ。大事無い様で良かったよ…。夜分遅くに部屋を訪ねてすまなかった。」
『嗚呼、いや、此方こそ何か御免ね。ちょっと寝支度整えんのに苦戦してただけだから、気にしないで。』
「そうだったのか。いやはや、女人の寝支度は大変そうだな。」
『あはは…っ、普通の人はそんなに時間掛からないと思うんだけどねぇ〜。如何せん、髪伸ばし過ぎちゃったから、梳かすのが大変でさ。』
「ふむ…そういう事ならば、私の手を貸そうか?小鳥さえ良ければ、だが。」
『え…っ、そんな、お頭たる御人の手を煩わせる程の事では…っ。』
「私が好きで申し出た事さ。小鳥は気にしなくて良い。…して、入室に対するお許しの方は如何かな?」
『えっと…まぁ、はい、断わる理由も特に無いんで…どうぞ?』
「では、少し失礼するぞ。」


夜遅い時間にあまり男の身の彼等を部屋に招き入れるのは宜しくない事なのだろうが、許可する手前、何も後ろめたい理由など無いのだから別に構わぬだろう。

後で誰ぞに問われた時は、素直に事の顛末を話せば良いだけである。

何も気にする必要は無い。

だが、相手が相手なだけにちょっぴりドキドキとしてしまうのは致し方ない事だろう。

何せ、相手はあの一文字一家のお頭と来るのだから。

おまけに、今から許可するのは、自身の髪を梳く事である。

寝支度を整える為の手伝いも兼ねている事から、少しだけ緊張が身に沁み、躰を固くした。

其れを見兼ねた彼から苦笑いを貰い、ついでに「私はただ髪を梳く手伝いをするだけさ。変に力まず、小鳥は楽にしていなさい。」というお言葉まで頂いてしまった。

面目ない。

早々と諦める事にし、持っていた櫛を渡して、先程まで己がやっていたのを真似する様に梳いてくれと指示した。

頷いた彼は、鏡台の前に腰掛ける私の背後に腰を据えて、その手を私の長き髪へと添わせた。

自分で梳いていた為に前に垂らしていた髪が、一度後ろへ流す様に彼の手に触れられ、掬われる。

梳きやすい様にそうして背中に全部落とすと、優しげな手付きで丁寧に櫛が通されていった。

自分一人でやっていた時はあんなに苦戦しながら梳いていたのに、まるで嘘みたいに滑らかに梳かれていく髪が驚きを通り越して心地好かった。

もしや、この櫛…相手がちょもさんだから言う事を聞いているのではなかろうか。

そんな考えすら浮かぶ程のスムーズさであった。

彼等も含め櫛も物であるのだから、恐らく遠からぬ話ではないのだろうな、という具合だろう。

そんな感情が顔に出ていたのか、鏡越しに合った彼の視線が柔ら笑みに細められた。


「私が小鳥の髪を梳いているのが、そんなに不思議か…?」
『あ、や、別にそういう訳ではなかったんだけど…さっき自分でやってた時はあんなに言う事を聞かなかった櫛が嘘みたいに真っ直ぐ髪に通るもんだから、もしかしてちょもさんが扱うから言う事聞いてるのかなぁ〜…、なんて思ってただけです。』
「はははっ、其れは其れで光栄な事だな。小鳥の私物に気に入られるとは思ってもみない事だ。素直に嬉しく思うよ。…だが、其れに関して別にもう一つ思った事があるのだが、宜しいかな?」
『どうぞ?』
「もし、小鳥の思う様に櫛が通らなかった原因が櫛ではなく、髪自体にあったのなら…どうする?」
『えぇ…っ?まっさかぁ〜!其れじゃあ私の髪そのもの自体に意思があるみたいじゃないですか〜っ。其れは其れでやだ、怖い…!』
「ははは…っ、冗談だよ。」
『もう…変な冗談言わないでくださいよぅ…っ。』
「すまないな。あまりに大人しく私に背と髪を預けるので、少し意地らしくなって揶揄ってみたくなっただけさ。気にしないでくれ。」
『ふふふ…っ、でも、相手がちょもさんだったからっていうのは、強ち間違ってはないのかもしれないなぁ…。』
「ほぉ、其れは気になる言い方だな…?」
『だって、ちょもさんは私の中で素直に背中を預けるに値する程信頼した刀ですもん。そりゃ大人しく預けちゃうもんですよね…!』
「……小鳥よ、あまり真っ直ぐに褒めないでくれないか…?いや、まぁ悪い気はしないのだが…少々気恥ずかしいものがある…っ。」


途端、つい気になって後ろへ振り向きかけると、「こら、大人しく前を向いていなさい。」とたしなめられ、前を向かされた。

恥ずかしがり屋な彼の事だ、今何気無く零した己の台詞に顔を赤らめていたのだろう。

其れを間近で直接見られるのが嫌で返された言葉なのは見え見えであった。

些細な事であるが、彼のそんなところが微笑ましく思えて、堪らず口許を押さえてくふくふと口端を緩めた。

そんな様子に、鏡越しに映る彼の顔が少し赤らんで見えたのは気のせいじゃないだろう。

全く見た目に反して可愛らしい御方である。

そうこう口許を緩めて笑っていたら、不意に機嫌を損ねたらしい彼から一つお咎めの言葉として「―…小鳥、」と声音低く呼ばれた。

流石の本気で彼の機嫌を損ねさせる訳にもいかないので、程々に笑みを引っ込めさせた。

しかし、未だニヤついた顔付きになるのは許して欲しい。

だって、自分の刀達が可愛くて仕方がないんですもの。

此れくらいの事は大目に見てくれないとちょっと困る。

私は私の刀剣達皆が大好きで可愛くて堪らないのだから。

そんな思いが滲み出ていたのだろう。

その後は彼も何も言わなかった。

代わりに、静かに黙々と私の髪を丁寧に梳き、最後は私が何時もしている様に後ろで緩めに一つに結い上げてもらった。

そうして綺麗に整った髪を左前へと流して出来に頷く。


『有難う、ちょもさん。お陰で何時も以上に綺麗に整ったよ。』
「お役に立てたのなら幸いだ。この程度の事ならば、また何時でも声をかけてくれ。喜んで手を貸そう。」
『そんなしょっちゅう頼む訳にもいかないよ〜。お頭の手を煩わせるな、って日光さんに睨まれちゃう。』
「我が翼は厳しいからな。…しかし、そうしていると、まるで我が翼とそっくりな髪型だな。流している方向は逆であるが。」
『あ…っ、思えばそうだねぇ。なら、せっかくだから、明日はこの髪型に結おうかな…?そしたら、不覚にもお揃いみたいになってて面白いですよね!』
「小鳥がやりたい様にしたら良いさ。どんな髪型であったとしても、小鳥には似合うのだからな。――だが、思わぬ事とはいえ、我が翼とお揃いになるのは少し妬けるな…。」
『え……っ?』
「私の小鳥が愛らしいのは元からだが…其れを我が翼に寄せるのは、些か複雑なものがある。」
『え…ちょ、ちょもさん…?急にどうしたんです…?』
「何も急な話ではないさ。今のは、何時も思っている事を偶々口に出しただけに過ぎない。…小鳥は何時も愛らしく、愛しくて堪らないよ。此れは嘘偽りなんかではない、本当の事だ。どうか、誤解せずに受け取っておいて欲しい。」
『ほあ……っっっ!?ちょ、ちょちょちょもさんんん!???』


急な展開に付いていけず狼狽えていると、結ったばかりの髪を優しく掬われて口付けられた。

お陰で、目の前で繰り広げられている光景に頭が付いていかず、ポカン…ッ、と惚けてしまった。

其れを愉しげに見つめてきた彼が、より一層目元を和らげて微笑んでくるから堪ったもんじゃない。


「顔が赤いな、小鳥…。初な小鳥らしく愛らしくて可愛いぞ。…その反応を見るに、どうやら少しは期待しても良いと見えるが…どうかな?」
『は…………、え……?ち、ちょも、さん……っ??』
「ふふ…っ、冗談さ。――さぁ、もう夜も遅い。明日も朝は早いのだから、今日はもう寝なさい。風邪を引かぬ様、ちゃんと温かくしてから寝るんだぞ?」
『……え…、あ…はい、そう…ですね…。おやすみなさい、ちょもさん…。』


そう言った彼は、用が済むなり颯爽と部屋を後にし去っていった。

…もしかして、揶揄われたのだろうか?

仮にそうなのだとしたら、なんて茶目っ気の多い人なのだろうか。

正確に言ったら人じゃなくて刀だけども…。

またしてもドキドキと高鳴り始めた胸を押さえて布団の中へと入る。

此れは暫く眠れそうにないと早々と諦める程には顔が熱くて火照ってしまったのであった。

どうも、この手の話題は慣れずして恥ずかしい。


―翌日、彼に宣言した通り髪を左下寄りに一つに結って大広間へと向かった。

敢えて右側ではなく昨夜と同じ左側に寄せたのは、単純に私が左側の方が何となく落ち着けるからであるが、もう一つの理由としては、日光さんと完全に被らない様にする為であった。

そんな理由を察したのだろう、朝餉を食べる手前で偶々視線の合った彼がにこりと柔かな笑みを浮かべて意味深に一つ頷いた。

私はその反応に少しだけ気恥ずかしくなりながらも、敢えて髪型は変えずに、その日一日はそのままで過ごしたのだった。

そのせいか、時折チラチラと見てくる日光さんの視線が擽ったくて敵わなかった。

丁度髪の長さも彼と似た様なくらいだったから、余計に寄せて見えたのだろう事は、その後遅れて気が付くのである。


執筆日:2021.01.19