それは、小さな雪がしんしんと降る日の事だった。
その日の気温は、氷点下をゆき、寒さ厳しい日であった。
雪が降り始めてすぐに、短刀の子等は、喜び跳ねて庭へと駆け出していった。
庭からは、短刀の子等の楽し気に遊ぶ賑やかな声が聞こえる。
寒さに強い、子供は風の子とはよく言ったものだ。
しかし、降る雪は積もる程ではなく、落ちてはすぐに溶けて消えていった。
まるで、儚い何かを表すが如くに、その存在は跡形も無く消えてゆく…。
それを、通りすがりの廊下先で眺めていた璃子。
その表情は浮かなく、何時にも増して元気がないようだった。
彼女は、ちらと障子窓から空模様を眺めただけで、その顔はふいっと逸らされる。
何も発さず、無言のまま、その場を通り過ぎてゆく。
本丸に居る者は、今は少ない。
出陣や遠征等で、ほとんどの者達が出払っていて居ないのだ。
故に、短刀の子等が上げる声以外は静かで、他は、時折吹き荒ぶ凩の強い風鳴りぐらいであった。
「これはこれは、主殿。今日は雪が降っておりますなぁ。鳴狐も寒いと言っておりまする。」
『……………。』
「主殿…?」
「…どうしたの?元気ないね…。」
廊下を歩いていた先で、偶然ばったり逢った鳴狐とお供が、彼女に喋りかけた。
だが、彼女からは何の返答も返ってこない。
様子が可笑しいと気付いた鳴狐が、然り気無く問うた。
『……別に。私は元気だよ。』
「そうでございますか…?それなら良いのですが…。何やら、浮かない顔をしてらっしゃいましたので、どうかされたのではと気になってしまいました。違うのであれば、安心なのです…!」
『うん…。たぶん、寒いからじゃないかな…?血の気がないように見えたんだろうね。私、寒がりで冷え症だから…。』
「そう…。でも、あまり無理はしないでね。」
『うん。心配してくれてありがとう…。』
声にあまり抑揚が無く聞こえたが、彼女自身が何も言わない様子だった為、一人と一匹は、敢えて深くは聞こうとしなかった。
彼女には、彼女の事情がある。
あまり深く踏み入っては、踏み込まれたくない領域にまで踏み込む事になる。
守らねばならない壁を壊してはならない。
それは、彼女の心を守る上での、彼等の中で決められた暗黙のルールだった。
彼等は、彼女の背を見送った後も、暫くは、その場に立ち尽くした。
「…今晩の夕餉に、稲荷寿司を作ってあげようか…。美味しい物を食べれば、きっと元気になるよ。」
「そうでございますなぁ!鳴狐の作る稲荷は絶品と皆に評判の物…っ!格別な味の稲荷を食せば、忽ち笑顔になる筈です!」
「そうだね…。それじゃあ、早速下準備にでも取り掛かろうか…。」
そっと優しさを滲ませる一人と一匹の会話は、厨に居る歌仙や大和守にこっそり知らされるのであった。
場所は移りて、炬燵ある暖かき一室に、一振りの刀剣男士が居た。
お留守番組である、大太刀の石切丸だ。
彼は、一人、炬燵にしっぽりと入り、温かいお茶を飲んでゆったりとしていた。
そこへ、静かに入室してきた者が居た。
障子をぴしりと閉めたのは、この本丸の主である、璃子だった。
「おや、どうしたんだい…?私の処へ来るなんて、珍しいね。」
『……………。』
穏やかに声をかけた石切丸だったが、またしても、無言の解答を返した璃子。
きょとんとした顔になった彼は、飲んでいた湯飲みを置くと、彼女の方を見遣った。
「どうしたんだい…?泣きそうな顔をしているよ?」
『…泣きそうな顔…?』
「あれ…、気付いていなかったのかい?今にも涙を溢しそうな程なのに、それを堪えているように私には見えたよ…?」
『……そう。なら、そうかもしれないね…。』
彼の言葉に小さく驚いたような反応を見せた璃子。
彼が言うと、彼女はポツリと言葉を漏らした。
その声には、やはり、いつもの覇気が感じられない。
「……心が疲れてしまっているようだね。何か、悩んでいたりする事でもあるのかな?私で良ければ、話を聞くよ…?」
優しく微笑んで、まぁ座りなさい、と席へ促す石切丸。
炬燵の一角、彼の向かい側に座るよう促された璃子は、静かにゆっくりとした動きで座った。
彼女の動きがゆっくりしている時は、大抵、調子が悪かったり、元気のない時だ。
大方の予想として、今の彼女の様子から察するに、ゆっくりになっている理由は後者であろうと、心の内で予測を付ける。
「まずは、温かいお茶を一服してからにしようか。どうぞ。」
『…ありがとう…。』
「お茶菓子もあるよ?君の好きな甘い餡物、練りきりさ。歌仙さんから頂いたんだ。」
温かいお茶を煎れてくれた彼から、礼を述べて湯飲みを受け取る。
穏やかな声音で話す彼は、そっとお茶菓子も差し出した。
話を始める前に一服するのは、心を落ち着ける為である。
そこに、甘い和菓子もあれば、じんわりと心の内が癒される事間違いなしである。
出逢った当初から、彼は彼女の身を案じてきた。
少しでも、彼女が一人で立てるように…。
それ故に、彼は保護者のような立ち位置になっていたのである。
「美味しいかい…?」
『……うん…。美味しい…っ。』
元々、和菓子の餡物が好きだった璃子は、可愛らしい華やかな薄桃色をした花形の練りきりを口にして、表情を和らげる。
固く暗くなっていた表情に、僅かに光が射したようだった。
「それで…、君は何を思い悩んでいるのかな…?そこまでに暗くなっていた理由を話して欲しい…。」
『………ッ、……ぁ……ッ。』
「嗚呼…別に、話したくなければ、無理に話さなくても良いよ。話したくなったらで構わない。ゆっくりで良いんだよ。」
咄嗟に口を開いたものの、上手く言葉が出てこなくて、言葉に詰まった璃子は、言葉にならぬ声を発した。
様子を見兼ねた彼が、焦らずにゆっくりで良いと促す。
気持ちを落ち着けなおすように、一度、湯飲みの中へと視線を落とした。
まだ半分も残っているお茶の水面が、彼女の心を表すかの如く、揺らぐ。
気持ちが落ち着いたのか、顔を上げると、何か言いたげな表情で彼を見遣った。
そうして、もう一度口を開きかけるも、尻込みするように噤み、また閉じる。
なかなか気持ちに整理が付かないようである。
「何を言っても、私も皆も咎めたりなんてしないよ。何でも良いんだ。君が内に溜め込んでいるものを吐き出してごらん…?」
その言葉が背中を押したのか、漸く目を合わせてくれた璃子。
その瞳は、不安の色に揺らいでいた。
『……現世の方での、話なんだ…。』
璃子は、ポツリポツリと零し始める。
『今の私は…現世の方の仕事も兼任して、審神者業をやってるっていうのは、知ってるよね…。現世の仕事をしてる最中の私はね、此方に居る時みたいには明るくないんだ…。どっちかって言うと、暗めで大人しめかな。何か、いつも自分を閉じ込めて笑って、猫被っててさ…正直、辛いんだよね。』
ボソリボソリと胸の内を吐露していく璃子。
しかし、その表情は、次第に自嘲気味のものへと変わっていく。
『物覚えが悪くて鈍くさい…要領も悪い新人とかって、面倒くさいだけなんだよ…。人とのコミュニケーションも取るの下手だし、苦手だから、余計に誤解を受けやすいしね。…本当、社会人やるのって大変だよ…っ。人間関係複雑で、やってらんないって…!』
堰を切るように溢れてきた涙に、頬を濡らし始めた璃子は、しゃくりを抑え込みながら泣く。
抑えずとも、誰も咎めはしないのに、そうしてしまうのは…彼女が生活してきた中で染み付いてしまったもの。
なんと哀しく憐れな事か…。
審神者となってからの彼女しか知らない彼としては、胸を痛める話である。
「主…、此方においで?私の胸を貸してあげるから…一人で泣かなくて良い…。我慢しなくて良いんだ。」
『……っく、…ひっく……ぅ゙、ん……っ。』
そっと側へ寄り添ってあげれば、縋るように腕を伸ばしてきた璃子。
現世での彼女に、誰かに縋り付いて、思い切り吐き出し、泣ける相手は居ない。
故に、幾ら周りに人が居ようも、孤独を感じてしまうのだった。
「大丈夫…、私は此処に居るよ。此処に居る皆が、君を見てくれるし、側に居てくれるよ。此処は、君の帰ってこれる場所だよ。何時だって、有りの儘で良いんだ。偽る必要は無い…。此処は、君の居場所だよ。」
肩を震わせて涙する彼女を優しく宥めながら、彼は憂いた。
(彼なら…彼女の初期刀である燭台切さんなら、もっと上手く彼女を泣かせてあげれるのかな…。やはり、私ではなく、彼じゃないと…彼女を本当の意味で支えてあげる事は出来ないのか…。)
前任の審神者の力で顕現された石切丸。
この本丸の半数の刀剣男士達が、前任の力によって顕現されている。
その為に、彼女の憂いの根源を絶つ事が出来ないでいるのだ。
「さぁ…、吐き出したら疲れたろう?少し眠ると良い。眠って、生気を養おう。」
涙で赤く腫れた目蓋を優しく覆い隠すと、そっと柔い力で膝へと身を横にしてやる石切丸。
不思議な力か、彼の持つ癒しの力で瞬く間に眠りに就いた璃子。
目尻に残る、涙の痕が痛々しい。
「もうすぐすれば、彼が帰ってくるよ…。君の頼れる彼がね。」
少しして、遠くで部隊の帰還を知らせる鐘の音が聞こえてくる。
暫くすれば、廊下を歩いてくる足音が響いてくる。
そして、とある人物の影が障子に映る。
「ただいま、石切丸さんっ。主が此方に来てるって聞いて来たんだけど…主、居るかな?」
「おかえりなさい、燭台切さん。主なら、今私の膝の上で寝ているよ。丁度、寝付いたばかりなんだ。さっきまでは、不安で泣いていたんだけどね。」
苦笑気味にそう告げた彼に、燭台切は、眉尻を下げて困ったように笑い返した。
「情緒不安定だったんだね…。ごめんね、そんな時に側に居てあげられなくて。石切丸さんも、僕の代わりを任せるような形になっちゃってごめんね…?」
「気にしないでくれ。私では、君のようにはいかなかったからね。」
「それでも、僕が不在の間、主を支えてくれてありがとう。」
素直に礼を述べれる彼は凄い。
(私も…、君が安心出来るよう、彼のように頼れる存在になれたら良いな…。)
まだまだ、彼に近付くには、遠い場所に居る自分が悔しい。
粉雪のように降っていた雪は、いつの間にか止んでいた。
だけども、寒さは相変わらず身に染みている。
執筆日:2018.01.28